「生きてきたせめてもの罪滅ぼしをさせてくれ」

「生きてきたせめてもの罪滅ぼしをさせてくれ」
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雨の石巻崩れた岸壁に傘もささず立ち尽くす
思い出すのは市場(いち)に飛び交う競りの声
大漁旗に送られて手を振った港町
ああ返してよ 雨の石巻

「男(アイツ)の魂は鴎になって帰るよ」
信じてみたい遠く海鳴り聴く夜は
泣きたい心に追い打ちをかけるような通り雨
ああ逢いたいの 雨の石巻

あの男(ひと)を奪ったこの海を恨んでみたい
憎めないのよ 涙枯れても叫んでも
離れられないの 波音を枕がわり寝た女
ああ泣かせてよ 雨の石巻

夫は震災後2回、石巻に泥かきに行った
今月末再びかの地を訪れるという。
夫曰く「生きてきたせめてもの罪滅ぼしをさせてくれ」

私は夫から聞いた石巻の惨状の中に残され、
なおもここで生きてゆこうとする女の姿を歌にした。
これも私の罪滅ぼしの形の一つ。

あの日から100日がたった昨日は
東北の至る所で法要が営まれたはずだ。

地震、津波、そして未だ終息を見ない原発問題と
被災地のみならずこの日本に住むすべての人々が
己の生活いやそれ以上の生き方、心の問題まで
重い課題を突き付けられたままでいる。

南相馬の私の大学時代の友人は柏崎の避難所から
5月の連休後再び故郷の福島へ帰って行った。

線量計をつけたままの生活なんて皆さん想像できますか?
それが四六時中ピーピー鳴る生活なんて皆さん出来ますか?
昨日だって彼女曰く
「どうしたんだろうね?今日の放射線量高いんだよね」

「そんなところから避難すればいいじゃないか」と
「なんで新潟県の避難所からわざわざ福島なんかへ帰るんですか?」と
異口同音に皆さんは彼女の行動を理解できないと思われるでしょう
私もそう思います。事実そうも言ってやりました。
でも彼女の気持ちも解ります。
なぜならそこが彼女の故郷だから

そこで生まれてそこで育って
そこで人を愛してそこで子供を産んで
そこで死んでゆこうと覚悟を決めた人だから

福島を愛しているから
人が人を愛するように彼女は故郷を愛しているから
心底、福島に惚れこんじゃっているから

だから私は彼女にこう言った
「ほんとにあんたはおバカな女だね
放射能の中へ突っ込む、まるで特攻隊じゃない
でも福島へ帰るなとは言わないよ
止めたって無駄でしょ?」
彼女は笑ってこう答えた
「さすが陽子ちゃん私のこと良く解ってる」

私は福島に住むいとこの言葉を思い出していた
「わたしは福島で死ぬんじゃないよ。
福島と死ぬんだよ。原発と心中するよ」

ああ彼女も表現の違いこそあれ同じ気持ちなのだ。

福島県人の祖母に育てられ、福島県人の母から生まれた
私には今、この瞬間も生と死の極限状況におかれた
いとこの言葉も彼女の言葉も
あまりにも重くてあまりにも強烈で
軽々しい返事が返せない。

「さすが陽子ちゃん良く解っている」
彼女は優しい人だから、笑ってそう言ってくれたが
解ってるんじゃない
ただ心が痛いだけ、心が痛いから
痛いままにぶつけているだけ
痛いまま受け止めるしかないのだ。

そして彼女は言葉を続ける。
「私は実験台でいい。次やその又次の世代の人たちが
この福島で幸せになってくれたら私はそれで生きた価値がある。
だから国にお願いしたいのは一日も早く
原発問題を終息させてほしい
それだけが今の私の願い」

政府の方々よ。
彼女のこの静かな怒りが聞こえるかい?
飯館村の穏やかな牛の目があんたらには悲しく見えないのかい?
自殺した相馬市の酪農家の悲痛な叫びが本当に届いているのかい?
国会でガタガタやってる場合じゃないでしょ

苦い涙が私の胸をとめどもなく流れていった。

昨日も彼女と電話で話をした。
「今日で100か日。親族で集まって法要を済ませてきたよ。
生き残った者たちで思い出話して久々にみんなで笑ってきたよ
あたしたちが元気じゃなきゃ死んだ者が浮かばれないもんね」

そして彼女は私の夫と同じ言葉を発した。
「それがせめてもの罪滅ぼしだよね」

悲しくても笑い、切なくても笑う
それを人は強いというが
私はそんなに強くない
ただ死んだあの人を思ったら笑えるだけ

悲しさに泣いて、切なさに泣く
人の涙を抱けるほど
私はそんなに優しくない
ただ死んだあの人を思ったら泣けるだけ

「ごめんね。ほんとは、涙なんか陰でそっと拭きたいんだけど」
「いいよ。今はここで好きなだけ流しなよ」
これも私たちが震災後交わした会話。

こんな会話しなくて済む日が一日でも早く来ますように
祈りを込めて今日のブログを終わらせます。
本日も読んでいただきありがとうございました。

追伸
福島と36回唄っている歌です
よかったら聴いてください。
そしていつの日か福島に遊びに行ってやってください。

http://www.youtube.com/watch?v=gtV0Ter7I2A&feature=related

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そうすると聴くことができます。

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 一度だけの人生、心豊かに明るく積極的に生きる。
    ハロー話し方教室 代表 福士 敏行・陽子
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Hukusima 2~あんたへの手紙~

Hukusima 2~あんたへの手紙~

あの日眼には見えない 放射能の雨の中
追われるように 着の身着のまま
故郷を後にした あんたが明日の朝
あの街へ帰るという
いくら生まれた街だって
いくら育った街だって
あんたやっぱり馬鹿な女
故郷は未だ 静かな戦いの中
それでもあんた笑い顔
「故郷に恩返ししたいだけよ」

帰ってみたところで 魚一匹揚げられぬ
苗植えられぬ 田に水を張る
悔しさに泣く私 あんた前を見ている
まちがい冒された街
いくら恨んでもいいのに
いくら嘆いてもいいのに
故郷持たぬ根無し草には
どう足掻いたって 心には寄り添えない
それでもあんた礼を言う
「ありがとう何も返せずごめんね」

どうせ止めたところで 音を上げないあんただもの
止めたりしない 察しついてた
好きなだけ泣いたから もう泣き疲れたのよ
愚かさに翻弄され
後は時が流れるのを
後は密やかに待つだけ
遠い街で寝言のようでしょ
地を這うあんたに あたしの慰めなんか
受け止めてくれる力
一体どこに潜んでるの?
「報いたい救われた命だから」

学生時代の友人は南相馬市から原発から逃れ
新潟の柏崎へ避難した。
それから約50日。今日5月5日
故郷へ再び戻るという。
彼女の言葉を気持ちをそのまま歌にした。飾りや想像は一切なし。
私たちの電話のやりとりをそのまんまここに記した。
馬鹿でかっこよすぎる女だよ。まったく。

馬鹿でかっこいいやつがもう一人いた。
いまその男は石巻で泥かきのボランティア中。
その馬鹿でかっこいい男とは なにを隠そう私の夫。

だって今年59よ。「オジサンが行って何するの?泥かき?無謀だよ
やめとき。若い子の足引っ張るだけだよ。
おじさん何しにきたの?って言われちゃうよ
帰ってから寝込むに決まってるって」

しかし、馬の耳に念仏。柳に風。

「たのむ。今まで生きてきた罪滅ぼしを今こそさせてくれ」
こう言われちゃ、だまって出すしかないでしょ。
あーあ。どうやら私はお馬鹿に縁があるらしい。
あきらめたよ。 

どうぞ皆様お体にお気をつけてくださいませね。

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傾きました でも心は傾きません

このたびの震災におかれまして
被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げ上げます。

と、いうことで自分にもお見舞いするはめになりました。
で、なんと横浜の実家も傾きました。
田んぼの埋め立てだったのでイヤーやられました。

築50年以上も経っておりますし、私と同じで?
そこかしこに多少のガタがきておりましたが
まさか地震で私より土地のほうが
「先に?傾く」とは、
うーんこの勘の鋭い?私にも読めませんでした。
正に想定外。

あの日、「家と共に揺れぬ」でしたので
これでは30年内に来たる確立66パーセントの「関東大震災」どころか
まことしやかにながれる「富士山爆発」なら
一緒に「爆傾き?」どころか「こっちが爆発?」な予感がしたので
今回建築士の方に耐震度を見ていただきましたら
「震度6弱で倒壊」という見事な?お墨付きをいただきました。
うーんここだけは私の「予言」がピタリでしたわ。

それも1000分の14という傾きで
妹曰く「チョーどころかウルトラ微妙」で私の気分は1000マイクロシーベルト?

