気づきであなたも幸せに~話し方で新たな人生を~

皆さんこんにちは
8月29日のスピーチコンテストは暑い中
本当にごくろうさまでした。
30名もの方々にお集りいただき、
盛況のうちに無事終えることができましたのも
これもひとえにお忙しい中、
また今回もはるばる
遠方より(遠くは長野県松本市から)
上野まで御足を運んでくださり
ご参加くださいました皆様のお陰と
改めて感謝申し上げます。
ありがとうございました。

今回は総勢9名の方が
スピーチコンテストに参加してくださり
すでに先生が各個人の講評をされているので
私からは総評ということで、
感想を述べさせていただきたいと存じます。

まずもって毎回感じることが
皆さん方の成長である。

それは話し方以前の問題である
人に話を聞いてもらうために必要不可欠な
好印象、すなわち「笑顔の成長」を
皆さん方が習得してくださったという点で
まずもってお礼を述べたい。

ご自分ではなかなか気がつかないかもしれないが
初めてお会いした時と、卒業されていく時の
お顔がまったく違っているのである。

特に12回、3か月コースの方はより顕著であり
何よりも皆様方が本来持っていらっしゃる
一番素敵な宝物と言ってもいい
笑顔がほんとうにどなたも素晴らしい。

正直「えーっこんなかわいいお顔をしていらしたの」と
思う方に今まで何人お会いしたか。

心の緊張がそのままあなたの顔になる。
この笑顔にたどり着くまで
どれだけ遠回りしてしまったのだろう。

心を解放してくださった方
(ハロー話し方教室では
「心の開示」をスピーチにのせて
常々語っていただきたいとお願い申し上げている)

この解放を思い切って、
そして思いっきり開示してくださった方ほど
とってつけたものではない
自然な笑顔に辿りついてくださった。

心を自らが縛りつけ、また片寄らせていたことが
どれだけ日々の暮らしまで苦しめ、窮屈にさせていたのか。

今回も又このことに気づいてくださった方が
はからずも優勝、準優勝となった。

準優勝のPさんは、再受講組のお一人で
今回グランプリ発表後の
授賞式では「本当は優勝を狙っていたんですが」と
Pさんらしいユーモアに満ちた一言で
会場を沸かせてくださった。

スピーチの中で「話下手だった」と言う
以下「かぎかっこ」は本人の言葉をそのまま引用。

Pさんは、いまや押しも押されぬ
ハロー話し方教室の
名幹事役?のお一人でもある。

それも何を隠そう卒業生の仲間内を集めての
ハロー話し方野外活動教室?では
まさに先導者であり、
つい先日もPさん主催?の
多摩川の花火大会では
20名もの卒業生が集まったという。

それもこれもすべてPさんの
仁徳であると私は思う。

話し方教室に通って
自分は「勝手に劣等感を植え付けていたと思った」
また前回の受講では「本心からしゃべっていなかった」

今回の再受講では「自己開示を心がけた」と言う
それもあなたは「当り前のことに気づいた」と言う。

自分の心の内をさらけ出すことが
どれだけ怖いことで、恥ずかしいことで、勇気を必要とすることか。

誰しもが逃げたくて、いや実際逃げて、逃げて、逃げまくって
その果てに逃げ切れなくてハロー話し方教室の門を
どれだけ多くの人が今まで叩いたか。

その話し方教室に通っても、やっぱり本心を語れず、
最後まで笑顔を見せぬまま
自分を保身したまま
教室を去って行った人も正直なところたくさんいらっしゃった。

でもPさんあなたは違った。
あなたは怖さも、恥も解った上でなおも
勇気を奮いそして
自分自身をも許したのだ。

自分を許すというのは決して
自分を甘やかすことでもなく
ましてや保身に回ることでもない。

あなたが真夏の多摩川で
まだ日の高いうちから、一人川原で
ただひたすら皆の楽しみのために
ゴザを敷いて待っていた。

その行為こそ美しく、
自分を許している他ならないのである。

ひとつ間違えたら
熱射病になりかねない
命にもかかわるようなこと
誰が好き好んでやるもんですか。

人のためにこのくそ暑い中ばかばかしい。
金積まれても俺はやだねって言う人間がこの世には
ごまんといます(かくいう私も偉そうなこと言っていても
いざとなったらその口デス。ハイ)

でもあなたはそのばかばかしい
人のために奔走する場に
自ら進んで、身を置く自分を許しているのです。

だからあなたの人生がより豊かで楽しいものになり
あなたの掛声一つであっという間に20名もの人が
河川敷まで集まってきたのです。

花火がただ見たいだけならこれだけの人は集まらないと
私ははっきり断言します。

「単に好きでやっているだけです」
あなたは笑顔できっとそうこたえるんでしょうね。

コミュニケーションが苦手な人が
ハロー話し方教室にはたくさんいます。

どうしたらコミュニケーション達人?になれるか
私共が百万回話して伝えるよりも
あなたは行動で示してくださった
それこそが答えであると私は思います。

私はあなたのコンテストのお話ではなく
(Pさん、ごめんなさい)
なにげなくお話ししてくれた
花火大会でのゴザ係り?のお話に
涙がこぼれそうでした。

準優勝おめでとう。
あなたは取るにふさわしい人でした。

自分を許すことは、同時に他人を許すこと。
それは他人を信じることに繋がる。

信じることは同時に愛すること。
愛とは何も男女の恋愛をさすばかりではない。

隣人を愛する。親兄弟を愛する。
職場の人間を愛する。
友人を愛する。

その愛の大切さを涙ながらに語ってくださった
こちらも再受講組のKさんが優勝された。

まずもっておめでとう。

「来るべき時に来てくださったのね」
帰り際、声をかけた私の胸であなたは
「ありがとうございました」
と言って泣き崩れた。

その涙は、これまで耐えてきた
胸のつかえを洗い流す涙だった。

「辛かったわね。でもよくがんばったわね」
私は泣きじゃくるあなたの背中をなでながら
あなたがここからまた
新たに明るく歩き出せる人だと
確信した。

そうだ。話し方の神様?がここで行けと
まさに命じた?としか思えない絶妙なタイミングで
あなたは再受講したとしか
私は思わずにいられないほどだった。

仕事先で主任と衝突。
よくある話だ。
しかし、職場の人間関係がこじれるほど
働く者にとってこれほど辛く
やっかいなことはない。
ましてKさんのようにベテランになれば
なおさらだ。

たいていの人間はここで主任の悪口を言って
自分を正当化させる。
そして「触らぬ神にたたりなし」とばかり
やっぱりここでも「ほうほうのてい」で
話し方同様、逃げるのがおちである。
(またまた私も偉そうなこと言っていて同類)

でもKさんは違った。
「ベテランという傲慢な気持ちが自分にある」
だから主任と衝突するのだ。
そしてKさんは続けてこう言った。
「主任から学んでいこう」と決めたと。

職場を円滑にし、なおもあなた自身を心豊かにする
人間愛の大切さにあなたは気がついた。

そしてKさんのなお凄いとこ。
家庭においては、
「主人にありがとうございます」
感謝の気持ちを伝えようと言葉に出すことも
自分自身と約束したこと。

自分自身と約束することがいかに難しいか

ましてやご主人に言葉に出して伝えるなんぞ
結婚17年目の私は、
それこそ「穴があったら入りたい」心境だった。

それこそ普段、合同授業で偉そうなこと言っているが
「主人なんかないがしろ」
ひとり東京の自宅に置き去り?にして
実家で母の面倒を見始めて
はや一年近く。

それでも文句ひとつ言わないどころか
「お母さんの世話をするあなたは本当に偉い」とまで言ってくれる。

親の世話は当たり前だと思っている私にとって
それは気恥ずかしくなるほどの褒め言葉だ。

その言葉をかけてくれる主人に私は
どれだけのことをしているのだろうか?

Kさんあなたは夫婦の愛についても
教えてくれたのだ。

そして再三言わせていただくが、
よくぞ辛い時期に通ってくださった。

たいがいの人間はここで逃げるのよ。
職場で辛かったらなおのこと。

渋谷の酒場に逃げ込まず
よくぞ渋谷の話し方教室に駆け込んでくれたものだと
私は心から感謝の気持ちで一杯になった。

あなたは自分で自分を救う術を話し方教室で
学んでくださった。

Kさんあなたは素晴らしい人だ。
だから私はあなたの
泣きじゃくる背中をさすった。

あなたの涙は出発の涙だ。歓喜の涙だ。
ともに喜び合えたことに私は感謝したい。
ありがとう。そしてほんとうにおめでとう。

スピーチコンテストに参加してくださった
全ての人が何らかの自分の変化を感じ取ってくださった。

「あがりが楽しくなった」Oさん。

「最近感じた事を考えるうち自分の考え方がわかった」Sさん。
12回休まず通ってくださってありがとう。

「新しい自分との出会い」ができたと言うYさん。

「話し方には気持ちが大事]と思えるようになったHさん。
横浜から、電動車椅子で上野の合同授業さえ一度もお休みすることなく
通ってくださったばかりか、最終授業では、再びトライし始めたフルート演奏を
皆の前で披露してくださった。
あなたの姿に励まされたのは、きっと私だけではないはず。
ありがとう。

横浜の模擬結婚披露宴でお婿さん役をしてくださったYさん。
模擬結婚披露宴を行った晩は「眠れないほどの感動だった」
「行動力は、人間力だ」気付いてくださってありがとう。

「人前で恥をかくことを、自分には耐えられない」そんな自分が
「恥を恐れなくなった」あっぱれMさん。

青梅から通ってくださったOさん。
あなたも話し方を学んでみて
「自分が変わった」とおっしゃってくださった。

みなさん「変わった自分」を感じてくださって
本当にありがとう。

話し方教室で私どもが目指す最終目的は
まさにそこなのです。

感じてくだされば、
気づいてさえくだされば
それであなたの人生は、
次のステップに進むことができるのです。

この次のステップに進み、新たな
扉を開いた方をご紹介し
今日のお話を終えたいと思います。

それはハロー話し方教室で
学んでくださった卒業生のKさんが
このたび9月5日に
めでたく御結婚されました。

「人のために何かすることがこんなにも素晴らしく
感動することだとは気がつきませんでした。
人のために何かするということは自分の為なのですね」

あなたが話し方教室で学び、
気づき、私どもにかつて
プレゼントしてくださった素晴らしい言葉を
披露宴のお席でご紹介させていただきました。

Kさん、おめでとう。
花嫁姿のあなたは本当にお綺麗でした。

それはあなたの心の美しさそのままでした。
どうぞ末永くお幸せに。

どうぞ皆様もお体を大切になさって
新たな扉を臆せず、自らの手で開いていってください。

それが私どもハロー話し方教室の願いであり
それを祈願いたしまして
今日のお話を終えたいと存じます。

本日もお付き合いいただき
ありがとうございました。

ごきげんよう。

 

挨拶はコミュニケーションの入り口

8月もお盆を過ぎ、ここ横浜でも朝晩ずいぶん
ひんやりする日が続くようになった。

今年の夏は例年に比べ、夏が短かったような気がする。
短かったが、やけに騒々しい夏だったと感じる。

あちこちで記録的な豪雨にみまわれ、多くの方が亡くなった。
中でも心が痛んだのは
避難の最中に、濁流にのまれ
一家全員が犠牲になられた家族のお話。

田んぼの中で見つかった、
父と息子の遺体は
固く紐で結ばれていたという。

親の愛情の強さをひしひしと感じ
涙がこぼれた。
これぞ親だと思った。
天国でも離れないよう安らかに。
心よりご冥福を祈りたい。

騒々しさをさらに掻き立てたのが
蒼いうさぎならぬ「白いうさぎ事件」。

息子になんと申し開きするのだろうか?
夫婦揃って覚せい剤に手を出すとは。

両親が警察につかまり、今この男の子は
毎日どんな思いで暮しているのだろうか?
私は子供が不憫でならない。

あれは私がまだ幼稚園にも通っていなかった頃のお話。
実家には小さな池があり、
中には金魚が数匹泳いでいた。

その日妹と二人で金魚を眺めていた。
とその時だった。何を思ったか?
(あとで聞くと、「金魚さんと遊ぼうと思ったの」)

妹が突然、池の中に飛び込んだ。

浅い池だったが、当時、妹はまだ2歳にもならない。
バシャっという音とともに池の中で転んだ。
「お父ちゃん大変。裕美ちゃんが池に落ちた」

「裕美子」大声と共に父は脱兎のごとく
池に向い、妹をすくい上げた。

それはほんの数分間の出来事だったが、
生涯忘れられない映像として
私の心に焼きつくこととなった。

そして同時に私たちは父に愛されている
守られているという大きな安心感となって
心に刻まれることにもなった。

その後、父にどんなに厳しく叱られようとも
父の教えとして捉えることができたのも
この時の出来事が大きく私たち姉妹の
心を占めているからではないかと
年をとるほど思うようになった。

母も同様だった。
あれは私がまだ幼稚園に通っていた頃。
自宅の庭で遊んでいた私は転んで太ももをすりむいた。

仕事から帰ってきた母は、何を思ったのだろうか?
夕飯を食べ終えると、私を背におぶい外へ出た。

暗い山道を歩き、山のてっぺんでただ黙って
眼下に広がる夜景を眺めていた。

母の背中越しに見た横浜の夜景は美しかった。
しかしその背中がやけに寂しく感じられて
私は街明かりをじっと見つめていた。

少し大きくなってから、母にその時の事を聞いた。
「お母さん私をおぶって夜景を見たことあったよね。
あれ何だったの?」
母は申し訳なさそうに答えた。

「私がもし働かないで家に居たら、
こんな怪我させずにすんだかもしれないって
思ったらあんたに済まなくてさ。どうにも辛くて
山へ行っちゃたんだよ」

母の気持ちが痛かった。
痛かったが、なんせその頃は反抗期真っただ中。
(ごめん母ちゃん)

「居たって怪我するときは怪我するんだから
そんなこと思わなくていいよ」

でもあの時、気持ちをはぐらかせず、
正直に私に語ってくれたことが
今、私の心の中にまちがいなく
引き継がれたことをあなたに伝えたい。

心が強いということは
自分の言葉を持つということかもしれない。

逆もしかり。

自分の言葉を持つということは
心を相手に伝えたいという気持ちになり、
その気持ちが人生を生きぬいてゆく力を
育んでいくのかもしれない。

どうでもいいと思えば
気持も湧かないし
身も入らず
言葉もぞんざいになり
行動だっておのずと伴わない。

先日の甲子園ではその気持ちの強さをみせてもらった。

新型インフルエンザに選手が次々罹って
控えの選手なしの13人で戦った
島根県代表の高校球児。

結果は負けてしまったが
「こんなことで気持ちは負けたくなかった」
「皆と戦いたかった。だから絶対勝ち残りたいと思った」

他者に対して思いやりを忘れない
素直で正直な言葉は
たとえ短い言葉でも
聞く者の心に届くという
話し方の基本を
彼らに教えてもらった。

コミュニケーションとは心のともなった言葉のやり取り。
心がともなうとはすなわち情け(じょう)がある言葉。

情のある言葉で思い出すのが、あの村だ。

あの村をはじめて訪ねたのは30年近く前。
若かった母と今は亡き叔母と3人で
尾瀬の山歩きに行った際に
立ち寄らせてもらったのが最初だった。

以後結婚してから主人と3回訪れている。
まだ話し方を勉強する前だった。

でもいま改めて思うと、あの村を訪ねたのは
他人とのふれあいが今まで旅したどの地よりも
濃かったからではないかと
その濃密さが私たちを
かの地へと何度も誘ったからではないかと
思うからだ。

あの村とは福島県南会津郡桧枝岐(ひのえまた)村。

尾瀬の福島県側の玄関口にあたるその村は
周りを山また山に囲まれた
自然豊かな村だ。

村のどこが私たちを惹きつけたのか?

