恐るべし挨拶。かくも美しきものなり

皆さんこんにちは ごきげんいかがですか?

本日はちょっと嬉しいことがあったのでお話いたしますね。
それは今日主人に頼まれて、借りていたビデオを返しに行った時の事。
ビデオ屋さんの前にはズラーっと自転車の列。
その中から一台の自転車を出そうとしている、
若いおかあさんがいらした。
側にはようやく歩き出したと思われる男の子。
その手をつないでるお姉ちゃんはまだ3歳ぐらい。
「ほら、自転車出すから、そっち行ってて」
お母さんが二人の子供に声を掛けたその時。「アーッ」
ダダダダダァーと一斉に自転車が横倒し。

「ありゃりゃりゃりゃ」。
自転車を一生懸命、元に戻そうとするお母さん。
なんせ十台近くが倒れちゃったからそら大変。

私も思わず「ありゃりゃりゃりゃ」ということで
二人で必死に自転車を起こしました。
起こし終わると、お母さんは
「ありがとうございました」
私に向かって深々とお礼をしたのでした。

それも両手をきちんと膝のところに置いて。
それも私の目をしっかりと見つめて。
そして柔らかな微笑を浮かべて、さらにもう一度
「ありがとうございました」と頭を下げた。

当たり前のことをしたまでと思ったが、
あまりの丁寧な挨拶に私まで嬉しくなってしまった。

口には出さなかったが「イヤー、こちらこそちょうどいいところに遭遇したわ」
そんな気分にさせてもらえるほど「綺麗なお礼」の仕方だった。

私が見ず知らずの人にお礼をする時、こんなに丁寧にお礼をするだろうか?
こちらが反省させられるほどの「心がこもった」「心が伝わる」
お礼、すなわち挨拶だった。

日ごろから先生が「挨拶は大切だ。挨拶を言えばいいってもんじゃないよ。
口で言うだけなら誰だって言えるよ。本当の挨拶っていうのはそんなもんじゃないよ。」
とおっしゃっているが、挨拶のなんたるかを、この若いお母さんから教えてもらった気がした。

しかし「自転車よ。私の目の前で倒れてくれてありがとう」
と思わせてくれるほど、心が豊かになる挨拶とは何たるものなのか。

まさに「恐るべし挨拶。
かくも美しきものなり。」なのである。

皆さんにも、美しき幸福が訪れん事を願って
本日はこれにて失礼いたします。

それではごきげんよう。

youko

謝罪の言葉は感謝の気持ち

こんにちは 皆さんお変わりございませんか?
早いもので一月も半ばを過ぎ、
寒い中、日々お元気でお過ごしの事と存じます。
私もお陰様で風邪もすっかり治り、毎日元気で過ごしております。

さて年明け早々から、陰惨な事件が相次ぎ、
毎日殺人事件のニュースを聞かない日がありません。
「いい加減におし」と一喝したい気持ちでいっぱいです。

渋谷の夫殺しは、バラバラにしてあちこちに捨てたことや、
友人が容疑者と会話したテープがテレビで流されるなど
センセーショナルな報道がなされているためか
この事件の本質というか視点がぼやけてしまい
見ようによっては、「こんな恐ろしい事、私はしない」とか
「よく生首持って歩けるわね」とか興味一片で物事を
終息させてしまう危険をはらんでいると考えてしまいます。

私に言わせると、この事件は夫婦関係、または人間関係の
基本を忘れているから起こるべくして起きた
決して他人事ではない、まして特別な事件でもなく
相手に対して感謝の気持ちを忘れると極限に待っているのは
「こういうことなのですよ」という「戒めの教訓を持った」
事件と受け止めております。

「彼は一度として「悪かった」という謝罪の気持ちがなかった」
と彼女は言っていますが
私は彼女に問いたい。「それではあなたはどうだったの」と。
こういうことを「自分のことは棚に上げて」。と言いますが
まさに彼女は自分を「棚に上げてしまった」のです。

前回のブログでも申し上げましたが、この夫婦の日常のやり取りの中で
互いが譲り合う気持ちや
相手の立場に立って考えるものの見方があったなら
二人の関係はここまですれ違う事は
なかったであろうと私は考えます。
「相手を立てる」。
これは夫婦であろうと、年下であろうと、他人であろうと関係ない。
一瞬でも言葉を交わす機会が生じたら、心していただきたい気構えの一つである。

日常生活で相手を見くびっていませんか?下に見ていませんか?
軽んじて接していませんか?いい加減な言葉やぞんざいな言葉を多用していませんか?

