人生も話し方も蹴散らしてパート2~災難の神?は突然に~

「あーっ、姉ちゃん」
妹の叫び声で私達家族は一斉に身を乗り出した。
時は1972年4月5日。
私が中学一年生になった日だった。

1972年当時、日本の子供の数は多かった。

私の学年も40人学級の21クラス。
(どう?この子供の多さ)
新入生だけで800人以上が講堂に入りきれないということで
入学式を2部制とし午後からの入学式となった。

その入学式にテレビ局が取材に来ているなど知らされていなかった。
それも天下の?NHK。

カメラが回っている事を皆が知ったのは校長先生の挨拶の中でだった。
「本日、日本一のマンモス校の入学式ということでNHKが取材にみえています」
「わーッ」悲鳴にも似た大きなどよめきが講堂中に響き渡った。

家へ帰ると大騒ぎ。
夕食は早々に済ませ、6時半に家族全員テレビの前に座り込んで
今か今かと7時を待ち望んだ。
「姉ちゃん映ってるかなぁ」妹がワクワクすれば
婆ちゃんは「トイレ済ませておかなくっちゃ」とせわしない。
父など田舎にまで電話をかけた。
「そう、今日の7時。陽子が出るかもしれないから」
「出ないよ。あんな大勢いるんだから」と私が言えば
「あーっ。知らせてくれたら着物もっと高いの奮発したのに」は我が母。

そしていよいよ7時。
「本日4月5日は全国で入学式が行われ」
いきなりトップニュースと思ったその時
それは校庭の片隅から一人の少女が走ってくる映像から始まった。

広い校庭を走るたった一人の少女。
カメラはずっとその走り続ける少女を追いかける。
と、少女の顔がアップになった。
「あーっ、姉ちゃん」
「うそ-」「どれどれ」

そして友達に飛びつく私がはっきりとうつしだされた。

映像だけだったのでそれは美しかった。(さすがNHK?)
特に遠めの時なんぞ顔がぼやけて?るから結構可愛く見えちゃうわけ。
(私にもちっとは可愛い頃があったの)

12歳の清らかな乙女?が入学式の喜びを全身に表し
4月の風のように桜が満開の校庭をひた走る。
その先には仲良しの友達の姿。
友達に跳びつき、二人で入学を喜び合う。
午後の陽光はまぶしく、中学生の未来を祝福している。
映画のような?ワンシーン。
今思えばディレクターが泣いて喜ぶような映像だった。

(実像はまったく違っていてほんとはその友達が遅刻してきたのよ。
式が始まる直前に校門に彼女の姿が見えたから慌てて呼びに走っていって
イヤーほんと慌てたなんてもんじゃないわよ。
早くしないと式始まっちゃうよと大騒ぎしていたのよ)

それにしてももう恥ずかしいったらありゃしない。
今なら「もっと映して結構ですわ。その代わり顔のシワは編集して。
ついでに顔は黒木瞳と取り替えてもいいですよ」
平気のへってな顔してNHKに注文?するんだけれどねぇ。

なんせ当時はまだ12歳。
「幼稚園もう一年通ったらどうですか?」と言われたぐらい
園長先生お墨付きの?内気でおとなしかった私。
それが全国放送で流れちゃうなんて。

翌日。もうそれは私の想像を絶するような展開が
目くるめく?やってきたのである。

「おはよう。貴方昨日テレビに映ったよね」
「名前なんていうの」
上級生とおぼしき人が次から次へ声を掛けてくる。
私は恥ずかしくてうつむいてしまった。

教室へ入れば
「おはよう。陽子ちゃんスッゴーィ」
「見たわよ。すっごくよかったぁ」
「いいなあ。お前。どアップで」
これらは小学校からの同級生。

「ねえ。名前なんていうの。友達になって」
「キャー。一緒のクラスなんだ。よろしくね」
こっちは別の小学校から来た人たち。
キャ-だのワァーだの
一夜のしてスターになったような感じ。

ちっとも嬉しくなんかありゃしない。
そんな私の気持ちなんかお構いなし。
まるで蜂の巣を突付いたような大騒ぎ。

廊下を歩けば先生方から名前は聞かれるし、
校長先生からはじきじきに「君は活発でいいね」なんて
勘違いもはなはだしい?お褒めの言葉までいただくし、
学校中がワイワイへんてこりんな盛り上がりのまま
一日が流れてゆくのを私は
毛穴の奥?まで感じ取ってしまった。

盛り上がりの予感?が的中?したのは
翌日のクラス委員3人を決めた時だった。

別の小学校からの男女二人が立候補してくれた。
「さてもう一人だが、誰か立候補いないか?いないなら推薦でもいいぞ」

「陽子ちゃんがいいと思います」誰かが叫んだ鶴の一声で?
「賛成」「陽子ちゃんやんな」「お前、向いてるよ」
教室は騒然?となった。

私は卒倒しそうだった。
小学校の時確かに立候補して役員をやったけど
美化委員とか
ウサギの飼育委員とか
ほんと控えめな役員ばかり。

それがあんな年がら年中、人前に出てしゃべりまくり?
皆を統率する学級委員なんて
とてもじゃないがごめんこうむりたい。
第一、学級委員っていうのは昔から勉強が出来る人がやるって
相場が決まってるもんなの。

「どうだ。やってみないか」
私はか細い声で
「すみません。とても学級委員なんて出来ません。
美化委員ならやってもいいです」

「もったいないなぁ。こんなに皆から推薦されてるんだぞ。
どうだ、だめでもともと。半年間だけなんだから。勇気を出してやってみないか」
青春ドラマの台詞ばりで私に迫ってくる。