とにかく村を歩いていると
村中の人が声をかけてくるのである。
朝は登校中の子供たちからも
「おはようございます」と声をかけられ
夕べに歩けば「おばんです」(こんばんは)
もう先手の挨拶されまくり。

細長い小さな村で人口も少ないせいもあるが
観光で成り立っている村ということもあるのだろうが
とにかく素朴な優しさがあふれている。

これはわたしの勝手な思い込みで、
推測の域を出ていないのであるが
何度か訪ねて気がついたのだが
とにもかくにも亡くなった人への
思いやりがあふれた村なのである。

少なくてもせいぜい親の墓参りぐらいしかしない
私なんか笑われそうだ。

山が迫っているので、お墓やお地蔵さんが
家や道端に寄り添って立っている
という地理的条件もあるのだろうが、
それだけではないと思う。

全国津々浦々回ったわけでもないし、
他にこのような地域が全国には
まだまだたくさんあるのかもしれない。

しかし私が旅した秘境といわれる地域や
山間部の似たような村でさえ、これだけ村民ぐるみで
よそから来た者に徹底的と言えるほど
「先手に挨拶された」村は他に記憶がないので
ぜひともご紹介したいと思い、ここに記すことにした。

お盆の晩、家々を出るとまず村のシンボル?ともいえる
お地蔵さんに向い、手を合わせる。

お盆だけではない。
ここはいつ行っても花が絶えないので
いかに村人から大切にされているのかがわかる。

その昔、飢饉があったりすると作物が全く手に入らず
たちまち飢えに苦しみ人々は餓死した。
そこで今では考えられないが、「ひとべらし」と言って
幼いわが子を親が自らの手で葬るという
悲しい過去がかつてこの日本にもあった。

このお地蔵さんは六地蔵といってそんな
悲しい過去をすべて背負っている
お地蔵さんだ。

人々は常に見守ってくれているお地蔵さんを
今でも大切に思い感謝の気持ちをこめて手を合わせる。

その後、村の戦没者が祀られている
お堂にお参りをし、線香をたむけ
人々は深い祈りをささげるのである。

泊まった民宿も夕食を早々に済ませると
一家総出で、家を出る。
(私たちも同行させていただいた)

聞けば、戦没者の慰霊堂へのお参りも
自分の親族とは直接関係がなくても
同じ村に住んでいれば
それは親族と同じだからお参りするのだという
答えだった。

村全体が一つの家族いう考えは
都会で暮らす私にとって新鮮だった。

子供が親や年寄りと共に
小さな手を合せる姿は
まことに清らかで敬虔な姿である。

日がとっぷりと暮れた山間の村は
深く静かな人々の祈りの炎が揺らめき、
やがてやぐらの組まれた
小、中学校の校庭に三々五々集う。

かがり火がたかれ、
夜風がスーッと冷たくなる頃
賑やかだけれどどこか物悲しいお囃子が流れてくる。

やがて踊りの輪が2重、3重となり村人たちは
老いも若きも混ざり合って
ただひたすら、同じ踊りを何時間も踊り続ける。
(もちろん私も踊らせていただいた)

太鼓や鉦だけではなく
お囃子を皆が口々にするので
賑やかさが増してくる。

誰に見せるでもなく、
観光化された踊りとは全く無縁な
ささやかな盆踊り。
でも、この優しさはなんなのだろうか?

そうだ。よそよそしさがないのだ。

亡くなった人々を純粋に
盆の晩にまたあの世へと
見送るという盆踊り本来の意味が
この村ではまことしなやかに脈々と受け継がれていると
感じる踊りだからだ。

踊りとは本来祈りの行為なのかもしれない。

あの村の人々は日々深い祈りが
日常のありとあらゆる場面で
その体と心にぴったりと合致して
暮らしているのではないだろうか。

もしかすると挨拶も祈りに
通じているのかもしれない。

だから見知らぬ旅人に対しても
なんのてらいもなく
先手の挨拶ができるのではないだろうか?

「こんな山奥の村によくおいでくださり
ありがとうございます。
たいしたもてなしはできませんが、
どうぞゆっくりしていってください」

そんな気持ちがあるからこそ
誰もが自然にあの行動に移せるのだ。

最後に訪ねたのはもう10年ぐらい前だろうか?
今でもあの村は変わっていないだろうか?

いや変わっていてほしくない。
都会人の我ままと言われるかも知れないが
切なる願いだ。

村人のあたたかい笑顔は
亡くなった祖母にどこか似ていた。

コスモスが揺れ、
トンボが群れなして飛んでいた。

あの朝、ヘルメットをかぶって自転車にまたがり
一列になって挨拶してくれた
子供たちは大人になっても
挨拶を元気にしているだろうか?

ランドセル背負ってぴょこんとお辞儀をしてくれた
子どもたちはもう成人になって
村からでてしまっただろうか?
見知らぬ土地でも挨拶を
忘れずにしてくれているだろうか?

あの時の気持ちを
忘れないでほしいと心から願う。

祈りと感謝の念から挨拶があり
コミュニケーションが情のつながりで
あるならば、私たちの暮らしははなんて繋がりの無い
分刻みで埋め尽くされた生活なんだろう
と深く反省させられる。

秋の虫が昨晩あたりからここ横浜でも鳴き出した。
もう桧枝岐村はさわやかな初秋の風が吹き抜けているだろう。

またいつの日か訪ねてみたいと思うが
親の介護で日々の外出もままならぬ身であるがゆえ
旅をするのは夢のまた夢。

でもすべて覚悟の上でのことなので
なんら苦痛にはなっていない。

それよりも若い方が、近頃旅をしないという
話をよく聞くのだが、そちらのほうが気にかかる。

本当ですか?
本当ならもったいない話だ。
ぜひとも私の代わりに?旅をしていただきたい。

旅は心を自由にしてくれる。
解放してくれる。
時には癒すばかりか救ってさえくれる。

コミュニケーションが苦手なあなた。
よかったら桧枝岐村を訪ねてほしい。
今でも先手の挨拶がされている村かどうか
私の代わりに検証してきてほしい。

もし先手で挨拶されたら
臆せずあなたも大きな声で
挨拶してほしい。

なぜならコミュニケーションの入り口は
挨拶からだから。

できれば先手の挨拶はあなたから仕掛けてほしい。
きっとあの村なら自然に挨拶したくなる。
なぜなら懐深い村だから。

そして山懐に抱かれて心休めてきてほしい。

清らかな水の流れを聞きながら
河原の露天風呂で山にかかる月なんか
時間を忘れてのんびり眺めてきてほしい。

本物の闇の深さに対峙し、
朝の冷気に、生きている実感をかみしめてきてほしい。

インフルエンザがいよいよ本格的に
なってきたとのニュース。

日々健康で暮らせる幸せを
これからも噛みしめてゆきたいものである。

どうぞ皆様方くれぐれも
お体を大切になさってくださいませね。

今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。
それでは 
ごきげんよう。

8月もお盆を過ぎ、ここ横浜でも朝晩ずいぶん
ひんやりする日が続くようになった。

今年の夏は例年に比べ、夏が短かったような気がする。
短かったが、やけに騒々しい夏だったと感じる。

あちこちで記録的な豪雨にみまわれ、多くの方が亡くなった。
中でも心が痛んだのは
避難の最中に、濁流にのまれ
一家全員が犠牲になられた家族のお話。

田んぼの中で見つかった、
父と息子の遺体は
固く紐で結ばれていたという。

親の愛情の強さをひしひしと感じ
涙がこぼれた。
これぞ親だと思った。
天国でも離れないよう安らかに。
心よりご冥福を祈りたい。

騒々しさをさらに掻き立てたのが
蒼いうさぎならぬ「白いうさぎ事件」。

息子になんと申し開きするのだろうか?
夫婦揃って覚せい剤に手を出すとは。

両親が警察につかまり、今この男の子は
毎日どんな思いで暮しているのだろうか?
私は子供が不憫でならない。

あれは私がまだ幼稚園にも通っていなかった頃のお話。
実家には小さな池があり、
中には金魚が数匹泳いでいた。

その日妹と二人で金魚を眺めていた。
とその時だった。何を思ったか?
(あとで聞くと、「金魚さんと遊ぼうと思ったの」)

妹が突然、池の中に飛び込んだ。

浅い池だったが、当時、妹はまだ2歳にもならない。
バシャっという音とともに池の中で転んだ。
「お父ちゃん大変。裕美ちゃんが池に落ちた」

「裕美子」大声と共に父は脱兎のごとく
池に向い、妹をすくい上げた。

それはほんの数分間の出来事だったが、
生涯忘れられない映像として
私の心に焼きつくこととなった。

そして同時に私たちは父に愛されている
守られているという大きな安心感となって
心に刻まれることにもなった。

その後、父にどんなに厳しく叱られようとも
父の教えとして捉えることができたのも
この時の出来事が大きく私たち姉妹の
心を占めているからではないかと
年をとるほど思うようになった。

母も同様だった。
あれは私がまだ幼稚園に通っていた頃。
自宅の庭で遊んでいた私は転んで太ももをすりむいた。

仕事から帰ってきた母は、何を思ったのだろうか?
夕飯を食べ終えると、私を背におぶい外へ出た。

暗い山道を歩き、山のてっぺんでただ黙って
眼下に広がる夜景を眺めていた。

母の背中越しに見た横浜の夜景は美しかった。
しかしその背中がやけに寂しく感じられて
私は街明かりをじっと見つめていた。

少し大きくなってから、母にその時の事を聞いた。
「お母さん私をおぶって夜景を見たことあったよね。
あれ何だったの?」
母は申し訳なさそうに答えた。

「私がもし働かないで家に居たら、
こんな怪我させずにすんだかもしれないって
思ったらあんたに済まなくてさ。どうにも辛くて
山へ行っちゃたんだよ」

母の気持ちが痛かった。
痛かったが、なんせその頃は反抗期真っただ中。
(ごめん母ちゃん)

「居たって怪我するときは怪我するんだから
そんなこと思わなくていいよ」

でもあの時、気持ちをはぐらかせず、
正直に私に語ってくれたことが
今、私の心の中にまちがいなく
引き継がれたことをあなたに伝えたい。

心が強いということは
自分の言葉を持つということかもしれない。

逆もしかり。

自分の言葉を持つということは
心を相手に伝えたいという気持ちになり、
その気持ちが人生を生きぬいてゆく力を
育んでいくのかもしれない。

どうでもいいと思えば
気持も湧かないし
身も入らず
言葉もぞんざいになり
行動だっておのずと伴わない。

先日の甲子園ではその気持ちの強さをみせてもらった。

新型インフルエンザに選手が次々罹って
控えの選手なしの13人で戦った
島根県代表の高校球児。

結果は負けてしまったが
「こんなことで気持ちは負けたくなかった」
「皆と戦いたかった。だから絶対勝ち残りたいと思った」

他者に対して思いやりを忘れない
素直で正直な言葉は
たとえ短い言葉でも
聞く者の心に届くという
話し方の基本を
彼らに教えてもらった。

コミュニケーションとは心のともなった言葉のやり取り。
心がともなうとはすなわち情け(じょう)がある言葉。

情のある言葉で思い出すのが、あの村だ。

あの村をはじめて訪ねたのは30年近く前。
若かった母と今は亡き叔母と3人で
尾瀬の山歩きに行った際に
立ち寄らせてもらったのが最初だった。

以後結婚してから主人と3回訪れている。
まだ話し方を勉強する前だった。

でもいま改めて思うと、あの村を訪ねたのは
他人とのふれあいが今まで旅したどの地よりも
濃かったからではないかと
その濃密さが私たちを
かの地へと何度も誘ったからではないかと
思うからだ。

あの村とは福島県南会津郡桧枝岐(ひのえまた)村。

尾瀬の福島県側の玄関口にあたるその村は
周りを山また山に囲まれた
自然豊かな村だ。

村のどこが私たちを惹きつけたのか?

とにかく村を歩いていると
村中の人が声をかけてくるのである。
朝は登校中の子供たちからも
「おはようございます」と声をかけられ
夕べに歩けば「おばんです」(こんばんは)
もう先手の挨拶されまくり。

細長い小さな村で人口も少ないせいもあるが
観光で成り立っている村ということもあるのだろうが
とにかく素朴な優しさがあふれている。

これはわたしの勝手な思い込みで、
推測の域を出ていないのであるが
何度か訪ねて気がついたのだが
とにもかくにも亡くなった人への
思いやりがあふれた村なのである。

少なくてもせいぜい親の墓参りぐらいしかしない
私なんか笑われそうだ。

山が迫っているので、お墓やお地蔵さんが
家や道端に寄り添って立っている
という地理的条件もあるのだろうが、
それだけではないと思う。

全国津々浦々回ったわけでもないし、
他にこのような地域が全国には
まだまだたくさんあるのかもしれない。

しかし私が旅した秘境といわれる地域や
山間部の似たような村でさえ、これだけ村民ぐるみで
よそから来た者に徹底的と言えるほど
「先手に挨拶された」村は他に記憶がないので
ぜひともご紹介したいと思い、ここに記すことにした。

お盆の晩、家々を出るとまず村のシンボル?ともいえる
お地蔵さんに向い、手を合わせる。

お盆だけではない。
ここはいつ行っても花が絶えないので
いかに村人から大切にされているのかがわかる。

その昔、飢饉があったりすると作物が全く手に入らず
たちまち飢えに苦しみ人々は餓死した。
そこで今では考えられないが、「ひとべらし」と言って
幼いわが子を親が自らの手で葬るという
悲しい過去がかつてこの日本にもあった。

このお地蔵さんは六地蔵といってそんな
悲しい過去をすべて背負っている
お地蔵さんだ。

人々は常に見守ってくれているお地蔵さんを
今でも大切に思い感謝の気持ちをこめて手を合わせる。

その後、村の戦没者が祀られている
お堂にお参りをし、線香をたむけ
人々は深い祈りをささげるのである。

泊まった民宿も夕食を早々に済ませると
一家総出で、家を出る。
(私たちも同行させていただいた)

聞けば、戦没者の慰霊堂へのお参りも
自分の親族とは直接関係がなくても
同じ村に住んでいれば
それは親族と同じだからお参りするのだという
答えだった。

村全体が一つの家族いう考えは
都会で暮らす私にとって新鮮だった。

子供が親や年寄りと共に
小さな手を合せる姿は
まことに清らかで敬虔な姿である。

日がとっぷりと暮れた山間の村は
深く静かな人々の祈りの炎が揺らめき、
やがてやぐらの組まれた
小、中学校の校庭に三々五々集う。

かがり火がたかれ、
夜風がスーッと冷たくなる頃
賑やかだけれどどこか物悲しいお囃子が流れてくる。

やがて踊りの輪が2重、3重となり村人たちは
老いも若きも混ざり合って
ただひたすら、同じ踊りを何時間も踊り続ける。
(もちろん私も踊らせていただいた)

太鼓や鉦だけではなく
お囃子を皆が口々にするので
賑やかさが増してくる。

誰に見せるでもなく、
観光化された踊りとは全く無縁な
ささやかな盆踊り。
でも、この優しさはなんなのだろうか?

