福士 陽子 の紹介

ハロー話し方教室講師福士陽子です。 よろしくお願いします。

八月一五日とオリンピック

「今日は終戦の日だな」

元気だったころの父は、毎年決まってこの言葉をつぶやいて仕事に出かけた。

東京でオリンピックが開かれるほんの少し前の時代。

横浜の地下道には戦争で傷ついた、傷痍軍人がそこかしこにあふれていた。

木の松葉づえをついた人には片足がなかった。

上着の袖だけがダランと伸びた人の目は虚ろだった。

顔面包帯でおおわれていた人の、

わずかに見える眼光の鋭さに私は怯えた。

幼い私はそれが何であるのかわからず、

ただただ恐怖で父の足元にしがみついた。

父は優しく背中に手を回して「戦争で傷を負った人だよ」と

それだけ呟き、私たちはいつも足早にその場から離れた。

横浜だけではなかった。

家族で浅草に遊びに行った際も、

同じ光景を目の当たりにし、早くこの場から立ち去りたいと思った。

たったそれだけの経験だが、

私に戦争というものを教えるのは十分過ぎるものだった。

あの光景から50年以上経ち、今や横浜にも浅草にも往時を感じさせるものは何もない。

平和の象徴である祭典であるオリンピックが、

今、リオで開催されている。

毎日のように、熱戦が続き

連日の応援に加えて、暑さも相まってで、少々疲れてきている。

おまけに年取って、涙もろくなってきているから

号泣しまくりで試合が終わるたびにぐったりとなっている。

思わず「欲しいわね。オリンピックの盆休み」なんて言葉も出る始末。

でも選手の皆さんのお疲れに比べたら

先の大戦で亡くなった方の無念さに比べたら

何の、何の、おばさんも負けてなんかいられない。

「頑張れ。日本。さあ行くわよ」

またテレビの前で号泣、いや応援だあ。

ありがとう親方

 