今回の震災で家の崩壊や傾きで
多額のローンが残っている方にはまったくもって心からお気の毒と
御同情を禁じえませんが
お陰様でと申しますか、幸いにも私の実家はローンもないので
身軽に次のステップに進めそうです。

しかも暮れに断捨離したお陰で、家の片づけも済んでおりますので
引越しするにも好都合。

おまけに母が呆けてたんまり買い込んでいた、捨てるに捨てられなかった
全品、オール新品(ほんと値札つき)の下着や、パジャマ、靴下、シーツ、などなど
たんまりと?(なんと段ボール8箱)
原発から逃れ南相馬市から新潟の柏崎まで
避難をしている大学時代の友人一家にそっくりそのまんま送ることができました。

いやーありがたいったらありゃしない。
だって一階と2階の押入れ、それぞれ半間しめていたんですもの。

「Lサイズのゴムのベージュのパンツなんか取っておいても、
このプチお尻?の私じゃデカ過ぎるもんね。
それならあんたのお母ちゃんに履いてもらったほうが
どう考えてもいいに決まっているじゃん」
とおばさん話で大笑いの大盛り上がり。

巨大な地震と津波に襲われそれでも「天災だから」と涙を拭いて笑った彼女に、
追い打ちをかけた原発問題。
「もう帰れないかも」たった鞄一つで、あわただしく
生まれ育った美しい故郷を後にしてきた
彼女一家の役に立てる日がくるなんて。

断捨離を始めた当初は
「あー母ちゃんぼけて、こんな買ってどうしょうもないわ」と
一人嘆き?悲しんだ日々だったが、
段ボールを送った日には
「母ちゃん。ぼけてくれてありがとう。あなたは生き仏様だわ」と
鼻歌で母の頬を思わずスリスリしちゃいましたわ。

家は残っても放射能汚染で今後、畑で作物を作れず、
生まれ育った故郷の
あの美しい福島の地にいつ帰れるかもわからない
彼女のことを思ったら
なーに家が傾いたぐらい、私は笑って済ませます。
只今、賃貸マンションに入居の許可が下りるのを待っているところです。
(前例なき?被災者扱いになるようで、多少の割引があるそうです。
あーあほんとありがたや)
夫は只今、石巻で泥かきのボランティア中
帰ってまいりましたら引越し準備をする予定です。

あーそれまでデカイ余震がきませんように
天国の父ちゃん守ってくれーぇ。

要介護4になった母を同伴の引越しなので大変といえば
大変ですが、この3年の介護の日々に比べれば、なーに楽勝の引越しです。

同じ区内ですが、未知の土地なので今からワクワクしています。
緑が多く静かな環境もお気に入りです。

私も被災地の皆様に負けないようにがんばります。
家は傾きましたが、心は傾きません
皆さん一緒にがんばりましょう。

Hukusima ~我が友に送る歌~(原発に怒りをこめて)

こんにちは
まず、はじめにこの度の震災におきまして
被災されました多くの方に心よりお見舞い申し上げます。
また志半ばでお亡くなりになりました多くの同胞の御霊に
謹んでお悔やみ申し上げます。
3月11日 あの瞬間、何かが私の中でふっとんだ。
4月11日 一か月たっても、未だに心の内側を言葉で表せず
ごめんなさい 気持ちを歌にしました。
学生時代の親友は、仕事場を津波で流され職を失い、
今は原発を逃れ 南相馬市から鞄一つで新潟県柏崎市に一家で避難。
我がいとこは 白河市で野菜を出荷できず、米も作れぬまま。
「片腕もがれたようだ」と今日を嘆き、明日を描けぬまま。

Hukusima ~我が友に送る歌~(原発に怒りをこめて)

あなたが生まれた故郷の町に
原発があるなんて ごめんね 私今まで ずっと知らなかった
あの日大きな津波が 何もかもさらっていった
家も 友達も 思い出も 掛け替えのない命も
まっすぐに続く砂浜を 並んで歩いた夏の夕暮れ
他愛なく笑ったよね あなたの故郷 福島で

着の身着のままで故郷を離れ
「二度と帰れないかも」去る町に礼を述べ 焼き付けた窓越しに
「命あってのものだね」見せた笑顔 宿る強さ
「いつかきっと帰ってみせる」悔し涙の果てに
望み捨てないしなやかさ 耕す土と共に還したい 
寄せる波に祈りたい あなたの故郷 福島へ

私が求めて受けた恩恵は 
犠牲で成り立っていた 神が下した罰なら 何故我を生かした
同胞達の御霊に 恥じないように生きるのが
残された者に課せられた せめてもの罪滅ぼし
温かな東北訛りで 相馬盆歌唄って聴かせて
実れ 金色の稲穂 あなたの故郷 福島に

東電批判を唄った斎藤和義さんの「ずっと嘘だったんだぜ」をユーチューブで
聴いたとき私は号泣し、流れる涙を抑えることができませんでした。
同時にこの一か月の間に中に芽生えた自分の気持ちが
せきを切ったようにとめどもなく溢れ
一晩で一気にかきあげました。
ちなみに斎藤和義さんのユーチューブのアドレスはこちらです。
よかったら聴いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=q_rY6y24NAU&feature=related  

感謝は許し。人生はすべてが学び。

「栄養士の免許返そうかなぁ?」
そんな突拍子もないこと、ぼんやり考えたのは今から4年前の夏。
以前ブログでも書かせていただいたが
重篤の肺炎で入院し、ベットで力なく横たわり
点滴の針を両腕に何本も刺されながら、窓辺に広がる、
突き抜けるような空を見ている時だった。

結婚してとっくの昔に、栄養士の職からは離れていた私が
本気とも、さりとてまったく冗談でもないような気持ちをいだいたのは
何故だったのか?

「こんないい加減な食生活していたら、いつか必ず病気になるだろうな」
主人の仕事を手伝いながら、あまりの忙しさに
それまでの食生活が一変し始めた日から、漠然と抱き始めた不安が
物の見事に的中したからだった。

朝は疲れてギリギリまで布団の中。
朝食は前日仕事帰りに買った、菓子パン1つに眠気覚ましのブラックコーヒー。

昼は通りすがりのチェーン店でサンドイッチをつまみながら
仕事の打ち合わせ。
傍目から見たら少しはかっこよく見えたかしら?
キャリアを重ねたウーマンよろしく銀座のオープンカフェで
この食いしん坊の私が、食欲なんかすっかり忘れて仕事に没頭していた。

仕事が終われば、表参道の
エキナカカフェにも足繁く通った。

深夜にもかかわらず、若い女子でごったがえす、おしゃれなカフェで
主人と二人浮いている?のも、気にせず(というか無視して)
キッシュやマリネやら、これまた二人には似つかわしくない
横文字料理を、チョコ、チョコとつまみながら仕事の打ち合わせ。

料理そのものは美味しかったはず。
はず?そうなのだ。
悲しいかな料理の味がまったく思い出せないのだ。
思い出せないのではない。初めから頭の中は仕事オンリーで
ゆっくり食事を味わう余裕などまったくなかったのだ。
忙しくナイフを口に運び、あわただしく呑み込んでは
でも、その口は仕事の会話へと又再び開かれるばかりだった。

最終に近い銀座線に揺られ、駅の階段を上がると
深夜1時までやっているスーパーに立ち寄り
小腹を満たすための、おにぎりや、カップ麺を買い求めた。
カゴの中は出来合いのものでたちまち一杯になった。
以前は野菜や豆腐や生魚などの食材だったのに。

家に帰ってこれらを電子レンジでチンして食して
お風呂に入れば、眠るのはいつも決まって夜中の3時すぎ。

胡瓜や茄子を買ったのはいつが最後だったかしら?
糠床をかき混ぜるのも忘れ、冷蔵庫の中でカビらせてしまった。

大根や人参の皮をむいて、コトコト煮込む時間も失くしてしまった。
母が送ってくれたじゃが芋は台所の片隅ですっかり忘れられ
芽が出過ぎて、使い物にならず泣く泣く捨て、
玉ねぎはトロリと腐り、異臭を放っていた。

頸が凝った、肩が凝ったとそのたびに太くて痛い筋肉注射でごまかし
医者で打ってもらったその足で仕事へ向かった。
そんな生活が10カ月続いたある日、私は倒れた。

「こんなハードな生活じゃ、倒れて当然よ」
入院後に看護士さんに見せた私のスケジュール表は真っ黒だった。
週5日働き、空いた時間はすべてと言っていいほど、
母の介護のため、あの頃は横浜の実家まで一時間以上かけて通い詰めていた。
深夜、横浜の実家に帰りつき、翌日再び慌ただしく仕事場へ通うこともざらだった。

看護士さんは驚きの声とともに同情とも憐みともつかぬ
表情を私に投げかけ、共に深いため息をついてくれた。
「疲れたでしょう。神様がくれた休息時間だと思ってゆっくりするといいわよ」

同情も憐みさえも優しい響きとなって
私の心の奥底でゆっくり広がってゆくのを感じたのも
あの窓辺に広がる、切り取ったような夏空を見つめている時だった。

医者でもない私が、西洋医学を否定するつもりなど毛頭なく
もちろん主治医の先生には今もって大いに感謝で
それこそ命の恩人と思っていることには間違いない。

それでも私の体を治してくれたものは
あの10種類にも及ぶ薬と毎日4時間受けた点滴以上に
窓辺からぼんやりと流れる雲を見たとりとめもない時間と、
朝までぐっすり毎晩8時間は眠ったであろう静かな時間と
3食まったく残さず、おいしくゆったり味わった全粥食と
柔らかく煮炊きされた優しい味付けの煮魚や、温かな季節の野菜食と
そして看護士さんたちの思いやりにあふれた
声かけにほかならなかったと
時間が経てば経つほどその感が深くなってゆく。