そうだ。よそよそしさがないのだ。

亡くなった人々を純粋に
盆の晩にまたあの世へと
見送るという盆踊り本来の意味が
この村ではまことしなやかに脈々と受け継がれていると
感じる踊りだからだ。

踊りとは本来祈りの行為なのかもしれない。

あの村の人々は日々深い祈りが
日常のありとあらゆる場面で
その体と心にぴったりと合致して
暮らしているのではないだろうか。

もしかすると挨拶も祈りに
通じているのかもしれない。

だから見知らぬ旅人に対しても
なんのてらいもなく
先手の挨拶ができるのではないだろうか?

「こんな山奥の村によくおいでくださり
ありがとうございます。
たいしたもてなしはできませんが、
どうぞゆっくりしていってください」

そんな気持ちがあるからこそ
誰もが自然にあの行動に移せるのだ。

最後に訪ねたのはもう10年ぐらい前だろうか?
今でもあの村は変わっていないだろうか?

いや変わっていてほしくない。
都会人の我ままと言われるかも知れないが
切なる願いだ。

村人のあたたかい笑顔は
亡くなった祖母にどこか似ていた。

コスモスが揺れ、
トンボが群れなして飛んでいた。

あの朝、ヘルメットをかぶって自転車にまたがり
一列になって挨拶してくれた
子供たちは大人になっても
挨拶を元気にしているだろうか?

ランドセル背負ってぴょこんとお辞儀をしてくれた
子どもたちはもう成人になって
村からでてしまっただろうか?
見知らぬ土地でも挨拶を
忘れずにしてくれているだろうか?

あの時の気持ちを
忘れないでほしいと心から願う。

祈りと感謝の念から挨拶があり
コミュニケーションが情のつながりで
あるならば、私たちの暮らしははなんて繋がりの無い
分刻みで埋め尽くされた生活なんだろう
と深く反省させられる。

秋の虫が昨晩あたりからここ横浜でも鳴き出した。
もう桧枝岐村はさわやかな初秋の風が吹き抜けているだろう。

またいつの日か訪ねてみたいと思うが
親の介護で日々の外出もままならぬ身であるがゆえ
旅をするのは夢のまた夢。

でもすべて覚悟の上でのことなので
なんら苦痛にはなっていない。

それよりも若い方が、近頃旅をしないという
話をよく聞くのだが、そちらのほうが気にかかる。

本当ですか?
本当ならもったいない話だ。
ぜひとも私の代わりに?旅をしていただきたい。

旅は心を自由にしてくれる。
解放してくれる。
時には癒すばかりか救ってさえくれる。

コミュニケーションが苦手なあなた。
よかったら桧枝岐村を訪ねてほしい。
今でも先手の挨拶がされている村かどうか
私の代わりに検証してきてほしい。

もし先手で挨拶されたら
臆せずあなたも大きな声で
挨拶してほしい。

なぜならコミュニケーションの入り口は
挨拶からだから。

できれば先手の挨拶はあなたから仕掛けてほしい。
きっとあの村なら自然に挨拶したくなる。
なぜなら懐深い村だから。

そして山懐に抱かれて心休めてきてほしい。

清らかな水の流れを聞きながら
河原の露天風呂で山にかかる月なんか
時間を忘れてのんびり眺めてきてほしい。

本物の闇の深さに対峙し、
朝の冷気に、生きている実感をかみしめてきてほしい。

インフルエンザがいよいよ本格的に
なってきたとのニュース。

日々健康で暮らせる幸せを
これからも噛みしめてゆきたいものである。

どうぞ皆様方くれぐれも
お体を大切になさってくださいませね。

今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。
それでは 
ごきげんよう。

8月もお盆を過ぎ、ここ横浜でも朝晩ずいぶん
ひんやりする日が続くようになった。

今年の夏は例年に比べ、夏が短かったような気がする。
短かったが、やけに騒々しい夏だったと感じる。

あちこちで記録的な豪雨にみまわれ、多くの方が亡くなった。
中でも心が痛んだのは
避難の最中に、濁流にのまれ
一家全員が犠牲になられた家族のお話。

田んぼの中で見つかった、
父と息子の遺体は
固く紐で結ばれていたという。

親の愛情の強さをひしひしと感じ
涙がこぼれた。
これぞ親だと思った。
天国でも離れないよう安らかに。
心よりご冥福を祈りたい。

騒々しさをさらに掻き立てたのが
蒼いうさぎならぬ「白いうさぎ事件」。

息子になんと申し開きするのだろうか?
夫婦揃って覚せい剤に手を出すとは。

両親が警察につかまり、今この男の子は
毎日どんな思いで暮しているのだろうか?
私は子供が不憫でならない。

あれは私がまだ幼稚園にも通っていなかった頃のお話。
実家には小さな池があり、
中には金魚が数匹泳いでいた。

その日妹と二人で金魚を眺めていた。
とその時だった。何を思ったか?
(あとで聞くと、「金魚さんと遊ぼうと思ったの」)

妹が突然、池の中に飛び込んだ。

浅い池だったが、当時、妹はまだ2歳にもならない。
バシャっという音とともに池の中で転んだ。
「お父ちゃん大変。裕美ちゃんが池に落ちた」

「裕美子」大声と共に父は脱兎のごとく
池に向い、妹をすくい上げた。

それはほんの数分間の出来事だったが、
生涯忘れられない映像として
私の心に焼きつくこととなった。

そして同時に私たちは父に愛されている
守られているという大きな安心感となって
心に刻まれることにもなった。

その後、父にどんなに厳しく叱られようとも
父の教えとして捉えることができたのも
この時の出来事が大きく私たち姉妹の
心を占めているからではないかと
年をとるほど思うようになった。

母も同様だった。
あれは私がまだ幼稚園に通っていた頃。
自宅の庭で遊んでいた私は転んで太ももをすりむいた。

仕事から帰ってきた母は、何を思ったのだろうか?
夕飯を食べ終えると、私を背におぶい外へ出た。

暗い山道を歩き、山のてっぺんでただ黙って
眼下に広がる夜景を眺めていた。

母の背中越しに見た横浜の夜景は美しかった。
しかしその背中がやけに寂しく感じられて
私は街明かりをじっと見つめていた。

少し大きくなってから、母にその時の事を聞いた。
「お母さん私をおぶって夜景を見たことあったよね。
あれ何だったの?」
母は申し訳なさそうに答えた。

「私がもし働かないで家に居たら、
こんな怪我させずにすんだかもしれないって
思ったらあんたに済まなくてさ。どうにも辛くて
山へ行っちゃたんだよ」

母の気持ちが痛かった。
痛かったが、なんせその頃は反抗期真っただ中。
(ごめん母ちゃん)

「居たって怪我するときは怪我するんだから
そんなこと思わなくていいよ」

でもあの時、気持ちをはぐらかせず、
正直に私に語ってくれたことが
今、私の心の中にまちがいなく
引き継がれたことをあなたに伝えたい。

心が強いということは
自分の言葉を持つということかもしれない。

逆もしかり。

自分の言葉を持つということは
心を相手に伝えたいという気持ちになり、
その気持ちが人生を生きぬいてゆく力を
育んでいくのかもしれない。

どうでもいいと思えば
気持も湧かないし
身も入らず
言葉もぞんざいになり
行動だっておのずと伴わない。

先日の甲子園ではその気持ちの強さをみせてもらった。

新型インフルエンザに選手が次々罹って
控えの選手なしの13人で戦った
島根県代表の高校球児。

結果は負けてしまったが
「こんなことで気持ちは負けたくなかった」
「皆と戦いたかった。だから絶対勝ち残りたいと思った」

他者に対して思いやりを忘れない
素直で正直な言葉は
たとえ短い言葉でも
聞く者の心に届くという
話し方の基本を
彼らに教えてもらった。

コミュニケーションとは心のともなった言葉のやり取り。
心がともなうとはすなわち情け(じょう)がある言葉。

情のある言葉で思い出すのが、あの村だ。

あの村をはじめて訪ねたのは30年近く前。
若かった母と今は亡き叔母と3人で
尾瀬の山歩きに行った際に
立ち寄らせてもらったのが最初だった。

以後結婚してから主人と3回訪れている。
まだ話し方を勉強する前だった。

でもいま改めて思うと、あの村を訪ねたのは
他人とのふれあいが今まで旅したどの地よりも
濃かったからではないかと
その濃密さが私たちを
かの地へと何度も誘ったからではないかと
思うからだ。

あの村とは福島県南会津郡桧枝岐(ひのえまた)村。

尾瀬の福島県側の玄関口にあたるその村は
周りを山また山に囲まれた
自然豊かな村だ。

村のどこが私たちを惹きつけたのか?

とにかく村を歩いていると
村中の人が声をかけてくるのである。
朝は登校中の子供たちからも
「おはようございます」と声をかけられ
夕べに歩けば「おばんです」(こんばんは)
もう先手の挨拶されまくり。

細長い小さな村で人口も少ないせいもあるが
観光で成り立っている村ということもあるのだろうが
とにかく素朴な優しさがあふれている。

これはわたしの勝手な思い込みで、
推測の域を出ていないのであるが
何度か訪ねて気がついたのだが
とにもかくにも亡くなった人への
思いやりがあふれた村なのである。

少なくてもせいぜい親の墓参りぐらいしかしない
私なんか笑われそうだ。

山が迫っているので、お墓やお地蔵さんが
家や道端に寄り添って立っている
という地理的条件もあるのだろうが、
それだけではないと思う。

全国津々浦々回ったわけでもないし、
他にこのような地域が全国には
まだまだたくさんあるのかもしれない。

しかし私が旅した秘境といわれる地域や
山間部の似たような村でさえ、これだけ村民ぐるみで
よそから来た者に徹底的と言えるほど
「先手に挨拶された」村は他に記憶がないので
ぜひともご紹介したいと思い、ここに記すことにした。

お盆の晩、家々を出るとまず村のシンボル?ともいえる
お地蔵さんに向い、手を合わせる。

お盆だけではない。
ここはいつ行っても花が絶えないので
いかに村人から大切にされているのかがわかる。

その昔、飢饉があったりすると作物が全く手に入らず
たちまち飢えに苦しみ人々は餓死した。
そこで今では考えられないが、「ひとべらし」と言って
幼いわが子を親が自らの手で葬るという
悲しい過去がかつてこの日本にもあった。

このお地蔵さんは六地蔵といってそんな
悲しい過去をすべて背負っている
お地蔵さんだ。

人々は常に見守ってくれているお地蔵さんを
今でも大切に思い感謝の気持ちをこめて手を合わせる。

その後、村の戦没者が祀られている
お堂にお参りをし、線香をたむけ
人々は深い祈りをささげるのである。

泊まった民宿も夕食を早々に済ませると
一家総出で、家を出る。
(私たちも同行させていただいた)

聞けば、戦没者の慰霊堂へのお参りも
自分の親族とは直接関係がなくても
同じ村に住んでいれば
それは親族と同じだからお参りするのだという
答えだった。

村全体が一つの家族いう考えは
都会で暮らす私にとって新鮮だった。

子供が親や年寄りと共に
小さな手を合せる姿は
まことに清らかで敬虔な姿である。

日がとっぷりと暮れた山間の村は
深く静かな人々の祈りの炎が揺らめき、
やがてやぐらの組まれた
小、中学校の校庭に三々五々集う。

かがり火がたかれ、
夜風がスーッと冷たくなる頃
賑やかだけれどどこか物悲しいお囃子が流れてくる。

やがて踊りの輪が2重、3重となり村人たちは
老いも若きも混ざり合って
ただひたすら、同じ踊りを何時間も踊り続ける。
(もちろん私も踊らせていただいた)

太鼓や鉦だけではなく
お囃子を皆が口々にするので
賑やかさが増してくる。

誰に見せるでもなく、
観光化された踊りとは全く無縁な
ささやかな盆踊り。
でも、この優しさはなんなのだろうか?

そうだ。よそよそしさがないのだ。

亡くなった人々を純粋に
盆の晩にまたあの世へと
見送るという盆踊り本来の意味が
この村ではまことしなやかに脈々と受け継がれていると
感じる踊りだからだ。

踊りとは本来祈りの行為なのかもしれない。

あの村の人々は日々深い祈りが
日常のありとあらゆる場面で
その体と心にぴったりと合致して
暮らしているのではないだろうか。

もしかすると挨拶も祈りに
通じているのかもしれない。

だから見知らぬ旅人に対しても
なんのてらいもなく
先手の挨拶ができるのではないだろうか?

「こんな山奥の村によくおいでくださり
ありがとうございます。
たいしたもてなしはできませんが、
どうぞゆっくりしていってください」

そんな気持ちがあるからこそ
誰もが自然にあの行動に移せるのだ。

最後に訪ねたのはもう10年ぐらい前だろうか?
今でもあの村は変わっていないだろうか?

いや変わっていてほしくない。
都会人の我ままと言われるかも知れないが
切なる願いだ。

村人のあたたかい笑顔は
亡くなった祖母にどこか似ていた。

コスモスが揺れ、
トンボが群れなして飛んでいた。

あの朝、ヘルメットをかぶって自転車にまたがり
一列になって挨拶してくれた
子供たちは大人になっても
挨拶を元気にしているだろうか?

ランドセル背負ってぴょこんとお辞儀をしてくれた
子どもたちはもう成人になって
村からでてしまっただろうか?
見知らぬ土地でも挨拶を
忘れずにしてくれているだろうか?

