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| 受講生による 『3分間スピーチ』 (一部抜粋) |
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2.『感じる心を大切に』 営業事務/20代(女性)
3.『人の気持ちが理解できる人間になろう』 営業/50代 (男性)
4.『地球はゴミ箱ではない。日本人よ、マナーを守れ!』
エンジニア/30代(男性)
5.『酒の力を頼らずに自分の力で語ろう』 会社員/30代 (男性)
6.『菊一途、人に雑用の語などなし』 地方公務員/20代 (男性)
7.『良いと思ったことは躊躇せず実践する人間になろう』 自営/30代 (男性)
8.『親は心の中で生きている』 小学校教師/40代 (男性)
9.『今在る私は壊れた時計のおかげ』 会社役員/60代 (男性)
10.『話し方はどんな場面でも通用する』 派遣社員/20代 (女性)
11.『挨拶の力を信じよう』 販売員/30代(女性)
12.『もっと人を褒めよう』 居酒屋店長/30代 (男性)
13.『ラブレターと屈辱』 会社員/30代 (男性)
14.『先生の一言が私を変えた』 経理事務/40代 (女性)
15.『士の冠を汚すな』 栄養士/30代 (女性)
16.『忘れられない一言』 主婦/30代 (女性)
17.『ドン、ありがとう 』 自営業/50代 (男性)
18.『火事場の馬鹿力』 薬剤師/30代 (女性)
19.『親孝行の思い出』 会社員/20代 (男性)
20.『挨拶は明るい先手の挨拶で』 公務員/30代 (男性)
◎受講生による 『3分間スピーチ』 (21〜はこちら)
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1.『もっとオープンになろう』 会社員/30代(男性)
皆さんは初めて会う方とどういう話しをなさいますか?多くの方はあまりプライベートなことはお話にならないのではないかと思います。私もそうでした。
先日あるセミナーに参加し、その後、懇親会が開かれました。私はいつものように自分のことはあまり語ることはありませんでした。ところが同じテーブルにいたAさんは違っていました。今の仕事のこと、家庭のこと、まるで防御本能がない子供のように自分のことを正直に語っておりました。特に印象深かったことはAさんの話しは自慢話ばかりでなく、ご自分の弱みも素直に語っていることでした。初めのうちは「よく恥ずかしくもなく喋るな」と内心軽蔑しておりました・・・Aさん、スミマセン。しかし、自分の弱みまで素直に語るAさんに次第に好感が持てるようになりました。その時でした。話し方教室で「自分をもっとオープンに語りなさい。さもないと人間関係はいつまでも進展しません。」と言う言葉を思い出しました。「そうだ、これは軽蔑すべきことではないんだ。この方こそ本当の人間関係を作ろうとして努力なさっているのだ」と思わされました。私は彼から教わりました。「自分の弱みも含め正直に語らなければいけないんだ。」と悟りました。「自分の殻を破ろう!」と思い切って自分のことを語りました。自分の仕事や家庭の問題等々語りました。これは今までの自分には考えられないことでした。恥ずかしい思いもありましたが、これで良いんだと思いました。
今までの私なら形式的な話しに留め、常にガードを張り巡らせ、多くを語らず人間関係に慎重すぎたと思います。それは自分が傷つきたくない、低く思われたくないと、自己保身そのものだったと思います。これでは人間関係が進展するわけないですよね。
これからはより良い、深い人間関係を作っていくためにも、そして自分の成長のためにももっと積極的に且つ正直に自分を表現していこうと思います。

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2.『感じる心を大切に』 営業事務/20代 (女性)
あれは私が小学1、2年生の頃、国語の授業で『心は、どこにある?』というテーマで議論した事がある。話を進めていると<頭派>と<心臓派>の2派に分かれる事が分かり、机を向かい合わせての、6、7歳の小学生としてはかなりハイレベルな白熱した議論が展開された。ちなみに私は<頭派>だった。心は考えたり、感じたりする所なんだから、当然頭だと幼いなりに思っていた。しかし、<心臓派>の代表の女の子が言った言葉は私をウーンと唸らせた。その意見を聞いて多くの生徒が、<心臓派>の席に移ったほどだった。
彼女の意見はこうだった。「先生、私も本当は頭だと思うんです。でも悲しいときや、せつないとき、ここが(と言って彼女は自分の心臓に手をおいた。)きゅーんと痛むんです。」多くの生徒が「私も!僕も!」と同意した。
担任の女の先生は年配の優しい先生だった。その時の先生もやはり優しかった。「大事なのはどこにあるかじゃないの。感じたり考えたりするその心が大切なの。<心臓が痛む>というその気持ちずーと大切にしてね。」