茜に染まる夕景や、轟く雷鳴の光さえ美しいと感じた。
浅草寺の塔にかかる月はさながら一枚の絵のようで
月夜の晩は窓辺に椅子を寄せ
主人が毎日、持ってきてくれた熱いほうじ茶を飲みながら
傾いてゆくその様を病人であることさえすっかり忘れ
ただただ見つめては、一人悦に浸っていた。

食事は今更ながら痛感させられた。
栄養士時代は、勤めていて病院で偉そうに食事の大切さを説いて
錦の御旗よろしくとうとうと栄養指導なんぞしていたこの私が
こともあろうに全くいい加減な食生活を続け、あげくのはてはこのざま。

これで「栄養士をしていました」なんて恥ずかしくて大きな声で人様にゃ言えやしない。
どの面下げて若い栄養士さんの栄養指導を受けるんじゃい。

そう思ったら情けなくて、冒頭の言葉と相成ったわけ。

病院食は美味しくないという人が多いけれど、
餌みたいな食事を続けていた私にとっては、胃で溶けるというより
心の中にまでじんわり浸みるような味わいがあったなぁ。

とりわけ滋味あふれる季節の野菜は、体に力強さを与えてくれるのを感じた。

茄子の煮浸し、南瓜と小豆のいとこ煮、青菜のお浸しなど何でもない
小鉢料理さえ、土から採れたものが私の中で栄養となり活力を与えてくれる。

そう大げさに言うと命のサイクル。
循環のようなものがあの時、理屈ではなく
私の体の中、まさに腑にストンと落ちていった。

「食の感謝の念」というものも理屈抜きで感じた。
「いただきます」とそれまで何万回となく出していた言葉も
自然と誰かに、何かに感謝する気持ちがフツフツと湧き上がるのを
禁じえることができなかった。
それは自分でも驚きを持って、しかしすぐに迎え受けることができ、
祈りと感謝に満ちた気持ちで毎回手を合わせてから箸をつけた。

食後も同様だった。この食べ物は病院の給食室で私に栄養指導してくれた
あの若い栄養士さんが頭をひねって献立をたて、
私の知らない調理員さんが朝早くから作り、
美しく盛り付けをして、ここまで運んでくれる人がいる。
その食材はどこかで農家の方がつくってくれた作物であり
その作物をつくるためには、朝早くに起き、畑を耕し
畑の土は雨で潤い、太陽の陽を浴びて作物は美味しく育った。

「これに感謝しなかったらそれこそ罰当たりだ」と
何の信仰心も持たぬ私が
小さな器の中のそれも野菜の一切れから
何か大切でそれでいて果てなく壮大な世界を感じた。

「ああ、すべてが繋がっているのだ。
すべてが繋がって私の命に直結していたのだ。
それらを忘れ、無視し、ぞんざいに扱い私は自分の命の源である
食生活をなんとおろそかにしていたのだろうか。なんと軽んじていたのだろうか。
作ってくれるすべての人に、ましてや水や光や大地に思いを馳せたことなど
この人生の中で考えたことがあっただろうか?」

重篤の肺炎だったが、こうして命を生きながらえることができた。
今まで何回も病気をしてきたが、父が働き、母が食べ物を作って
私に与えてくれたお陰で、そのたびに病気も治った。

いや、病気だけではない。小さかった赤ん坊の私が
すくすく育ち、手も足も大きく伸びて、筋肉がついて歩け、走れる。
お陰で山登りやハイキングに出かけられるのも、食べ物があって
それを作ってくれる人がいて、そして私は又元気に生きられる。

そうだ。又治ったら、元気になったら散歩にでよう。
この窓の下に広がる土の上を、この窓の向こう側の景色の中に
私の身を置けるよう一日も早く治そう。
外の新鮮な空気を一杯吸いに行こう。
限りなく広がる青さは、そのまま私のこれからの人生だ。

そして、母に会いにゆこう。父の墓参りも忘れずに。
「泣きそう」と言って心配かけた妹には元気な姿を
「飛んでゆく」と言ってくれた友達には礼に行こう。

すべてのものに感謝しに行こう。

靴を履いて歩くことも新鮮。
服を着て光を浴びるのもくすぐったい気分。
すべてがワクワク。みなぎる力が湧いてきた。

それは水や光が、雨や大地が、自然や作物が私の体を通して輪になった瞬間だった。
それは過去と未来が今という時間と
見えないけれど確かに一本の糸でピーンと真っ直ぐにつながった瞬間でもあった。

「私が私と繋がった」と言うべき表現がピタリと当てはまるような
そう、私の中の漂っていた浮遊感とずっとどこかで求めていた根っこが
森の土を通してこの小さな窓から、
あの大空にまさにスコーンと突き抜けて行ったのだった。
(これがほんとの生物多様性?)

当たり前のことなのに、頭では解っていたことなのに
何も解っていなかった。何も感謝してこなかった。
それであんたよく46歳までのほほんと生きてきたね。
食べ物1つにも感謝しないままよくあんた恥ずかしくもなく
栄養士なんてやっていたね。

自分自身とひたすら向き合う時間ができたのも
肺炎のお陰だったと今更ながら病気にさえ感謝したい気持ちだ。

感謝の気持ちは許しの気持ちまでももたらしてくれた。
「病気よ。ありがとう。あなたのお陰でいろんなことを学ばせてもらったわ」

咳で眠れぬ苦しさも、熱でうなされるつらさもすべて学びだったのだ。

いけない。主人に感謝するのを忘れていた。
あれから4年も経つのに。
暑い中、病室に毎日お茶を持ってきてくれたのよね。
汚れたパジャマの洗濯もしてくれたよね。
朝は一緒にご飯食べたよね。おしゃべりもたくさんしたよね。

「命の保証はありません。覚悟してください」と言われて
「頭がついていかなかった」でも私の前ではずっと笑ってくれていた。
退院後に聞かされた時は言葉も出なかったよ。
一人でずっと辛さを抱え、耐えてくれていたとは露知らず。
今更ながらありがとう。

ちょっと遅れちゃったけど11月12日あなたのお誕生日に改めて感謝。
長生きしてくれてありがとう。今日まで生きていてくれていることに感謝。
元気で働いてくれてありがとう。
おめでとう。59歳。これからも元気でね。
これからも宜しくね。


コミュニケーションで癒しの心を

皆さまお久しぶりでございます。
ご機嫌いかがお過ごしでしょうか?

明治13年に気象庁が観測を始めて以来
113年で最高の猛暑ということで、
連日の酷暑に皆様方さぞやお疲れのことと存じます。

私などはもう年のせいで、外出は極力控え
まさに巣篭もり生活の日々で
この夏を過ごさせていただきました。

実際7月のお盆に父の墓参りの参りました際、熱中症にかかり
夜中に救急車を呼ぼうかと思ったほど心臓が苦しくなってしまいました。

幸い冷たい水やら、氷枕で頭を冷やすなどの初期の措置で
(主人の献身的な介護のお陰?)
動悸も収まり、事なきを得ましたが
「このまま死んじゃうのかな?」と思ったほどでした。

何度か重病を患いましたが、50年生きてきて自分の体の異変で
「怖い」という観念に囚われたのは今回が生まれて初めてでした。

日傘をさしておりましたものですから、たかだか
34度の気温と軽く考え、午後の一番暑い時間帯に
2時間近く散歩がてらと調子に乗ってしまったばかりに
あやうく命を落とすところでした。

ほんと皆様もどうぞお気をつけてくださいませね。

怖いと言えばこの夏は本当に世の中ぞっとするような事件の
連続でございましたわね。

かわいい盛りの2児を見捨てて、遊び呆けた母もいれば、
自分の親をミイラにしてまでも年金を搾取するずる賢い娘や孫には
怒りを通り越してあきれるやら、情けないやら。

そこまでしても金が欲しいのか。
自分を産み、育ててくれた親の弔いもせず
何の後ろめたさも感じず日々生きていたとしたら
そこまで人の心が壊れてしまったのか?と
考えただけでぞっとする。

血の繋がった親子でさえ、こんなに簡単に壊れていく。
他人同士なら尚の事、夫婦だって元は他人同士。
心を砕いて、心血通わせなければ
惚れたはれたの関係だって
いとも簡単に崩れてゆく。

「癒し」という言葉が人々の口から発せられるようになったのは
いつ頃からだろうか?

少なくとも私が子供時代は大人の口から聞いたことないなあ。
まして子供同士使ったことのない言葉だし、
私自身も正直あまり使わないなあ。

昭和の時代は、日々の生活に追われて、
生きていくのが精いっぱいだったから
「ああ疲れた」という言葉止まりで
「(誰かに、何かに)癒されたい」という
感覚にならなかったんだろうな。

「癒し」が「癒されたい」と使われ
「癒してあげたい」という言葉にならないところに
現代の人々の心の疲れを感じるのは私だけだろうか?