あの時の気持ちを
忘れないでほしいと心から願う。

祈りと感謝の念から挨拶があり
コミュニケーションが情のつながりで
あるならば、私たちの暮らしははなんて繋がりの無い
分刻みで埋め尽くされた生活なんだろう
と深く反省させられる。

秋の虫が昨晩あたりからここ横浜でも鳴き出した。
もう桧枝岐村はさわやかな初秋の風が吹き抜けているだろう。

またいつの日か訪ねてみたいと思うが
親の介護で日々の外出もままならぬ身であるがゆえ
旅をするのは夢のまた夢。

でもすべて覚悟の上でのことなので
なんら苦痛にはなっていない。

それよりも若い方が、近頃旅をしないという
話をよく聞くのだが、そちらのほうが気にかかる。

本当ですか?
本当ならもったいない話だ。
ぜひとも私の代わりに?旅をしていただきたい。

旅は心を自由にしてくれる。
解放してくれる。
時には癒すばかりか救ってさえくれる。

コミュニケーションが苦手なあなた。
よかったら桧枝岐村を訪ねてほしい。
今でも先手の挨拶がされている村かどうか
私の代わりに検証してきてほしい。

もし先手で挨拶されたら
臆せずあなたも大きな声で
挨拶してほしい。

なぜならコミュニケーションの入り口は
挨拶からだから。

できれば先手の挨拶はあなたから仕掛けてほしい。
きっとあの村なら自然に挨拶したくなる。
なぜなら懐深い村だから。

そして山懐に抱かれて心休めてきてほしい。

清らかな水の流れを聞きながら
河原の露天風呂で山にかかる月なんか
時間を忘れてのんびり眺めてきてほしい。

本物の闇の深さに対峙し、
朝の冷気に、生きている実感をかみしめてきてほしい。

インフルエンザがいよいよ本格的に
なってきたとのニュース。

日々健康で暮らせる幸せを
これからも噛みしめてゆきたいものである。

どうぞ皆様方くれぐれも
お体を大切になさってくださいませね。

今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。
それでは 
ごきげんよう。


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話し方で行動力?~人に使って勇気を

あーあ。なんてこったい。

またしてもやってしまった。
ワードに打ったブログの文章がきれいさっぱり消えてしまった。
これで何回めだろうか?
ブログの文章ほぼ100パーセント近く出来上がっていたのに。
クックックッ。あとは専用ページに貼り付けるばっかりだったのに。
もう泣きたい。あの熱さの中(もうほんと暑いを通り越して熱いだった)
丸一日掛けて作成したのに。
ああッ。ショック。寝込みたい気分。

でもそれじゃあ、ハロー話し方教室の精神に反するのよね。

「ツイテてる。ツイてる。文章が消えたくらいでなんだ」
「ツイてる。ツイてる。30度の熱さなんか砂漠よりましだ」
「ツイてる。ツイてる。きっと「もっといい文章が書ける」って
文章の神様?が消してくれたんだから
神様を「うーん」って唸らせる文章を書けってことなのよ」

で気を取り直して、再びこうして打ち直しているのだけど、
なんせ下書きなんてもんは、一切ないから
やっぱり私は神様じゃなくてただの人間で
それも先生なんて名前ばっかりで
ふだんはご近所のどこにでもいる
介護おばさん?だから
ほんと、正直しんど。

「ツイてる」も楽じゃないわね。
話し方教室に通う皆さんのご苦労が芯から染みる
ちょっと切ない真夏の午後です。

暑いと言えば、合同授業の行われた
7月26日もほんと暑かったぁ。

上野へ向かう途中、山手線の中から
新橋駅にある温度計が見えた。
見た途端クラーッ。

「しまった。見なきゃよかった」
後悔したって後の祭り。
だって表示が36度。

「先生、こんな暑いんじゃ、ダレて生徒さん
どなたもお見えにならないんじゃないですか?」
そこでまた後悔。

「あなたのような根性なしはハロー話し方教室には誰もいない」
けんもほろろ。軽く一蹴されましたデス。ハイ。

ヨレヨレで上野文化会館に着いたら
ほんと先生のおっしゃる通り。
総勢30名近くの生徒さんが
汗を拭き拭き、次から次へ教室に入ってくる。

しゃきしゃき、ぱきぱきしていて
昨夜作ったカレーに入れたグリーンアスパラのよう。
ゆですぎて、のびきったそばのような人は
やはり私ぐらい。

「こんにちは」「おひさしぶりです」
明るい笑顔と先手の挨拶が飛び出し、
会場は熱気に包まれてゆく。

やがて始まった「最近感じたこと」という課題スピーチや、
一分のリレースピーチ。短い話しながら
感性がきらりと光るスピーチが話されて
会場はますますヒートアップ。

外の暑さに負けない「熱いスピーチ」が一度にたくさん
聞けるのもこの合同授業の大きな魅力の一つだ。

卒業生が行うスピーチコンテストの発表前に行われる
一般受講生による3分課題スピーチも
前回同様、ぐっと胸迫るものがいくつかあった。

「挫折」という題からして
挫折しそうな課題によくぞあれだけの
自身に関する赤裸な体験を躊躇せず
語って下さったとまずもって
お礼を述べたい。

やはり体験談は強し。
しかもふりかかった挫折をもろともせず、
自らそれこそツイてる精神で突き進み
次なるツイてるに向かってアクションを起こし
本物のツイてるを手にした人の
「挫折」スピーチは明るい。
笑いあり涙ありで
ハンカチで汗ならぬ涙を
何度も拭わせていただいた。

感動の涙はいいもんだとしみじみ思う。
ヨレヨレのおばさんの心にじわーっと沁み込んで
もやしのようにシャキッとさせてくれるばかりか、
お肌のしわまでアイロンを掛けたシャツのように
ピーンと伸ばしてくれそうになるから不思議だ。

でも当然と、言うべき私のしわは
今さらピーンとは無理。
変わりにピーンと張り詰めた空気が漂うのが
いよいよ合同授業のハイライトである
スピーチコンテスト。

まずはM君。優勝おめでとう。
やはりと言うべきか、話し方教室に通って
感じた素直な気持ちを
それも正直に語ってくれたあなたのお人柄が
導いた結果があの優勝だった。

ハロー話し方教室に入会した際先生から
「まずは3ヶ月間だまされたと思ってやって御覧」と言われた。

「かぎカッコ」は本人の言葉をそのまま引用。以下同様。

「3ヶ月だまされてみよう」
スピーチとは「個性を出すか」「生き方を出すか」
「普段の自分を表せるならそれでいい」

ありがとう。だまされてくれて。
あの日だまされてみようと思ってくださった
あなたのその素直さにまずもって拍手。

だまされた結果、あなたが得たものこそ
ハロー話し方教室の真髄である
場数を踏むだけでは得られない生き方まで
あなたは前向きなハートでキャッチしてくださった。
よくぞだまされてくださった。
ほんとうにありがとう。

ここに亡くなった私の父や、祖母や、恩師から聞いた
言葉のいくつかを紹介しますね。

「お前は頭が悪いのではない。聴く耳を持っていないのだ」
中学時代。夏休み前日、私の成績表を見て
嘆いた父の一言。
お父さん、ようやくあなたの言った
聴く耳の意味が解かるようになりました。
習い事や学問は先生の教えをまっさらな気持ちで
素直な心で、すなわち心を持って聴きなさいということだったのですね。

「減らず口言ってるうちは身につかず。
百萬ベン、舞うた(舞った)者だけ言ってよし」
幼い頃、習い事をいやいややって、
なんだかんだ母に文句をたれた私に向かって
飛んできた祖母のキツーイ一言。

はからずも師と呼ぶ人の教えには逆らわず、
口を慎み、百万回やるぐらいに気持ちで
習い事を身につけなさいという
戒めだったんだね。婆ちゃん。

高い月謝払って習わせてくれた母ちゃんや、
生まれたばかりの子供寝かしつけて教えてくれたピアノの先生に
はむかった幼い自分が恥ずかしくて、情けないよ。

ピアノ教室一ヶ月で挫折したこの私が
今、先生と呼ばれています。婆ちゃんあの世で
「陽子、何お前は偉そうな事、ほざいてんだぁ。あと百萬ベンスピーチしたら言え」
(婆ちゃんは福島県の人だったので、ここは東北弁でお読みください)
苦笑してるだろうな。きっと。

「師を尊びて己が師と成る」
師の教えに対する疑問も反論も
尊敬の念から出たものなら
いずれはあなたの生き方の指針になるが
単に不満や自己を甘やかす反論は
なんらあなたを成長させない。

高校時代、自分を甘やかしていた私が
学校生活の不満を恩師にぶつけたときに返ってきた言葉。
このエピソードはいずれお話いたします。

「前に進む」あなたは自分でつけたその主題どおり
まっすぐまっとうな道を歩んでいける人です。
これからの人生、紆余曲折も自らの力で
前に進めていってください
幸多きこと祈ります。

準優勝。この方もやはりと言うべきか。
模擬披露宴を行うにあたって
裏方で奮闘してくださったSさんが手にした。

Sさんには申し訳ないが理路整然と美辞麗句を並べたスピーチが
心を打つものではないと言うことを図らずも教えてくれた。
それまでのあなたの学びの姿勢が人々の心を打ったのだ。

あなたは模擬披露宴を行うまでの自身の心の軌跡を
予定どおり進まぬ葛藤を仲間の誰一人として責めることなく
その責任が己の心にあるがごとく
M君同様、素直に正直に語って下さった。
この素直さや正直さが勝利のかぎとなった。

「悩みは悩む人の心の中にある」
先生の言葉をこちらも信じて下さりありがとう。

「最後までやる」「人から逃げない」
あの模擬披露宴の成功裏にはこんな目標をたてて
他人の為に動いてくれた人がいてくれたからだったのか。
私は改めてあの神奈川県民センターで行われた
模擬披露宴を思い出していた。

口ばかり達者で、なんら実行に移せない
まして他人の為に動くなんぞ
骨折り損のくたびれもうけと
公言してはばからない者が、多いこの世の中で
自分の心の中で自分との約束を見事果たし
しかも「気持ちを変えてくれた仲間」という主題でのぞみ
最後に皆に「ありがとうございました」と
深ぶか頭をさげたあなたに私は心からの拍手を送りたい。
ほんとうにおめでとう。

Kさん「自分の言葉を持つ」「自分のリズムを持つ」
「私の話し方」という主題でのぞんで下さったあなたも
スピーチは単に立て板にみずのごとく話せればよい
というそんな単純なものではないという大切なことに
気づいて下さった。ありがとう。
落ち着いた話っぷりと、打ち解けやすいお人柄は
あなたの魅力です。
どうぞこれからも大切になさってください。

「二つの気づき」 Wさん
前回の合同授業であがってしまい
「話し方をなめていた自分」に気づいたWさん。
Wさん。これでよかったのよ。
あがったことは、ツイてたのよ。
だって大事な事にあなた、気づかれたじゃない。

「奢ったら自分に活を入れてください」
お望み通り、ガンガン活を入れてさしあげます。
又、ハロー話し方教室に遊びに?いらしてくださいね。

「元気づける」というタイトルで
病院でのリハビリ訓練士としての
実習体験中、患者さんとのコミュニケーションの
大切さを痛切に感じ、話し方に通ってくれたM君。
解かるなあ。職種は違うけれど、私も結婚前
病院で栄養士だったからね。
患者さんとコミュニケーション取れないと
治る病気も治らないんだよね。 

ここで大学時代、教授から
(慶応病院の元栄養士さん)聴いた尊いお話を。
「患者さんには、心に寄り添ってあげてね。
患者さんが悲しがったら一緒に悲しみ、
嬉しがったら一緒に喜んであげて。
だって患者さんの患の字。
心に串が刺さってるって書くでしょ。
その串を抜いてあげるのが、病院に勤める全ての者の役目」

「スピーチと言う会話」という主題で臨んだIさん。
ここにもいらした。自分自身と約束を交わされた方が
「毎週通う」出来そうでなかなか出来ないんだな。これが。
暑さで蕎麦だかゴムだかわからないが
すぐ延び切っちゃう私からしたらそれこそ尊い約束。
「話が好きになった」
Iさん。それは何故だか解かりますか?
自分との約束を成し遂げたから。あなたはきっと
今自分が好きになっているはず。

最後に卒業スピーチをしてくださったSさん。
「小さくても大きな自分の中の変化」と題してお話してくださった。

「きっとうまくいくよ」「絶対だいじょうぶ」
ご自分は受け入れられなかったというSさん。

ごめんね。Sさん私にとってある意味衝撃だった。
スピコンから一週間たった今でもこの言葉が抜けない。
でもほんとうによかったと心から思う。

だって私はあなたに答えを出してあげられないんだもの。
いや、人生の答えは苦しむその人自身が
自ら苦しんで出すしかない。

でもあなたは「きっとという言葉が好きになった」
ちっとも小さくなんかないよ。
「大きくて、大きなあなたの中の変化」だよ。

好きの次は行動よ。
なぜなら「きっと」「絶対」は自分の心にかける
プラスの強い願い。
その「願い」は行動力の源。

「行動力。人の為に使って自分の勇気につながりました」
ハロー話し方教室の「伝説の卒業生」Kさんの言葉をここに記して
今日の私の話を終わりにしたいと存じます。

暑い中、又お忙しい中、長々お付き合いくださいまして
まことにありがとうございました。
どうぞ、お体を大切になさって下さい。ごきげんよう。

えぐれるようなスピーチを「話のツボは心の裏にあり?」

「人前で話すとあがってしまい、話が上手く出来ず困っています」
「コミュニケーションが上手く取れず、人間関係で悩んでいます」
話し方教室に通う人の理由は人さまざまであるが
分類すると大方この二通り。

ではどうしたらよいか?先生が尋ねられると
様々な答えが返ってきます。
場数を踏む。とにかく前に出てスピーチしてみる。
自分の心を前向きに持ってゆく。
もちろん、それも全て当っている。

でも残念な事に、皆さん大事なことが
スッポリ抜け落ちていませんか?
それも基本中の基本が。

ズバリ「しっかりスピーチ作ってみようよ」

教室では毎回3分スピーチを課題として出し
一週間考えてくるようになっている。

あるときは思い出をひねりだす、生みの苦しみを?味わっていただき
又ある時は実際に実践していただいた結果発表など
実に多種多彩な宿題?に果敢に挑戦していただく
バラエティ豊かな?(ちょっと意地悪?な)内容となっている。

一週間かけて考え、「主題をきちんとつけた」原稿を作り上げ、
ご自分で時間を計り、授業前にきっちり練習をして,
「これで良し」と臨まれた方は正直申し上げて
皆無ではないかと思うのだが、いかがなものだろうか?

厳しいことを申しあげるが、やはり「基本」を「忠実に守る」
これに尽きるのではないだろうか?