話しかた教室に通って思う事は、これは自分への反省でもあるのですが、頭で考えすぎてないかな?ということです。<感じる心>、前の話で言うときゅーんと痛む感覚これが欠けてないかな?これを表現したいなと思うのです。「頭の中でこねくりまわし過ぎていないかい?理屈や理論に走り過ぎていないかい?」話しかた教室で3分スピーチを組み立てる時に、自分に言い聞かせる言葉です。自分が、あっと思ったその一瞬。えっと感じたその感覚。写真ならシャターきる感じかでしょうか。絵画なら一枚で言いたい事を表すということでしょうか。余計分かんなくなっちゃったでしょうか?大丈夫。夕焼けの空が美しいと感じる人なら、ほらきれいと言えると思います。それそれ、そこから始めればいいんだと思うのです。これからも考えるより感じる心を大切にしていきたいと思います。
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3.『人の気持ちが理解できる人間になろう』 営業/50代(男性)
お恥ずかしい話しですが、私が大学時代、自分のタバコの火の不始末で我が家を全焼してしまったことがあります。それまで私は大学卒業後海外に武者始業に行くために、資金を稼ぐために大学の授業もろくすっぽ出席せずにアルバイトに明け暮れていた。
その朝もタバコを一服したあとアルバイトに出かけたのだ。夜アルバイトが終わり、帰りの電車を降り、駅の改札口を出ると姉が泣き顔で立っていた。私が焼け死んでいるのではないかと居ても立ってもいられず、駅で私を待っていたのでした。事の成り行を聞き私は耳を疑うと同時に、『悪夢であって欲しい』と願いました。その時の家族の悲しみや苦しみは如何ばかりかと思うと、今でも本当に心が痛みます。
しばらくの間途方にくれる日々が続きました。そして当然海外行きも断念せざるをえませんでした。しかし、日が経つに連れて、やはり『海外に行きたい』と言う気持ちが再び心の片隅に生じそれを押さえるのが難しくなってきました。
一方、卒業も間近になり、いよいよ進路を決めなくてはならない時期が迫ってきていました。私の場合、海外で働くことしか考えがなかったため、それまで一切日本での就職活動をしていませんでした。考えも定まらないまま決断を迫られた。『海外に行きたい』と言う気持ちと『自分ばかり好きなことをしている時ではない』という板ばさみに悩まされました。しかし、誰が見たって火事を引き起こした私は日本で働き、少しでも家計を助けることが当然な状況でした。そんなある時でした。栃木から駆けつけていた兄貴の車の中で自分の気持ちを戸惑いながらも打ち明けました。その時、兄の口から出たのは『よし、海外に行け。俺が何とかしてあげる。』と言うものでした。私は本当に嬉しかった。
その後、実際は私は卒業後、日本で就職を選びました。やはり、当時はそれ(海外行きは)は出来なかった。『必ずいつかは出かけるぞ!』という決意だけを心に秘めて。
孔子の弟子が孔子に『一言で、一生を終わるまでこれを実行して行かなければならないものは有りますか?』と尋ねたそうです。すると孔子は『其れ恕(じょ)か=それは恕(思いやり)かなあ。』と答えたと言います。
あれから30年以上経つ。あの時は海外に行けなかったが、あの時の兄の思いやりは今でも忘れずにいます。
私も『其れ恕(じょ)か』と言える人間になりたいと思う。
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4.『地球はゴミ箱ではない。日本人よ、マナーを守れ!』
エンジニア/30代(男性)
今からおよそ10年前のことです。私が社会人になって3年目、会社の夏休みを利用して、アメリカのグランドキャニオンに旅行に行った時のことです。グランドキャニオンには夕方着き、明日下る準備を万全に整えた後、キャニオンにあるコテージの床で一夜を過ごしました。翌朝、早朝から、いよいよ渓谷を下ろうとして渓谷の入り口に着いた時です。渓谷を管理している管理人の一人が私に近づき、笑顔で『これを持って行って下さい。(もちろん英語)』と言うのでした。それは一枚のビニール袋でした。私は『何のために持っていくのか?』と尋ねると、『渓谷で出たゴミを、それに入れて持ち帰ってください。』と説明してくれました。今から30年ほど前、日本ではそのようなことを聞いたことが無かった私は、アメリカ人の自然に対する思いを垣間見ることが出来ました.。
その後、渓谷を一気に下り、雪解けのコロラド河で休憩し、再び渓谷の赤茶色の路を登って帰り始めました。グランドキャニオンの壮大な景色に言葉を失うとともに、同時に驚いたことは、キャニオンのどこにもキャラメルの紙一つ見つけることが出来なかったことでした。日本では考えられないことでした。あれほどゴミ一つ落ちていないと、逆に人はゴミを捨てられなくなるな、と思わされるほどでした。
ところで皆さんは、日本の富士山が、世界遺産に登録されなかった理由をご存知ですか?
理由は、富士山には『ゴミが多すぎる。』と言うことです。確かに、ユネスコが
世界遺産に指定するためには、世界遺産に相応しい、厳しい条件が当然必要だと思います。
皆さんはいかがお考えになりますか?