「陽子ちゃんとおしゃべりすると元気になる」と言うありがたい言葉は
何度となくいただいたが、
私は性格がきついせいか「陽子ちゃんとおしゃべりすると心が落ち着く」と言う
言葉は残念ながら?この歳まで一度もない
(主人なんか間違ったって言ったためしなし)

ところが世の中にはいるんだよね。こういう心を落ち着かせてくれる人が。
私も友人でいるのだけれど、思い起こすと
彼女に電話するのは自分自身の心が少しくたびれている時だもんね。

ほんと心に一服の清涼感を与えてくれるんだよね。
彼女寝たきりになった御主人の面倒看て
もう8年になるんだけどね。
そんな苦労微塵もみせないどころか、私に元気パワーいつも
与えてくれるの。

苦労をかって出る人はそれだけでおのずと
人を癒し、
苦労を厭わない人はそれだけで自らを
癒している。
彼女と話しているといつもそんなこと思う。

あのね、話し横道それるけど、
友達は自分と性格が似通った人ばかりじゃ
面白くないよ。

だって心落ち着く人ばっかり固まっててごらんよ。
元気になりたい時に、誰に電話していいか解んないでしょ。

キャピキャピもいれば、まったりな人もいて
その時に応じて友人を使い分ける(なんて言い方友人には悪いが)
それぐらいの度量がほしいな。

もちろん底意地が悪いとか、素行に問題ありとか、金に汚いなんていう
ヤツは論外としても、「少し性格が合わないな」で
毛嫌いするようじゃもったいないな。

自分にはないものを持っている。
それも上玉を持ち合わせている。

自分磨きという言葉があるけど、自分ひとりで磨き上げるのは
限度ってもんがあるよ。

自分を磨いてくれる手っ取り早くて上等な手段は
やっぱり他人だと思うよ。

上等な人間(賢い人間)は
必ずや他人まで引き上げてくれるよね。
もっとかっこいいのは「引き上げてやった」なんておくびにも出さないでさ。
どこ吹く風ですまして、そうやって自分自身もステージを上げていくんだよね。
ああそんな人間にあたしもなりたいよ。

だから「進んで、他人と交わんな」と声を大にして言いたい。
だから「教室内で、先生の話しを聞くだけじゃなくて他の生徒さんとしゃべんな」と
しつこいようだけど
おばさんは何度でも言わせていただきます。

ああそうだ。またまた横道逸れるけど、「自分磨きは死ぬまでやんな」と
言いたいけど、似たような言葉で得てして非なるもの

「自分探し」はある年齢までいったらやめたほうが身のためだよ。と
おせっかいついでに言っとくね

ある歳ってどこなんてやぼなこと聞くんじゃないよ。
ひとそれぞれだからさ。
まあ、結婚したら正直落ち着いてほしいなっていうのが
おばさんの本音って言えば本音。

ただし、その年齢まではそれこそ必死で
探して探して、探しまくってほしいな。

「たとえ今は見つからなくても、必死でもがいた経験は
必ずや後の人生に生きる」
あれ?これどこかで聞いたセリフ。
そうです。
今や国民的番組と化したあのドラマ「ゲゲゲの女房」で
向井君演じる水木しげる先生の名ぜりふの中の一つです。

いやーハマった。ハマった。こんなにハマったのは
同じく朝ドラの「おしん」以来(古ッ)。

ハマったというより正に鬼太郎ならぬ
「テレビ妖怪観太郎?(みたろう)」なる者に
「取り付かれた」と言う方が正解かも。

朝観て、昼観て、夜のBS観て
土曜日一週間分をまた観て、
あきもせず?同じシーンでぼろぼろ涙こぼして
せっせ、せっせと「ゲゲゲ魂?」を磨いたわよーん。
あーあほんと忙しい夏だったわ
(どこが忙しいんじゃい。どうりで巣篭もってたはずだ)

今月で終了しちゃうけど、終わったら脱力感に襲われそう。
干からびてそれこそ心が「チョコシ」ミイラに?なっちゃうかも
あーッシゲ―ッさん(ここはイカル風に)
癒してくれーッ。(こっちはイトツ風で)

心はいつまでも熱く燃えたぎっていたいですが、
そろそろ秋風が恋しくなって参りました。
まだまだ熱帯の日々は続きそうですが
どうぞ皆様お体にはくれぐれもお気をつけてくださいね。

今日も読んでいただきありがとうございました。
それでは ごきげんよう。

 

話し方は「心一つの置きどころ」?~人生に光りあれ~

真面目な性格は あなたに似てほしい
男の子だったら 小公子のように
若いレディにだけじゃなく どうぞおばあちゃんにも親切に
だまされてもいいけど だましちゃだめって
あたし きっと 言うと思う
だって そのほうが素敵だから

気紛れなところは あたしに似るかしら
女の子だったら 小悪魔のような子
殿方の目を意識して たとえおじいちゃんにもウインクで
だましてもいいけど だまされちゃだめって
あたし きっと 言いそうだわ 
だって どうせなら魅力的に

Boy or Girl 確率は半々
Boy or Girl 気になるの この頃
どちらになっても 神様のおぼしめし

これは私が若かりし頃
読んだ歌集の中におさめられていた歌の一つ。
昭和歌謡曲の女性ヒットメーカー
阿木耀子さんの作品である。

子供の誕生を待つ母親の嬉しい気持ちを歌った
「神様のおぼしめし」という歌詞の一節の
男の子ならだまされてもいいけどだましちゃだめ。
女の子ならだましてもいいけどだまされちゃだめ。
という部分がまだ10代だった私の心に強く残った。

ハロー話し方教室の授業で先生はよくこう言われる。
「話上手とは、なにもベラベラ立て板に水のごとく話せるばかりが
話上手とは限らないよ。
オレオレ詐欺なんかその典型かもしれない。
でもあれを話上手とは言わないだろ。
あんな心がないどころか、人をだまくらかして生きている人間の
どこが話上手なんだ。話し方を教えていて矛盾した言い方だが
極端に言えば、話なんか下手でいいんです。
話を聞いてくれる相手に心をこめて話す。
私の話を聞いてくれてありがとう。その心こそ大切なのです。
感謝しながら相手の目を見て話してごらんなさい。
たとえ話が下手でも、つっかえても、
必ず相手にその心は伝わりますよ。

ほんとその通りだと思う。
浅草という観光地に住んでいるせいか
家の目の前をたくさんの観光客とおぼしき人に
日に幾度となく出くわす。

交差点や、地下鉄の出入り口で
地図を片手に困っていそうな人には
必ずと言っていいほどこちらから声をかける。

日本人だけではなく、外国人だって
こまってそうだなぁと思ったら物おじせず、
ここがおばさんパワーのなせる技とばかり猪突猛進。

えーすごい。陽子さん英語得意なんですか?
とんでもございません。自慢じゃないが
大学は出たけれど英語はまったくしゃべれません。
(こんな自慢してどうする)

でもせっかく日本に来てくれたのに、
大いに楽しんでいってもらいたいと思うのが
人情ってもんでしょう。困った時はお互い様。
英語なんか話せなくていいのよ。
笑顔と度胸よ。私なんか指さしだよ。
ライトとレフトさえ間違えなきゃいいかって
どう?この単純さ。

そして最後は満面の笑みでごまかして?お別れ。
「サンキュー」ぐらいしか解らないけど
みんなすっごく喜んでくれるわよ。

「ああよかった」といつも思う。

おばさんの勝手な思い込み?でもいいの。
心が豊かになるのを感じるんだもの。

ほんと人とのふれあいって時間の長さは
関係ないなって事もこのごろ思うのよ。

つい先日も小、中学校時代の友人と
道でそれこそ何十年ぶりにバッタリ会ったんだけど、
私が急用でいそいでいたもんだから
お互いに挨拶と言ったら「きゃっー ひさしぶり」」「元気?」だけ。

でもそのあとどちらともなく、
ポーンと大きなハイタッチをしたんだよね。
その手のぬくもりといったら、ほんと言葉で表せないほど
ジワジワっと心を暖かくしてくれた。

「またね」「うん、元気でね」
たったそれだけの会話で別れたが、私は
その短い会話の中で彼女とはまた
いつの日か、笑って会える永遠の友達だと感じた。

子供時代を振り返るといつも友人には恵まれていた。
意地悪をされた記憶もないし、喧嘩した覚えもない。
多少喧嘩をしてもそのつど後回しにすることなく
堂々と相手と「けり」をつけてきた。
私がよくできた子供なのではなく
それだけ友人たちが賢かったのだろう
すなわち相手を慮る気持ちにたけていたのだろうと
今更ながら、多くの友人たちには感謝している。

そんな時代の彼女だから、ほんと優しくしてもらった
思い出しか出てこない。
浮かんでくるのは、楽しく遊んでもらった思い出や
笑い転げた思いでばかり。
心を通わせたあの時代があったから、
何十年という月日が空いても
瞬時にしてあの頃に戻れるし、
いつの日かまた互いの時間ができた時に
会えるという確信が持てるのだと思う。