また喧嘩両成敗、喧嘩になったのもお互い5分と5分。
「私の方にも落ち度が合った。」
こうした冷静さを取り戻すためには、
自分ひとりで自分自身と向き合う時間が必要です。
誰かに聞いて欲しくて、すぐに携帯の電話に手をかけるのではなく、
そこをグッとこらえましょう。
まくし立てて冷静さが生まれるはずがありません。
相手を責め続けるだけで、己が見えてきません。
己が勝ちたかったら己を見つめ直した方が絶対的に有利ですよ。

自分の落ち度という気付きを得ましょう。
相手を立ててあなたが下になったからといってあなたが負けた訳ではありません。
あなたは自分の「我」を得たのです。
本物の揺ぎ無い「吾」を得ることになるでしょう。

時には「我の張り」も必要ですが、それはどうぞご自分に向けて下さいませ。
相手に向ける「我の張り合い」はただの可愛げのない
意地っ張りでしかありませんから。

そして自分が間違っていたと気づいたらすぐさま口にして謝罪を述べましょう。
「ごめんなさい」「申し訳ありませんでした」
素直に謝られたら誰だって嬉しいでしょ?
女なら可愛い人になりましょうよ。
男ならカッコイイ人になりましょうよ。
「あなたと喧嘩したお陰で私は謝る事を一つ覚えました。
あなたのお陰です。成長させていただき感謝しています。」
こう言える大人を私は目指して行きたいです。
それでは皆さんごきげんよう

youko

温かい心は温かい言葉から

こんばんは皆さんお元気でいらっしゃいますか?
松は取れてしまいましたが遅ればせながら明けましておめでとうございます。
私は年末から風邪を悪化させ、3が日は寝込んでしまい、
これがほんとの寝正月なんて、トホホな年明けと相成りました。
お陰様で?皆様に年始のご挨拶が遅れ申し訳ございません。
さて年明け早々ショッキングな事件が起こり、早くも参ってしまった私です。
すでに皆さんもご存知の渋谷での歯科医師一家での事件です。
事件の全容はまだ解かっておりませんので軽はずみな事は言えませんが、
第一報を聞いた時の感想は、「あーあいかにも現代社会で起こりうる事件だな。
言葉は凶器だな」というものでした。
言葉づかいが乱れ、相手を思いやる意識は薄れ
ズバズバいう物言いがまかりと通る現在。
これはいじめ問題にも通じることだと思います。
何より一番大切なのは、「自分が同じ事を言われたらどう思うだろうか?」
相手の立場を考えて同じことを言うのでも、じっくり言葉を探し出す作業を
皆さんはしていますか?その言葉にあたたかみがあるか?
その言葉に自分の責任を持つ事が出来るか?
親しき仲にも礼儀有りです。
この兄と妹の間に普段から温かい言葉の交流があったら
二人の間はまったく違った関係になったであろうと私は残念でなりません。
物事をはっきり言う事と、はっきり言い過ぎることは天と地ほどの差があります。
自分の意見を言う事は大切ですが、常に相手への心配りを忘れたら
それはただの自分勝手なわがままな言葉の羅列でしかありません。
相手をおもいやる。おもいやりのある言葉は
たった一言でも、一生心に残るほど
時には相手の人生観を変えるほどの力があります。
その逆もまたしかりです。
どうぞ皆さん、温かい言葉を沢山使って下さい。
言葉は言霊です。自分自身の心にも沢山かけてあげて下さい。
温かい心は温かい言葉から生まれ、やがてあなたの心を潤します。
2007年の世の中が、温かい言葉、
愛が飛び交う社会でありますように
それでは皆さんごきげんよう

youko