本日は、『地球はゴミ箱ではない。日本人よ、マナーを守れ!』と言う話しをさせていただきました。
ありがとうございました。
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5.『酒の力を頼らずに自分の力で語ろう』 会社員/30代(男性)
あれは、5年前私の結婚式の話しだした。とにかく憂鬱でした。何故ならば人前で話すのが苦手な自分が、式の最後に≪お礼の挨拶≫をしなければいけなかったからです。来客の方が次々にお酒をついで下さり『おめでとう。』『おめでとう。』『良かったな。』とその都度杯を開けましたが緊張のせいか酔うことはありませんでいた。酒の力を借りれば多少は緊張から開放されるかと思いましたが、酒の力を借りても緊張は取れることはありませんでした。いよいよ式も終わりに近づき自分の番が回ってきました。心配していた≪お礼の挨拶≫は何とか失敗せずに話すことが出来ましたた。問題はそれからでした。
挨拶を終えた開放感のせいで2次会のことが全く思い出せなませんでした。しかし、ビデオにその時の様子がしっかりと残っていました。なんとほとんど自分が映っていないません。たまに映っている自分は、一人で勝手に≪一気飲み≫をやっている自分でした。それ以外は、かみさんに叱られている自分でした。なんと情けないことか!私は恥ずかしさと自己嫌悪に落ちました。
その後も自分は人前で話すことに苦痛を感じておりました。しかし、もう2度とお酒の力を借りると言うことはしたくなし、あのような恥をかくのもゴメンです。もちろん会社の朝礼で酒を飲むわけにも行きませんし、かといっていつまでも人前での話しから逃げることも出来ません。
そんな時、話し方教室を知り、自分を変えようと思いました。今しかないと思いました。
初めは恐る恐るの話し方のスタートでしたが、今では、結婚式の時の自分が嘘のように話せるようになった自分を感じます。本当に何でもやってみることが大切だと実感しております。やることによって初めて自分を変えられるのだと実感しております。
結婚式の失敗は苦い経験ですが、今後は≪酒の力≫を借りなくても、しっかり堂々と話せるように話し方の勉強を続けて行きたいと思っています。
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6.『菊一途、人に雑用の語などなし』 地方公務員/20代 (男性)
私のマンションにこのたび新しい女性の管理人さんが着任なさりました。お年の頃50歳後半でしょうか?
それまでは男性の年配の管理さんでした。その方とはめったにマンションでお会いすることも、声を掛け合うこともありませんでした。理由はその管理人さんは多くの時間、管理人室の中にいるからでした。しかし、新しい管理人さんは違っておりました。本当によく出会うのです。それだけ管理人室から外に出ての仕事をなさっているからです。お会いする度に『おはようございます。行ってらっしゃいませ!』とお声を掛けてくださいます。こちらも負けじと『おはようございます。ご苦労さまです。』と声をかけます。
先日、大雨の翌朝のことでした。私が仕事で出かけようとすると、その管理人さんが私の住居のある12階まで上がって、前夜からの水を履き出しておりました。私は『ご苦労さまです。大変ですね。』と声をかけると『いいえ、それより廊下の上の照明まで水が吹き込んでいますよ。ただ、特に問題はなさそうですけどね・・・。』とお答えになった。
私はその時『この人の仕事は凄いな。天上の照明の部分まで見ているんだ。』と感心しました。さらに『そういえば、前任の管理人の方とはこんなことは一度もなかったな。同じ管理人なのに、仕事の差がこうも違うんだな。これは仕事に対する姿勢の違いなんだな。さらに生き方の哲学の差なんだろうな。』と思いました。
仕事とは人に言われてやるのでなく、自分から進んで仕事を見つけていくものだと思います。そうすれば、住民の方が喜びます。そして、管理人の方も喜びを味わえます。
マンションの管理人の仕事は、毎日のゴミ出し、公共の場所の掃除、住民の方の相談苦情等、結構大変な仕事です。それを元気に明るく嫌な顔せずになさってくださっている管理人さんを見るたびに私は『自分も見習わなければ!』と思います。どんな仕事にせよ、いやいやするのではなく、一生懸命やれば、相手ばかりでなく自分も喜びを与えられます。
最近、「田中しな子」さんの次の句に出会いました。『菊一途、人に雑用の語などなし』と言う句でした。
正に名言だと思います。私も誠意一杯、お客様のためを思って仕事をして行こうと思います。
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7.『良いと思ったことは躊躇せず実践する人間になろう』
自営/30代 (男性)
先週の土曜日、私と妻で久しぶりに東京の小平市にある父と母の眠る墓地に墓参りに行きました。天気もよく郊外の澄んだ空気を吸いながらお墓に花を添え、水をかけ生前の我が親不孝を詫びつつ感謝を込めて気分がスッキリしました。
お墓で昼食を取ったあと帰路に向かいました。ちょうどバスが来て、私共はバスに乗りました。土曜日の午後ともあってバスは学校帰りの学生さんを含めかなり込んでいました。私どもが乗車して立った場所のすぐ横の席は二人がけでしたが、高校生の男の子が一人で座っておりました。席の横にはカバンを置いて二人がけの席を一人で座っておりました。私が乗車し、高校生の直ぐ横に立った瞬間、その高校生は私の顔をチラッと見ましたが、再び目を単語帳に戻しました。定期試験でもあるのでしょうか、英単語を一生懸命暗記しているようでした。バスがますます混みはじめました。しかし、その青年に変化はありませんでした。ところが、あるバス停で今度はお年寄りの女性が乗車してきました。その女性はその高校生に『この席は一人掛けでしょうか?』と声をかけました。その声は丁寧とても自然なものでした。すると、その青年は、迷惑そうに、一言も返事をすることなく、無言のまま、カバンを膝の上に載せ席をそのお年寄りに譲りました。