小、中学校時代に培われた温かい友情が長い時間をかけて
熟成されたワインのようなものならば、
私が話し方教室でお会いする皆さんとは
瞬間だけど永遠を感じさせてくれる
時空を飛び越えるワープのような気がする。

なぜなら私は先生と違って毎回皆さんにお会いするわけではない。
たった数回しかお会いしない方々の方が圧倒的に多いし
話す会話も時間にしたらほんのわずかでしかない。

それでも私の心に強烈な印象を残してくださる方が
数え切れないほどいる。

何も教えて差し上げていない私のことを
先生と言って慕ってくださる。
恥ずかしくもあり、嬉しくもあり
ただただ恐縮するばかりだ。

「先生と呼ばれているからには恥ずかしくないようにしよう」
そんな風に思える、また律することができるのも
みなさんあってのことだ。
とてもじゃないが先生という柄じゃないし、
普段はほんと母のお尻を拭いている「介護おばちゃん」だ。

それさえも皆さんのスピーチであがり症を克服しようというがんばりに
ただただ感心し、その奮闘ぶりに励まされ、
「よしわたしも頑張ろう」と皆さんからお尻を叩いてもらっている
正直、年ばかり食っている本来は怠け者の
「情けないおばちゃん」なのである。

今回の合同授業&スピーチコンテストでも
人々との温かい心の交流を感じた。
いつもながら大勢の方にご参加いただき
心から御礼申し上げます。

又スピーチコンテストのおいては
8名の方が参加され
いつもながらそれぞれの方が
授業で学んだ成果を発表してくださった。

個々の講評はすでに先生が詳しく
お話しされているので
私からは控えさせていただくが
今回もまた話し方の上達には
何が大切なのかという話し方以前の
心の在り方に気づいてくださった皆さんの
素晴らしい生き方にまずもって拍手を送りたいと存じます。

「失敗してもくよくよしないことに確かに変わった」
と話してくださったI君は、他にも
ハロー話し方教室で「いろんな人に出会ったことで悩んでいるのは自分だけではないんだ」
というこうことに気がついてくださった。
I君。気づいてくれてありがとう。

「カギカッコ」は本人の言葉をそのまま引用。以下同様。

上野教室での模擬結婚披露宴に幹事を名乗り出てくれたM君。
ハロー話し方教室に通って「毎日の生活が充実しイキイキしている」と
語ってくれた。スピーチの後上手く話せず「悔しい」と言っていたね。
その悔しさを前向きな気持ちで励みにできる人には
必ず次の成功が待っていることを、ここに記しておくよ。

会社での催しを3ヶ月後に控え、「何度も何度も挑戦していこう」と
夏の暑いさなかからハロー話し方教室に通ってくださったAさん。
「話し方の原動力は情熱だ」若い方々に混ざって
見事皆勤なさったAさん。

内なる闘志は大いに周りの若い生徒さんの刺激になったはず。
それこそ情熱に拍手。
催しの成功を心より祈っております。

「人にどう思われているのか気になり」
話し方においては「きれいに話そう」「上手くまとめよう」
と気にされてばかりいらしたKさん。
あなたの笑顔がお会いするたびに
美しくほころんでゆくことに
私は喜びを感じておりました。

初めてお会いした時のあなたの緊張感を
私は忘れることができません。
でもあなたはご自身の力でその壁を乗り越えた。

「人の言うことは気にしない」という力強さをあなたは手に入れたのです。
「ハローの仲間がいたからここまで来られた」
あなたの心からの感謝の気持ち。
人が自信を掴むと、感謝の気持ちを持つと
こんなにいい笑顔見せてくれるものなのか。
見事あなたはその笑顔を持って証明してくださった。
ありがとう。Kさん。こちらこそ厚くお礼を申し上げる。

昨年お母様を亡くされたTさん。
「高校も中退し、ピアノも挫折し
そんな自分が許せなくて自分に挑戦」された
あなたの自分をあからさまに開示されたスピーチに
多くの人の胸を打った。
その結果、見事グランプリに輝いた。
まずもっておめでとう。
涙を堪えながら話すあなたの姿は
天国にいらっしゃるお母様もきっとご覧になっていたはず。

「自分と向き合うことで変わる未来」そのスピーチの
表題通り、まだまだお若いTさん。
あなたの輝かしい人生はまだまだいかようにも開くことができます。
「自分の出した言葉は導いてくれる」とあなたはそこまで気がついた。
あなたは賢い女性です。
しっかり自分と向き合わなければ、花開かぬことを
まっとうな導きがないことをあなたは十分気がついた。
さあ、ここからが本当の一歩です。
天国のお母様に恥じることない人生の報告ができるよう
甘えることなく、自分の足で人生を歩んでいってください。
心から応援しています。

ぼくとつとした味わいがおありのHさん。
ハロー話し方教室に通って
「話し方以外にもっと学んでいることがあるな」
と感じてくださった。
「スピーチを考えていると生き方に繋がる」
お若い方に混ざって自己開示のスピーチをしてくださった、
その心意気こそ、今後の生き方に必ずや生かされると
私は信じております。その味わいこそ魅力です。
どうぞいつまでもその味わいを失わないでください。

「人と話すのが大嫌い」だったというKさん。
初めてお会いした時からそんなことあなたには全然感じなかった。
何故ならあなたは私と話す時、目はそらさなかったし
うなずきや、あいづちをしてくださった。何より笑顔で
一生懸命応えてくださっているのが印象的だったから
スピーチを聞いてえーっ嘘と思ったぐらいだ。
人と話すのが苦手でも、人が好きな人は
必ずや進歩がある。「これからがスタート」と
おっしゃるKさん。またハロー話し方教室に遊びにきてください。

とりは準優勝を飾ったK君。おめでとう。
「会社でのイベントなど逃げてきた」
「成長する機会を逃し、後悔している」と語ってくださった
仲間の自己開示のスピーチを聞いて、「親近感がわいた」
「自分は見栄っ張りなので自己開示できているかな?」と
スピーチして下さったがもうそれこそが十分自己開示だよ。

自分自身を知る。それこそがあなたが感銘してくださったという
先生のお言葉「世の中、心ひとつの置きどころ」だと私は思う。

己の愚かさや、弱さを知り
そして省みることこそ
心ある人間の行いであると私は思う。

心をどこに置くのか?
自己欲を満たすために、
またその満足のためだけに心砕く日々をおくるのか?
人のために心を配り、情けを共有する心に軸足をおくのか?

現在、世間を騒がせている結婚詐欺師の女の心がどこにあったのか?
答えは明白だ。
人を欺いて生きる人生に光りなし。
まさにその言葉どおりである。

同じ女性として腹立たしく、情けなく哀れでみじめささえ感じる。
心ひとつの置きどころを肝に銘じ、今日のお話を終えようと思います。

今日も長々おつきあいいただきありがとうございました。
すっかり寒くなってまいりました。
どうぞお体を大切になさってくださいませね。
ごきげんよう。


人生も話し方も全うを~踏んばる場所を見つけて~

「いい加減にして」
何という無責任さだろう。
人生を中途で投げ出すなんて。
私は昨日の一報から、無念さと怒りが交互にやってきて
心の納まりがどうにもつかない。

自分の人生だから何をやってもいいという考えがこんな愚かしい
行動に走らせるのか?
自分の人生は自分のものだから自分で決めるなんて
一見かっこいい言葉で自分を納得させたいのかもしれないが
後始末に追われるこっちの身にも少しはなってほしいと思う。

残されてあっけにとられる同胞たちのことなど
おかまいなしの行動は、我儘で身勝手としか言いようがない。

自分の気持ちにはけりがついたかもしれないが、
お陰でこちらの気持はぐちゃぐちゃにされた。

人さまの心をぐちゃぐちゃにしてさようならと
別れを告げてゆく人生が、美しく成仏されるわけがないことを
あなたは知らないからこんな馬鹿な終わり方をするはめになる。

再びどこかで会った時に、「あの時はお世話になりました」
「こちらこそ、お会いしたかった」嬉し涙と、笑顔で会える
そんな人生を何度も経験してきた私にとっては
別れは「いつの日か再び美しく出会うためのもの」となっている。

だからたとえ一度きりの出会いでも「ありがとう」の感謝の気持ちや、
思いやりを決して忘れたくないし、
たとえ道すがらの挨拶でも笑顔でお別れしたいと
常に思っている。

「立つ鳥跡を濁さず」という言葉が好きだ。
結婚して最初に所帯を持ったアパートを引っ越しする日
私は引越し屋さんが荷物を全部運び出し後の
がらんとした部屋で、今は亡き父と二人で
部屋中をピカピカに拭き清めた。

70を過ぎた父がズボンの裾をめくって
スポンジを手に風呂場のタイルを磨いてくれた姿を
昨日のように懐かしむ。

翌日、大家さんの所へ鍵を返しに最後の挨拶に伺ったとき
「あんなにきれいに返してくださった方は初めて」と
喜んでくださる笑顔を見た時は、疲れが吹き飛ぶほど嬉しかった。