亡くなった母や父も大の相撲好きだったが、とりわけ祖母も相撲が大好きな人だった。

大鵬のファンだったが、千代の富士がデビュー?し、

「大鵬もいい男だったが、この男も負けねえぐらいいい男だ」とほめちぎっていた。

母も、隣で共に観戦する父のことなどおかまいなしで連日キャーだの、ワーだの

大騒ぎしていたのを昨日の事様に思い出す。

「この男は絶対横綱になるゾ」と、常々予言?していた祖母も残念ながら

その晴れやかな決定戦を見ることなく、直前でこの世を去った。

優勝したその日、祖母の位牌の前で

「おばあちゃん千代の富士優勝したわよ」と号泣した母の姿は

一緒に祝いたかった無念さと、応援し続けた力士の横綱決定という

喜びが会い混ざっての涙だったと今更ながら思う。

私も涙をぬぐいながら、共に歓喜を分かち合い、

日本中が沸き上がったあの日から、

もう40年近い歳月が経とうとしている。

昨日九重親方の訃報に接し、忘れていたあの日の記憶がまざまざと蘇り、

再びの涙をこぼした。歓喜の涙でないことが残念だ。

今も画面がぼやける状態のまま、この文章を打っている。

改めて千代の富士と言う名力士が残した足跡の偉大さを思う。

隣でやきもきしていたであろう父も亡くなり、

寝たきりになっても相撲観戦だけは、

じっと見続けていた母も他界してから、三度目の夏を迎える。

「母上たち、あの世でも皆で相撲観戦をしているよ」

時折、主人が話すことがある。

その度に、「うん、相変わらずキャー、キャー言ってさ」と答える私。

「父上も『母ちゃん、静かに』って言ってるかな?」と主人が言えば

「言ってる。言ってる」と二人で大笑いをする。

そんなささやかな楽しみまでも、皆に残して下さった

心技体プラス母いわく「顔もいい」

『本物』の素敵な相撲取りだった。

立派にそのお役目を最後まで果たされました。

あなたはやっぱり「千代に日本一の富士」だったわ。

沢山の感動をありがとうございました。

どうぞ安らかにお眠りください。

本当にご苦労様でした。

 人生捨てたもんじゃない 上を向いて歩こう 替え歌ヒットパレード

昨日、昭和を代表する名曲を残して下さった、

お二人の訃報にふれ思わず涙がこぼれました。

不謹慎ではありますが、その名曲を聴くうちに、

思わず替え歌が出来てしまいました。

雨続きをいいことに、畑にもいかず

「畑にもこんで、こんな歌ばっかり作って」と、どこかでぼやきが聞こそうなばかりか

天国に召されたお二人から「まあ変な歌、作って」と

お叱りのお言葉をいただきそうですが、、、。

次回また畑で頑張りますので、どうぞお許しくださいませ。

暑さボケの戯れ事と苦笑していただければ幸いです。

「上を向いて歩こう」の替え歌で「下を向いて摘まもう」

下を向いて摘まもう 野菜が食われないように

思い出す秋の日 一人ぽっちの午後

下を向いて摘まもう 人参の数 数えて

思い出す秋の日 一人ぽっちの午後

幸せは土の上に 幸せは畝の上に

下を向いて摘まもう 野菜が食われないように

這いながら摘まむ 一人ぽっちの午後

その虫は葉っぱの影に その虫は根っこの影に

下を向いて摘まもう 野菜が食われないように

這いながら摘まむ 一人ぽっちの午後

 

「恋のバカンス」の替え歌で「茄子で丸焼き」

ため息が出るよな この夏の不出来に

旨い茄子を夢見る乙女心よ

ああ金色に輝く熱い炭の上で

丸ごと焼いてみたい去年の様に

火に焼けた皮むいてほおばったあの茄子は

私だけの秘め事ため息が出ちゃう

ああ茄子の上出来は 紫の色艶

初めて収穫した 茄子で丸焼き

これはおまけです。

「恋するフォーチュンクッキー」の替え歌で「恋するフォーチュントマト」

トマトのことが好きなのに わき芽がまるで解からない

何度目かの失敗の準備 Yeah! Yeah! Yeah!

葉っぱを見れば大勢の小さな虫たちいるんだもん 地味な花は咲いてもくれない Yeah! Yeah! Yeah!

額に流れる汗拭わず頑張ったら知らぬ間に大きくなって 指先からこぼれだす 止められない今のトマト カモン カモン カモン カモン ベイビー 占ってよ 恋するフォーチュントマト 今年はそんな悪くないよHey! Hey! Hey!

うま味呼ぶには追肥忘れずに

真っ赤なフォーチュントマト 甘みを去年より良くしよう Hey! Hey! Hey! Hey! Hey! Hey!

畑も捨てたもんじゃないよね あっと驚く奇跡が起きる

トマトがドカンと収穫の予感

あなたにちゃんと食べさせたい だけど自分に自信ない

寝坊、暑さ想像つくから

Yeah! Yeah! Yeah!  形が良いトマトがいいなんてスーパーあたりは言うけど菜園はノンバンテージ いつだって旨ければ人気投票1位になる  プリーズ プリーズ プリーズ ベイビー トマトを見て  恋するフォーチュントマト その皮さぁ剥いてみよう

Hey! Hey! Hey! 先の展開神様も知らない 旨いよフォーチュントマト そんなにネガティブにならずに  Hey! Hey! Hey! Hey! Hey! Hey!

畑はトマトで溢れているよ ひび割れ青みは手を掛けて  明日は明日で雨が降れと願う

カモン カモン カモン カモン ベイビー 占ってよ  恋するフォーチュントマト 今年はそんな悪くないよ  Hey! Hey! Hey! 旨み呼ぶには 追肥忘れないで

甘いよフォーチュントマト 畑を今日よりも良くしよう

Hey! Hey! Hey! Hey! Hey! Hey! 人生捨てたもんじゃないよね あっと驚く奇跡が起きる

トマトがドカンと収穫の予感

本日も又蒸しますね。 どうぞご自愛のほど

福士 陽子

星に祈りを ~七人の戦士に捧ぐ~

空港のタラップから降りてきたものは、笑顔ではなく。

真っ白な布に包まれた棺だった。

がらんとした空港に並ぶ七つ棺の映像が

静かに映し出されている。

一切のアナウンスのないその映像が

ただただ悲しみだけを鮮明に浮き上がらせる。

棺に置かれる白い花束を私も一緒に捧げたい。

七人のそれぞれがこれまで歩んできた人生と、

突然奪われてしまった、これからさらに輝きを増すであったはずの

未来に思いを巡らすと、得も言われぬ慟哭に突き当たる。

本来なら任務を果たし終えた心地よい解放感と、やり遂げた誇りを胸に

このタラップを満面の笑顔と軽やかな足取りで降りるはずだった。

「はず」。

「はず」になってしまった、運命の残酷さを彼らに代わって呪いたい。

その一方ではのんきに「おなかすいたぁ」と揚げた天ぷらをつまみながら

ぼんやり画面を見て、それでも又慌ただしく夕食の支度に戻る

私の姿を彼らが見たらなんと思うだろうか?

