受講生による 『3分間スピーチ』 (その2)

・『コミニュケーションと聞き上手』      介護職員/40代 (男性)

・『私のこだわり「脇役の重み」』    自営/60代 (男性)

『仕事のやりがいは一緒に働く人次第』      会社員/30代 (女性)

『柔らかな日差しの中で 』 
     会社員/40代 (男性)

・『私にとって妹は守るべき大切な存在』   会社員/20代 (女性)

・『当たり前の事に慣れた私たち』     会社員/20代 (女性)

・『体を張って私を守ってくれてありがとう』    小学校教諭/30代 (男性)

・『心の交流は相手を褒めることから』        自営業/50代 (男性)

・『自分に前向きなレッテルを貼ろう』     会社事務/30代 (女性)

・『考えすぎて行動しないより行動してから考える」小さな出来事』   会社経営/60代 (男性)

・『絶滅の中の希望「治らないよ」』    会社員/40代 (男性)

志ある者は事竟になる』  会社役員/40代 (男性)

志とは「心に思い決めた目的や目標」であり、 言うなれば「魂との約束」と言るでしょう。

「志ある者は事竟になる」ということわざがあります。

しっかりした志を持っている人は、どのような事でも必ずいつかは成功するというこ とです。

横綱の白鳳はついに土がついてしまいましたが、63連勝という歴代2位の記録を達成 しました。
また、全日本女子バレーチームは、世界選手権で実に32年ぶりのメダルを獲得しまし た。

これは一重に、その人の志の強さが結果につながったことだと思います。

私に志と言えるほど大きな目標はありませんが、"皆さんの前で堂々と話したい"、"
皆さんに理解してもらえるように話したい"ということが私の目標です。

いつになるか分かりませんが「志ある者は事竟になる」
この言葉を信じ、また福士先生の教えを守り、必ず私の目標・志を達成したとと思い ます。


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『コミニュケーションと聞き上手』      介護職員/40代 (男性)

 昨日、通ってる学校の友人で職場も同じ人と、一緒に飯を食いに行きました。

その人は学校でもリーダー的存在であり、また、学校の飲み会でも職場の飲み会でも、場の空気を主導しみんなを楽しくさせる人です。会話のセンス、笑いのセンスも私は到底及びません。

その人が言いました。飲み会などで自分が自分がと目立ったり、楽しんだりするのは満足感が得られない。
逆にいろんな人が話に夢中になったり、言いたいことを言えて満足感を得て貰えるようにできた時のほうが嬉しいとのこと。

そして普段からこの人のツボはどこなのか、どういう言い方、聞き方をすれば目を生き生きととした話をしてもらえるのか研究してるとのこと。

普段の彼の言動を見てるだけに説得力と重みのあるお話でした。

話し方、会話、コミュニケーションどれをとってもあまりにも奥深いですし、彼の話を聞いてもそれを強く実感しますが、今年も少しでも皆さんとともに向上していければと思います。


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私のこだわり「脇役の重み」』    自営/60代 (男性)


 皆さんは刺身に添える[剣]をご存知でしょうか。別名「ツマ」とも言われ、そういえば誰でもわかります。刺身を引き立てる脇役のように思われますが私はその「剣」にこだわっています。
 プロであるおすし屋さんでおろし金器で作ったのを出されると
主役の刺身がいくら美味しくても何か手を抜かれているようで、
そこには2度と行きません。20代の頃、勤めていた食品関係の仕事で販促の一環として[剣]の元である“かつらむき”の作り方を教わりました。“かつらむき”は大根を3寸位に輪切りし皮をむいてから左手で大根を回しながら包丁を上下にスライドさせ一定の厚さでクルクルそいで丸く巻き、細く切って刺身と付け合せますが見た目が剣先に見えることから「剣」と言われています。毎日、包丁を手入れし、よく切れるようにしてはじめて一定の厚さにむけ一本
一本が剣のように立ちツヤで輝きます。脇役にも手を抜かず手間をかける心が、相手に通じると毎朝特訓を受け不器用ながらやっとの思いで出来るようになったのが思い出されます。
 新婚の頃、家内の実家の新年会で披露してからは我家のお家芸とおだてられ声がかかると包丁の手入れを始めていました。
 年齢を重ねるとついつい手を抜きたくなりますが[剣]を見ると
若い頃を思い出し、いまだに「脇役の重み」こだわっています。

