感謝の意を述べよ。これ無くして、話し方の上達望むべからず。

「あの世で又会おうね」
それは父が亡くなった5年前、
妹が最後のお別れに冷たくなった
父の顔を撫でながらつぶやいた言葉だった。

父の遺言に従い、身内、親戚だけの
わずか10人ほどのつつましい葬式だったが
父を丸ごと知り尽くし、
厳しさも険しさも
涙も笑いも全て許し愛し抜いた人だけが
集まった、実に父にふさわしいお葬式だった。

お清めの食事時は、父の思い出話で盛り上がり
葬式なのかなんだか解らない楽しい?葬式だった。
喪服を着ていなかったら、
それこそ居酒屋かビアガーデンのノリなのである。

「おじさんがさあ」「ひえー、おかしい」
「おじさんってさあ」「そうそう、思い出すとおかしくて涙が出るよ」
なんたって気心知れた身内だけ。
誰もとがめる者などいやしない。
それどころか一同、もうゲラゲラ、おなか抱えて大笑い。
父を亡くして胸がつぶれそうで、
つい先ほどオイオイ流した涙はいったいどこへやら。

「おい。親の葬式にそんなに笑ってるやついるか?
頼むからもう少し泣いてくれ」
そんな父のぼやきがどこからか聞こえてきそう。

「父ちゃん、ごめんね。父ちゃんの葬式なのに
こんな楽しんじゃって。でも許してね」と
一応?詫びてはいたのよ。

「いいよ。もっと楽しめ。俺が死んだからって
しょぼくれてる顔なんか俺は見たくないよ。
それより母ちゃんをたのむよ。
あとはみんなと仲良くやってくれ。俺はそれだけで十分だ」
そんな声もどこからか聞こえたような気がした。

この声が聞こえるようになるまでこれだけの年月がかかったのだ。
父の子に生まれてはきたけれど、
この父の思いを受け止めるまで、
なんと長い年月と紆余曲折があっただろうか。

「父ちゃん。又父ちゃんの子で生まれてくるからよろしくね」
先ほどの言葉についで妹が又父に話し掛けた。
「また叱られて、怒鳴られるけどね」と私。
「そうだった。忘れてた」と妹。「それはご勘弁を」と私。

そんな姉妹の会話を聞いて、すかさず母ちゃんが一言。
「怒鳴らない父ちゃんなんて父ちゃんじゃないよ」

「そうだね。間が抜けちゃうよ」と妹。
「そりゃそうだ。しょうがない。まあ又怒られてやるか」と私。
「そうね。又叱られてやるからさ、心配しなくていいよ。父ちゃん」と妹。
「という訳で(どういう訳じゃい?)又よろしくね」と私。

そんな会話をワイワイ言い合いながら父を厳かに?
(これのどこが厳かなのか?)見送った私達姉妹だった。

ああなんてのんきな会話。
これが棺おけの蓋を閉めるときの会話なんだから
さぞや父はぼやいただろうなあ。
「おいおい。これじゃあ。俺はオチオチあの世へいけないよ。
こっちこそご勘弁をと言いたいよ」

私も妹も実によく父に叱られた。
それは子供時代の私と妹の会話。

私達の子供時代は(昭和30年代)
「子供は遅くても夜8時になったら布団に入るべし」と
いう世の決まり?があった。
我が家もごたぶんにもれず
その決まりがしっかり?守られていた。

その晩も8時になったので私と妹は布団に横になった。
とそのとき妹が私に小声でつぶやいた。
「姉ちゃん、今日お父さんに怒られた?」
「ううん、今日は怒られなかったよ。裕美ちゃんは?」
「えっ?姉ちゃんも怒られなかったの?」
「ひえーめずらしい」

とその時隣の部屋でナイターを見ていた父の雷が一発ドカーン。
「こらー、いつまで起きてるんだー。早く寝ろー」

妹常々曰く。「姉ちゃん、世の中では
「地震。雷。火事。親父」って言うけど
家は親父が一番だね。あの父ちゃんの恐ろしさに比べたら
他は「屁の河童」だね」(何でも無いって事)