亡くなった七人の方々に詫びたい気持ちでいっぱいになる。

思えば近年、沢山の企業戦士が海外での残虐なテロで、命を落とした。

ワールドトレードセンター然り、エジプトでの日揮の方々然り、

其の度に、怒りと悲しみとその残虐さに心が震え、打ちひしがれた。

「もう勘弁してくれ」それが本音だ。

こうしている合間にも、世界中でテロは繰り返され、

東シナ海ではきな臭い匂いが立ち込め、

ミサイル搭載機が緊急スクランブルを発信し続けている。

70数年前父と母が体験し、

子供達にはこの思いを絶対にさせまいと守り続けてきたものが

いとも簡単に崩されるのではないかと危惧する昨今である。

明日は七月七日の七夕様。

星のなってしまった七人に思いをはせ、静かなる世界を願いに懸けたいと思う。

 鮮烈なる?川柳デビュー 題して「葉っぱのつぶやき」

こんにちは。 いつもお世話様になっております。

本日は川柳?をしたためましたので読んでいただければ幸いです。

ラデッシュと小松菜を間引して、きれいに根を取り、ラデシュは葉と大根部に分けました。

「捨てるのも悔しいし、よし、根性みせてやる」と息巻いて、

「ふん、どうせ30分ぐらいで終わるでしょ」と馬鹿にしてかかったら 根性はいとも簡単につぶされて、それどころか逆に葉ごとき?に馬鹿にされる始末。

2時間以上台所に立たされ、その間、一心不乱を余儀なくされ 顔も上げず、追うはただひたすら根と葉のみ。

さながら「座禅体験」か、はたまた「野麦峠?」状態。(お若い方、お判りになりますかしら?)

やってもやっても終わらず「もう、どんだけー」でやぶれかぶれ。

挙句の果てに指がつっぱり「痛たたたあ」。で、もうこうなると後は笑うしかない。

終わった時は目はショボショボ、頭クラクラで倒れそう。

時すでに夜中の12時。「うっそー」 ホント、倒れました。

しかもあんなにがんばっても、その量のしょぼさといったら、、、。 「なに。これだけ」と一人夜更けの台所でぼやくどころか、もう切れそう。

しかし、待てよ。 「小松菜大好き。沢山食べたーい。大根葉、味噌汁の青みにいいじゃん」 と後先考えず鼻歌なんて歌いながら、果てなき?妄想を抱いて 全部種を蒔いた結果が、トホホのホの二乗どころか三乗。

「あー、自分がやったものって、全部自分に跳ね返ってくるのよね」 56歳にして未だ悟れず、それどころか失敗をくりかえす、我が人生は遠き未完なり。

そこで出来た川柳?を腹いせに?今回は皆さまにお披露目?させていただきます。 それでは川柳?デビュー。   どうぞ。

小松菜に妄想抱いてしてやられ

種まきに我強欲を教えられ

間引き菜に「強欲ダメ」と呟かれ

間引き菜で我強欲を猛省す

ラデイシュにクラクラされてぼやく夜

つまみ菜でめまい覚えた雨の夜

キッチンやここは比叡か、蚕場か

「ほらみたか」葉の高笑い指をつる

「泣きたいわ」追い打ち掛ける爪の泥

つまみ菜に健闘結果笑われる

つまみ菜が悟り仏にだぶる夜

つまみ菜に親の説教思い出す

五十路すぎ菜っ葉ごときに叱られる

大根葉あなたに「様」をつけたいわ

キッチンで溜息ついて知る未完

でも翌朝のお味噌汁に使ったらものすごく美味しかったので   やはり頑張った甲斐がありました。     まだまだ腹いせ?は続く。

大根葉青々踊る鍋の中

可笑しみが出汁と溶け合う菜っ葉汁

つまみ菜の声聴こえそう春の朝

「ありがとう」初めて聴いた菜の声を

つまみ菜と一人笑いで味噌溶かす

「ありがとう」返事返して汁よそる

つまみ菜にご褒美もらい椀の中

味噌汁で葉っぱと私生き返る

頭さげいただく汁に光射す

感謝して食べれば旨し葉のみ汁

人生のこもごも喰らう菜っ葉汁

つまみ菜が思い出になる朝の汁   以上

「つまみ菜でただでは起きぬワード打つ」とばかりに   長々と書いて申し訳ありません。   お忙しい中、読んでいただきありがとうございます。 いつもながら感謝申し上げます。

今後ともよろしくお願いいたします。

福士 陽子

約束の日

こんにちは。お変わりありませんか?