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『仕事のやりがいは一緒に働く人次第』      会社員/30代 (女性)

 私が大学卒業後に入社した会社は、高校生が通う、塾のような予備校のようなところでした。
私は教室の受付事務として働き始めましたが、入社してすぐにその会社に入ったことを後悔しました。残業がすごく多いのに残業代が1円も出ないですとか、財政状況が悪いために給料が遅れると言った条件面のこともありましたし、なによりつらかったのは、その予備校が、無理やりな勧誘で入会させて、料金がすごく高いのに、授業の質が悪いというような、悪い噂のある予備校だったことでした。ちょっとインターネットなどで調べてみればすぐにわかることなのに、どうして入社前によく調べなかったのかととても後悔しましたが、後の祭りでした。
 いつ辞めようかと思いながら働いていたところ、私よりも半年ほど後に、同じ部署にまた新しい女性が入社してきました。彼女が、本当に明るくて前向きな女性で、会社の事情はどうであっても、縁あって通ってきている生徒に真摯に対応する姿勢を持っていました。そしてたくさんの生徒とすぐに仲良くなってしまいました。
彼女が入社してきてからその職場が明るくなって私も明るい気分で仕事ができるようになりましたし、彼女に影響されて、私も、その予備校に来る生徒にただ挨拶して書類を渡すというだけではなく、部活だったの?とか、髪型かわいいね、とか一言話しかけるようにしてみました。すると私もたくさんの生徒と仲良くなれましたし、生徒のことがとてもかわいく思えてきて、深夜までの事務仕事でも、かわいい生徒のためと思えば、苦ではなくなりました。
 結局将来のことも考えて2年ほどで私はその会社を辞めましたが、今でもその彼女にはとても感謝しています。条件面などで不満はあっても、一緒に働く人によって楽しくなったりやりがいを持てたりするものです。私もいつか職場の雰囲気を変えられるような存在になれるよう努力しなければと思います。

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『柔らかな日差しの中で 』      会社員/40代 (男性)

 

9月に家族4人で金沢の兼六園を観光してきました。
そのあと、若者の街 香林坊へ行こうとバスに乗ったのですが
間違えて乗ってしまいました。

どんどん山のほうへ行っています。
かみさんと子供2人が「ねえねえ、このバス違ってるんじゃない?」
私「そうだよねぇ」


さっそく次のところで降りて逆側の停留所に行ったのですが、大変困ってしまいました。
○○行き、とたくさん書いてあるのですが、土地勘がなくどのバスに乗っていいのか
まったくわかりません。

しばらくして、80歳くらいの品の良い、和服を着たおばあさんが
同じように時刻表を見ています。
よし、聞いてみよう!

「あの〜」
「はい?」
「私たち、間違えてこちらにきてしまったのですが、兼六園に戻るにはどのバスに乗ればいいのでしょうか」
「あっ、それでしたら14:05分 67番と書いたバスに乗ってくださいね」
と時刻表を指さしながら優しくそして穏やかな声で教えてくれました。
「ありがとうございます。」
私は何かほっとしました。

まもなくそのバスがきました。
乗ろうと思っていたら、先ほどのおばあさんがバスに入っていく後ろ姿が見えました。
<乗ったんだ(笑)>
おばあさんとは席が前後になりました。


どのくらい時間がたったでしょう‥。

おばあさんは、私たちが座っている後ろのほうに体全体を向けてこういいました。
「ごめんなさいね」
「は‥い?」
「私、次のところで降りなければならないの。 え〜とね ここでしょ、ここでしょ‥‥」
と指を折りながら停留所の地名をいっています。
「あと6こめになったら降りてくださいね」
さらにこう言いました。
「ごめんなさいね。 最後まで一緒に行けなくて」

そしておばあさんは、運転手さんに
「ありがとうございました」
といって降りていきました。

バスが発車します。
私は窓越しから
「おばあさん、ありがとうございました。 腰とか膝とか悪くなさらないように、お元気でいてくださいね」
と心の中で手を合せました。

