皆さんこんにちは。
お久しぶりです。お変わりございませんか?
ここ東京も連日、冷蔵庫の中で過ごしているような感じです。
もっと寒い「冷凍庫の中がブリザードのような地域」
(どんな地域?)があることを思うと、
ふんっ、こんなの「へのかっぱ」なんてさぁ豪語できたらいいなあ。
高校入試に向かって、ガッツを出した日々は
寒いなんて感じなかったな。
今から30年以上も前になるんだね。
2月18日。入学試験が終わって、一人公園でブランコに揺られた。
「ああ、終わった」思わず口に出た。
でも心の中で「でも全力を出し切ったもんね。悔いないよ」
そうつぶやいた自分がいた。
傾いてゆく西日のオレンジ色が、まぶしかった。
夕日があんまりきれいでさ、カッコつけた言い方だけど
私を祝福してくれるような感じがしてね
「だいじょうぶ。私、受かっている」
夕日に向かって、心の中で叫んじゃったもんね。
試験の結果がまだ出ていないのに、私には確かな確信に思えた。
中学2年の秋、高校入試の進路を決める
当時神奈川県下で行われていた通称「アテスト」。
このテスト結果で、どの高校を受けるか
はっきり決められる。
その決定的とも言える「アテスト」の
私の結果と言えば散々だった。
私の時代は、中学を卒業して働く者がまだ多かった時代だった。
クラスにも何人か義務教育を終えたら働くと言っていた者がいた。
先生は私の無理をしないで就職をしたらどうだと進めた。
でも私は進学がしてみたかった。
将来どんな職業に付きたいのか。
15の私に何の展望も見えなかったが、
ただ強い憧れだけは、熱いほど持っていた。
幼い頃から聞いていた、明治生まれの父方の大叔父達の早慶戦の話し。
年の離れたいとこ達がそこはかとなく醸し出す、都会での洗練された大学生活。
大叔父やいとこ達は誰一人として
学歴を決してひけらかすことはなかった。
嫌味がなく、ソフトな語り口とユーモアあふれるおしゃべりの中に
知性や教養が感じられ、幼心にもその言葉の端々から大人の匂いを感じ取っていた。
そんな彼らの穏やかで温厚な人柄が私や妹は大好きだった。
でも現実は厳しかった。
お勉強の神様?は残酷にも?彼らと親戚の身であるはずの
この私にはその遺伝子をまったくと言っていいほど
授けては下さらなかった。
私「うーんおかしいわねぇ?血筋ってもんがあるじゃんねぇ」
母「ほんとおかしいわねぇ。裕美子(私の妹)と
うまく分配したつもりなんだけどねえ」(なんじゃそれ)
父「継続は力なり。
お前に足らんのは、やる気と根気だ」(ごもっとも)
(悲しいかな これはいまだ身につかず)
自分の頭の中身はお構いなしで、
夢だの、憧れだの、希望だけはとてつもなくデカかった。
第一、 早々と就職を決めていた友達に申し訳ないと思った。
彼ら、彼女らは実際私よりずっと成績が良かった。
「家族のために働いて、早く親を楽にさせたいんだ」
と堂々と胸を張って言った者がいた。
家業を継ぐために「義務教育だけはしっかり納めておけ」と
「厳しく親父に言われた」という者もいた。
彼らに悲壮感なんて微塵もなかった。
私のようなぐうたらな中学生活を送っている者など
私のクラスには一人もいなかった。
必死で生きている、将来を見据えてる彼らに対して私は恥ずかしいと思った。
成績が悪いから就職するでは、友達になんといったらいいのだろうか。
せせら笑われるが落ちだ。
決して彼らは口の出さなかったが、中には家庭の事情で
泣く泣く進学を諦めた者もいるはずだ。
それが成績悪いから、就職するでは、就職を馬鹿にしていることになる。
彼らを馬鹿にしたことになる。
「大した苦労もしないやつが、社会の荒波で生きていけるはずがないんだ。
第一やりもしないうちから、だめだって言う台詞は
一生懸命やって、精根尽き果てるまでやって
それでもだめだったやつが言う台詞だ。
お前はいつでも台詞を言うのが百年早い。」
