受講生による 『3分間スピーチ』 (その1)

・『私の宝物』   会社員/40代 (男性)

『沖縄の魅力』    会社員/20代(女性)

どんな時であっても他人の気持ちをわかってあげられる人間に     会社員/30代(女性)

『子供たちのために「さあ今こそ始めよう」』     会社経営/40代(男性)

『マザーテレサが残したもの』  会社員/20代 (女性)

・『セーフティーファースト』    会社員/30代 (女性)

『ゆでガエル』  会社員/40代 (男性)

・『私の故郷』  会社員/50代 (女性)

・「子供の手本となる常識ある人間に」 主婦/30代 (女性) 


本日は「子供の手本となる常識ある人間に」というお話をさせて頂きます。

 私は3月18日(日)のハロー話し方教室を欠席しました。
欠席の連絡は、当日の朝9時23分です。
それも電話ではなく、メールで
「本日は都合により欠席させて頂きます。振替は水曜日にお願いします。」と
ただそれだけでした。

その後、福士先生からメールが届いたのは皆さんご承知の通りだと思います。
「〈欠席連絡について〉
 最近直前の欠席が目立ちます。
 当日になってからの欠席は、たとえ連絡があっても
 授業に大きな支障をきたします。
 受講票にも書いてありますが、欠席の連絡は前日まで。
 計画性がないと成果が期待できません。
 早めの連絡をお願いします。」
とのことでした。

私はこのメールでハッとしました。
受講票を良く読んでいなくて、前日までに連絡できなかったこと。
また、あまりにも直前の9時23分のメールです。
その時間は、福士先生は上野教室に居るんですよね。
それにも関らず、何も考えないでメールを送っていたのです。
私はこのことに、福士先生から届いたメールで初めて気がつきました。

なんとも無責任で非常識ですよね。
もともと書類や取説を良く読まない、私の悪い部分が出てしまいました。
受講票を良く読まず、間違った非常識な方法で休む連絡をしていた。
私はこのことにより、福士先生をはじめ皆さんに多大なるご迷惑をお掛けしたことを
お詫び申し上げます。
この失敗により、大人としての常識に欠けていたことに気づきました。
非常に恥ずかしい限りです。

私は、子供達に「我が家のルール」と題し、
・あいさつをきちんとする・17時までに帰宅する等、さまざまなルールを守らせています。
ただ、その私がこれでは子供達に何も言えないですよね。
これからは、決められたルールをまず理解し従い、
そして子供達に恥じないよう、手本となる常識ある人間になっていこうと思います。

本日は「子供の手本となる常識ある人間に」というお話をさせて頂きました。
ありがとうございました。



 

『Aさんに幸あれ。親はなくても子は育つ』  会社経営/40代 (男性)

私のところは商売をしていますが、それとは別に小さいながらもアパートを経営しています。
今日はこのアパートのある一室を借りているAさんという33歳の男性の方のお話しです。
Aさんは独身で私とよく、話をしてくれるので好印象をもっているのですが
このところ、しばらく姿をみませんでした。
最近、やっと久しぶりに顔を合わせたので「どうしていたんだい」と聞いてみると
「実は、母が亡くなったので実家の山形にしばらく帰省していました」ということでした。
それはそれは残念でしたね
それで、お母様はおいくつで亡くなられたんですかと聞くと
86歳と答えました。
えっ<#!?>ちょっと待って下さい。
それでは、おばあさんと孫くらい離れているではないですかと聞いたところ、そこには深いわけがありました 。

Aさんの両親というのはAさんが生まれてまもなく離婚しました。
そして、母親がAさんをひきとりました。
ところが、この母親がまた別の男性と恋仲になりました。
そこで、母親は赤ん坊のAさんがお荷物になると思ったのか実家にいる自分の母親に預けたまま消息不明
で現在もどこにいるのかわかりません。

つまり、Aさんは物心ついた頃、母親に捨てられ、おばあちゃんにずっと育てられたということでした。
その為、このおばあちゃんは育ての親ではありますが、母親の顔を知らないAさんにとっては実の母親
以上の存在です。

私はこの話を聞いていて、とても切なさを感じました。
よく、恋は盲目といいますが、母親の自分勝手な行いで、悲しい人生を歩まなければならなくなったAさんの
気持ちも考えて欲しい。