私も当初はたかが3分スピーチと高をくくっていた。
なんせ普段は介護老人を抱えた主婦稼業。

スピーチを作る時間なんてどこにあるのよ?
そんな時間あるなら他にしなきゃいけないことが
山ほどあるの。

正直先生に噛み付きたい様な気持ちだった。
(実際、授業を受けた方なら
「ウンウンそうだ」とうなずかれるはず)

今でこそ実家で介護できる身になったが
授業に生徒として参加した頃は
東京の家から横浜の実家に通いながら
授業と介護と家事とそれこそ目が回りそうな忙しさだった。

食事の支度、洗濯,掃除、後片付けはもとより
お風呂には入れなくちゃならない、
トイレに付き添い,パンツの上げ下げを手伝い
時には粗相したお尻の後始末も待ち構えて?いる。

体が二つどころか三つ欲しいと真剣に?思いながらの
その時期に、この三分スピーチを作るのは
ほんと至難の業だったわよ。

先ずは出題された課題から主題が作れない、どころか
何を話していいか解らない。
頭の中から思い出を引っ張り出す作業から。

ところが40過ぎあたりからボケが始まったか?
それとも忌まわしい?過去を封じ込めてしまったのか?
なんせ生きてきた年数が長すぎて出ないったらありゃしない。

そこで私は考えた。
題して「アルバム大作戦」
昔のアルバムを引っ張り出して
ついでに?錆びた?頭から思い出を引っ張りして
様々な出来事を否が応でも
見つめ直そうというところから始まった。

子供時代のエピソード。青春時代の苦い思い出。
独身時代の職場での苦労話。友人達との葛藤。

「些細な出来事もあなたしか体験していない出来事なら
それは立派なエピソードになる」
先生のその言葉に励まされ?
スピーチを作った。

それは心の中の小さな思い出のかけらを
ピンセットで摘み上げるような作業から始まった。

突き刺さったかけらもあれば、とがったままの破片もあった。
いつのまにか丸くなったガラスもあれば
光り輝く石になった物もあった。
曇りガラスもあれば
透き通ってさまざまな色をつけてくれたものもあった。

「臭いものには蓋」ではないが
時にはとうの昔に涙の底に葬ったような思い出さえ
再び手繰り寄せ、その苦さを噛み締めながらも
懐かしんだり、慈しんだりしながら
それこそ「思い出の温め直し」という作業を行った。

振り返り、気持ちを整理し,見つめ直すと
そこに当時はまったくと言っていいほど
気付かなかった事に気が付いたのは
私にとって大きな発見だった。

思い出が苦ければ苦いほど
そこに甘さが加わってほろ苦さになり
いや、ほろ苦さではなく
涙の味も加わってしょっぱいはずなのに
いや,青春時代なら
さらに酸っぱさも混ざっているはずなのに
なぜだか程よい味加減。

もし味で表すならば「ほろ甘さ?」になっていた。

こんな発見?もあった。
自分中心のエピソードのはずなのに
そこには必ずと、言っていいほど「他の誰か」が介入していた。

親だったり、兄弟だったり、友達だったり,学校の先生だったり
時にはまったくの見ず知らずの他人だったりもした。

思い出を彩って、膨らませてくれ、寄り添ってくれていたのは
他ならぬ「自分以外の人」だったというのは
新たなる発見でもあった。

スピーチをしながらそれらの人々に
自然に感謝の念が湧いてきたのは
自分でも意外なほど驚きだった。

「今ならありがとうと照れることなくお礼が言えるのになぁ」
と正直、心から思った。
(ただ残念なのはほとんどの人が故人だったり
二度とお目にかかることのない人だったりするのが悔しい)

こんな「心模様」を感じながら
手始めは話す内容の要点だけを考えて短くメモを用意。
ところがほんと甘かった。

同じようなフレーズを繰り返す、それも二度,三度。
話があっちこっちに飛んでいる。

話をしながら自分の頭の中では
なかなか修正することが出来ない。

ようやくつけたはずの主題から内容が外れてしまったり、
あれもこれも話したいで、内容がバラバラだったり、薄れたり。

だめだ。こんなことじゃいつまでたってもだめだ。
「やっぱり原稿だ」
ところが原稿を作る時間を捻出するのに一苦労。

ハタと考えた。
そうだ自宅の家事は手を抜こう。
(なんでこうなるの?いいの。
これしかないって思ったほうが勝ち?なんだから)

取り込んだ洗濯が山積み(見て見ぬふり)
ようやく洗ったシャツに
「アイロンかけて」と頼まれてからありゃ三日たっている。
(これもしっかり?無視)
ゴミは主人が率先して?捨ててくれたのでなんとか溜めずにセーフ。
「埃で死なない」と強気な?いい訳?をして
こちらも数日掃除機をかけずじまい。

ただし食事は手抜きなし。
なんせ私は食いしん坊がこうじて栄養士になったぐらいの
筋金入り。
「上手いもん食わずして死ねるか」
他の家事一切手抜きしても
これだけは手抜きできない悲しい性?

手抜き出来ないけど野菜をたくさん食べたい。
でもこの忙しい時に、大根や人参、ジャガイモなんか
皮をむいている時間だって正直惜しい。

しかし、野菜が不足すると体がイライラして、
旦那様に当り散らしちゃうし
挙句の果て素晴らしき?スピーチなんか
夢の又夢で終わってしまうのは
目に見えている。

それじゃあどうするか。そうだ。鍋料理だ。
鍋料理なら、火にかけている間は
スピーチを考えられるじゃん。

てな訳で、カレー、シチューは言うに及ばず、
おでん,鍋物と手を変え品を変え、(そこはさすが?元栄養士)
「だてに13年やってきてないもんね」と
この時とばかり、我が腕を振るい
まんまと旦那様をだまくらかし?
温かい料理をささっと用意いたしましたわよん。

お玉とペンを交互に持ちながら
料理も?スピーチも?がんばったわよん。

自慢は、いやがんばりはこれだけじゃ終わらない。
ある時はトイレの中で、またある時は真夜中の湯船の中で。

もっと凄かったのは家と実家を往復する京浜急行の
電車の中。それも立ったまま。

ドアにもたれて紙を広げ、
ペンを走らせたのは二度や三度ではなかった。
座席に座っても居眠りどころではなかった。
チャンスとばかり、思いつくまま書き殴った。

よほど必死だったのか?
形相まで変わっていたのかも。
ある時なんぞ、隣に腰掛けられた
ご婦人から声をかけられた事もあった。

「奥さん、お勉強熱心な方ですね。
先ほどから感心して見ておりました」

(うんっまあっ、お勉強なんて。
そんな偉いもんじゃないのよね。
学生時代、これだけ必死で勉強してたら
もうちっとは?マシな人間になってたかも?)

ふーっ
自慢したくてしょうがなかったけど
すっきりした。

えーっ自慢したかっただけなの?
そりゃそうよ。
なんせ三分スピーチの原稿
10ヶ月間で70枚ぐらい作ったんだもの。

それも先生に何回も「やり直し」の
ありがたき?お言葉を頂戴し、
一番作り直したスピーチ
(いわゆるハロー話し方教室で言うリベンジスピーチ)
で4回って言うのが輝かしい?記録として
燦然と残っておりますデス。ハイ

「陽子さん,話したい事1つに絞って」

「陽子さん、映画の一場面が浮かんでくるように作り直して」

「陽子さん、ストーリーは説明でなく、
もっとその時の会話を多用して、臨場感を出して」

「陽子さん、あなたの話はカッコつけすぎ。
もっとドロドロした感情があったでしょ。
きれいな話だけじゃ、誰の心にも訴えないよ」

「陽子さん、あなたの気持ちがちっとも語られていないよ。
そんな話、誰が聞いても面白くないよ。
他人を感動させたいなら、あなたの心をもっと正直に
包み隠さず語らないと」

いやはや、なんて注文の多い料理店(宮沢賢治の作品名)ならぬ
注文の多い話し方教室。

「これでいいか」なんて中途半端だと、出鼻をくじかれ、
「これで完璧」だと浮かれていると見事、鼻をへし折られた。

大勢の人々の前で赤っ恥をかき?ながらも
それでも私はめげなかった。

「いつか先生を唸らせるスピーチを作ってやる」
こうなったらもうほとんど女の意地か
はたまたおばちゃんの開き直りか
作って作って作りまくった。というか作り倒した。

作り倒したはずだったが逆に最後まで先生には
「唸らせるスピーチより僕の心をえぐるような話を持ってきて」
であっさりと言うかばっさり
「切り倒されまくられました」デス。ハイ。

切り倒されましたので
結果、話し方の上達は今もってまったく解りませんが
自分で「やった」という気持ちは間違いなくあります。

この「やった」という気持ちが話の上手下手はともかく
今の私の自信に繋がっているということだけは
はっきり言えるのです。

だからこうして図々しく?皆さんに私の体験を語ることが出来るのです。
うーん、これこそ先生のおっしゃる「体験談は強し」
恐るべし体験談。

どうですか?この陽子さんのスピーチ作成にまつわる体験談。
苦しんで?作った様子が目に浮かぶでしょ?

でもやっぱり先生に言われそう。
「ダメ。陽子さん、あなたの話はあっちこっち飛び過ぎ。
第一、自慢しすぎ。これじゃあ誰も感動なんかするどころか
あきれかえられちゃうのがオチだよ」

あーあ。でもまっいいか。
この開き直りと図々しさを手に入れたんだから。
これこそ正に「体験は強し」だわ。

この次はあなたがこの話し方教室で
この恐るべきじゃなかった素晴らしき体験を
体感してあなただけの(先生の心をえぐる?)
体験談を語って下さいませね。

「陽子さん、エピソードはえぐられるのに、
美辞麗句ばかりで、せっかくの涙が半分しか出ないよ」

「陽子さん、ありふれた日常の一こまだけど
あなたの心の裏も語られていて心にググッと迫るね」

これは実際、私が先生からいただいた
めずらしき?お褒めのお言葉?です。

とどめに「心をえぐるような話を持ってきて」
作るのではなく、持ってくる。

どうやらこの辺に話のツボと言うか本質、
真髄が隠されているのでは?と心密かに
一人悦に浸っている私でありますが
先生いかがでございましょうか?

暑くなったり、戻り梅雨になったりと
体調を崩しやすい時です。
どうぞ皆様お体には十分お気をつけて

それでは又
ごきげんよう。今日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

心の目で相手を見よう~光を観る話し方~

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。

先生いわく「話し方は生き方ダー」~相手を丸ごと受け入れろ~

実家の裏に住む、H子さんは中学生のとき
リュウマチになった。
以後50年近い年月を病気と共に生きている。

ご両親も既に他界され、彼女は今一人暮らしだ。
ほぼ毎日,ヘルパーさんが訪ねてくる。
でも、彼女はとても明るい。
ご近所の人が入れ替わり立ち代り
彼女の家を訪れては一時おしゃべりを楽しんでゆく。
にぎやかな笑い声がいつも風に乗って聞こえてくる。
そんな時,私はなぜか嬉しい気持ちになる。

私も頂きものなどがあると
「おすそ分けー」と言って時々訪ねる。
「H子さーん」「陽子ちゃん?勝手に上がってぇ」と
奥の台所から声がかかる。
「お邪魔しまーす」それこそ勝手に上がりこみ
ヘルパーさんが入れてくれるお茶を
すすりながら、お互いの近況報告。

「りんごもらったから、少しおすそ分けね」
「ありがとう。いつも悪いわね」
「いいの。それより調子はどう?」
「もう、庭に出られなくなってね。
今はベットと台所を車いすで往復するだけなの。
ところでお母さんはどう?」

「うちは、ほとんど寝たきり。
でもなんとかトイレに行ってくれるからありがたいの」
「さすが陽子ちゃんのお母さんだね。
トイレに行けるなんてたいしたもんじゃない。
私なんか自分の足でトイレに行くのが夢だもの。
でもトイレに行けなくても私は幸せだなって思うのよ。
お蔭さんでこうして話しができるんだもの」

「話しが出来るって最高だよね。うちなんか話しができないもの。
あんなにおしゃべりが大好きだったのにさ」
「こうして、お茶が飲めて、食事だってヘルパーさんが作ってくれるんだもの。
ありがたいなっていつも思うのよ」
「あたしも、肺病やってるからわかるなぁ。
いかに生きてるだけで、ありがたいかって入院したときしみじみ思ったもんね」

「そうでしょう。でもお母さんだって幸せだよ。
こうして毎日、陽子ちゃんに面倒みてもらってさ」
「親孝行のものまねよぉ」
「それでいいのよ」
「まあね。がんばらなくちゃね」
「そうよ。お互い元気でがんばろうね」
「じゃあね」「またね」

ほんのお茶一杯飲むほどの短い時間だが
毎回私はH子さんから大切なことを教えてもらって帰ってくる。

私に大切なことを教えてくれる人は
実家のご近所にまだまだたくさんいる。

近所のKさんもその一人。
Kさんは今年85歳。
母の50年来の友人でもある。

こちらもまた連日、ヘルパーさんが訪れる。
子供さんはもう永い事、異国暮らし。
寝たきりになった御主人を20年以上自宅で看病していた。
暖かい日はご主人の車椅子を押す
Kさんの姿をよく見かけたものだった。

「仲いいね」私がからかうと
「口は達者でね。しょっちゅう喧嘩してるよ」
「ああ。うるさくってしょうがねぇ」
「こっちの台詞だよ」
なんて顔出しに行くたびに
ベットサイドでやりとりしていたっけなぁ。

「していたっけなぁ」そう今はもう過去形になってしまった。
何故なら昨夏、ご主人が亡くなってしまったから。

でもKさんの前では、ご主人は生きていることになっている。
それもご近所ぐるみで。

亡くなってすぐにご近所連絡網?ならぬ
歩く連絡網?ご近所おばさんが歩いて回ってくれたので
お陰で?素早い口裏あわせと相成った。

なぜに口裏あわせ?
そうなのです。
Kさんはご主人が亡くなったことを理解できないから。

「こんにちは。元気ィ?今日は良いお天気ね」
「元気だよ。お母さん、だいじょうぶ?」
「うん。ありがとう。元気だよ。今、昼寝してる」
「ああ、よかった。うちもお父さん千葉の病院でがんばってるよ」
「ほんと。よかった。いつ行ったの?」
「えーと?いつだったかなぁ?でも又会いにいくんだ」
「おじさんによろしく言ってね」
「オーケー」

Kさんもいつも明るい。
明るいだけに心が悲しくなる。
悲しくなるけど、口裏あわせをしている
ご近所の温かなまなざしと心くばりが
私の心をポっと温めてくれる。

私の父が亡くなったとき、「悔しい」と言って号泣してくれたKさん。
「俺の方が先だと思ってたのに」ベットに横たわりながら
ハラハラ涙をこぼしてくれたKさんのご主人。

H子さんは豪華なお花を贈ってくれた。
「おじさんは会うたびにいつも
がんばれって励ましてくれたの。
「うちの母ちゃんが作ったおかずだ。食べな」って言って
いつも持ってきてくれたんだよ。
陽子ちゃんのお父さんとお母さんには、ほんと世話になったの」

父が亡くなって6年。
今でも涙ぐみながら私の父を懐かしがってくれる。

Hさん、Kさん、そして口裏あわせの上手い?ご近所の皆々様。
なんて私の心をこんなに潤してくれるんだろうか?
それでいてなんて爽やかで、サラっとしているんだろうか?