私はその時思いました。『なんて情けないんだろう。この青年は一生懸命勉強していい学校に入るのかもしれない。しかし、社会に出てからは使いものにはなれないのだろうな・・・。』と。世間では3つのタイプの人がいると言われます。ひとつは言われてもやらない≪リストラタイプ≫。二つ目は言われて初めてする≪省エネタイプ≫。3つ目は言われなくとも必要に応じて行動できる木下藤吉郎に代表される≪出世・成功タイプ≫です。かの青年は、≪省エネタイプ≫の人間にあてはまります。
青年の行為を見て改めて『人の振り見て我が振り直せ』ということわざを思い出すとともに、自分は勇気をもって良いと思ったことは迷わず実践できる人間にならなければいけないと思います。それが自分も他人も幸せになる道だから。
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8.『親は心の中で生きている』 小学校教師/40代 (男性)
『早く結婚しろ!もっとしかりしろ!いつまでも有ると思うな親と金!』母からの手紙は、いつも小言ばっかりでした。そんな手紙を見るたびに、『もう分かったよ、うるさいな!』といつも私は心の中で反発し、母親をわずらわしくさえ感じておりました。5人兄姉の末っ子で育った私は、他の兄姉がすでに所帯を持ち子供もいる中で、結婚もせずいつまでも、勝手気ままに生きており、年取った母にとって心配の種だったのでしょう。
ある日、独り住まいのアパートに会社から帰ると、なんとゴミ屋敷のような私の部屋が綺麗に掃除されていました。お風呂もトイレもピカピカに磨かれてありました。流しも玄関もゴミ一つ落ちておりませんでした。私はすぐ『母だ』とわかりました。急いで母親に電話をすると、大家さんからこっそり鍵を借りて掃除に来たというのでした。私は思わず『余計なことをしないでよ!』と感謝どころか、文句を垂れてしまったのです。しかし、実際は、年取った母親にそんなことをさせてしまったと言う思いが、私に辛い思いを抱かせたのです。『お願いだから、もう二度とこんなことしないで。自分は自分で生きているから・・・』という思いでした。
そんな母も、私の結婚式を見ずこの世を去りました。あれから10年経ちますが、母親を思い出すたびに、母親に申し訳ない気持ちで苦しくなります。
せめてもの償いに毎朝、両親の遺影に手を合わせ、両親を思い出します。
今、母はこの世にいませんが、私の心の中に今でも生きております。そして天国の母親に褒められるように、これからの人生を生きたいと思います。
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9.『今在る私は壊れた時計のおかげ』 会社役員/60代 (男性)
それは小学校5年の時の話しです。
担任はS先生と仰る女性の先生でした。
ある日S先生が『T君は手先が器用だから、この古い時計なおして。直ったら使っていいわよ。』と私を名指ししました。
その当時は時計は高価なもので、たいていの家はなおして使うほど貴重なものでした。
初めのうちは修理を試みましたが仲々直りませんでした。
ところが、もう一度ばらして、ゼンマイの部分を調整しなおしました。
すると見事に時計は再び動き始めましたた。
父親に得意になって話をしました。
すると父親は期待に反して『こんな高価なものを頂く訳にはいかない。お返ししなさい。』
と言うのでありました。
とても残念でしたが、先生にそのように告げると、
先生は『一度言ったことだから遠慮せず貰っていいわよ。うちも新しい時計を買ったのよ。』
とお答えになった。
そういう訳で、その時計を頂くことになったが、如何せん大きな目覚まし時計で自分では使えないので、
母親にプレゼントしたものでした。
私はその後工業高校に進み、今は機械の整備技師として長く勤めています。
今ある自分は、あの時、先生の仰った『T君は、手先が器用だから・・・』と言う言葉が決定的でした。
以上、本日は『今在る私は壊れた時計おかげ』と言う話をさせて頂きました。
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10.『話し方はどんな場面でも通用する』 派遣社員/20代 (女性)
先日、学生時代の仲間が集まった時の話です。車の販売の仕事をしている先輩がいました。その方はキャデラックを売っていとのことでした。キャデラックというとみなさんはどういうイメージをお持ちでしょうか?私は高級車で、ちょっと派手で、どちらかというと割とそちら関係の方が乗るクルマで、売るのが難しいという印象があります。実際その先輩の話しでは『待っていても商談の話しが来ないので、自分から外に出てどんどん売りに行かなければならない。ベンツやBMWはショールームに座っていても、お客さんが買いに来てくれるんだけれども、キャデラック担当の自分はそうはいかない。売るのは難しいけど大変魅力のある車だ』とのことでした。また今のような不景気ではなおさら、自ら飛び込みに出るとのことです。もちろん1千万近い高級車なのでお屋敷のような所を狙っていくようです。『10件に1件名刺を渡せれば良い、100件に1件話しを聞いてくれればラッキーだ』ということです。私からすると、そんな度胸は信じられないと思ったのですが、話を聞くと新人のころは飛び込みなんかはとても出来なくて、邪険に断れて嫌な思いもしたり、ピンポンを押す前は緊張することも多かったけれど、やらなければいけないので度胸がついたそうです。
私はそれを聞いて話し方教室に似ているなと思いました。何度も繰り返しているうちに、身についたことですとか、気がついたら出来ていることですとか、この話し方教室で学んだことというのは、どんな場面でも通用するんだな、と本当に貴重な体験をさせてもらったと思いました。
今日で最後の12回目を迎えることができましたが、これも先生のお蔭と、聞いて下さった皆さんのお陰だと思います。どうもありがとうございます。
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11.『挨拶の力を信じよう』 販売員/30代 (女性)
皆さんは、苦手な方はいらっしゃいますか?