それでも、Aさんは母親を憎むこともなく、ただひたすら前を向いて生きていく、その姿に私は感銘を受けました。
いつの日か、Aさんに幸せが訪れる日がやってくることを願うと同時に人生の大半を子育てに費やしたおばあちゃんに
一言「ごくろうさまでした」と伝えたい気持ちでいっぱいです。


 

 

『落し物で分かる国民性の違い』 会社員/20代 (女性)


旅行会社で働いていると、日々お客様から様々な問い合わせを頂きます。
海外旅行の出発前に多いのは、現地の気候や治安などですが、帰国した方から一番多いのは、やはり現地での落し物になります。
ホテルの部屋に、カメラやアクセサリー等、貴重品を忘れてしまったというものです。慣れない海外で、出発前に慌ててしまえば無理もありません。
まだ客室に清掃が入る前でしたら、手元に戻ることもありますが、その後ですと、まず戻りません。それは業界内では周知のことなんですが、お客様から「主人からもらった大切なアクセサリーなの」等聞くと、万が一の可能性と期待を込めて、現地へ問い合わせをします。
しかしホテル側から、「清掃した者がそんな物は無かったと言っています」と回答されればそれまでです。
そんな中、驚いたことがありました。大きなニュースになったので、ご存知の方も多いと思いますが、昨年の東日本大震災で、津波で流された金庫約5700個、中身にして23億近い現金が取得物として警察に届けられ、中に入っていた通帳や権利書等で分かった持ち主の手元に、97%が無事戻ったそうです。
このニュースに、世界中が日本人の道徳観に驚かされたそうです。
私は日本人としてとても誇らしく思い、日本人に生まれて良かったとさえ思いました。
落し物一つでも、その国の国民性の違いが分かる出来事でした。

 

『今を生きる』   会社員 女性(40代)

今年は、過去10年を振り返っても一番辛い1年になりました。
私は先天性股関節脱臼という足の病気で、小さい時から何度も手術を繰り返してきました。
最後に手術をしたのは16歳で、以降は良かったり悪かったりもありますが、なんとか
手術なしで普通の生活を送れていました。

それが今年の3月以降に、足の状態が急変し、一時は家の中でも歩く事がつらいくらいの状態になりました。
今から原因を振り返ると、勤務先が変わり、自転車通勤から電車通勤に変わったこと、さらに震災の影響でエスカレータなどが止まり、階段などを使わなくてはならない機会が増えたこと。そういう条件が重なった事が原因と思います。痛みで歩けなくなった時に、私の頭の中は悲しみと絶望でいっぱいでした。今までの生活や、仕事も含め、この先何もできなくなるんじゃないのかと不安でいっぱいでした。ちょうど仕事もプライベートも充実していた時であったので、自分の人生が急降下していく感じになりました。
それで何もできずただ泣いていた日々を過ごしていましたが、家族や友達、周りの人に励まされ、このままじゃいけない、また普通の生活に戻りたいという強い意志がでてきました。職場を自転車で通える場所に戻してもらう、リハビリに通うなど出来ることをし、徐々に痛みがひいていきて、普通に歩けるように徐々に戻り少し希望が見えてきました。このような状態に陥り、一番感じたことは、私の人生の先は見えない。だから、今、出来る時に出来ることをする、今を楽しく生きることをしなくちゃって感じました。いつでも出来ると思ってやらないのではダメ。出来る時にする。今 目の前の事を一生懸命して、今を生きる事をしよう。これが今年実感し、今後も今を生きるを自分のモットーに生きようと思います。
「今を生きる」自分へのメッセージと皆さんへのメッセージとしたいと思います。

▲ページTOP

『一言足らなかったばかりの失敗談』   自衛隊員/ 30代(男性)