これは私にいつも言っていた今は亡き父親の台詞。
それが私ときたらどうだ。
勉強も中途半端。将来さえも考えていない。
何のために勉強するのか。
何を目指して、身を立てたいのか。
学問を学ぶとはどういうことなのか。
そして何よりもどんな大人になりたいのか。
これらの答えを出すには、私にはまだまだ勉強が必要だった。
もちろん大学に行くことだけが人生の全てではない。
何より、私の友人たちがそれを物語っている。
彼らは年こそ同じだったが、その心構えはすでに
私よりずっと大人で、私にとって彼らもまた
尊敬に値する、深い考えの持ち主達だった。
私には苦労の意味すら解っていなかった。
でも何らかの、学業を学んでみたい。
少しは世のため人の役立つ人間になりたい。
そのためには、あんたはあまりのもちゃらんぽらんすぎる。
それじゃあんたやっぱり勉強するっきゃないでしょ。
それにあんた、いとこのお兄ちゃん達みたいに
かっこいい大学生になりたいんでしょ。
大学生になりたいなら、とにかく今は勉強だ。
高校行かずして、大学進学なし。
そうだやっぱ勉強だぁ。
この単純明快な思考回路が、
いきなりドーンと私の頭の中を駆け巡り
いきおい、勉強モードにスイッチが入った。
(父にはお前はいつもスイッチが入るのが遅いと叱られ
母には入らないよりはましだとあきれられたが、そんなことでめげる私ではなかった)
「だめ」と言われてうなだれないのが私の良いところ?
だめならやってやろうじゃないの。
なんたって、まだ入試まで一年以上あるじゃない。
ここで引き下がっては女がすたる。
俄然やるきに火がついた。
そして図々しさの極め付け。
これぞ私の真骨頂?
メラメラついた火は、恐れ多いというか、
怖いもの知らずというか、受ける高校は
先生が「受けても絶対無理」と言われた
私の実力の1ランク上どころか、
2ランク3ランクも上の私立短大の付属高校だった。
しかもそれ一本の一発勝負。
「無理だ。お前」と何度も先生に泣きつかれ?
挙句の果てに「頼むから辞めてくれ」と先生に拝まれた?が
「落ちたら就職する覚悟です。
そんなのとっくの昔に腹を決めています。
でも今まで必死で勉強してきました。
先生、私に勝負させてください。先生には絶対ご迷惑はかけません」
願書を出す前日まで、私と先生の激しいやり取りが続いたが
その頃の私は、それまでの遅れを取り戻すために必死でやってきた
勉強の成果をどこかで出してみたかった。
「確かにお前は勉強した。
でも正直お前の力では入ってから苦労するのが目に見えている。
それでもいいのか」
私だって正直言えば、受かる自信さえこころもとなかった。
でもおめおめ引き下がるようなやわな私ではなかった。
「とにかく今までやってきた力を試してみたいんです。
第一入ってからする苦労なんて、やってみなきゃわからないじゃないですか」
ああ今考えると先生に向かってなんて生意気な口きいたんだろう。
心配してくれる先生に向かってよくまあこんなこと言えたもんだわね。
15の私の心は小鳥のように未知なる物に怯え、震えたが
その心とは裏腹に、誰にも止められないほどの勢いが
体の奥で、烈火のごとく炸裂した。
とにもかくにも今の自分の力を試してみたい。
その気持ちのほうが受かる自信より勝っていた。
その頃の私はいっぱしの勝負師気取りだった。
ソコソコのレベルじゃ勝負したっておもしろくない。
どうせ勝負するならデッカイ勝負。さんざ迷惑かけた先生の手前
ここで妥協してなるものか。必ず合格する。
先生にだって、学校にだって絶対恥じはかかせまい。
よし、もうこうなったら、やぶれかぶれ。
自分のためなんかじゃない。
先生のためにも学校の為にもがんばる。
絶対合格を勝ち取る。
いざ決戦。寒さなんかどっかへぶっ飛んじゃうような熱い真剣勝負だった。
「やれる。だって私はこの日のために、あんなにがんばったんだもの」