私には、私の職場に、一人、距離をおいている人がおります。悪い方ではないのですが、彼に一度ささいな事で注意をされたことが原因で、なんとなく避けるようになってしまったのです。避け始めると、益々距離が離れていくのを感じておりました。
そんな時、ハロー話し方教室で『先ずは明るい先手の挨拶から』という講義を受けました。『なんで今さら挨拶?』それが最初の印象でした。何故なら、普段挨拶はしているし、自分は挨拶が出来ていないとは思わなかったからです。しかし、『自分が変わらなければ、相手は代わらない。』と言う先生のお話しを受け、今度こそは自分から積極的に彼に挨拶をしようと思いました。
ある朝、彼を見ると私の方から挨拶をしました。『おはようございます。』と。彼は少々驚いたようでした。またある朝、私の座っている後ろから、明るい声で『Yさん、おはようございます。』とどなたかが声をかけてくださいました。彼でした。そしてその時、今まで距離を置いていた方でしたが、『案外感じのいい人じゃない!?』と思えました。彼の挨拶には彼の優しさが加味された挨拶のように感じました。たった朝の一言ですが、相手に対する見方が、がらりと変わりました。そして、ただの挨拶でなく、挨拶にも心が加わることの大切さを、彼の挨拶から学びました。
何をするにしても、この社会で生きていくためには、人間関係が基本だと思います。その人間関係が上手く行きませんと、何をやっても上手く行かないものだと思います。人間関係の出発点は、先ずお互い≪心の通った挨拶≫だと、今回のことで実感しました。
これからも、『心のこもった先手の挨拶』を日々の実践として、努めて行きたいと思います。
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12.『もっと人を褒めよう』 居酒屋店長/30代 (男性)
私は居酒屋の店長をしております。毎日開店前のミーティングで現在の問題点を挙げ皆に注意を喚起しました。時には皆の前で個人攻撃さえもしました。『Y君、何をやっているんだ!お客様がリピートしてくれると思うか!』、『S君、何を考えているんだ、もっと考えて要領よくやれ!お客様を待たせるな!』etc。一応その場ではみんな承知してくれました。
しかし、毎回のミーティングの内容は相変わらず変わりませんでした。来る日も来る日も叱責の繰り返しでした。皆は私を恐れていたのでしょう。『何かがおかしい、何とかしなければ』私は悩み始めました。『一体どうしたら私の言っていることがわかってくれるのだろう?』考えたあげく、私は話し方教室に通うことにしました。
最初の授業で『貴方は人を褒めていますか?』というものでした。『相手を変えたければ自分が変わらなければならない。』・・・。先生の仰ることに私は愕然としました。私のやっていたことは、その≪反対≫だったからです。私がやっていたことは、相手を変えよう変えようと思い、相手の欠点を指摘し続けていたのです。
早速、次の日から心を入れ替え、とにかく『相手の良いところを褒める』努力をしました。『おお、Y君、昨日の接客良かったぞ!』、『やった、S君、仲々要領良くなったじゃないか!それでいいんだ!』・・・。
私は大きなことに気付きました。
私の心構え一つで、相手の良さが見えてきたのです。そして皆も照れながらも喜んでいる顔がはっきりと読み取れました。私は話し方教室でやっている『誉めよう月間』を店でも提案し、皆で積極的に実行しました。その月が終わろうとしたある時、Y君が『店長、この企画ありがとうございます。』と私に言ってくれました。私が逆に褒められたのです。私は人の良いところを褒めることの大切さと同時に褒めることのパワーを学びました。
今では、ミーティングでも肩の力が抜け、実りあるミーティングになりつつあります。今後も、人の良いところを見つけたらしっかりお互いに褒めていけるような人間関係を大事に店長として責任を果たしていきたいと思います。
先生、長い間ご指導ありがとうございました。
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13.『ラブレターと屈辱』 会社員/30代 (男性)
中学校の時、好きな彼女ができました。し かし、彼女は中学校の番長の彼女でありました。どうしようか悩みつづけましたが、自分の気持ちは押さえきれず、ある日ラブレターを書きました。次の日、彼女の上の机の上に置いて教室を出ました。その後何日たっても返事がありませんでした。しかし、数週間間たったある日彼女から「付き合っても
いい」という返事がきました。雲にも登る気持ちでした。「嬉しかった。」