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『私にとって妹は守るべき大切な存在』   会社員/20代 (女性)

私は昔から犬が大の苦手で、例えつないであっても近づくのさえ恐く感じます。
ですが5度ほど、ノラ犬や、飼われていた家から脱走してきた犬と出くわしたことがありました。その中の一つについて話をさせて頂こうと思います。

私が小学校低学年で、妹が幼稚園に通っていた頃、私と妹は家から徒歩10分くらいの個人商店にお菓子を買うため出かけたことがありました。もう少しでお店に着くという所で、大きな白い犬がこちらに向かって吠えながら近づいてきたのです。
私達は逃げているうちに、近くのアパートにある駐車場で、そこに停めてあったトラックとトラックの間に追い込まれました。犬との距離は5〜10mほど。
とにかく妹を逃がさなきゃと思った私は、犬から目を離さず、

「逃げて!早く行って!」

と後ろにいた妹に声をかけ、妹を逃がしました。行き止まりではなく、トラックとアパートの間を通ることが出来たので妹はそこから逃げることが出来たのです。
私が何故一緒に逃げなかったのかといいますと、本能的に「目をそらしたらまずい。おそらく襲ってくる。」と感じていたのもありますが、妹を確実に逃がしたかったからです。
妹を逃がしてからは、距離を保ったまま犬との睨み合いが続きました。5〜10分ほど睨み合っていたと思うのですが、それまで吠えていた犬がどこか違った様子を見せ、
「近づいてこようとしている」と感じた瞬間、私は思わず悲鳴を上げました。その時

「こら!」

と大きな声が聞こえたのです。声が聞こえた途端、犬は声の主の方に行ったので、私は事なきを得ました。実はその犬は、お店の人が飼っていた犬で、「こら!」と声を上げたのはその店を経営している人の旦那さんでした。
後から思い出すと、「何故飼われている犬が野放しになっていたのか」とか「あの旦那さん、私に謝ってもくれなかった」とか、いろいろ思うところはありますが、ただあの時は噛みつかれずに済んだことにホッとしていました。

犬が恐くてたまらなかったのに、自分よりも妹を優先させたのは、私にとって妹が大切な存在だったからだと思います。喧嘩をして腹が立つこともありますが、これからも仲良く姉妹をやっていきたいです。


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『当たり前の事に慣れた私たち』     会社員/20代 (女性)

今回の震災では東北の日本海側を中心に大変な被害が及びました。ニュースなどで被災地の映像などを見ると本当に心が痛みます。昨日までは普通にいつも通りの毎日を送っていたのに、津波にのみ込まれてしまってその日常がいっぺんに無くなってしまうとは、本当に何と言ってよいか、言葉が見つかりません。
そして福島の原発の事故もあり、私たちの日常にも「計画停電」という形で大きく影響を及ぼしています。停電が始まると、電車に乗っても社内の電気も空調もついておらず、薄暗い車内でなんだか暗い気分になります。我が家はマンションの7階なので、エレベーターが停まってしまうと階段で登らなければならずに大変な思いをします。台所はオール電化のため、お湯を沸かすこともできません。水道は、貯水タンクの水が無くなると電動でポンプで汲み上げるため、水道も出なくなってしまいます。
ここ数日、計画停電が実施されずに終日電気が供給されましたが、電気が当たり前のように使えることに、とてもありがたみを感じました。当たり前の事がある幸せ、これは今回の事がなければ、気が付かないことでした。
そしてこれから電力をもっと沢山使う夏場へ向かうわけですが、今まで以上に節電が求められると思います。もしかしたら、私たちは今まで当たり前の事に慣れてしまい、使い過ぎていたのかもしれません。今、東北で被災している方々の事を思い、使い過ぎの生活を改め、みんなで節電に協力しようではありませんか。


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『体を張って私を守ってくれてありがとう』       小学校教諭/30代 (男性)