「あんなにお掃除しなくてもよかったのに。お疲れになられたでしょう。
こちらこそありがとう」とお礼まで言われ、
その後、何度か大家さんの経営されるお店に立ち寄るたびに
何かしらのおまけをしてくださり、
毎回こちらこそ申し訳ないと恐縮したものだった。

その後、街を離れお会いする機会もなくなってしまったが、
今でもあの街を思い出すたびに、大家さんはお元気でいられるだろうか?と
温かい思いで一杯になる。

「やる仕事がなくなった」馬鹿なことお言いでないよ。
最後まで生き抜くことが、やりぬくことがあなたの仕事だったのに。

悔しい。本当に悔しい。

あなたの恵まれた才能は、単なる歌という領域を超えて
私たち戦後世代に多大なムーブメントを起こしてくれた。

それは、それは熱くて大きな時代のうねりだった。

あなたの唄った歌はあの時代(1970年代)を生きた若者なら
歌詞カードなど見なくても空で歌える。

そこに集まった若者なら全員が間違いなく歌いきることができる。
それほどまでにあなたの歌はあの時代の若者に受け入れられていた。

ある者は、放課後の教室で一人ギターを爪弾き
ある者は、大学のキャンパスの芝生の上で仲間と輪になり歌い
小学生だった私は遠足の定番ソングだった。

ある時は、打ち砕かれた胸の内を慰められ
又ある時はたぎるような青春を謳歌し、
いつもあなたの歌は若者の代弁者のように
寄り添って流れていた。

あなたの歌を口ずさんだ記憶は、そのまま私たちが生きた青春と直結する。

友達との他愛ないおしゃべりや、放課後のざわめきや、
教室の匂いまで運んできてくれる。

男性なら長くのばした髪の毛に怒られた思い出や、
女性なら好きだった人の擦り切れたジーンズや
シャツの柄まで思い出させてくれる。

40年近くたった今でも色あせず
あの時代を鮮烈に思い出せるのも
あなたの歌があったからだと言っても過言ではない。

それほどあなたの歌は私たちの胸の奥底までしみついている。
生きた証となっている。

そんなアルバムにさえ残っていない、
青春時代の清らかで、きらめくような思いや
充ち溢れた光りさえ
あなたは自殺という行為で
私たちから奪ってしまった。

まさに「後ろ足で砂をかけて」
逝ってしまわれた。

それはちょうど砂場に作った山を
悪がきにけとばされて崩れる様子を
じっと涙で見つめるしかない
幼子のような感じと言ったらいいのか?

ただぽかんと立ちすくむしかない。
これから先、あなたの歌をどんな気持ちで聞いたらいいのだろうか。

天寿を全うされたなら、
「ありがとう。私もそのうちいくからね。また会おうね」と
泣き笑い交えて見送れる。
病気で亡くなったのなら
「がんばったね」と声もかけてあげられる。

それが自ら命を絶つなんて
「いい加減におし。許せない」と地団駄を踏むしかないのか?

あなたの歌の文句じゃないが、「悲しくてやりきれない」
こうして胸の内をどこかにぶつけないと心の整理がつかない。

ここまで書いて、夕食の準備に取り掛かった。
母が食べやすいように野菜をみじん切りにし、
たっぷり青野菜が入ったオムレツを焼く。

大根、キノコ、里芋を油揚げと共に煮含めた煮物は母の大好物だ。
コトコトと落としぶたを揺らしていい匂いに出来上がった。

茄子焼も母の大好物。紫の皮目に亀甲に包丁を入れたっぷりの油で焼き
生姜醤油をかけて焼き立てをいただけば、うーん御飯が何杯でもいけちゃいそう。

かぶの糠漬けもおいしく漬かった。
ここのところぬか床も良好だ。
主人も毎回「うまい」と褒めてくれる

台所で、野菜を切っていて、ハタと思った。

どんなに心が胸苦しくても、主婦は時間がくれば
否応なしに台所に立たなければならない。

そして、家族のために悲しみや、痛みを胸の内に秘めて
ひたすら温かく、おいしい料理を給する。

野菜を切ったり、鍋をゆすったり、オムレツの焼き加減に
心を配っている間に、また炊き立てのご飯のいい匂いに
私は心が落ち着き、やわらいでくるのを感じた。

さっきまでの胸のささくれや、行き場のないもやもやが
治まってくるのを感じている。

昔、何かの書物に書いてあった一文を思い出す。
女は台所で涙を拭き、台所で心立ち直す。
まな板に思いをぶつけ、包丁で思いを切り刻む。
湯気に涙を隠し、鍋の底に涙を沈める。
こんな感じの一文だった。

祖母や母も、主人の母も
そして多くの女性たちもこうして昔から
家族のために台所でふんばってきたのだ。
そんなことが主婦になって解った。

あの頃は若くて酸いも甘いも噛み分けられなかった。
今は蕗の苦みや、さんまのはらわたの味が好きなのと同じで
年を重ねたら人の心の苦みや、
少しはおかしみがないと人間つまらないわよねと
思えるまでになってきた。

ただ悲しいかな、年をとり過ぎたのか?
腹の内まで透けて見えてしまう時もあり
どんなかっこいい言葉を並べて、正当化しようとも
「御託並べるんじゃないよ」と
顔で笑って、怒りを胸にひた隠し、心でせせら笑いしているずるい自分を
責めたくなるような気分になる時もある。

それを人は「大人というんだよ」と慰めてくれるけれど、
怒りをもろ顔に出して、ギャーギャー泣き叫んで、
心がストレートだった幼い頃が少し懐かしくもある。

加藤さん、あなたに対して悔しいのは最後までかっこつけすぎだから。
あなたはその生き方までかっこよかった。
先の奥さんの安井かずみさんとの暮らしぶりはおしゃれで
10代だった私にとっては憧れの夫婦だった。

かっこいいのはいいけれど、かっこつけすぎは逆にかっこ悪いよ。
人生も仕事も話し方もみな同じ。
途中で投げ出したら、
どんなにかっこいい理由づけしたところで
正当化したところで所詮は皆に
「投げ出したんじゃない」と後ろ指さされるだけ。

陰で言われるならまだしも
いずれどこかであなたに跳ね返ってきて
結局後で苦しい思いをするのはあなた。

今頃あなたは後悔されているはず。
だってあなたの輝かしい作品の数々を
皆が涙で聴かなきゃならないんだもの。
 
自分の青春を思い出して涙する美しい涙じゃなくて
あなたのはかりしれない無念さや悔恨を
共有しなければならない涙になってしまったのがどうにも悲しい。

大好きな軽井沢がまた別の地になってしまったのがなんとも寂しい。

人はこうして多くの悲しみや寂しさを抱いて生きてゆくしかないんだね。

どうぞ皆さん、人生を、仕事を、
ついでに?話し方教室も全うしてください。

自分探しの旅もいいけれど、いつまでも探すばかりじゃなくて
踏んばる場所を見つけたら、踏みとどまって
秋の枯草じゃないけれど
踏みしめてみるのもいいもんだよ。

酸いも苦いも涙と共に噛みしめてみるのもいいもんだよ。

あなたがいつの日か無念さや悔恨で
「あの時、こうしていれば」と思い出さずに済むように
心から祈念して今日の話を終えたいと存じます。

本日もおばさんの愚痴?に
長々お付き合いいただきありがとうございました。
最後まで読んでいただき心よりお礼申し上げます。

朝晩すっかり秋が深くなってきました。
どうぞお体を大切になさってくださいませ。
それではごきげんよう。

スピーチで味わう妙味~話し方で「あなたワールド」を

台風18号が強風をともなって足早にここ関東から去ってゆく。
昨夜遅くに降った怖いような雨はもはや遠い夢の中のようだ。
窓の向こうの葉影はまだまだ大きく揺れ動いているが、
日差しはとっくに強烈なほどこの部屋に差し込んでくる。

こわばった笑顔や心も同じように、嵐のように去ってゆく。
遠い日に見た、沈んだ眼や、小さく丸まっていた肩さえ
今にして思えば幻だったのかもしれない。
こんなことをスピーチコンテストの度に私は思う。

今回も台風が去った後の晴れやかな笑顔ばかりが
見事にそろったスピーチコンテストだった。

吹き荒れる感情を心の底に抱いたまま
どこにぶつけていいのか解らず
せっかくの優しさや、思いやりを
言葉や行動に出せぬまま
その顔や体の奥にひた隠しにしたまま
日々を暮らしている。

無理やり隠すからどうしても笑顔がこわばってしまう。
素直な表情が残念なほどまで表わすことができない

でも私共は無理に作れとは決して言わない。
自分の心の底に吹き荒れる感情が
どう吹いて、どこにぶつけたらいいのか
解った、気づいてくれた人は
言わずしても、やがて自らが自然な笑顔を
私どもに向けてくれるから。

それでいいと思っている。

いや、それこそが、その笑顔こそが、
話し方教室での集大成だと
私どもは思っている。

再三申し上げるが、うまくスピーチすることが
話上手では決してない。
ぽつぽつ話をされても、泣かされることがある。
スピーチされる人は、私を「泣かしてやろう」など
姑息な計算など鼻っから考えもしないはずだ。
ただ、自分の気持ちを包み隠さず話すことだけに必死なはずだ。

それでも、私の眼から予定外の涙がこぼれおちる。
ほろりと泣かされたり、たまらなく号泣したくなる時もある。
一体これは何なのだろう?