その後、二人で図書館で勉強をしたり平和な時が過ぎていきました。ところが、ある時、番長に呼び出されました。「おまえ、S子とつかっておるだろ!?今後、一切彼女と付き合うな!」と言いうものでした。しかし、「それは無理です。」と
当然答えた。するいきなり殴られ、蹴られた。それでも彼女と上手く行っているのに、好きなのに、受け入れるわけにはいきませんでした。すると番長の暴力はエスカレートし砂を口に砂を入れられ、更に殴りつづけられ余りの
痛さにとうとう「わかった」と言ってしまいました。
彼女と別れることになりました。
彼女も自然と自分から離れていってしまいました。
今、そのことを思い出すと、悔しくて悔しくてたまりません。今度好きな人が出来たら「命をかけても戦う!」、そんな思いです。
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14.『先生の一言が私を変えた』 経理事務/40代 (女性)
本日は今も心に残る恩師の一言についてお話しいたします。私の通った高校には暴走族とかかわっていたグループがありました。入学以来「彼女たちがいるから学校の評判が悪いのだ」と影でいつも友達同士でささやきあっていました。
それは忘れもしない修学旅行先の出来事でした。何も知らずにのんびりおんせんに浸かって一人廊下を歩いていると、友達が血相変えて「yどこにいたのよ!皆で心配してしてたんだから!」と口々に言うのです。{大変だよ。あの不良グループ貴女の事、今夜痛めつけてやるって言って探し回っているんだよ!}私は血のけが引いてしまいました。部屋に戻るとすでに大勢のクラスメートが私を心配して集まってくれていました。私はことの重大さに体の震えがとまらず、恐怖のあまり押し入れに入り泣きじゃくりました。その時です。「yさんなにやってるんだ!」先生がわたしの腕をつかみ怒鳴り声をあげました。「なんてざまだ。女の子がこんなに集またって、こそこそ陰で悪口言うばっかりで学校がよくなるわけがないじゃないか!たった数人の不良グループとも戦えないのか!自分たちが正しいとおもうなら正々堂々と戦え!逃げるな!」
先生の厳しい言葉に私たちは一致団結し、翌日バスの中は大討論会となりました。一人一人が日ごろ思っていることを包み隠さず意見しました。あるものは泣きながら、又あるものは、怒りを爆発させ、延々9時間続きました。重く厳しい9時間でしたが、決して無駄な9時間ではありませんでした。
彼女たちも「本当の友達がいない、さびしかった。」と心から詫びてくれました。私たちも皆、心を許しあえる友達になる事を約束しました。卒業して30年ほど経ちますが、今でもその団結力は変わっておりません。 真の友達という宝をえることができたのも、あの時の先生の<逃げるな!>の一言があったからだと思っております。
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15.『士の冠を汚すな』 栄養士/30代 (女性)
こんばんはh・yです。皆さんまずこの漢字をごらんください。みなさんもよくごぞんじの「士」と言う漢字です。
私はいまから30年近く前に栄養士というこの漢字がつく免許証を国からいただきました。勉強するにあたって先生がおっしゃられた言葉は「士という漢字は人の命にかかわる大切な仕事につく人に与えられた冠です。いいかげんな気持ちの方にはこの大切な冠をさしあげるわけにはまいりません。覚悟して勉強されるように!」このようにはっきりおしゃいました。それでも正直、学生時代はピンときませんでした。でも病院栄養士として日々患者さんと向き合い、又ただでさえ体の弱っている患者さんがいったん食中毒をおこしては、それこそ命を落としかねない、その時は信で詫びるしかないのではと、冗談とも本気ともつかぬ言葉を仲間とよく話したものでした。でも本当にそうなったら冗談ではすまされません。そうならないよう衛生面では十二分といえるほどの気をつけてまいりました。「ああ、本当に人の命と向き合っているんだな・・・!」と実感する事の連続でした。
家庭に入ってからはこの「士」の意味をすっかり忘れていましたが、今年次々起こった重大事件にこの「士」の意味を思い出しました。JR西日本の脱線事故では運転士、マンション偽造問題では建築士、それぞれ本来ならば命にかかわる重大な責務を日々負っていたはずなのに、と思うと職業こそ違え同じ「士」という冠をもらった者としてがっかりした次第です。
誇りが驕りにならにように「士」は「死」にも通ずる、これも恩師から頂いた言葉です。
正にこのお二人に当てはまる言葉ではないでしょうか。
同じ話し方教室で学ぶSさんのように日々「消防士」として研鑚されている方も大勢いらっしゃいます。