みんなみんな隠すことなく、さらけだして
みんなみんな自分のことのように受け止めて
みんなみんな良いも悪いも丸ごと全部受け入れて

だからこんなに心の深い所で
疼いて、痛くて、悲しくて
でもこんなに温かくて、優しくて、嬉しくて

さらけだして、受け止めて、
全て受け入れる。
これは話し方も同じではないだろうか?

自分の心を、相手の言葉を
さらけだして、受け止めて
全て受け入れる。

そうでないと本当の信頼関係など生まれてこないのではないだろうか?

自分という人間を向上させたいと真に願うなら、
まずは話しを聞く姿勢,態度から改めてみよう。

ふんぞり返って人の話しを聞いていないだろうか?
足や腕組をして人の話しを聞いていないだろうか?
自分自身でチェックしてみよう。

癖なら今からだって十分直す事ができる。
人に注意されて恥をかく前に自分自身で考え、改める力を持とう。

心の姿勢も曲がってはいないだろうか?

自分の意見ばかり全面に押し出しすぎていないだろうか?
ええかっこしすぎてないだろうか?

相手の意見をはなっから否定して聞いてはいないだろうか?
「いや,違う」「そんなの解ってる」「そんな事言ったって」
話しを聞きながら、心の中で、
自分自身とこっそりとそんな「会話」をしていないだろうか?

いや、自分自身でさえ否定してはいないだろうか?
「どうせ、俺なんか」「「どうせ私は」
どこかでお臍を曲げてしまってはいないだろうか?

教室での先生の話ししかり。
仲間のスピーチしかり。
懇親会しかり。
職場や家庭、ご近所、友人、親、兄弟。すべてしかり。
すべてさらけだして、受け止めて、受け入れる。

本来ならそこから
自分の意見を作りあげる,練り上げる作業を
あせって、先回りして、空回りして
自分を「ドツボ」にはめ込んで、
挙句に人生まで追い込んでしまってはいないだろうか?

あーん難しいよー。逃げたいし、
ズルしたいし、さぼりたいよーん。
でもそれは人間を辞めろってことだもんねぇ。
生きる事を辞めろって事と同義語でしょ?

だから話し方は生き方なのかも。

先生がいつも口酸っぱくして言ってるもんね。
(と言うか口から火が噴いてるような感じ)
「話し方は生き方ダーッ」(ヒョエーッ)

この難しくて、でも素敵な難題に取り組んでこそ
話し方教室に首を突っ込んでしまった私に課せられた宿命?
(なんだかおおげさになってきたぞ)
そして教室に通ってしまった皆さんにかけられた魔法?なのかも?

中には、この話し方の魔力?に魅せられというか
スッポリはまってしまい、あがり症で
「人前から逃げたい」と言っていた方が
「スッポットライトをあびたい」と嬉しい言葉に
変わった例をまざまざ目の当たりにすると

「ほんとどうなってんの?同一人物かい?」
と思ったのも正直嘘じゃないし、
ほんとそういう人、居るんだから世の中わからないし、
これだから「世の中おもしろい」って思う。

これだから「人間っておもしろい」ってがんばれちゃうのかも。

取り組んだのが運のつき?
通ってしまったのが運のつき?と
お互いあきらめて?
どうせなら魔法とあきらめて?
かけられましょう。かけましょう。
それがハロー話し方教室のいいところ?

でもさ、ここまで書いてハタと思ったけど
結婚生活も同じだね。
何が同じかって言うと
相手の言い分というか、
気持ちを受け入れてあげないと
大喧嘩になっちゃうもんね。

今年の6月13日で(ああーっ、覚えてた。
旦那様、貴方は?覚えていらっしゃる?)
17年目になるけど、しみじみ思うワッ。

そりゃぁ,言い分も山ほどあるけど
そこはぐっと堪えて,始めは一応うんうん聞いていると言うか
聞いている振りと言うか、してあげて?
(正確には「聞いてあげている」?)

そこから反撃?にかかっても「遅くないか」と
この頃は思うようになってきた。
(もっともこの頃は年取って,反撃するパワーも無くなった
と言うのが正解かも?)

それは決して人間ができてきたわけじゃなくて
「言い返すにゃ、打ち負かすにゃ、
相手の出方も、トコトン聞いてやんなきゃ
こっちが負けるぞ。こりゃマズい」
と言う思いやり?が備わってきたってだけなんだけど。

でも同時に、永い事?ドンパチ?やった結果?相手の意見?の中に
「ああそうだな。怒るのももっともだな」って
しおらしく?気が付いたのも事実。

(あとしゃくだけれど敵もさるもの。
「ぬぬっ。御主なかなか良い事言うではないか」と
カッカしながらも、妙に納得させられちゃうトコもあったりするわけョ)

ああ、そう思うと旦那様は
私に大事な事、教えて下さった訳よね。

こりゃ大事にしないといけないわよね。

この間パンを焼いたら「美味い、美味い」って
「小倉トースト」やら、「はちみつバター」ベッタリ塗って
厚切り2枚もかぶりついてたもんね。
カリカリ香ばしく焼けた耳までかぶりついてたもんね。

喜んでくれてありがとう。嬉しかったぁ。

あたしゃ、旦那様の気持ちまで
丸ごと受け入れると言うよりも
かぶりつくとするかぁ。

でもそりゃやっぱり難しい?ので、
「またいつか仲良く?ドンパチやりましょう」
と17年目の結婚記念日を前に
はっきり宣言しておきますデス。はい。
お覚悟あそばせ。よろしくネ。

「でもまたパンは焼いてあげるね」って事で
今日のお話は終わりにいたします。

どうぞ皆様、話し方の魔法にかかっても
新型インフルエンザなどにはくれぐれも
かからぬよう,手洗いうがいを怠らぬ様
お互い十分気をつけましょうね。

それではお体を大切に。
ごきげんよう。

話し方教室で「楽より苦をとれ」?~職業は生きている事~

こんにちは
ゴールデンウィークも今日はいよいよ最終日。
皆さん、どのようにお過ごしになられましたでしょうか?
遊びつかれた方にとって、今日の雨は
体を休めるのにはうってつけでしょう。
どうぞ緑の雨の静けさに身を休め
明日への活力を養って下さいませね。

私は4日の日に主人と二人で、
横浜市で最高峰の山(といっても標高158メートル)
大丸山に登って参りました。
お陰様でお天気にも恵まれ
心地よい汗をかくことができました。

ゴールデンウィークということもあり
大勢の方がハイキングを楽しんでいらっしゃいました。
低山とはいいながらも、ひさしぶりに歩くと
「やっぱり山はいいな」と思いました。

「こんにちは」「お先にどうぞ」「ありがとうございます」
「こんにちは」「いいお天気ですね」
「ここから富士山が見えるんですよ」「今日は見えなくて残念ですね」
「いい景色ですね」「ほんと、いい景色ですね」
「あちらが八景島、その向こうが横須賀。ほら三浦半島もよく見えますよ」
これらはすべて、あの日私が見知らぬ方々と交わした会話。

途中の山道で交わした「こんにちは」の挨拶に至っては
数え切れないほど。
笑顔で返してくださる方。
先手の挨拶をしてくださる方。
小さなお子さんは皆、
可愛い笑顔を振りまいて手をふってくれたなぁ。

少なくてもぶっきらぼうな挨拶や、
ましてや無視なんていうのは
まったくと言っていいほどなかった。
細い山道だからね、譲り合いの気持ちも生まれるし、
「お互いがんばりましょうね」と言う気持ちの交換が
あの「こんにちは」の言葉に含まれているんだよね。

人にあまり会わない平日の2千メートル級の高い夏山に
過去、何度か登った経験があるけれど
さらにこの気持ちが顕著に表れるんだよね。

草木も無く日差しが背中にガンガンあたる山道もあれば
やたら「熊注意」の看板が出ていて
入山するのにためらうような山道もある。

岩がゴロゴロしている足を踏み外したら「ハイ、それまでヨ」
のような引き返したい気分になる鎖場や
這って歩きたくなるような、それこそ風がひと吹きしたら
まっさかさまに谷底に転げ落ちそうな
心まで細くなりそうな尾根道もある。
 
何度もくじけそうになり
前に進むのをためらいながらも
暑さと疲労で参りそうな体を助けてくれるのは
喉を潤してくれる清水の清らかさでもあるけれど
額を流れ落ちる汗にあたる一陣の風の心地よさでもあるけれど
それより何よりもたまに出会う人の
優しさや暖かい言葉かけだ。

「だいじょうぶですか?」
「もう少しで山頂ですよ」
「がんばりましょう」
「お気をつけて」
何度この言葉に勇気をもらっただろうか。

狭い山小屋にでも泊まろうものなら
たちまち旧知の仲になってしまうのは
ご経験のある方ならお解りいただけるだろう。

「どちらから、いらっしゃったのですか?」で始まって
「お夕食、皆さんでいただきましょうよ」のどなたかかの一声で
重いリュックに詰めてきたおにぎりやカップ麺を
見知らぬ同仕、にぎやかに輪になって食べたのは、
会津駒ケ岳の山頂の山小屋だったっけ。

「今夜は星がきれいですよ」その一言で
降るような星空を仰ぎ、
「うわっ、すごい。星の中に空があるみたい」
「流れ星の音なんか始めて聞いたわ」
「こんなたくさんの流れ星、見たの初めて」
「私も」と皆で童心に返って大はしゃぎ。
音を立てて飛び交う流星を首が痛くなるまで眺めたけれど
「ひとりっきりでは絶対眺めなかったろうな」と思うし
あれだけ楽しめなかったはず。

「おはようございます。4時半ですよ」
「寒いから毛布をかぶった方がいいですよ」
朝日を見ようと午前4時半に起きる約束は
昨夜寝る前に皆で相談しあって決めた事。

夜明けの山頂の空気は真夏でも凍るようだが、
澄み切った紫のグラデーションと
コバルトの雲海に抱かれるような光景は
独り占めしたい思いに駈られるが
やはり前夜の流れ星同様、皆で分かち合いたいという
気持ちの方が何百倍も勝るから、
こうして他人同士でも
互いが声掛け合って
寒さの中、立ちつくすのだと思う。

「コーヒーいかがですか?」
500ccの水が一本なんと1,000円もする貴重な水で
わざわざ皆さんの分まで作ってくださる
仏様のような方に会えるのも山の魅力の1つだ。
「ありがとうございます」「うわーっ、申し訳ありません」
「いいんですよ。皆さんと親しくさせていただいたお礼ですよ」
「こちらこそ、楽しませていただいてありがとうございます」
皆で心まで温まるようなコーヒーをすすりながら眺めた
燃えるような朝焼けを私は今でもありがたく思い出す。

「今日はどちらですか?」
「尾瀬の方へ参ります。おたく様はどちらまで」
「桧枝岐の温泉で今夜はゆっくりしようと思います」
「いいですねぇ」
「尾瀬も素晴らしいですよ。楽しんでらしてください」
「ありがとうございます。お気をつけて」
「そちらもお気をつけて。それじゃあ、お先です」
「お世話になりました」
「こちらこそ。ありがとうございました」

名残を惜しむように、手を振ってそれぞれが別れる
翌朝の情景も山小屋ならでは、
深い味わいがある別れの光景である。

「お気をつけて」の挨拶も
「お互い無事で下山しましょうね」と
あえて口にはしないけれど、
一歩間違えたら、命を落とす危険を孕んでいるからこそ
互いを、心底思いやる意味が込められた
都会での普段との生活とは又違う
「お気をつけて」という言葉になる。

日常とはかけ離れた
言葉と命と人が一点の曇りも無く
まっすぐに繋がる空間が山のような気がする。

山という限られた密度の高い空間だからこそ
人は純粋な気持ちになり、
純粋に人を思いやり、
純粋な言葉となって出てくるのだろう。

山を歩いていてカリカリ怒っている人に会ったこともないし、
いや、むしろ笑顔ばかりの人にしか会わないから、
又、山に行きたいと私は思うのかもしれない。

登山好きの人には、それぞれ山へ行く理由があるだろうが
少なくとも私は山登りの魅力の1つに「笑顔の人に会えるから」という
私だけのこっそり秘密にしておきたいような理由があるからかもしれない。

「2000メートルの山登りをします」なんて言うと
カッコいいかもしれないが、実際はヘロヘロ。

下山した後、疲れた足をさすりさすり
登った山の遥かな頂きを見ながら
「あーあ。又やっちゃったよ。
あんなとこ登って。何でこんなしんどい事、
好き好んでやるんだろうね。
ほんと私って馬鹿だわさ」って
毎回、毎回つぶやくんだけど、
翌年になるとそんな事
ころっと忘れて
又、「あーあしんど」の繰り返し。

なんか私の人生そのものによく似てる。
失敗しながら、「あーあまたやっちゃたよ」
ハロー話し方教室で、
先生がいつも言う
「苦と楽なら苦を取れ」
苦を取るのも楽じゃないよ。まったく。と
思いながら、楽を取れない私の性格ってなんなのさって
トホホ、自分でも恨めしい。

最後に今日「徹子の部屋」で
大好きな水谷豊さんが言っていらした「生きる哲学」を記して
今日のお話しを終わりにいたしますわね。

(私は男好き?でだんな様にはあきれられている。
他には、キム拓、田村正和、加山雄三、
桑田圭佑、矢沢永吉,渡哲也などなど
あげたらきりがないほどの男たらし?なのである。
ちなみに渋めが好み)
で、話しがすっかり逸れたけど
その水谷豊さんの「生きる哲学」とは
「歌手はパートで、俳優はアルバイト、本業は生きてる事」だって。
あーんカッコイイ。
しびれちゃう、こういう生き方。
だから私、伊藤蘭ちゃんになりたくなっちゃうのよ。
(なんだ。それは)

いよいよ、ゴールデンウィークも終わろうとしていますが、
皆様明日から又、がんばりましょう。

新型インフルエンザが世界各地で流行し始め
戦々恐々とした状況ですが、
幸い弱毒性で、タミフルやリレンザなどは
発症48時間以内なら効くそうですから
「おかしいな」と感じたら
慌てて病院に駆け込まず、
まずは保健所に電話相談してくださいとのことですので
落ち着いて冷静に行動いたしましょう。

そう言って、マスクを買いだめした私ってやっぱり
パニックを引き起こす女?かしらん。と言うか
苦より楽したい女?
(主人にいつも言われているの。
「あなたが大変だって言って、今まで一度だって大変だったためしがない」って)
あーあ。これじゃいつまでたっても伊藤蘭ちゃんにはなれないわね。
(やっぱり、なんだ。それは)

それでは皆様、
くれぐれもお体を大切になさってくださいましね。
ごきげんよう。

嬉し涙はパンの味?~話し方教室で多いにべそかき恥かきを~

この頃テレビや、ラジオを聞いていて
やたら気になる事がある。

それは自分で自分の事を「こう言う人間です」と
あまりにも決め付け過ぎていないか?と。

それも人に指摘されるならいざ知らず、
「もうこの性格は絶対直らない」という
「頑な感」がどうしても私にはぬぐえないのである。

あまりにも固すぎて、
私のような年とった者には
人に近寄って欲しくないから
ガードを張っているとしか思えないのだが。
げすの勘ぐりならぬおばさんの勘ぐりなのかしらん?