こんな方のスピーチは何年経っても忘れられないどころか、
その方の笑顔に、再びお会いしたいものだと
事あるごとに思い出す。

私はそんな人こそ本物のスピーチの達人だと心密かに思っている。
(こんなに大っぴらに話しているので、ちっとも密かではないが)

人の心を温かく震わせてくれる人は、「人生の達人だ」と
こちらも声を大にして言いたい。

今回もそんな心を震わせてくれる人たちに
出会えたスピーチコンテストだった。

詳しい総評はすでに個々に先生がされているので
私からは控えさせていただくが、まずもって
優勝されたEさんおめでとう。

人間関係で悩んでいらしたあなたは
話し方教室にいらしても、尚辞めようと思われた。
見透かしたかのように先生に「竜頭蛇尾にならないで」と
言われて通われたとの事。

(「かぎっかこ」は本人の言葉をそのまま引用。以下同様。)

よくぞ、がんばって通ってくださいました。
私もあなたと初めてお会いした時に
あなたがとても小さく見え、正直不安をおぼえました

人間関係に悩んでいたその心が
私には小さく見えたのだと、あなたのお話を
伺って合点がいきました。

「話し方は終わりのない学びだと思った」
人前で堂々と語ってくださった
あなたがとても大きく見えました。

E さん。もうあなたは大丈夫ですよ。
聞けば、懇親会の後、先生に「ありがとうございました」と
頭を下げられたとのこと。

嬉しいです。もうそれだけで十分です。
まさに蛇の脱皮のごとく、一皮どころか
幾重にも剥けて、成長されたそれこそが
蛇尾に終わらずして見せてくださった
あなたの本当の姿です。

素敵な姿、見せてくださってありがとう。

そして惜しくも優勝を逃したI さん。
でもあなたのスピーチは、優勝に匹敵するだけの
価値ある次点だった。

何より私を泣かせた。
涙に理屈や説明がいらないのと同じように
あなたのスピーチにはこねくり回した理屈や
長々とした説明を抜きにした
沸々と湧き上がった
温かな心情が語られていたから。

話し方を通して、「人は助け合って生きている」という
あなたがつけた主題そのまま、あなたは学んでくださった。

まずもってお礼が言いたい。
あなたはものすごいことを掴んでくださった。
ありがとう。

「人にお礼が言えるようになった」
会場からおーという叫びがあがり
「人に親切になった」
会場から割れんばかりの拍手が起こった。

「スピーチは通過点に過ぎず」
「人は助け合って生きている」
という大きな気づきに再び大きな拍手。

あなたが向ける笑顔が何よりも
あなたの変化を雄弁に語っていた。

初めてお会いしたときのあなたとはまるっきり別人になっていた。

回を重ねるごとに、あなたの周りに人が多くなっていたことを
あなた自身は気付かれていただろうか?

休み時間にあなたが仲間と楽しそうに談笑する姿を見て
私はそれだけで救われた気持になった。

この人は変われる。変わった。
そんな教室内で見せるささやかな変化の中でさえ
私どもは一喜一憂している。

そんなささやかな変化こそ、劇的な変化なのである。
I さん、ほんといい笑顔になったよ。

「たくさんの人とやりたい」再受講されるという
I さん。あなたのチャレンジ精神は尊い。

あなたのチャレンジ精神が、さらなるあなたの飛躍になることを
私は心から願う。

その尊さに仲間から惜しみない拍手が贈られた。

先生が、準優勝をぜひ彼に贈りたいと
思われたのも無理はない。
それほどまでに、あなたは変わられた。

堂々と胸を張って盾を受け取ってください。
おめでとう。I さん。
そしてこれからもがんばってください。

今回の課題スピーチも「おっ」と思わせる秀作がいくつかあったので
ここにご紹介したい。

先生はよく話し方に「哲学を持ってきて」と言われる。
哲学?なんてちんぷんかんぷんと思われるかもしれないが
私は自分でこんな解釈をしている。

第一段階として、とにかく事の状況説明より、感情を語る。
例えば何所そこ行ったじゃなくて、とにかく何所そこ行ってまずどう思ったか
思ったことに重点を置く。

第二段階としてなぜそう思ったかの何故に重きを置く。
要は理屈や説明ではなく心を語れということが
先生の言うすなわち「話の中に哲学を」なのだと思う。

そんな感情を素直に語ってくれた表現として
「わくわくしています」というのがあった。
話の構成や、内容はまだまだ未熟だったが
私はこの素直さを表現できる彼女は、
いい味だしているなと思った。

いい味とはすなわち「その人らしさ」ということだ。
「らしさ」を表現できたら私はしめたものだと思う。

感情を語ってくれた方でもう少し、惜しいと思った方もいた。

話し方を学んで「自分の中で変わった」というお話をされたのだが
この変わったとはどのように変わったのか
それも具体的なエピソードを一つでいいから絡めて話されると
グッと印象に残る話が出来上がってくる。

それこそ「あなたしか体験していない話」が出来上がる。

また「その人らしさ」が印象に残ったのは
卒業生のKさん。
職場にきた研修生との心温まるエピソードだったが
彼の話は、実に「彼らしさ」があふれるほのぼのとした
「含み」を持たせるスピーチだった。

この「含みを持たせる」というのもなかなか難しいが、
要は先生の言う「哲学」。
無駄な説明や、理屈はスピーチには時としてただうっとうしい存在に
なってしまう。

どこが無駄で、何が必要か。
このさじ加減を3分という
時間枠の中で分配し
しかも「らしさ」という
世界観すなわち「あなたワールド」を
表現する。

この妙味の味わいが解ったら話し方は楽しいんだろうな。
ああだから話し方って難しい。

最後に言葉を通して人として生きる上で
大切なことを語ってくださったスピーチを紹介したいと存じます。

話し方教室で、会議の練習をした際、
「人の意見を尊重する意見があり、この人はなんて大人なんだろうと思った。
思いやりあるある人は、言葉を伝えられるんだと思った」

ああこんなことを感じてくださる方がいるから
話し方教室っていいなって思っちゃうのよね。

そうそう、こんな「あなたワールド」を短歌を交えて表して
下さった方もいらした。

スピーチは正直まだまだだが、
キュートな人柄が表現されていたのと
恥ずかしいと言いながら、思い切ってそれこそ
先生の言葉を借りるなら「今話さず、いつ話す」とばかり
発表してくださった。
その勇気にありがとう。

そして今回、コンテストを盛り上げようと
重たい楽器を持って
わざわざ上野教室まで足を運んでくれた
横浜教室の卒業生たち。
素晴らしい演奏とその心意気に私は涙がこぼれた。

「あーあまた陽子先生泣かせちゃったよ」
「だめじゃん」
こんなこと言ってくれる心憎い連中がいるから
私はここまでやってこられたんだと思う。

ハロー話し方教室はこんな洒落たことを
なんの肩肘張らずに、それも人の為にひと肌も
二肌も脱いじゃうそんな人たちが集まってくるところです。

「あーあだから人っていいのよね」
そんなことをあらためて思った
秋の夜長です。

台風でまたも多くの被害が出た。
なかでも暗闇の中、倒木にぶつかって亡くなられたという
新聞配達の方の話は心が痛む。

「大変だから半分手伝ってやるよ」
そう言って、大雨の中、出て行ったという。
心からお悔やみを申し上げたい。

ここまで書いたら
すっかり夜も更けてきてまいりました。

今夜も長々お付き合いくださいまして
ありがとうございました。

それではまたお会いしましょう。
ごきげんよう。

人がいて自分~コミュニケーションで成長を~

どこからか金木犀の花のこぼれるようないい香り。
ふっと足を止めてあたりを見回す
お墓参りの帰り道。

今年もこんな季節になったんだ。
そんなことを思いながら門を開ける。

玄関脇の彼岸花が、その名の通り彼岸にあわせて
紅色に一輪、二輪と細い花弁を風に揺らしている。
萩の花がこまやかな白い花びらを散らして
今年も同じ場所で、秋を告げてくれた。

毎年同じ場所で、毎年申し送りをしたかのように
きちんと季節を教えてくれる。

思わず深い息をする。
澄んだ秋のにおいを胸の奥に吸い込む。

ほんのわずかな時間。そこにたたずんでみる。

祖母が庭先をゆったりと散歩する姿や、
背広姿の若き日の父が、あの曲がり角を
今にも「おっ」と言って手をあげて帰ってきてくれそうな気がする。

ほんの2,3年前、まだ元気だった頃の母は
この季節、こんなあたたかな日は庭先に出て
こまめに植木の手入れをしていた。

時折手を休めては、ご近所の人と立ち話をしたり
時には、はさみで花を切っては「仏さんにあげて」
なんていってプレゼントしては喜ばれていた。

祖母も、父ももうこの世の人ではなく、
母は日常のほとんどを、自宅のベットの上で過ごし
季節の移り変わりを、窓越しに眺めるだけになってしまった。

「懐かしいな」そっとつぶやいてみる。
全部、全部思い出になってしまった。

でも、悲しさは不思議なほどなくて
ほっこりとぬくもりに包まれ、
幸せな気持ちにさせてくれるのは
母が手植えをした、花々の優しい姿のせいだろうか?