 
 皆さんのお母さんはどんな方ですか?私の母は九州男児のわがままな父の前では一歩引くような人ですが、普段は肝っ玉の座ったとても心の強い人です。
その母の身に起きた交通事故を、この12月になると思い出します。あれは、私がまだ幼稚園の年長さんの頃のことで、母が幼稚園に迎に来て、自転車で家に帰る途中のことでした。私は母の運転する自転車の後ろに座っていました。家に帰る途中には100メートルぐらいの長い急な坂道があり、そこの歩道はわずか50センチくらいしかなく、その横を車やバスがビュンビュンとスピードを出して走っていて、その車道の端を自転車は走らなくてはいけませんでした。そのため、そこは交通事故がよく起きる非常に危険な場所でした。
その日も母は私を後ろに乗せて慎重にその坂道を自転車で下っていました。その時です。道の反対側から自転車に乗った母のお友達が「岸高さん、こんにちは!!」と声をかけてきました。母は進行方向を見るのを止め、その人を見て挨拶を交わしました。それがいけませんでした。下り坂だったため母が運転する自転車はスピードが出ていたので、再び前を見た時には時すでに遅し。金属でできた鉄柱の古いバス停が目の前に迫ってきていました。母は急いでブレーキをかけ、また、そのブレーキを急にかけた勢いで体重の軽い私が自転車から振り落とされ、すぐ横を走っている車に轢かれないように自転車を安定させるため、自分の両足を地面に付きました。その結果、バス停には少しぶつかりましたが、私は怪我一つしませんでした。「ケンちゃん,ケガはない?」と母はそのそばで倒れながら苦しそうに言いました。私はまだ小さかったため何が起きたかすぐよくわかりませんでしたが、母を見ると手と足と顔は血だらけでした。私は母の身に大変なことが起きたのがわかり、大声で泣き出してしまいました。その後、母は両足の膝より下の骨が半分以上折れてしまったていたので救急車で運ばれ、大手術を受け、4ヶ月間入院しました。
今でも母とたまにあの時の話しになります。「私はどうなってもよかったの。あなたさえ無事に助かれば。」と母は私に言います。母は本当に強いです。私が健康で今でもサッカーやフルマラソンが出来るのは母のおかげです。こんどは私が母をしっかり守っていきます。
今日は「体をはって私を守ってくれてあるが問う!!」という主題でお話しをさせていただきました。ありがとうございました。


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『心の交流は相手を褒めることから』        自営業/50代 (男性)


 家内は私と違って多趣味でスケッチ、木版画、絵封筒と予定に追いまくられていますが、12年も住んでいるマンション住人との接点はゼロです。毎年自治会主催のお祭りがありますが若い住人が多いこともあって子供向けのイベントばかりでシルバー世代は蚊帳の外でした。今年は年配者向けとして“趣味の部屋”という新しい企画ができ、募集があるも初めは尻込みでした。思い直して知人をつくるいい機会と俄然はりきり出し、翌日から作品の創作とかで私はスケッチの運転手、木版画の摺りの手伝い、などなど忙しく動く羽目となりました。お祭り当日は油絵、登山、写真など多彩な展示があり半時も立たないうちにお互いに作品の講評や苦労話しで花が咲きいつの間にかメールの交換となっていました。      
私は作品の当事者ではなく応対役でしたが自分も創作者のつもりで話しているのには笑ってしまいます。少しは手伝った事もあり達成感を夫婦で共有できた副産物もありました。上手い下手とは関係なく完成までのプロセスを褒めあうことで初対面でも瞬時に心の交流ができました。相手のいいところを素直に言葉に出して褒めることが心を結ぶ原点のような気がしました。
これからは機会があれば何事も参加していき、色々な方と心の交流を広げたいと思います。

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『自分に前向きなレッテルを貼ろう』     会社事務/30代 (女性)