まだ年端もいかぬ、若者ならいざ知らず、
とうに四十は過ぎたであろうと思われる
大の大人までもが「私ってこう言う人間じゃないですか」
聞いていて、「誰もそんな事知らないよ」と思わずチャチを入れたくなる。

それも思いっきり自虐的に自分を紹介する。
わざわざ自分で自分をマイナス消極思考に
引っ張っていっているとしか私には思えない。

そんなに自分を痛めつけて、お苦しくございませんか?
それとも自分をいたぶるのがお好きなんでございましょうか?と
思わず言いたくも無い嫌味の1つも言ってみたくなる。

先日もラジオ番組で取り上げられたファックスでも
私は一人で横槍を入れっぱなし。

春なので皆さん明るい話題ばかりで、あたりまえですよね。(そんなことないよ)
でも私は暗い人間なので(電球じゃあるまいし)
こんな話題しか出来ずにすいません(あやまってもらってもねぇ)
そのせいか息子も暗く、(そりゃそうだ)
学校でもいじめられ不登校で、私はこんな性格なので(どんな性格?)
息子に何も言えず(親が言えないでどうする)
恥ずかしくて人に相談もできず(こんな大事な事、恥ずかしがってどうする)
真っ暗なトンネルの中を彷徨っております。(あぁ息子がかわいそう)
息子には何とかして欲しいのですが(親のあんたが何とかせい)
私どもに春は来るのでしょうか?(これじゃこないよ)

桜が満開なのに、これじゃこっちまで暗くなっちゃうよ。まったく。
読んだアナウンサーも困った声で
「いつかこんな日があったよねと笑い合える日を祈っております」と言うのが精一杯。

無理も無いよね。春は来るのでしょうか?と言われても
この世に生きている限り、神さまじゃないんだから
年がら年中、明るい話題ばかりに恵まれるわけではないし、
一生涯、笑って笑顔ですごせたらそりゃどれだけ幸せか。
でもそうは行かないのがこの世ってなもんよ。

苦しみもあれば、悲しみもあり
そこを皆グっと堪えて、
笑顔の下に涙をひそめて生きているのよ。

流した涙を抱いて温めていとおしんで、
時折引っ張り出して懐かしんで
反省したりもして、そんな事の繰り返しでも
人は前に進もうとする。

ひそめた涙は、翳るときもあるけれど
思いがけず自分を励ますバネになるときもある。
やがては人に勇気を与える力に変わる日も来る。

「いつも明るいあの人も苦しんでいる。
傷が癒えるまで今はそっとしてあげよう。
でもなにか相談してくれたらそのときは
なにもできないけれど話しだけは本気で聞いてあげよう」

流した涙が苦しいければ苦しいほど
他人の涙の苦しさがわかるのは
他ならない涙を流したあなた。

自分ばかり関心が向いているうちは
悲しいかな他人の涙が見えない。
ひそめたあの人の影に気付かない。

だから皆がやたら明るく見えて
うらやましくて、ねたましく思えて
だから自分ばかり暗い人間に思えてくる。
自分ばかりが不幸に思えてくる。

本当はいっぱい恥をかいたあなたが
悩みで苦しんだ貴方が、
切ない涙を流した貴方が
すぐ側にいて救ってあげられる
その人を救ってあげられない。

いつまでも自分を「救って、救って」とアップアップしている。
チョイト水面から顔上げてあたりを見回してごらんよ。
もっと深いところで沈んでいる人がきっといるはず。

そっと手を伸ばしてあげれば、二人で笑いあえるのに
さっと救い上げてあげれば、生きている喜びを二人でかみしめられるのに
君と出会ってよかったと感謝され、二人で嬉し涙も流せるのに
いつの日にかあれもいい思い出と、お互い笑って過ごせる日がくるのに

こんなラッキーチャンスを見す見す逃している。
泣くな、悩むななんてそんな野暮な事は言わないよ。
むしろ話し方教室では、
切ない胸に内や、隠しておきたい恥を
思い切りここで話せと提唱している。

何故なら切ない胸の内を話しながら
思い出して胸が詰まり、途切れ途切れの話しでも
思い切って話してみれば、落とした涙の粒が乾かぬうちでも
心が晴れやかになる様を
隠しておきたい秘め事?を人前で堂々と露呈?する事で
多くの人が前向きになって、
笑顔が輝くのを目の当たりにしてきたから。

先日も春爛漫の上野文化会館で行われた合同授業でも
チョイト心の向きを変えたら素晴らしい笑顔になれた人を
たくさんみせてもらった。

笑顔で「お世話になりました」と頭を下げて教室を出たあの人は
始めてあった三ヶ月前とは別人。今じゃ見る影?まるでなし。
こっちが妬けるぐらい見事すてきな女性に変身してしまった。

「先手の挨拶」を恐れず強行?してみたら自分が変わったと言う発表が
次々行われ、あの人は無理だろうなぁと思っていた予想を?
彼らは大きく裏切ってくれて?私はもう嬉しくたまらなかった。

「人に怒られることは幸せだ」と50年たってようやく悟った?
私を尻目に?わずか33歳の若さで悟って?しまったスピーチに
私は恐れ入ってしまうと同時に拍手喝采。

今までだったら断ってしまった仕事を思わずこれは「ツイテル」と
飛びつく自分がいて、「話し方教室に通って生き方が変わった」なんて
またまた私を喜ばしてくれるスピーチが
玉手箱から飛び出すごとく、次々聞かされまたしても私は嬉しい悲鳴。

「先生今日は2分スピーチ考えてこなかったのでパスさせてください」と
言ってきた彼女には容赦ない?一言。
「今日の授業の感想でいいから話して御覧なさい」
堂々とスピーチした彼女は帰り際
満面の笑みで「先生、話してよかったぁ」

キラ星のごとく光ったスピーチの数々。
中でも私を本気で泣かせてくれたのは
親に感謝の言葉を述べた二人の若者。

私の半分の年にも満たない彼らが
「親に感謝」なんてもう聞くだけで
私は自分の不甲斐なさと、
自分は彼らの年に親に感謝の「かの字」もなかったという
恥ずかしさにまみれながら
「若造にやられた」という嫉妬にも似た
悔しさもない交ぜで
それでも彼らの心の純真さにひたすら感動。

溢れる涙が止まらない。
「あぁ、今この話しおやじさんに聞かせたいヨ」
「聞いたらどんなに喜ぶだろう」
ハンカチでただただ目頭を拭うしかなかった。

まったくあんたらはおばさんを泣かせて、
ほんとにカッコよすぎるよ。

さっきテレビに出た歌手の人がこう言っていたよ。
「ごめんなさいとありがとうの
この二つの言葉が言えればこの世は渡っていける。
でもこの二つの言葉が言えないと、悔いが残る人生になってしまう」って。

自分をこの世におくりだしてくれた親に
この二つの言葉を言える
彼らはなんと素晴らしいのだろう。
孝行息子を持った彼らの親がうらやましい。

それにしてもこの頃私はやたら涙がでてしょうがない。
それもうれし泣きっていうやつ。
「年とると嬉しくて泣くんだよ」って
母ちゃんや婆ちゃんが言ってたが
まったく私も二人に似てきてやんなっちゃう。
それよりこっちも年とってきて
まったくもってやんなっちゃう。

先日だって主人とお昼、食べていたら
話し方教室卒業生のPさんの話しになって
「今までツイテないと思ったこともハローで学んだら
ツイテると思えるようになった。
生き方が変わったって言ってたヨ」って
主人が言った途端、涙がダダダーッ。

まったくPさん。あんたまで私を泣かせて。
涙と共にパンをガバガバ?かじったのは初めて。
甘じょっぱいパンの味を私に教えてくれたPさんにありがとうの
感謝の言葉を最後に今日のお話しは終えようと思う。

本日も長々お付き合いいただきありがとうございました。
どうぞ皆様、結核などかからぬよう、お体をお大事になさってくださいませ。

それでは ごきげんよう

人生も話し方も蹴散らしてパート2~災難の神?は突然に~

「あーっ、姉ちゃん」
妹の叫び声で私達家族は一斉に身を乗り出した。
時は1972年4月5日。
私が中学一年生になった日だった。

1972年当時、日本の子供の数は多かった。

私の学年も40人学級の21クラス。
(どう?この子供の多さ)
新入生だけで800人以上が講堂に入りきれないということで
入学式を2部制とし午後からの入学式となった。

その入学式にテレビ局が取材に来ているなど知らされていなかった。
それも天下の?NHK。

カメラが回っている事を皆が知ったのは校長先生の挨拶の中でだった。
「本日、日本一のマンモス校の入学式ということでNHKが取材にみえています」
「わーッ」悲鳴にも似た大きなどよめきが講堂中に響き渡った。

家へ帰ると大騒ぎ。
夕食は早々に済ませ、6時半に家族全員テレビの前に座り込んで
今か今かと7時を待ち望んだ。
「姉ちゃん映ってるかなぁ」妹がワクワクすれば
婆ちゃんは「トイレ済ませておかなくっちゃ」とせわしない。
父など田舎にまで電話をかけた。
「そう、今日の7時。陽子が出るかもしれないから」
「出ないよ。あんな大勢いるんだから」と私が言えば
「あーっ。知らせてくれたら着物もっと高いの奮発したのに」は我が母。

そしていよいよ7時。
「本日4月5日は全国で入学式が行われ」
いきなりトップニュースと思ったその時
それは校庭の片隅から一人の少女が走ってくる映像から始まった。

広い校庭を走るたった一人の少女。
カメラはずっとその走り続ける少女を追いかける。
と、少女の顔がアップになった。
「あーっ、姉ちゃん」
「うそ-」「どれどれ」

そして友達に飛びつく私がはっきりとうつしだされた。

映像だけだったのでそれは美しかった。(さすがNHK?)
特に遠めの時なんぞ顔がぼやけて?るから結構可愛く見えちゃうわけ。
(私にもちっとは可愛い頃があったの)

12歳の清らかな乙女?が入学式の喜びを全身に表し
4月の風のように桜が満開の校庭をひた走る。
その先には仲良しの友達の姿。
友達に跳びつき、二人で入学を喜び合う。
午後の陽光はまぶしく、中学生の未来を祝福している。
映画のような?ワンシーン。
今思えばディレクターが泣いて喜ぶような映像だった。

(実像はまったく違っていてほんとはその友達が遅刻してきたのよ。
式が始まる直前に校門に彼女の姿が見えたから慌てて呼びに走っていって
イヤーほんと慌てたなんてもんじゃないわよ。
早くしないと式始まっちゃうよと大騒ぎしていたのよ)

それにしてももう恥ずかしいったらありゃしない。
今なら「もっと映して結構ですわ。その代わり顔のシワは編集して。
ついでに顔は黒木瞳と取り替えてもいいですよ」
平気のへってな顔してNHKに注文?するんだけれどねぇ。

なんせ当時はまだ12歳。
「幼稚園もう一年通ったらどうですか?」と言われたぐらい
園長先生お墨付きの?内気でおとなしかった私。
それが全国放送で流れちゃうなんて。

翌日。もうそれは私の想像を絶するような展開が
目くるめく?やってきたのである。

「おはよう。貴方昨日テレビに映ったよね」
「名前なんていうの」
上級生とおぼしき人が次から次へ声を掛けてくる。
私は恥ずかしくてうつむいてしまった。

教室へ入れば
「おはよう。陽子ちゃんスッゴーィ」
「見たわよ。すっごくよかったぁ」
「いいなあ。お前。どアップで」
これらは小学校からの同級生。

「ねえ。名前なんていうの。友達になって」
「キャー。一緒のクラスなんだ。よろしくね」
こっちは別の小学校から来た人たち。
キャ-だのワァーだの
一夜のしてスターになったような感じ。

ちっとも嬉しくなんかありゃしない。
そんな私の気持ちなんかお構いなし。
まるで蜂の巣を突付いたような大騒ぎ。

廊下を歩けば先生方から名前は聞かれるし、
校長先生からはじきじきに「君は活発でいいね」なんて
勘違いもはなはだしい?お褒めの言葉までいただくし、
学校中がワイワイへんてこりんな盛り上がりのまま
一日が流れてゆくのを私は
毛穴の奥?まで感じ取ってしまった。

盛り上がりの予感?が的中?したのは
翌日のクラス委員3人を決めた時だった。

別の小学校からの男女二人が立候補してくれた。
「さてもう一人だが、誰か立候補いないか?いないなら推薦でもいいぞ」

「陽子ちゃんがいいと思います」誰かが叫んだ鶴の一声で?
「賛成」「陽子ちゃんやんな」「お前、向いてるよ」
教室は騒然?となった。

私は卒倒しそうだった。
小学校の時確かに立候補して役員をやったけど
美化委員とか
ウサギの飼育委員とか
ほんと控えめな役員ばかり。

それがあんな年がら年中、人前に出てしゃべりまくり?
皆を統率する学級委員なんて
とてもじゃないがごめんこうむりたい。
第一、学級委員っていうのは昔から勉強が出来る人がやるって
相場が決まってるもんなの。

「どうだ。やってみないか」
私はか細い声で
「すみません。とても学級委員なんて出来ません。
美化委員ならやってもいいです」

「もったいないなぁ。こんなに皆から推薦されてるんだぞ。
どうだ、だめでもともと。半年間だけなんだから。勇気を出してやってみないか」
青春ドラマの台詞ばりで私に迫ってくる。

立候補したあの二人。人は悪くなさそうだけど、
あっちは小学校の時から仲良しの同級生だって言うじゃない。
そんな二人と私が上手くやっていけるわけないじゃない。

どうしよう。
「すみません。もう一日考えさせてください」
明日には答えを出しますと言ったものの答えは決まっていた。

「私には出来ない」
作戦だった。それもとびきりのずるさ。
単なる時間稼ぎでしかなかった。

抱きついた友達はおしめがついているときからの幼馴染だった。
クラスも一緒になり、私は嬉しくてならなかったが
入学した途端、とんだ災難?に見舞われ
帰る道すがら彼女に愚痴をこぼした。
「まったくなにあのNHK。あんなのが映すからいけないんだよ。
学級委員なんてあたしの器じゃないよ。冗談じゃないよ。まったく」