 今年の1月10日、私が千葉の松戸へ研修に出発に出発する前日の夫婦の会話のことです。
 現在、私は、単身赴任をしています。嫁さんは、福岡の実家に、私は熊本で暮らしています。私の単身赴任は、2年前に妻の出産と私の転勤が重なったために仕方のないことでした。私は、今年の3月でちょうど2年になるので、これを機会に家族で一緒に暮らしたいと思っていました。また、仕事が終わり、暗く寒い部屋に帰るのが嫌で、一人でいるのは本当に寂しいので、嫁さんに相談をしました。
 私が、嫁さんに「これからどうしようか?」と話したところ、「まだ、わからない。」という返事でしたので、「わからないっていうのは、まだ実家がいいということ。?」と確認しました。嫁さんの返事は、「まだ実家がいい。」ということでした。私は、家族で一緒に暮らすことを真剣に考えていたので、その時、カチンと頭にきて、「そんなに実家がいいんだったら、服部(旧姓)に変えたら。」厳しい一言を言いました。この後は、売り文句に買い文句で、お互いを非難し合いました。今も尾を引いています。(原稿を考えているときに自分も悪かったと思い、メールはしています。)
 この失敗談から学んだことは、自分は本心を伝えなかったということです。相手の悪いところを批判するばかりで、自分が寂しがり屋で、一人ではやっていけないという本当の気持ちを正直に伝えませんでした。やはり、自分の気持ちを正直に伝えたれないのは、私の見栄や相手よりも上だという変なプライドが原因であると反省させられました。だから、今後は、本当の気持ちを伝えることができるように変なプライドは捨てようと自分に誓いました。
 私の一言足らなかったばかりの失敗談でした。ありがとうございました。

▲ページTOP

『福島県白河市の思い出』  自営/40代 (男性)

 福島県の白河市は忘れられない思い出の土地です。
それは4年前に父が福島県のゴルフ場で脳梗塞を患い、約1ヶ月にわたり白河市内の病院で療養したからです。
私は神奈川県の外に出ることはほとんどなかったものですから、まさか東北の地に縁ができるとは
考えてもみなかったのです。
本来ならば家族で療養先の福島に付き添いに行くのが良いのですけどそうもいきません。母が白河市にとどまり、私が鎌倉の自宅から必要な物を直接届ける役目を担うことになり、とんぼ返りを経験しました。
父が入院した初めの頃は病状が気がかりで、白河市が豊かな自然と歴史の宝庫であることすらわかりませんでした。父の病状が安定して少しは心に余裕ができた私には素晴らしい土地であることがわかってきました。
病院で働く方々はとても礼儀正しく、懇切丁寧に都会から来た私達のことを親切に対応してくださいました。私が白河の人達から感じたことは、とても真面目でした。それは廃れた心の歪みがなく、慎み深くて人情味ある印象があり、福島県の気風ではないかと思いました。
食事もたいへんおいしかったです。白河市は馬刺が有名なようでして、私は生まれて初めていただいたのですが清らかな食感が心地よかったです。
そして白河市は福島県の玄関口であり、明治時代の初めに起きた戊辰戦争の激戦地でした。会津藩が取りつぶされた後の生活は大変だったと伝えられています。
父の付き添いで1ヶ月お世話になった旅館の女将さんの言葉を思い出します。

“会津のお殿様”

と親しみを込めて仰っていました。
更に“あなたは鎌倉から来たのね、白河も鎌倉も歴史のある町。これは縁なのかもしれないわ”
恵まれた自然と歴史がある白河市も今回の震災で困難に立ち向かってゆくことになりました。

 私は父を救ってくれた恩がありますが、介護があるので助けに行けません。わずかながらの義援金だけです。
しかし福島は戊辰戦争後の困難を克服した先人達の気骨があります。
是非とも乗り越えてもらいたいです。