早いものであの大震災からもう5年になるのですね。

3月11日を思うとき

大きな揺れや津波はもちろんですが、

原発が爆発した時の凍り付くような恐怖の瞬間がまざまざと蘇ってきます。

震災時、介護していた

福島生まれの母には最期まで福島の惨状は伝えず、皆で嘘を突き通した。

母は今頃あの世で祖母と美しく清らかだった

田舎の風景だけを眺めているに違いない。

その母が亡くなって三回忌も過ぎ、私が横浜を離れてまもなく一年が経とうとしている。

母を介護した日々でさえ、もう夢の中で吹く春の風の様になってしまった。

新しい土地に馴れるために、

趣味で始めた農作業だが、私の不器用さが邪魔をして10か月たっても未だ悪戦苦闘中。

悪戦苦闘が幸い?なのか、はたまた災いか?

母を亡くした心の痛みまで薄れてしまう始末。

命日こそ忘れていないが、毎朝拝むのも忘れて畑に慌てて出で行く昨今。

「ちょっとあんた、いくら死んだからって親を粗末に扱って」と

あの世から母の鶴の一声ならぬ虎の遠吠えが聴こえそう

(ちなみに母は虎の中でも、最強と言われる五黄の虎年生まれ)

不器用さ半分、母の祟り?(呪い)半分で

上達するどころかどころか下手さ加減だけがヒートアップ。

ここに生来のドジが加われば、さあ私に怖いものなし。

日々お笑いモードだけが加速してゆく。

草むしりすれば鎌の持ち方が「まちごうとるで」

どれが雑草か植えた野菜か区別がつかず、

出始めた野菜まで丁寧に刈り取り、黙っていればバレずにすむものを

思わず「あーっ」と畑中に響く声をあげ失笑をかい

「で、今度は何しいはったんや?」

鍬を持てば、「そんな腰ではあかん」「薪割の要領や」

「すみません。薪割った経験がないんです」

「なんや薪割したことあらへんのか」「はい」

「それじゃあ、上手い事できへんのもあたりまえやなあ」「すみません」

で、何をどう勘違いしたのか、ついたあだ名が「横浜のお嬢様」

(でも今どきの人で薪割の経験ってどれだけ?)

農業ド素人の主人に「鍬が上手に使えない」と愚痴ったら、

「泣き言はいわない。特訓だ。」と時間外指導を承る?も

思い切り振り上げすぎて土をバサッと頭からかぶりまるで漫画状態。

藁を縛れば力がないので、バラバラに解け皆に直してもらう羽目

「これ縛ったの、誰や?」の声に何度も

「すみません。それも私です」と終始頭を下げっぱなし。

それでも誰一人文句も言わず黙々と直してくれた。

もう泣きたい気分満載。

(ほんとは皆の方が泣きたかったはず。だってやり直し時間、1時間も費やしたんだから)

天地返しでは、あまりの土の重さに天地返しならぬ私返し。

(要は何度も尻もちドン)

間引きをすれば、「うわっ、すごいこんなに大きく育ってる」

(すでに土から顔を出し、真ん丸にはなっている)

嬉しさのあまり「妹に送ろう」と、グイグイ引き抜いていたら

「聖護院かぶらは、もっと大きゅうなるで」「いやや、これ小さいやん」、

「あーれ、もったいない。まだ早すぎや」で間引きならぬドン引き。

(そもそも聖護院なんてそんな高級品、横浜じゃスーパーに売ってない。

デパートに鎮座ましまして、庶民の私の口に入る道理がない。

味も解からないのに、大きさなんかそれこそ「解からへん」グスンッ)