「ひえーやっぱり今日も怒られた」私と妹は雷様から逃れるがごとく
大急ぎで布団を頭からかぶって縮こまった。

自分達の人生を振り返ったとき、悔しいけれど
あの父の存在抜きでは、どうしても自分の人生を語れないのである。

どこをどうあがいても父の存在は大きいというか
あまりのもでか過ぎるのである。
あの連日の盆も正月もなかった「怒涛の怒鳴り」は愛だった。

親子と言ってもそこは生身の人間同士。
いくら血のつながりがあろうとも、
子の成長にしたがって時には激しくぶつかりあう。
それは我が家とて同じ事。

しかし、この世の全を敵にまわしても
父や母が我が子を慈しみ守り通してくれる
あの「怒涛の愛」の姿は
わが身がどうあがこうとも
父と母の足元にもおよばない。

それでも親の愛がこの上なく尊いものだと恥ずかしながら
ようやくこの年になって
わずかながらでも知ることができたのは
幸いにも「これ幸せ」と言う他ならない。

母親が首の筋肉に炎症をおこし、8月6日に入院をした。
お陰様で大事には至らず、回復に向かっている。

連日の暑さの中、入院先へ通いつめられるのは
何より私自身が「悔いを残したくない」という気持ち以外の何者でもない。

それは親孝行などと言う生易しいものではなく、
生んで育ててくれた親に対するせめてもの罪滅ぼしでしかない。

「母ちゃん。まだまだ長生きするんだよ。
母ちゃんが生きているだけでいいんだからね。
それが私と裕美ちゃんの生きる張り合いなんだから」

折にふれ話し掛けている。
そのたびに母は「ありがとう」と言ってくれる。

その言葉が聞きたくて今日も私は母の入院先へ向かう。

八月盆。父の墓参りに行って来た。
「父ちゃん、やっぱり母ちゃんは大物だ。
救急車で運ばれた直後に、ご飯を全部平らげる人はそうそういないんじゃないか?」

「うーんさすが母ちゃんだ。
陽子、敵は?相変わらずしぶといぞ。
お前の薄っぺらい感謝の念なんかすぐに見透かされるぞ。
いいか、覚悟してかかれ。」

墓場の中から父の声が聞こえてきそうな
蒸し暑い夏の午後でした。

心を磨きて、感謝の意を述べよ。
これ無くして、上達望むべからず。

私なんぞ何度あの雷親父から
聞かされたことか。

さんざ聞かされた割には?(疑問)で、
父が亡くなり、母もすっかり年老いて往時の面影もすっかり影をひそめ
うるさいこと言う人もいなくなって
これで「やれやれ」、「しめしめ」と思っていたら
それこそ「お門違いもいいところ」だったわよ。

賢さなんぞ身に付かないどころか
人の話を全て受け入れてあげられる
尊い「仏の耳」なんか
はなっから持ち合わてないし、
まして「考えを改めなさい」なんて優しく諭してあげる
「御心の口」もはっきり言って私にはないからねぇ。

私が48年の人生で唯一、会得したことと言えば
「巡りめぐっていつか本人がガツンと痛い思いしないと解んないんだよね」
なんてことぐらい。
(ひえー、さっき食べた白玉 ,小豆入り抹茶アイスが盛られたかき氷より冷たいねぇ
だから未だに「上達の神様」からそっぽ向かれたままなのか?)

私は、身内におまわりさんがいたせいかどうか(祖父と伯父が警官でした)
お陰様で警察のご厄介にだけはならずに
どうにかこうにか今まで生きてはこられたけど
若い頃(特に十代)は人間関係では
さんざ痛い思いさせたり、してきたり
思えば沢山泣かされたけど、泣かせてもきたもんね。
(考えたらこれも罪だよね)

でもそこで学んだ数々の出来事は今思えば貴重だったよね。

痛い思いしてそこから這い上がるのほど苦しいもんはないからね。
よほどの強い決意と覚悟がないと途中で挫折しちゃうし、
人生なんてめんどくさくて何もかも
放り投げたくなることばっかりの連続じゃない。
特に十代は毎日が「青春の蹉跌」だと思っていた。

底抜けに明るくて、箸が転げても楽しい学校生活の反面、
心の中にはいつもどこか砂をかむような味気なさと
焦燥感と挫折感にさいなまれ、それが私を時折猛烈に孤独に誘い、
その孤独感故にまだ見ぬどこか遠い世界に憧れもした。

少なくても話し方を学びたいと思っている、
それも特に若い人たちには、自分と同じような
「青春の蹉跌」なんて苦しい思いさせたくないと
年を追うごとにその思いは強くなってゆく。

(そうは言いながらも「時にはガツンも大事なのよね」
と矛盾してるんだけど、正直思う部分もあるから、
これ又意地悪おばさんでこまっちゃうんだよね。

人様に言われて悔い改められるうちが華かもね。
人様に注意や、忠告されなくなったら終わりかな。
だって注意や忠告が無いってことは
存在を無視されてるってことと同じだと思わない?