▲ページTOP

『サンタクロースの正体がばれた日

 父との思い出話として「サンタクロースの正体がばれた日」についてお話したいと思います。
私が4、5歳の頃、父は仕事からの帰りが遅く、一緒に夕飯を食べた思い出はほとんどありません。朝も私が起きるより早く会社に行ってしまうので、父と娘のコミュニケーションはあまりなかったと思います。そのためか、なかなか会えない私に父は時々手紙を書いて、夜の間に寝ている私の枕元に置いてくれました。
「英梨子へ ママの言う事をよく聞いていい子でいろよ 今日も元気に外で遊べ パパより」といった二言三言だけでしたが、朝起きてその手紙を見つけると嬉しかったのを覚えています。
その頃からクリスマスは一年で一番楽しみな行事でした。理由の一つは12月25日の朝には必ず枕元にサンタからのプレゼントが置いてあったからです。窓もドアも鍵をかけたのに、どうしてサンタは家に入って来られるのか不思議でたまりませんでした。朝起きてプレゼントを発見する瞬間はとてもワクワクしました。
そのようにサンタを信じ続けて8年目、8歳のクリスマスの日の事です。私はサンタにお礼をしようと初めて思いつき、チョコ2、3個と、「プレゼントありがとう。チョコ食べてください」というメッセージを枕元に用意しました。その年のクリスマスイブは今まで一番ワクワクするイブの夜でした。
そして翌朝のクリスマス当日、目覚めてすぐ枕元を見てみると、プレゼントが置かれていて、チョコが無くなっていたのです。「サンタさんが来て食べてくれたんだ!」と大はしゃぎでした。しかもサンタさん直筆の手紙まで置いてありました。「英梨ちゃんへ いつも見ています。チョコありがとう」というような内容で、あまりにも嬉しくて家族に自慢しに部屋を飛びだしたほどでした。
ところが数日後、サンタからの手紙を見ていてふと気づきました。「このサンタさんの字、どこかで見たことあるな・・・」。そう思い、しまってあった父からもらった手紙を引っ張り出してきて見比べました。すると、サンタさんの筆跡は父からの手紙の筆跡と同じだったのです・・・。その時に、8年間信じ続けたサンタの存在は父だとわかったのでした。
父がくれた手紙によってサンタの正体がわかってしまい、それは衝撃的でショックでした。でも今になって思うとなかなか会えない私に手紙を書いたり、サンタになりきって私に返事を書いてくれた父の思いにありがとう、という気持ちでいっぱいです。
今日はサンタの正体がばれた日についてお話しました。
ありがとうございました。

 


司会 スピーチ

▲ページTOP




『私の宝物』   会社員
/40代 (男性)

 私は高校時代からずっと自分が住む楽園を探し続けていました。それは80年代の歌手・杉山清貴の歌に出てくるような椰子の木が並び、青い海が広がる美しく、優しさに溢れた街です。
 そんな心の中の風景を捜し求めてタイ、マレーシア、フィリピン、パラオ、サイパンを旅しました。ダイビングの免許も取って、インストラクターとして雇ってもらえないか海外のショップへ就職活動をし、地元でダイビングツアーのガイドも学びました。しかし、私の心の風景に一致する街を見つけることはできませんでした。
 そんな中、杉山清貴ファンであることがきっかけで家内と知り合ったのです。杉山清貴ファンならきっと南の島が好きで、一緒に旅したり永住の相談をしたりできると思い込んでいましたが、なんと暑いのが大の苦手であることが分かり、私の目論見は外れました。
しかし、彼女は限りない優しさを持っており、それは杉山清貴の歌に出てくる海の水平線のように広がっていて、例え世界中が敵に回っても私を支持してくれると感じます。
私は彼女の心の中に探し求めていた楽園があることに気付き、楽園探しの旅を終えました。私にとって彼女と過ごしてきた時間、これから共に過ごしてゆく時間こそが宝物です。 彼女に聞いたことはありませんが、彼女にもそう思ってもらえるよう大切にしたいと思います。

▲ページTOP

 

『沖縄の魅力』    会社員/20代(女性)

 
 先日沖縄旅行に行ってきました。その際、良いなぁと思った点を紹介したいと思います。

その1 海がきれい
 沖縄の魅力のひとつは、海がきれいな点だと思います。今回、沖縄の慶良間諸島というところでダイビングをしてきました。慶良間諸島は世界でもトップクラスの透明度と噂には聞いていましたが、まさに噂のとおり、ボートから下を見ると海底まで見え、また、実際海の中に入ると、30m以上先までクリアに見えました。

その2 食事がおいしくて健康的
 また、沖縄の魅力は食事がおいしいところだと思います。ゴーヤチャンプルーや海ぶどうなど地元の野菜や海藻を使った料理が多く、おいしい上に健康的なところも魅力だと思います。

その3 町の空気
 沖縄の最大の魅力は、町全体にゆる〜い空気が流れているところだと思います。特に沖縄の言葉を使った看板等がなごみました。
 例えば、「飲酒運転したらたっぴらかす」という交通標識があります。これは「飲酒運転したらいけませんよ」という意味を沖縄の言葉で書いたものです。そのほかにも、「よんなーよんなー」という看板があり、これは沖縄の言葉で「ゆっくりゆっくり」という意味だそうです。道路はゆっくり走ってほしいという思いをこめているそうで、沖縄の言葉で表現しているところがなごみます。
 また、沖縄に唯一ある電車「ゆいれーる」の車内で流れる音楽が、沖縄の陽気な民謡音楽で癒されました。東京で電車というと満員電車で苦しい思いをするイメージが強いのですが、沖縄の電車はのるだけで楽しい気分になります。