とまあそんなこんなで、あまりの下手くそぶりに見ていられないのだろう。

皆が「ああしたらええで。こうしたらええで」と半ばあきれながらも

毎回自分達の作業を中断しても、飛んできてくれた。

「遠慮せんといつでも聞きや」「そやで。そのためにわしらいるんやさけ」

何度失敗しても「また特訓やな」と笑いに変えてくれた。

こんな私に実に親切に根気よく指導して下さり、

お蔭さまで冬野菜はほぼ完ぺきな出来栄え。

ありがとうございます。

畑1年生の私があんなに上手に出来たのは、絶対に私の力ではありません。

それだけではない。今や農作業以外の事でもお声を掛けて下さる。

「紅葉見にいかへん」とドライブに誘ってくれたり、ハイキングに行ったりと

御蔭さまで楽しい時間を過ごさせてもらっている。

時には人生のそれぞれ抱えた悩みを打ち明け合い、

背負ってきた重い過去させ、躊躇なく語り合ったり

今や旧知の友のような人も二人、三人と増えていく。

ひたすらありがたい。ただただ感謝としか言いようがない。

人生を振り返った時に忘れがたい地になろうであるこの地に、

原発の恐怖が潜んでいることを知ったのは、

配管のボルトの緩みで放射能が漏れたというニュースを耳にしたときである。

一気にあの日の記憶が蘇り、背筋が寒くなった。

大文字山を眺め、鴨川散策を楽しみ、

伏見稲荷では「やっぱりお稲荷さんでしょ」

北野天満ではほころびる梅を愛でながらも

「ここでは粟餅、買わなきゃ」

「創業400年のうどん屋さんも忘れちゃだめでしょ」で、ついでにお参り。

伝統手作業の金網を選びながら「これでトースト焼いたら、中はふわふわ。外はカリ」で、

想像してはムフフフフ。

老舗の豆腐店で買い求めた厚揚げをこの金網で焼いて

「老舗の競演やわ」と下手な京言葉で雄たけびを上げ

錦小路では美味しい京野菜の漬物のあれこれを。

出町柳では有名な大福の行列に並び、(なんと平日なのに40人待ち)

今週は御池、来週は今出川とベーカリーショップをはしごしては

「さすがパンの消費日本一。激戦地区と言われることだけある」と舌づつみを打つ。

(なんかさっきから食べ物ばっかり。これじゃあ「花より団子」ならぬ「寺より団子」ね)

一口食べては「あーん、幸せ」「あーん、感謝」

(これだけ食べたら太りそうだけど、畑作業がきつくてさらに痩せました)

原発の恐怖などすっかり忘れたどころか、

「大人の修学旅行」など銘打って浮かれていた私に

「あんた遊ぶのもいい加減にしいや」と言わんばかりに頭から冷水をあびせられた。

数日後、今度は再稼働すればけたたましい警報音が鳴り響き、稼働ストップという有様。

本当にドカンと行ったら、そのまま逝ってしまいます。

こっちの言葉で言うなら「一体、どないしてくれるんや。こっちの楽しみ奪おうて」で

それこそ「しゃれにもならへん」

日々の何気ない営みの中にこそ、

楽しみや、喜びや、可笑しみがあり、

それこそが愛しい宝であることを

いやというほど教えられたあの日。

失って初めて知った人、物、事の美しさ。

あの時間が、あの場所こそが輝きだったのだと

後で解った悔しさたるや、もうあの二の舞はごめんです。

私もこの三月で56歳になりました。

もう人生の終盤に近づきつつあります。

後は大切な人々と、残り少ない日々を

抱きしめるように、温めあいながら

笑顔で過ごしていけることを願うばかりです。

先日伊勢地方の方のお話で、

「自分はいつもお伊勢様にはお願いに行くのではなく、お礼をしに行くんですよ」と

言われた言葉を聞いて頭をガツンとやられた。

穏やかで健やかに生きられるのはあたり前ではなかった。

震災や原発で学んだはずなのに、またしても忘れそうになってゆく自分がいる。

忘れないために用意された日が3月11日であるならば

私は3月11日を約束の日と定めようと思う。

私のたわいない文章をいつも最後まで読んでくれてありがとうございます。

いつもながら感謝です。

どうぞ皆さま、ご自愛くださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

秋の一日

街は色づき始め、秋の装いを始めた。

静かな雨の日曜の午後。

大好きなクラシックの番組を聴いている。

年を取ってきたせいか、近頃は何でもないことに

感謝する日々に巡り合う。

若いころは、感動や感激の連続だった。

字のごとく、激しくて、自分中心に動き回るばかりだった。

 