神様はちゃんと見抜いていらっしゃるだろうけど、
こっちは神様じゃないからねぇ。
多少の善もあるけど欲の皮の方が
断然ツッパラかった人間だからさ、
「人の振り見てわが振り直せ」が、
私なんかはせいぜいだもん。

だから「人は自分から襟を正せ、心を磨け」なのよ。

第一、人様に言われて嫌々やるものほどおもしろくないものないよね。
自分で自分に約束して「やる」って決めて
達成できたときの高揚感ったらないじゃない。

心を磨いて正しい行いをする人には
黙ってたって人は手を差し伸べてくれる。
応援してくれる。
話も聞いてくれる。
相槌打ってくれる。
にこやかな笑顔を返してくれる。

連日北京で熱い戦いが繰り広げられています。
メダル取った人の言葉を聞いていると
みんな感謝、感謝の連発で
私なんかこのごろ年とったせいか涙腺がやたら緩んで
連日泣かされっぱなしでこまっちゃう。
メダルももちろん嬉しいけれど
終わった後の言葉が、もうなんともいえないのよ。

「ここまでこられたのも皆さんのおかげです。心からありがとうを言いたいです」
「メダル取れたのも陰で応援してくれた親のお陰です。感謝しています」
あーほんと泣けるわ。皆さんお若いのに偉すぎる。
私なんかあの年の頃なんか自慢じゃないけど
感謝の「かの字」も出なかったもんね。

感謝の言葉ってプラス思考のもっともたるやだから
この上なく美しいよね。
だからメダリスト達の笑顔はあんなに輝いて美しいんだよね。
あーほんと、声を大にして
「メダルおめでとう。感動をありがとう。こっちこそ感謝」って叫びたいよ。

(もっとも一人で観戦したって「よっしゃーぁ」だの「行けーっ。行けーっ」だの
私が観戦してるところなんか、とてもじゃないけど皆さんにお見せできないほどの
雄たけびを叫んでおりますけどね)
(どんな雄たけびじゃい?)

「人前で話が出来ない」って暗くうつむいているあなた。
私のようにテレビに向かって、夜中でも、一人でも
「雄たけびをあげろ」などと無理難題?は申しません。

ましてや「渇を入れろ」だの「そこだ。ガッツだぁ」など
オリンピック選手に向かって勝手に騒いでいる
おばさんの真似は間違ってもしなくてよろしい。
(あのー陽子さん、大丈夫。言われなくても真似しませんから)

せめて「心にだけは穏やかで和やかな笑顔を持ってうつむかないで」って
黒木瞳バリに微笑み(ちなみに黒木瞳と同年代デス)
抹茶アイスより甘く、かき氷も溶かすような
優しく暖かなハートを込めて声をかけてあげたい気分です。

えっ、何?そんなの気持ち悪いからいらないって。フン、だから駄目なの)
(えーっ陽子さん、そりゃあないんじゃないスカッ?)

そうすればおのずと又あなたのその顔に笑顔が戻ってきますよ。
メダリストと同じような輝く笑顔を自分から仕掛けていきましょうよ。
話し方の第一歩はまずはそこからですよ。

今日も長々おしゃべり?をしていまいました。
私の話はどうもいつも長くていけませんわね。

先生から「陽子さん、話は短くコンパクトに要点を絞って」と
毎度のように注意されるんですが。
まあ注意される内が華だから、
これからもせいぜいおしゃべりでいようと思います。
(あのー違うと思うんスけど)
 
朝晩ようやく涼しくなってまいりましたが、
くれぐれも皆様はお体を大切になさってくださいませね。

それではごきげんよう。

youko