心に何度も言い聞かせて、テスト用紙に戦いを挑んだ。
そして私は勝負に勝った。
大学入試が推薦で決まり、合格通知をもらったその日も
真っ先に知らせに行ったのは、「お前のお陰で、胃に穴が開きそうだった」と
言わしめた?中学時代の担任のところだった。
「実力以上の高校へ行ったら苦労する」先生に言われ
「やってみなきゃわからない」と食って掛かったが
さすが?私の担任だ。私の力を見抜いていた。
私の高校生活は正に先生のおっしゃったとおりだった。
合格通知を見せながら「でも先生がそう言ってくださったお陰で
絞っても水がでないような、もう頭がボロ雑巾になるぐらい勉強しました。
自分の能力の限界はとっくに超えています」
先生は「でもお前ほんとよくがんばったよ。
お前が大学行くなんて、夢のようで俺は本当に嬉しいよ。
教師やっていてほんとよかったよ」ベテランの厳しい教師だったが、
大笑いしながらその目は潤んでいた。
ほんとあの中学2年の秋のテスト結果からは
大学に行く私なんて想像つかなくて当然だった。
何より私自身が夢のようだった。
私は大学合格でようやく先生に恩返しが出来たような気がした。
頭はボロ雑巾のごとく使い果たした感はあったが、
一生懸命何かを成すことの素晴らしさを
痛烈に体感した私はその後の人生を生きるのに大いに役立った。
大学での勉強の厳しさについては又いつかお話したいが
あの厳しさに根をあげながらも最後まで喰らいつけたのは、
又その後栄養士として、結婚するまで病院で13年近く働けたのも
あの踏ん張りが大きく影響しているのは間違いない。
「人生は苦労と、自己の体験の連続で成り立っている。
しかもそれは、泣きたいほどの苦悩であり、痛いほどの体感であり
その感情を、自らがもがき苦しんで「心の腑」に抱き留め
その「内なる手」で慈しんで行かなければ
輝きが増さないという厄介なものでもある」
今回ハロー話し方教室の卒業生で、
この「輝きしき苦悩と体感」を心に抱き留めてくださった方が
あがり症を克服するまでの、自らの体験記を
本にまとめ出版されました。
まさに彼女は「自分と戦った」のです。
でもそれは「素晴らしき戦い」でした。
百聞は一見にしかず。
あがり症の方には是非読んでいただきたい。
題名は『アガリ症を恐れないで』インターネットから購入できますので
是非アクセスしてみてください。↓↓↓↓↓
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%82%A0%82%AA%82%E8%8F%C7%82%F0%8B%B0%82%EA%82%C8%82%A2%82%C5&Go.x=2&Go.y=8
彼女だけではない。
ハロー話し方教室からは
「自分と戦った」たくさんの卒業生が
同じように「笑顔で旅立って」くれた。
人生は誰一人として同じ道を進めない。
しかし、誠実と地道さと実直さは同じ道を歩む事はできる。
人生はドラマチックでファンタスッテックだからおもしろい。
しかしそれは3億円が当たる事でもなければ(ほんとは当たって)
白馬に乗ってキム拓があなたの目の前に忽然と現れることでもない。(出来れば出て来て)
なぜならドラマチックでファンタスッテックは
その誠実と地道と実直さの中からでしか生まれないから。
真の笑顔はその中でしか輝きを増さないから。
ハロー話し方教室で今度はあなたが
ドラマチックでファンタスッテックな人生を掴んでください。
まあ私といえばドラマチックというよりドラステック
思い切りというか、やぶれかぶれで
ファンタスッテックというより妄想を描きながら
これからも生きてゆくんだろうなあ?
ひえー怖―い。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
どうぞお風邪など召しませぬよう
お体を大切に それでは又
youko