今はこうして好きな音楽が聴けるだけで、感謝の念が湧いてくる。

先週の日曜は体調が悪くて、この時間は床に臥せていた。

御蔭さまで体調も元に戻り、文章まで打つことが出来る。

これだけでもありがたいと思う。

 

ベットに横たわった若い人は体中に管が刺さっていた。

顔は薬のせいだろう。むくみで腫れている。

気の毒でまともに見ることさえできない。

その母親が、私の横で買い物の会計をにこやかに行っている。

その横顔に、悲しみや憂鬱さは微塵も感じられない。

いやむしろはつらつとして、清々しい。

 

これは先日主人と買い物に行った先で遭遇した出来事。

どうしたらここまで強くなれるのかしら。

どうしたらここまで優しくなれるのかしら。

この境地に到達するまでにはどれほどの悲しみがあったのだろう

 

ベットに横たわる若い人の体はしっかりとしていた。

生まれつきではなかろう。

人生の途中で、何かのアクシデントに見舞われたのだろうか。

事故か、病気か。

いずれにしても本人はさぞや悔しいであろう。

 

双方の思いに馳せてはみるものの、

私にはそれ以上の言葉が見つからない。

人生はなんて重たくて、残酷なんだろう。

 

せめてもの救いがこの母親のおだやかな笑顔だった。

「生きてるだけで、ありがたいな」

車中、主人がつぶやいた。

主人も同じことを感じたのだろう。

私は「うん。ほんとだね」と答えた。

 

どうぞこの親子に幸あれ。

そう願わずにはいられない

秋の一日だった。

 

 

 

スーパー「夢-ん」

 

先日通っている畑で、観月会が開かれた。

畑で採れた野菜や極上の近江牛が用意され

皆でバーべ―キューを楽しんだ。

持ち寄られたご馳走の数々が

次々とテーブルに回ってくる。

お赤飯のおにぎりは柔らかいお豆がぎっしり、

手作りのしば漬け、無花果のジャムにはパンが添えられ

畑で採れた野菜をピクルスにして振る舞って下さった方もいた。

主人も呼ばれて上機嫌。

楽器演奏の得意な方が、何曲も名曲を奏でて下さった。

吹く風もさわやかでそれは楽しい時間だった。

やがて宴もたけなわになると山影から見事なお月様が顔を出してくれた。

雲一つない夜空に神々しい月の光。

「わー、綺麗」「ほんと。見事」

どよめきと歓声に拍手が混ざる。

見慣れた月をお月様と呼び、観月会と称して仲間と酒を酌み交わす。

日本人に生まれてよかったなぁとしみじみと思った。

それにしても、畑の皆さま本当にありがとうございます。

横浜から引っ越してきた私を快く受け入れて下さり、

「観月会、だんなさんもご一緒に」と皆さんがお声をかけてくださった。

皆さんと一緒に見たからこんなに素敵なお月様に出会えたと思う。

子供時代縁側で、家族で見たお月様をちょっと物悲しく思い出しながらも

お月様の様に満面の笑みで過ごせましたのも皆さまの御蔭です。

2015年の中秋の名月は幸せと感謝の念がいっぱいつまった

まさにスーパー「夢-ん」でした。

 

 

 

 