 今回、2泊3日の短い旅行日程でしたが、沖縄の良いところをたくさん発見できました。
今度はもう少し長めに滞在して、沖縄の魅力をもっと発見したいと思います。

▲ページTOP


どんな時であっても他人の気持ちをわかってあげられる人間に』    

会社員/30代(女性)

 私もいじめにあったことがあります。中学1年の時でした。男の子から、後ろから紙を投げられたりこっちへ来るな、などとからかわれたりしました。現在の友人には、からかっていただけじゃない?と言われますが、当時の私にはとてもそんな風には考えられなく、半年間続いたその行為はとても長く感じられ、私の心に深い傷を残しました。

中2になってクラス替えがあり私をいじめていた男子はいなくなり、新しい友達と晴れやかな気分で過ごしていました。そんなある日、担任の先生が道徳の時間に一冊の本をもってきました。本のタイトルは覚えていないのですが、それはいじめと自殺についての物語でした。
実際にあったストーリーで、主人公がクラスからいじめにあっていたにも係わらず、先生は気付かず、親も気付かず、誰にも言えず最終的には自殺してしまうという辛い内容でした。
私がいた中2のクラスでは、幸いいじめがなく、皆は「いじめはよくない」、「かわいそう」などとコメントと出していました。そして最後に先生がその本についての感想を言ったのですが、なんと先生は「いじめくらいで自殺するなんて弱い人間のする事だ」と言ったのです。「人生は長く、大人になれば良いことがあるのだから若いうちに死んでしまうのはもったいない」と。
私は心の中で叫びました。「それは、我慢しろってこと?死にたいほど辛いのに大人は誰も助けてくれないってこと?」
これから大人になって飛び出していく社会とはそれほどまでに冷たく、楽しみも希望もない世界とまで感じていました。そんな心の叫びも口に出して言う勇気はなく、中1の頃のいじめ体験を思い出して心の中で泣きました。

その先生は生徒の事をよく見てくれていて、楽しい方でもあったので全て否定するつもりはありませんが、いじめに関しては今でも考え方の違いを感じます。しかし、もしかしたらそれは時代の違いかもしれません。私が中学の頃はいじめで自殺するというニュースは稀で、死ぬ方が悪いという見方があったのかもしれません。
しかし全ての大人がそのように考えたのでしょうか?時代が違うという理由だけで、いじめにあっている子供の気持ちのわかる大人はいなかったのでしょうか?必ずどこかにいたと思います。
私は、今後どんな時代になったとしても、辛い気持ちを分かってあげられる大人でありたいと感じています。そんな成熟した人間になれるようこれからも努力したいと思います。

本日は、どんな時代であっても他人の気持ちをわかってあげられる人間に、というお話をさせていただきました。ありがとうございました。

 

▲ページTOP

 

『子供たちのために「さあ今こそ始めよう」』     会社経営/40代(男性)


自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめることを「イジメ」と言います。

子供同士のイジメ、大人から子供へのイジメ、親が子に対するイジメとイジメには色んな形があります。

子供どうしのイジメは昔からありましたが、今のようにイジメられた子が自殺にまで追い込まれるケースは無かった気がします。
また、親が子供の面倒を見たくない、遊びたいと子供を放置し死なせた事件もありました。

動物の世界でも、親が食べ物を取りに行ってる間に弱い兄弟をイジメるシーンをテレビ
で見たことがあります。

自分を守るために、強いものが弱いものを苛めるというのは自然界では当たり前であり
人間にもそういった過去の記憶が残っているのかもしれません。

話は変わりますが、世界には経済的に貧しい家に生まれた子供が、安い賃金で働かされている
そうです。このように小さな子供が働かされることを児童労働というそうです。

小さな子が家族のために、大人のように毎日毎日働かされています。
その子供たちを、お仕置きと称して笑いながら鞭打つ大人をテレビでみました。
何とも、ひどいことです。

ただ、この児童労働の子供たちの数が少しずつ減少しており2年前は子供の5人に一人だったのが
7人に一人になったと聞きました。

国が子供の教育費を無料にしたことで、学校に行く子が増えたことが大きいそうです。

これは、やはり海外や国内からの「児童労働を無くそう」という声を国が無視できなくなったからだと思います。

同様に、イジメはそう簡単に無くなるものではありませんが、なくす努力をすれば
絶対に効果があると信じています。

「USA FOR アフリカ」から

we are the world, we are the children

we are the ones who make a brighter day

so let's start giving


僕らは仲間、僕らは神の子供たち

明るい明日を作るのは僕らの仕事

さあ今こそ始めよう


Yes,We can.