 私が小学生の頃ですが、学校であるプリントが配られました。おそらくクラス替えの前か何かだったのだと思いますが、子供の家での様子や、長所や短所を親に書かせるというものでした。
その紙を持って帰った夜に、母が父に、私の長所短所はなんて書こうかと相談しました。すると父は、「子供の欠点を書かせるとは何事か。うちの子には短所なんかない、そう書いておけ。」と母に言いました。
父は親ばかだったわけではなく、まだまだこれから成長していく子供を「ここが悪い」と決めつけることが良くないのだと言いたかったのだと思います。
 しかし母は律義ですので、しっかりとそのプリントに私の長所短所などを書き込みました。私の短所の欄には、「引っ込み思案」と書いてありました。別にそれが嫌だとか悲しかったとかいうことは全くないのですが、私はそれを見て「あーそうなんだ、私って引っ込み思案なんだ」とすごくその言葉が頭に焼きつきました。母の筆跡のボールペンのかすれ具合まで今でも思い出せる程です。
 今思うと、子供の頃の私が、自分が引っ込み思案だと思い、その通りにふるまっていたのは、そういったこともあったのかもしれません。
今はもう大人ですから、人が自分の性格をどのように言ったとしても、自分が自分をどう思うかには関係ありません。
特にここ数年ですが、何か勇気の必要なことをやりたいと思ったりやらなければいけないと思ってもできなかったとき、言わなければいけないことを言えなかったときに、自分はそんなことはできないというよりも、そんなことができない人間のはずだ、と、自分で自分を決めつけているところがあったと思います。
 このハロー話し方教室に入ってから、そんな自分に対する思い込みを克服できそうな気がしてきています。どうせ自分で自分を決めつけるならば、「私はときどき怖くなったり失敗したりはするけれど、積極的に挑戦したり、人と話したりできる人間なんだ」と、自分に前向きなレッテルを貼りたいと思います。

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『考えすぎて行動しないより行動してから考える」小さな出来事』   会社経営/60代 (男性)

 我家は犬が大好きでよく近所のペットショップに寄ってはお見合いをして
お気に入りを探しています。良い子がいてもそれからが大変で
やれ部屋中キズだらけにならないか、抜け毛がひどいのでは、おしっこで臭いは大丈夫かしら、朝、夜の散歩は雨や具合悪い時はどうしよう・・等々枚挙にいとまがないくらい心配事をあげているうちにその子はよその子になり、
いつまでも飼えずにいました。
 つい最近“おい”の転勤で中形犬を預かるはめになり家内の心配が又、
はじまりグチが絶えませんでした。
 いよいよ家にきて半日にもたたない内に家内は「寒いでしょう?」と玄関にあったワンちゃん用の毛布を座敷に移動しはじめました。あの心配事は何だったのか、とあきれるばかりです。
 今はワンちゃんの時間に合わせ我家の生活習慣が一気に変わり、家内も
いちいち気にしていた事は全く忘れワンちゃんの母親気取りです。
朝晩の散歩も健康に良いと心の持ち方が全て前向きに変わりました。
小さい事ですが“考えすぎて行動しないより行動してから考える”と
そこから違う世界が始まるものだと考え方を変えるキッカケになりました。

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『絶滅の中の希望「治らないよ」』    会社員/40代 (男性)

 高校の頃あがり症になった。突然人前で話す事に恐怖を覚えた。当時文武両道の自分のイメージを守るのに必死で、それがバレないようにと、そう見えない振りをすればするほど余計緊張した。12、3年の間、何箇所か心療内科に行った。とある医者に言われた。「治らないよ」。絶望で真っ暗になった。
  俺の人生はこれが続くのかと思った。続けて言われた。「治らないけど忘れることはできる」「え?」「噴火した時慌てない人間がいるか?君のも同じだ。緊張するのをしないようになんてできっこない。ただ君はその事を気にしすぎて余計それにとらわれてしまっている。人に話すのは伝えるためだ。あがらず喋ろう、緊張することがバレずに喋ろう、それは手段の目的化だ。人に伝えたい、その物事に集中している時忘れることができる。だから物事を目的本位でやっていけば忘れることができる。
 それから八年がたった。そう簡単には治らない。けど忘れる頻度は多くなってきた。そして今このハロー話し方教室で緊張しながらもより良く 生きたいと思って話をしている。  

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受講生による 『3分スピーチ』 その1
◎受講生による 『3分スピーチ』 その3
◎受講生による 『3分スピーチ』 その4
◎受講生による 『3分スピーチ』 その5

◎受講生による 『3分スピーチ』 その6

 

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