どうぞ「士」の冠を汚すことなく、国民をこれ以上がっかりさせないよう、己を磨いてほしいと思いました。
以上、「士」と言うことでお話しをさせて頂きました。
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本日はこの一冊の文集についてお話させていただきます。
この文集は私の高校生活が凝縮された文集です。表紙にかかれた「反発から思考へ」はまさに私の高校生活そのものでした。
私の通った高校には暴走族にかかわっていたグループがありました。入学以来彼女たちがいるから学校の評判が悪いのだと影でいつも友達同士で囁きあっていましたが、怖くてだれも近寄ることができませんでした。それは忘れもしない修学旅行での出来事でした。その不良グループが私を痛めつける策略を練っているという事を知り、私はホテルの押入れで恐怖に泣きじゃくりました。その時先生は私たちクラスの女子に向かって、「影で悪口いうばかりで学校がよくなるわけがないじゃないか。たった数人の不良グループとも戦えないのか。自分たちが正しいと思うなら正々堂々と戦え。逃げるな!」先生の厳しい言葉に私たちは一致団結し、翌日バスの中は延々9時間の大討論会となりました。
一人ひとりが日ごろ思っていることを包み隠さず意見しました。その日を境に全ての女の子が変わりました。不良グループは暴走族から足を洗い、心を許しあえる友達となりました。勉強だけでなく、文化祭、体育祭など、一人ひとりが積極的にかかわり学校を盛り上げてゆきました。卒業してからも辛いとき、悲しいとき私はいつもこの文集を開いて勇気づけられてきました。私にとってはバイブルです。
最後に私を叱ってくださった先生の文章が綴られています。ほんの一部ですが皆さんにご紹介して私の話を終わらせようと思います。「君たちは中断を知らない思考の重みを知っている。君たち一人ひとりの人生は前人未踏なのだ。未知の大海に乗り出す君たちにとって、自分の思考こそ羅針盤なのだ。思考の厳しさを十分身につけて航海したまえ。気力と読書欲をかきたてながら、思考を研ぎ澄まし、無限の可能性に向かって、大胆不敵に航海したまえ。人間は考える動物だ。考えはじめた君たちの前途に克服できない困難はない。」
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17.『ドンありがとう』 自営業/50代 (男性)
『お兄ちゃん、ドンが連れて行かれるよ!連れて行かれるよ!』私は兄にこう叫ぶのがやっとでした。それは、私が小学校2年生の時です。小学校から帰ってくると庭の犬小屋の前で、保健所の人が2〜3人がかりで犬のドンを連れ出すところだったのです。私は何も出来ず、大粒の涙を流しながら兄に訴えるだけでした。兄もただ私を横に抱え大の字になって、天井の1点を睨み、一言も答えてくれませんでした。兄もドンとの別れが辛かったのでしょう。さらに、私が泣き叫ぶものだから悲しみが増し、言葉にならなかったのだと思います。
私とドンは大の遊び友達でした。 野原でボールを投げると、そのボールを追い、口にくわえ、まるで矢のように一直線に私の元に戻ってきました。そして尻尾を思いっきり左右に振り、最高の笑顔を私にくれました。ドンも私との遊びをいつも心より楽しんでいました。
そんなドンが、ある時 皮膚病にかかりました。必死に治療しましたが、当時の医術では治してやることが出来ませんでした。家の者はとうとう保健所に連絡し、ドンを引き取ってもらうことになったのです。しかし、私に知らせると必ず私が悲しむことが分かっていたので、内緒に連絡をしたのでした。
今、ドンはいません。しかし、いつまでも私の心から消え去ることがありません。
ドン、ありがとう! ▲ページTOP
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18.『火事場の馬鹿力』 薬剤師/30代 (女性)
本日は従姉が体験した火事場の馬鹿力のお話しをしたいと存じます。
私の従姉は、あの阪神大震災を西宮の甲子園で体験しました。あの朝、私は倒壊した高速道路をテレビで見て、従姉はもうこの世の人ではないのではと思ったほどでした。「生きていたら連絡されたし」と大きく葉書に書いてその日のうちに投函しました。数日後従姉から電話が来ました。「生きてたよ。息子が助けてくれたの。」彼女は泣きながらその時の様子を話してくれました。
あの日、彼女のご主人は、主張で留守、彼女は洋服ダンスに囲まれてた寝室に一人横になっていたそうです。そしてあの大地震が起きました。「お母さん危ない!」息子さん二人が部屋に飛び込んできて、今、正に彼女の上に倒れようとしている箪笥をなんと足で支えたというのです!