そう、私たちなら出来ます。

▲ページTOP

『マザーテレサが残したもの』  会社員/20代 (女性)

 お金は、とても扱いが難しいものだと思います。
よく聞く話だと、宝くじに大当たりして大金を手に入れたはいいけど、それを知った周りの人がたくさんすり寄ってきて、何か高級なものを買わせようとしたり、おごってもらおうとしたり、勧誘の電話がたくさんかかってくることが多いようです。宝くじに当たって以降、人生がガラリと変わってしまい、幸せになった人は少ないように思います。
また、それまで仲が良かった家族が、残した莫大な遺産を巡って仲が悪くなってしまう話も良く聞きます。その話を聞いて、人間って汚い、そういう大人にはなりたくないと思ったものです。でも実際に、大金を手に入れられるかもしれないチャンスを得たら、わたしもそのお金にがめつい大人にならないとは断言できません。それくらい、お金は人を、人の人生を変えてしまう怖いものだと思います。

ダイアナ妃とマザーテレサの話でも当てはまると思います。
ダイアナ妃は、英国の妃となり、たくさんの宝石やアクセサリーがありましたが、決して幸せな人生をあゆみませんでした。
マザーテレサは、亡くなった時に残した遺品というのは、バケツと雑巾ひとつだけだったと聞きます。ですがたくさんのテレサの意思を継ぐ人々がのこりました。

お金は、日本で暮らしていくには必要不可欠なものです。
でも、お金持ちだから幸せになれるとは限りません。だから、もっともっとお金がほしいと思うのではなく、必要最低限のお金で満足できるようになりたいと思いました。
また、お金持ちではなくても幸せと思えるよう、心の豊かさを大切に生きていける人間になれたらいいなぁと思いました。

▲ページTOP

 



『セーフティーファースト』    会社員/30代 (女性)


 私が働いている会社は、全国の高速道路や新幹線のトンネルを作る建設会社です。
現場は全国いろいろなところにあって、本社だけが東京にあり、その本社で働いています。
私が入社した時にまず驚いたのは、会社の中でものすごく整理整頓をしていることでした。机の上やキャビネットの上には書類や文房具などは一切出ていませんし、仕事が終わって帰るときには、卓上カレンダーやマウスパッドさえ片づけて、机の上はパソコンのモニターと電話しか出ていないくらいです。仕事中も机の上のものが少ない状態で仕事している人が多かったです。
私は最初は驚いて、この人たち、整理整頓に命かけてるよ、と揶揄するような、面白がる気持ちでいました。
入社して1年くらいたった時に、私が、ミーティングテーブルでペーパーカッターを使っていて、途中で電話が鳴ったので、カッターの刃を挙げたままその場から離れたことがありました。すると、上司に、危ないじゃないか、誰かが怪我したらどうするんだ、こういうことは現場でも本社でも同じなんだよ、とかなり強く注意されました。
建設会社では、とにかくセーフティーファースト、安全が何よりも優先するということで、安全ということに非常に重きを置いているということは私にもわかっていました。だけど、それまでは、現場なんて自分は見たこともないし、本社は現場とは違うただのオフィスだし、安全とかは自分には関係ないと思っていたことに、注意されて初めて気付かされました。
現場では、整理整頓というのも、安全に作業するためのもの。整理整頓に命かけてると面白がっていましたが、本当に、冗談でなく言葉通り、整理整頓に命がかかっているのです。
今では、整理整頓がきちんとしている自分の会社に誇りを持っていますし、東京にいながら、全国の現場で働いている同僚を応援し、尊敬する気持ちが強くなっています。


▲ページTOP

 

『ゆでガエル』     会社員/40代 (男性)

ゆでガエルの話、ご存知の方も多いと思います。
結構有名な話で、まわりの状況が悪化しているのにもかかわらず、
それに気がつかない。そのような状態の例えとして、よく使われます。