それとも草木のまだまだ深い緑の濃さのせい?
高くなった空も、心に語りかけるように青色を増してくる。

全てが、優しく語りかけてくれるから
淋しさではなく、前向きな気持ちになれる。

いつもなら、今頃は母をトイレに連れていく時間。

「母ちゃん、トイレ大丈夫?」「うん」
「母ちゃん、おもらししてない?」「してないよ」
(でも、これがけっこうしてたりするのよ)
ぎゃ。今日もやっちゃったよ。
こんなことの繰り返しにもすっかり馴れた。

「素手で、おしりを洗ってあげられるなんて僕にはできないよ」
主人は悲鳴に近い声をあげるが、私は平然と答える。

「素手じゃないと汚れが落ちたかどうかわかんないのよ」
早いものである、お陰様でこちらも
すっかり慣れっこになり
もう一年近い日々が経ってしまった。

でも今日は違う。
母はデイサービスに朝から出かけている。

本来なら私も東京の家に行って、
洗濯やら、掃除やらと格闘?している時刻。

「いつもありがとう。今日はゆっくり休みなさい」
実は昨日より体の調子がいま一つ。
肩が凝って湿布のお世話になっている始末。

やれやれ、年取ったもんだわさ。
そこで今日は素直に?主人の思いやりに
大手を振って?甘えさせてもらっているという訳。

まったくもって主人には感謝するばかりである。
主人の理解なくしては、この実家での介護など
ありえない。

主人だけではない。

ほんと人々の力を借りなければ
とてもじゃないが、母の面倒は診られない。

たちまちギブアップするのは目に見えている。

週2回のデイサービス。
ここで働く若い介護士さんたちの明るさには
私まで勇気がわいてくる。

「おはようございます」
朝、元気な声で迎えにきてくれる。
「ヨネコさん、髪切ったの?ステキ」
すかさず、ほめてくれては母を喜ばせてくれる。

帰りも疲れているはずなのに、皆、笑顔で送ってくれる。
「今日はたくさんお話してくれたのよね。ネッ、ヨネコさん」
「うん」母もニコニコしている。

「パンツ汚されたから、おしり洗いました」
「わっ、ごめんなさい。お手数おかけしました」
「全然、平気。気にしないでください。それより、ヨネコさん気持ちよかった?」
「うん」「ほんと?よかったぁ」

こんな会話に私はどれだけ慰められてきたか。
私と同じように母の汚れたお尻を洗ってくださる
下手したら私の半分ぐらいの年頃の介護士さん。

私は自分の親だからしているけど、この人たちは皆、他人。
ただただ、感謝。まったくもって頭が下がる。

月一回訪問してくださる、ケアマネージャさんには
介護のアドバイスをいつもいただき、これまた感謝している。

あれは自宅で介護を始めた直後。
母と手をつないで、トイレに立った時のこと。
「ズボンの後ろをつかむと楽ですよ」

なるほど、本当に楽だ。
こんな些細なことでも、介護に関してはまるっきり素人の
私にとってはありがたい「情報」だ。

寒い頃、風邪をひかれた時は、正直パニック寸前だった。
昨日まで元気だった母が、ぐったりして死んだようになってしまったからだ。

「どうしたらいいんでしょうか」医者には連れて行った。
薬ももらった。熱は下がった。

でも食事が自分で取れない。トイレにも行けない。
普段と全く違う様子にとまどったどころではなかった。

どうしていいか解らずケアマネージャさんに思わず電話で助けを求めた。
その時、掛けてもらった言葉にどれだけ助けられたか。

「私たちだって、風邪をひいたらフラフラになるし、
食事だって喉を通らないじゃありませんか。
そんなに、心配しなくて大丈夫ですよ。

無理やり、歩かせたりしないで、今日はオシメでいいじゃないですか。
ゆっくり寝かせてあげてください。

食事も無理やり食べさせないで、あたたかいお茶をたっぷり飲ませてあげてください。
頑張り過ぎないで。力を抜いてください」

翌日、母は又自分の足で歩いて、トイレに行けるようになった。
食事も自分で、お箸を持ってパクパク食べてくれた。
それは拍子ぬけするほどだった。

「頑張り過ぎないで。力を抜いてください」
そうだ。私は力み過ぎていた。
なんとか食事をとらせようと焦っていた。
このまま起こさなければ寝たきりになると、無理やり起こしていた。

あの一言がなかったら、今も無駄なところに力を注いで
肝心なところに気持ちが行かないままだったと思う。

肝心なところとは?気持ちが行かないとは?
それはどこか?

母の気持ちだ。
私は母の気持などまったく思いが至らなかった。

実は退院した日から、病院と同じようなサイクルに
母を当てはめてしまっていたのだ。

朝は決まった時間に起こし、朝食を食べさせ
決まったような時間にトイレに行かせ、
決まった時間に寝かしつける。

病院ならそれはいたしかたないことだろう。
規則正しい生活は、健康的な生活にもつながる。

ところが私の場合は、あまりにも柔軟性が欠けていた。

眠そうでも、このままおしめの生活になったらこまるとばかり
フラフラした足取りでもトイレに連れて行った。

起きたばかりでおなかが空いてもいないのに
栄養が足りなくなってはやせ細ってはこまるとばかり
ご飯も茶碗一杯よそって、おかずも何種類も用意したりした。

お昼寝したそうでウトウトしていても、寝たきりになったらこまるとばかり
無理やり椅子に座らせたりもした。

今考えたら拷問のようだったと思う。
すべて母の為という一見、思いやりのあるような
行動を私は実践していたが、結局は
「私はこれだけやっている」という
自分の自己満足だったのではないかと
今になって思う。

「頑張っているわね」という他の誰かから
認めてもらいたいというどこか浅ましく
卑しい下心もそこには潜んでいたのかもしれないという
事にも気付かせてくれた。

時間のゆとり、心のゆとり、体のゆとり
すべてにおいてどこかで失くしていた。

それは柔軟性の欠如でもあった。

今にして思えば、あの時母が熱を出してくれたのも
私に大切なことを教えてくれるために
父が仕組んだいたずらだったかも?

「陽子、無理するな。母ちゃんは自分でできるようになればやるんだから。
心配するな。そんなに母ちゃんはやわな人間じゃないぞ。
できないところをお前がちょっとだけ助けてやればいいんだ。

何もかも先を読んでやってやるばかりが優しさとは限らんぞ。
今、何を母ちゃんが望んでいるのか。
母ちゃんの気持ちを一番に考えろ。それが本当の優しさってもんだ」

そんな声が聞こえてきそうな気がする。

皆さんも同じような経験はありませんか?

職場で普段の生活の中で
「これしかない」と
思いつめ、バランスを欠いていることさえ
気がつかず、焦るばかりで
アップアップしていませんか?

又、人に良かれと思いながら
それは勝手な思い込みだったり
挙句の果ては相手に迷惑さえかけていたり
それでいて肝心な時に手を差し伸べてあげられない。

あーあこれだから人間関係はめんどくさいと思っても
この世で生きている限り
コミュニケーションから逃げることはできない。

コミュニケーションなくして人間の成長はありえないから。

人を傷つけたらすぐに「ごめんなさい」が言える人は
自分の傷は浅くて済む。
なぜなら傷の痛みを知っているから。
だから相手を傷つけまいと心配りができる。
それが真の大人だと思う。

自分がいて、人がいる。
人がいて、自分が生かされている。
このことに気がついた人は幸せ者だと思う。

相変わらずすぐカッカする私は
50近くになっても真の大人には成りきれず、
おばさんパワーだけは満載で日々過ごしております。

先日も新調したばかりのジャケットの背中に
カラスに思いっきり糞をつけられカッカして
(父はこんな時、「運がついたと思え」とよく言っていましたが
とてもじゃないが、私は「ラッキー。ついてるぅ」なんて
まだまだ修行が足りないので言えませんです)

「このーカラスめッ」とばかり
カラス相手に我を忘れて
派手な立ち回り?をしたばかりでございます。ハイ

この文章を打ち始めてからすでに一週間近く経ってしまいました。
遅々として文章が打てずまったくもってお恥ずかしい限りですが
どうぞお許しくださいませ。
お陰様でここ数日は、湿布のお世話にならずに済んでおります。

いい加減に今日あたりでこのブログは仕上げ
今日は優しい?主人が参りますので、これから主人の好きな
サトイモの煮付けや、きんぴらごぼうを作ろうと思います。

(せめてこれぐらいやらないと、ほんと罰あたりと言うか又
カラスの祟り?にあいそうだもんね)

それでは皆様もくれぐれもお体を大切になさって下さいませ。
今日も長々おつきあいいただきまして
まことにありがとうございました。

それではごきげんよう。