後日、主人とともに西宮を訪ねました。町はブルーシートに覆われ被害の大きさを物語っていました。彼らはその箪笥の前でその時の様子を話してくれました。「あの日は不思議なもので、まったく足がいたくなかったんだよね。翌日、足が大きく紫色に腫れ上がったんで医者にいったんだ。でもこの大きな箪笥どうやって足で支えたんだかまったく覚えてないよ。今同じ事やれったってできないよ。」そのように話してくれました。
私はその話を聞いて「母親を助けたい!」その一心でとっさにでたその行動こそ正に「火事場の馬鹿力」以外のなにものでもないだろうと思い、彼らの命をかけた勇気ある行動に涙が出るほどの感動を覚えました。
本日は従姉が体験した火事場の馬鹿力についてお話させていただきました。
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19.『親孝行の思い出』 会社員/20代 (男性)
それは去年の10月の事でした。私は長野県に転勤になりました。転勤に併せ≪洋服の青山≫でスーツを買いました。
その時、洋服の青山ではキャンペーンを行っており、私はたまたま≪キラムサーカスのチケットのペアー招待券≫が当たりました。しかし、サーカースの会場は、長野でなく東京で行われるものでした。転勤したばかりなので、知り合いも少なく、最初、東京いる友達にあげようと考えましたが、適当な友達を思い出すことが出来ず、かといって捨てるのもためらわれ、どうしようかと思っておりました。その時、何故か離れて暮らすことになった母親のことがふと頭に浮かびました。母親は出かけることが好きだから、ひょとして喜ぶかもしれないと思いました。早速電話をかけ、その旨を話すと母親は『そんなことしなくていいのよ。誰かにあげるといいわよ。』と言うのでした。しかし、他に心当たりの人もいないので、それでも勧めると『分かったわ。有りがたく使わせてもらうわね。』という返事でした。後日、母から連絡が入りました。『昨日友達とサーカスに行って来たわよ。行って、本当に楽しかったわ!ありがとうね。』と喜んでくれた。
しかし、嬉しいような嬉しくないような、私には素直に喜べない気持ちが残りました。お分かりでしょうか?私は初めから≪親孝行≫をしようとしてそのサーカスのチケットを買ったわけではありませんでした。それどころか、そのサーカスのペアー券は処分に困ったものでした。母が、喜んでくれるは嬉しいのですが、自分は恥ずかしいやら、情けないやら、親孝行というものは難しいものだなと思いました。
「親孝行したい時には親は無し」と言います。これからは給料をもっと貰うよう仕事を頑張り、身銭を切って親に喜んでもらおうと思います。
これが私にとってほろ苦い親孝行の思い出です。
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20.『挨拶は明るい先手の挨拶で』
銀行員/30代 (男性)
私は普段仕事が忙しい事を理由に、めんどくさい人間関係を避けていました。もちろん自分の仕事に必要な場合は精一杯の挨拶をしますが、そうでない場合は、どうしても必要最低限の挨拶で済ませてきました。従って決して幅広い豊かな人間関係を築いていたとは言えませんでした。それでも、自分では仕事が優先で、あまり気にすることもありませんでした。
そんな時、ハロー話し方教室で先生から人間関係の重要性の話しを伺いました。そして『人間関係を良好なものにしたければ≪明るい先手の挨拶』をしなければならない。人間関係を壊したいなら挨拶を止めることだ。挨拶とは自ら心を開き相手に迫っていく、というのが本来の挨拶の意味です。』と言うお話しでした。私は、ハッとしました。『私のしていた挨拶は、本当に形だけの心のこもっていない挨拶をしていたんだ。こんなことを続けているといつまでも好い人間関係は望めない。自分が変わらなければ相手も変わらない。好い人間関係を作ろうとするならば自分から≪明るい先手の挨拶』を実践しなければいけない。』と感じました。
次の日から意識して挨拶をするようにしました。近所の方にも『おはようございます。』スポーツジムでも知っている方には『こんにちは』『こんばんは』と続けました。しかし、仲々挨拶の効果を感じることは出来ませんでした。考えてみれば、何年もの間、挨拶を軽んじていた者が急に≪明るい先手の挨拶≫をしたからといって、そんなに容易に相手が変わるものではないな、と思いました。
翌週教室で先生から『Aさん、挨拶の実践、上手く行っていますか?』ときかれました。『いや、頑張っているんですが、仲々上手く行きません』と正直に応えました。すると先生は『それはやり方が悪いか、貫行していないからですよ。決してめげず諦めないことですよ。』と言われました。
次の日から叉挑戦が始まりました。やり方を変えようと思いました。私が考えたのは≪初めから笑顔でいる≫ということでした。そうすることによって常に挨拶の準備体制が出来ているので、知っている方にも知らない方にも上手く≪先手の明るい挨拶≫が可能になりました。同じ『おはようございます。』『こんにちは』でも、相手の反応が今までとは明らかに変わってきたことを感しました。何人もの人が今までとは明らかに違った気持ちのよい挨拶を返してくれるのです。明るい挨拶に対して明るい挨拶が返ってくる、これこそ挨拶の素晴らしさだと思いました。
これからも心のこもった≪明るい先手の挨拶≫を心掛け、挨拶の日本一になりたいと思います。
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