「私だったら、やっちゃうけど」
「だってもったいないじゃん。こんなチャンスめったに無いヨ」

おしめの友?の言葉に私は深く考え込んでしまった。

家に帰ってからも気が滅入る始末。
困りきって母親に相談した。

「あんたそんなの簡単だよ。悩む暇があるならやっちゃいな。
あたしだったらこんな千載一遇のチャンスはないって
こっちから飛びつくよ。NHK様様だヨ」

「おはよう」私は重い気持ちを抱いたまま教室のドアをあけた。
「おはよう。待ってたんだ」「良かった。早く来てくれて」
教室へ入るなり学級委員に立候補した二人が私のところへ跳んできた。

「ねえ、やっぱり一緒にやろうよ」「僕達、協力するからさ」

「ありがとう。でも正直、私まったく自信が無いの。
それに昨日も言ったけど学級委員なんてやったことないし」

「僕ら二人とも小学校で学年委員もやって慣れてるんだ。
だから心配しなくて大丈夫だヨ」
「そう。私達がついてるから」

「それにテレビ見たときから私ずっとあなたの事が気になってたの。
一緒のクラスだと知ってすっごく嬉しいのよ。
友達になりたいの。だから一緒にやろう」
「だいじょうぶ。君の事、僕らが守るから」
「そう。私達が守ってあげる。約束する」

もう逃げるのはよそうと思った。
この二人となら一緒にやりたいと心から思った。
私の意思は彼らによって固まった。
そして私は学級委員を務めた。

彼らは約束以上の「力強いもの」を私に与えてくれた。
半年間の学級委員には留まらず
その後、中学、高校、短大を卒業するまで
常に何かしらの役員をさせてもらった。

文化祭実行委員、修学旅行委員、体育祭実行委員等々
およそお祭りと名が付くものに
勉強なんてそっちのけで
企画や、運営に携わらせてもらった。

仲間同仕ぶつかり、何度涙を流したか。
互いに真剣にぶつかり、多いに意見を交わすうちに
相手の心をおもんぱかり、理解する心や
自分を客観視する冷静さも学ばせてもらった。

人を尊重する大切さや、素晴らしさを
十代という若さで学ばせてもらった事は
「青春の宝」になっている。

主人には「お祭りおばさん」と揶揄?され、先生や親からは
「そのがんばりを勉強に向けたら凄いのに」と言われたぐらい
私は学生生活を謳歌させてもらった。

宝は多くの「仲間」と言うお金では買えない
「輝き」までも私にもたらしてくれた。

学歴の神さま?はとうとう最後まで
私の頭上には降臨してくださらなかったが
そんな神さまは私にとって必要なかった。

当時やりあった多くの仲間とは
今でも旧交を温め合っている旧知の仲であり
これ以上の宝があるだろうか?

すべてのきっかけは
あの時学級委員へと誘ってくれた
あの二人であり、あの言葉であり、
そして1972年4月5日のテレビからだった。

「あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら」という歌があるが
まさに「あの日、あの時、あの場所で、
NHKが映さなかったら、私は今でも内気なまま」だった。

「災い転じて福となす」って先生がよくおっしゃられているけど
テレビに映って天から災難が?降ってきた?と思ったけど
我が人生、頭上にはチャンスの神さまが降臨され
皆のお陰で、その前髪を掴み損ねずに済んだ。

昨日のWBC。延長10回。イチローのセンター前ヒットじゃないけど、
きっと誰の頭上にも神さまが平等に降りてくださるのよ。

「自分と他人を比較しているうちは悲しいかな前髪はなびかない。
昨日の自分より今日の自分に安堵しているうちも前髪は揺れるだけ。
今日の押し寄せる胸苦しい現実に、地に足つけて踏ん張って
明日に希望の夢を抱きながら、努力を怠らず
人の幸を願い、受け入れた者だけに勝利の女神は微笑む」

昨日のWBC2連覇で私が思った感想を上記に記して
私が掃除機よりうるさくなった訳?
パート2を終了させていただきます。

「おしゃべりならお前は東大?級」と
亡き父はほんと、上手い事言ってくれたけど
こんなベラベラ、しゃべるだけなら
(もちろん?英語じゃない)
ハーバードも夢じゃないかも?

今日もおしゃべりにお付き合いいただき
ありがとうございました。

それではごきげんよう。


人生も話し方も「蹴散らして」生きるべし パート1

「私の幼少期はとてもおとなしく
それもそんじょそこらの内気な女の子なんてもんじゃなかった」

なぁんて今更言ってもとても信じてもらえそうにないのだが、
主人曰く「うーん?おとなしい陽子ちゃんなんて想像つかない」
(ある時なんぞ「家の掃除機の方が静か」と言われた)

それでも結構伝説的?なエピソードの持ち主なので
今日はそんなお話をご紹介させていただきますわね。
きっと皆様に「恐れ入りました?」と言っていただけるかと存じます。

幼稚園で椅子取りゲームした時のこと。
普通はわれ先に椅子に腰掛けるでしょ?
それが私ときたら、いつも人に「どうぞ」と言って椅子を譲ってしまい
ゲームにならず先生が「陽子ちゃん、これは遊びだから譲らなくていいのよ」と
言われても、内気なところへもってきて更に
「人と争うのが嫌」という気持ちもあってどうしても積極的になれないのね。
(その割には主人とよくやりあうけど)

内気エピソードに関してこんなのは序に口。
私のこれはという逸品の逸話を紹介いたしますわね。

それを知ったのは中学生になったある日の事。
「今の陽子に園長先生が会ったらびっくりするでしょうねぇ」
「いや、びっくりなんてもんじゃないぞ。腰ぬかすんじゃないか?」
「何それ?」私は両親にたずねた。

「あんた今だから話すけど、幼稚園もう一年やるとこだったんだよ」
「えーっ」
聞けば事の顛末はこう言う事だった。
それは卒園間近のある日のこと。

父と母が二人して幼稚園に呼ばれた。
お寺の住職も勤める園長先生は厳しさと深い愛情と持ち合わせ
誰からも人目置かれる存在だった。
両親も信頼と尊敬を持って園長先生に接しているのは子供心にも解った。
そんな園長先生の言葉だったので両親にとって
殊のほか重く心に響いたそうだ。

「陽子ちゃんはおりこうさんで、とても素直で
お友達とも仲良くできて申し分ないんですが、
(園長先生そんなに誉めていただきありがとうございます)
いかんせんおとなしすぎて皆と学校生活が
上手くいかないんじゃないかと心配しています。

そこで御相談なのですが、もう一年幼稚園に通ってはどうでしょうか?
そのほうが、陽子ちゃんにとっていいのではないかと思うのですが」

父と母はこの提案に多いに迷ったそうだ。

父曰く、
「おりこうさんというのは疑問だったけど(んッ?)
おとなしすぎるのにはほんと参ったよ。
プールの日にお父さんが行ったら、みんなが真中で大騒ぎしているのに
おまえだけひとり隅の方でニコニコして、
水をピチャピチャやっていて、でも楽しそうでさ、
なんだかそれ見た時、俺は切なくて、切なくて
帰ってから母ちゃんに言ったんだよ。
陽子あんなにおとなしくて可哀想だって。なっ、母ちゃん」

「そう。お父さんあんたの事心配で。心配で。
学校通えるのかねぇって、毎日のように二人でこっそり話してたんだよ」

「聞いたときは先生のいう通りにした方があんたのためだとも思ったのよ。
ちょうどお父さんと心配していたところだったから」
「正直、心が揺れたよな」「ほんと迷ったわヨ」

「でもあんたがプレゼントされたランドセル背負って
「お母さん見て」って嬉しそうに見せてくれた姿が浮かんできてさ、
お母さんどうしてもあんたを学校に行かせてやりたいと思ったんだよ」

「あの時、母ちゃん泣いてなぁ」 「だってなんだか陽子が不憫でさ」

でも私の父と母はあえて自分の娘に厳しい場所に立たせることにしたという。

「先生、陽子の事をそこまで心配していただきありがとうございます。
でもそれでは陽子を甘やかすことになります。

勉強できるかどうかはわかりませんが
素直で友達が多いのは親としても救いです。
幼稚園も嫌がらず喜んで毎日通ってくれました。

先生のお心遣いは親として大変嬉しいですが、
ここはどうぞ私ども親のわがままだと思って、黙ってこのまま
あの子を小学校へやらせてください。

わたしらはあの子の親です。
あの子の一生に関わる重大な事の責任を先生に取っていただくわけにはいきません。

せっかくのお心づかいに水を差す様で大変申し訳ありませんが
どうぞお許しください」そう言って父は深々と頭を下げたそうだ。

母も「陽子はプレゼントされたランドセル枕もとにおいて
「ナオミちゃんやエッちゃん達と一緒に学校いけるんだよね」って
今から指折りかぞえて楽しみにしています。
どうか学校へ行く事を許してやってください」
懇願するような気持ちだったという。

園長先生は静かに「解りました」とだけ答えたそうだ。

父と母は園長先生に深い感謝の念と
その人柄に更なる尊敬の念を感じながら
帰路についたとの事だった。

そして母は父に念を押されたそうだ。
「いいか。今日の話は絶対に陽子の耳には入れるな。
あんなに学校ヘ行くのを楽しみにしているんだ。
学校ヘ行けない話なんかしたらあいつが可哀想だ。
だから口が裂けても言うんじゃないぞ。いいな。」

そんな約束が父と母の間で交わされていたなんて
まったく知る由もなかった。ましてや
私ってそんなに親や幼稚園の先生が心配するほどおとなしかったなんて
自分でも、ちと信じられないとも思った。

確かに隅っこが大好きで、なかでも小さい頃は
机の下にもぐって本を読むのがお気に入りだった。(ちょっと変わり者ね?)
そんな私を見て父は「さすがねずみ年だ」なんて妙な?感心をしていた。

でも自分ではちっともおとなしいとは思ってなかった。
毎日が楽しかったし、仲良しの友達に恵まれていたしね。

もっとも子供だからね、
人と比べるなんてそんな高度な技術?持ち合わせていないし
自分の世界にどっぷり浸って
親の愛情の包まれて悩みなんて知らずに過ごしてるんだもんね。
ああ今思えばなんて幸せな時だったんだろうか。

それにもましてありがたきは親心。
よくぞ黙っていてくれました。

(父も「母ちゃん、口がムズムズしてたんじゃないか?」なんて
言っていたぐらいだから)
ほんと、あのおしゃべりな母ちゃんが十年以上黙っていられたのは
子供を思う深い親心に他ならない?ではあるまいか。

確かに幼すぎて話の全容は理解できないだろうし
恐らく学校ヘ行っちゃ駄目という
そこだけが心の中で大きく膨らんで
泣きべそかくのが関の山。

挙句の果ては大好きな園長先生が「嫌い」なんてなっちゃって
心に傷を作っちゃっただろうなと今なら十分想像がつく。

ただでさえ心配の掛けどうしだったのに
そんな事まで心配かけさせちゃたんだ。
ごめんね、父ちゃん。
ごめんね、母ちゃん。

でも娘の事、誰よりも愛していてくれたからこそ
そして信じていてくれたこそ
あえて崖から突き落として、
二人でこっそり遠くから見守ってくれていたんだね。

「昔っから可愛い子には旅をさせろって言うけれど、
あの時思い切ってみんなと一緒に学校ヘ行かせてよかったよ」

「ほんと、ランドセルに背負われてるような小さいあんただったけど、
みんなと元気良く学校ヘ行く、うしろ姿見たときは嬉しくて涙がこぼれたわよ」

しみじみ話をする二人の話を聞いて、
あの時は何も言えなかったけれど
今ならこう言えるよ。

ありがとう、父ちゃん。
ありがとう、母ちゃん。

どうです。皆様。
この私にもこんな過去が?隠されていた?なんて
皆様方「恐れ入りました」どころか「ハハー参りました」
じゃあございませんか?

「陽子さんよりずっと俺の方がましだよ」
「さすがの私もこんな事言われた事ないわ」と
胸をなでおろしてくださっていただければ
私の過去もまんざら無駄ではなかったというもの。
あー内気で良かったわ。

皆様、人生捨てたもんじゃありませんわ。
「人生変わろうと思えばいくらだって自分の手で変えられる」って
先生だっていつもおっしゃられているじゃぁございませんか。

内気がなんだ。
内気だって私のように人生49年
「人生蹴散らして?」生きられるんでございますわよ。
話し方とて同じ事。
心が折れたら負けよ。

あのイチローだってついさっき言ってたわよ。
「心が折れそうだった」って。
でもどうよ。さすがイチローだよね。
みごと克服してあのヒットに結びつけたじゃない。

私なんぞはとても皆様方のお手本はなりませんが、
あのイチローの言う事なら納得されますでしょ。

どうぞ、皆様も自信を持って「それがどうした」の気持ちで生きましょう。
私なんぞこれからも人生「蹴散らして」
(ついでにだんな様も?蹴散らして?)
残りの人生、夫婦仲良く生きてゆく所存でございますわ。

じゃあ、陽子さん一体どこで人生変わったの?
と言うかどこで掃除機よりうるさくなったのか?
ここまで聞いたら知りたいでしょう?

うーん。これがなんと中学のある珍事件?からなんだけれど。
本日をパート1と名打って
この珍事件?のお話は
次回へのつづきとさせていただきますので
皆様明日のWBC同様お楽しみにね。

しかしWBC毎回ハラハラドキドキで
この年寄り?にはまったくもって体に毒だわよ。
「WBCとオリンピックとサッカーワールドカップがいっぺんにあったら死んじゃう」と
この間、大騒ぎして主人に言ったら、
「大丈夫、そうならないようになっているから」と
あっさり言われてしまった。
(これだから「掃除機の方が静か」って言われるのよね)

でも今日の侍ジャパンよかったわ。
イチローの9回表の三塁打は
まさに「待ってました」だったわよ。
昨日の韓国戦なんか意気消沈しちゃったもんね。

それにしても連日WBCのお陰で忙しいったらありゃしない。
まして今日はお彼岸のお坊さんのお経あげなもんだから
朝から掃除して、ブログ打って、精進料理の準備しながら
WBCのラジオ聞いて、でほんと目がまわりそう。

でも勝ち進んでいるから
もう掃除は進むわ?ブログは調子よく打てるわ?
料理はバッチリ上手くできるわ?ってなもんでWBC様様ね。
明日もこの調子で侍ジャパンがんばってくれー。

3月なのに5月の陽気で
21日にはここ横浜でも桜が咲くとの事ですが
まだまだ寒の戻りもあると存じます。

どうぞ皆様お体にお気をつけて
それではごきげんよう。


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