話の内容はこうです。
カエルが一匹います。
そのカエルをいきなり熱湯が入った鍋にポンと入れます。
すると、カエルは熱さにびっくりして、直ぐに飛び出します。
今度はぬるま湯が入った鍋にへ入れます。
するとカエルは居心地がいいので飛び出しません。
徐々に温度をあげていき、熱湯にします。
カエルはどうなるかというと、
温度変化に気づかず、熱いと思ったときには手遅れで
そのまま茹で上がってしまいます。
ちょっと残酷な話ですが、それがゆでガエルという話です。

何故この話をしたかと言いますと、
私もぬるま湯につかったカエルだと思ったからです。

このハロー教室でのことですが、
居心地いいですよね。楽しいですよね。
みなさんもそう感じているのではないでしょうか?
毎週の教室、合同授業、懇親会などなど。
どれもすばらしい雰囲気で大変良い事です。
ただ、私の場合、この雰囲気、いつの間にか楽しむことが目的になってしまい、
本来の目的が薄れてしまっていました。
楽しみながらスピーチの練習はできましたけれど、
本来の目的である
4月までに大勢を前にして堂々とプレゼンができるようになる。
それに対しては、まだまだ未熟でほど遠い。そんな状況です。
のんびりしすぎてました。
当初の思いのまま、ちゃんと取り組めば、もっと成長できたのではと反省しています。

ただ唯一、ゆでガエルと違うことは、手遅れになる前に気づけたことです。
それは卒業という節目を迎え振り返ることができたからです。
残り2ヶ月程度ですが、目先の甘い汁を追わず、ゆでガエルにならないよう取り組んで行く。それが私の抱負です。

みなさんはどうでしょうか?
まさかゆでガエルになってませんよね。

以上、ゆでガエルという話でした。

▲ページTOP
 


『私の故郷』  会社員/50代 (女性)

上野から東北線で3時間。ここは東北の玄関口、福島県の白河市。
ここから東へ30分ほどバスに揺られるとそこが私の故郷金山村です。
白河の関所の隣村で昔は宿場町として栄えたところです。
西は那須の山々、北は阿武隈山脈と四方を山に囲まれた小さな山村ですが、
緑の稲穂と東北なまりが似合うこの村に帰ってくると私は安らぎを覚えるのです。

8月14日その夜、村は丁度盆踊りの真最中でした。
こちらの盆踊りはテープを流し色々な踊りをする都会のものとはまったく違い
昔からたった一つ。しかも型の決まったものを踊り続けるのです。
力強い太鼓の音や、笛の音、青年の唄、お囃子の声に村人は心弾ませ、
お墓参りもそこそこに子供からお年寄りまでが連れだってお寺にむかいます。
やがてあたりがすっかり暗くなるとその踊りの輪はやぐらを中心に
二重、三重となり広い境内を埋め尽くしてゆくのです。
歌はありませんから太鼓の音とお囃子の音が勢いよく飛び交う中、
人々は遠い故人を忍び短い夏の夜を楽しむのです。

こうして13、14日と続いた盆踊りもいよいよ最終日の15日は
いっそう賑わいを増すのです。
それもそのはず、仮装盆踊りが始まるのです。
吉良の仁吉、弥次喜多道中、花嫁姿など又、最近は時代の波にのって
高校野球のユニホーム姿、流行歌手の物まね等をする者もいて、
人々はそれぞれの趣向を凝らし競い合うのです。
周りは笑いの渦となり、とても楽しいものです。
この盆踊りの光景だけは今も昔も変わらずこの素朴さだけは、
いつまでも失くさずにいてほしいと思いながら帰路についた私です。

近くにはお湯の豊富な那須、甲子温泉などがあります。
とってもいいところなので一度いらしてみてはいかがですか?

▲ページTOP

受講生による『3分間スピーチ』に戻る   ハロー話し方教室 TOPページに戻る


◎受講生による 『3分スピーチ』 その2
◎受講生による 『3分スピーチ』 その3
◎受講生による 『3分スピーチ』 その4

◎受講生による 『3分スピーチ』 その5

◎受講生による 『3分スピーチ』 その6

                       話し方 ページトップ

話し方教室 東京 大阪 横浜 名古屋
電話
03-6869-7173

 
話し方教室 東京 大阪 横浜 名古屋