強い心

日曜日の午後。FМのラジオから流れてくるクラシックを聴くのが好きだ。

クラシックに詳しい訳ではない。ただただ流れてくるピアノのメロディや

バイオリンの音色が好きなだけ。その日も私はいつものように

コーヒーを淹れ、ラジオから聴こえてくる音楽を楽しんでいた。

「リスナーからこんな質問のハガキが届きました」と

番組の司会者でプロの女性演奏家が

その一枚のハガキを読みだした。

「お二人は演奏中に失敗した時、どのような気持ちになりますか?」というような

趣旨のハガキだった。

もう一人司会を務めるお笑い芸人の彼がこう切り出した。

彼も有名な演奏家から直接指導を受け

大変上手なピアノ演奏を披露する人である。

「もちろん失敗しないようにするのが一番ですが、

失敗することを気にするより、失敗を笑いに変えられるぐらいの強い心を

作ることです。僕はお笑いの世界にいるので、鍛えられて良かったと思っています」

と答えていました。私はうーんとうなずいてしまった。

丁度その日、畑に行ってちょっとした失敗をして少し落ち込んでいたから

この言葉が心に深く沁み通った。

失敗はこんな事だった。

「何かお手伝いすることありますか?」

あいにくに雨模様で思うように作業が出来なかったが、

せっかく畑にきたのでと思い、隣の畑の

Iさんに声を掛けた。Iさんはいつも親切に素人の私に丁寧に指導してくれる女性だ。

「悪いね。じゃあ無花果採るのを手伝って。後で皆で分けるから」「はい」

「そこの茄子が入ってるバケツ使って、茄子はその辺にほおっておいていいから」

私は言われるままに、茄子をバケツから出し、美味しそうに熟れた無花果を

摘んだ。「沢山取れましたよ」私は嬉しくなって皆に見せた。

その時だった。コレマタいつも私に親切なHさんが大きな声で

「うわーっ、やっちゃったなあ。そのバケツ洗わんかったのか?

そのバケツに入ってたの、牛の糞が混ざってた肥料やで」

ぎゃーなんてこったい。それこそ「やっちまったぜー」である。

私は「ごめんなさい」と「すみません」を繰り返すしかなかった。

「水で洗ったらええ」と水場で洗うのを手伝ってくれたが

私は言われるままで何の配慮もしない(できない)自分が恥ずかしく、情けなかった。

そんな気持ちを引きずっていたので、余計に先ほどのラジオから流れた

言葉が心に響いた。「失敗を恐れぬ強い心」まだまだ修行が足りない私だが

恐らく又別の失敗はするだろう。でも同じ失敗はしないよう心掛けたい。

ここでめげずに畑に行こうと思う。

そしていつも以上に元気な声で皆に挨拶をしようと思う。

「おはようございます」の他に「いつもありがとうございます。

頑張りますので、またよろしくお願いします」の言葉を添えて。

 

何気ない日常に感謝

i1残暑お見舞い申し上げます。

こんにちは。毎日暑い日が続きますが

お変わりありませんか?

いやーそれにしても今年の夏は暑かったですね。

七月から又畑を借りて通っているのですが、

朝5時に頑張って早起きしても、炎天下での作業は

せいぜい9時ぐらいまでが限界で

一度軽い熱中症になりました。

皆さんもどうぞお気をつけてくださいね。

おとといあたりから、ようやく涼しくなってきたので

畑の作業もいくらか楽になってきました。

畑は京都の山科で、年配の方々ばかりなのですが

皆優しく親切で、素人の私に一生懸命指導してくださり

とてもありがたいです。

横浜から来た言葉も全く違う私に

鍬の持ち方から、土の寄せ方、種の巻き方、水やりの分量まで

実に事細かく教えて下さるのです。

ただただ感謝です。お蔭で畑通いも楽しくまだこちらに来て

半年にもならないのに、京都弁にも馴れてきました。

 

今日は終戦の日ですね。

父の足には戦争中に受けた弾の跡が残っていました。

麻酔なしでその弾をぬいてもらったそうです。

生前その傷跡を撫でながら

「死んだ人を思ったらこんなのなんでもないよ」と

つぶやいていた父の姿を思い出します。

又、折に触れては「生きていられるだけでこれ以上の幸せはない」と言うのが

死ぬまで父の口癖でした。

 

畑で汗を流しながら、黙々と雑草を抜いていると

静かな朝の山間に蝉の鳴き声だけが響きます。

暑い中でも、フッと流れてくる風に思わず

「あーあ幸せ」って声が出てしまいます。

 

取れた野菜を少しばかりですがマンションのお掃除のおばさんにさし上げました。

お礼に手作りの紫蘇ジュースをいただきました。

「おいしい野菜をごちそうさまでした。ありがとうございます」

「こちらこそ、喜んでいただきありがとうございます」

満面の笑顔までいただいてこちらこそ感謝の気持ちでいっぱいです。

畑作業は私に様々な喜びを運んできてくれます。

寝ぼすけで根性のない私ですが、もう少し頑張ってみようと思います。

 

桜島が噴火レベルを4に引き上げました。

どこかの原発が再び事故にあわないよう

強く願っています。

 

何気ない日常を送れることに感謝したい。

そんな2015年の夏です。

6edi9s