立候補したあの二人。人は悪くなさそうだけど、
あっちは小学校の時から仲良しの同級生だって言うじゃない。
そんな二人と私が上手くやっていけるわけないじゃない。

どうしよう。
「すみません。もう一日考えさせてください」
明日には答えを出しますと言ったものの答えは決まっていた。

「私には出来ない」
作戦だった。それもとびきりのずるさ。
単なる時間稼ぎでしかなかった。

抱きついた友達はおしめがついているときからの幼馴染だった。
クラスも一緒になり、私は嬉しくてならなかったが
入学した途端、とんだ災難?に見舞われ
帰る道すがら彼女に愚痴をこぼした。
「まったくなにあのNHK。あんなのが映すからいけないんだよ。
学級委員なんてあたしの器じゃないよ。冗談じゃないよ。まったく」

「私だったら、やっちゃうけど」
「だってもったいないじゃん。こんなチャンスめったに無いヨ」

おしめの友?の言葉に私は深く考え込んでしまった。

家に帰ってからも気が滅入る始末。
困りきって母親に相談した。

「あんたそんなの簡単だよ。悩む暇があるならやっちゃいな。
あたしだったらこんな千載一遇のチャンスはないって
こっちから飛びつくよ。NHK様様だヨ」

「おはよう」私は重い気持ちを抱いたまま教室のドアをあけた。
「おはよう。待ってたんだ」「良かった。早く来てくれて」
教室へ入るなり学級委員に立候補した二人が私のところへ跳んできた。

「ねえ、やっぱり一緒にやろうよ」「僕達、協力するからさ」

「ありがとう。でも正直、私まったく自信が無いの。
それに昨日も言ったけど学級委員なんてやったことないし」

「僕ら二人とも小学校で学年委員もやって慣れてるんだ。
だから心配しなくて大丈夫だヨ」
「そう。私達がついてるから」

「それにテレビ見たときから私ずっとあなたの事が気になってたの。
一緒のクラスだと知ってすっごく嬉しいのよ。
友達になりたいの。だから一緒にやろう」
「だいじょうぶ。君の事、僕らが守るから」
「そう。私達が守ってあげる。約束する」

もう逃げるのはよそうと思った。
この二人となら一緒にやりたいと心から思った。
私の意思は彼らによって固まった。
そして私は学級委員を務めた。

彼らは約束以上の「力強いもの」を私に与えてくれた。
半年間の学級委員には留まらず
その後、中学、高校、短大を卒業するまで
常に何かしらの役員をさせてもらった。

文化祭実行委員、修学旅行委員、体育祭実行委員等々
およそお祭りと名が付くものに
勉強なんてそっちのけで
企画や、運営に携わらせてもらった。

仲間同仕ぶつかり、何度涙を流したか。
互いに真剣にぶつかり、多いに意見を交わすうちに
相手の心をおもんぱかり、理解する心や
自分を客観視する冷静さも学ばせてもらった。

人を尊重する大切さや、素晴らしさを
十代という若さで学ばせてもらった事は
「青春の宝」になっている。

主人には「お祭りおばさん」と揶揄?され、先生や親からは
「そのがんばりを勉強に向けたら凄いのに」と言われたぐらい
私は学生生活を謳歌させてもらった。

宝は多くの「仲間」と言うお金では買えない
「輝き」までも私にもたらしてくれた。

学歴の神さま?はとうとう最後まで
私の頭上には降臨してくださらなかったが
そんな神さまは私にとって必要なかった。

当時やりあった多くの仲間とは
今でも旧交を温め合っている旧知の仲であり
これ以上の宝があるだろうか?

すべてのきっかけは
あの時学級委員へと誘ってくれた
あの二人であり、あの言葉であり、
そして1972年4月5日のテレビからだった。

「あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら」という歌があるが
まさに「あの日、あの時、あの場所で、
NHKが映さなかったら、私は今でも内気なまま」だった。

「災い転じて福となす」って先生がよくおっしゃられているけど
テレビに映って天から災難が?降ってきた?と思ったけど
我が人生、頭上にはチャンスの神さまが降臨され
皆のお陰で、その前髪を掴み損ねずに済んだ。

昨日のWBC。延長10回。イチローのセンター前ヒットじゃないけど、
きっと誰の頭上にも神さまが平等に降りてくださるのよ。

「自分と他人を比較しているうちは悲しいかな前髪はなびかない。
昨日の自分より今日の自分に安堵しているうちも前髪は揺れるだけ。
今日の押し寄せる胸苦しい現実に、地に足つけて踏ん張って
明日に希望の夢を抱きながら、努力を怠らず
人の幸を願い、受け入れた者だけに勝利の女神は微笑む」

昨日のWBC2連覇で私が思った感想を上記に記して
私が掃除機よりうるさくなった訳?
パート2を終了させていただきます。

「おしゃべりならお前は東大?級」と
亡き父はほんと、上手い事言ってくれたけど
こんなベラベラ、しゃべるだけなら
(もちろん?英語じゃない)
ハーバードも夢じゃないかも?

今日もおしゃべりにお付き合いいただき
ありがとうございました。

それではごきげんよう。


人生も話し方も「蹴散らして」生きるべし パート1

「私の幼少期はとてもおとなしく
それもそんじょそこらの内気な女の子なんてもんじゃなかった」

なぁんて今更言ってもとても信じてもらえそうにないのだが、
主人曰く「うーん?おとなしい陽子ちゃんなんて想像つかない」
(ある時なんぞ「家の掃除機の方が静か」と言われた)

それでも結構伝説的?なエピソードの持ち主なので
今日はそんなお話をご紹介させていただきますわね。
きっと皆様に「恐れ入りました?」と言っていただけるかと存じます。

幼稚園で椅子取りゲームした時のこと。
普通はわれ先に椅子に腰掛けるでしょ?
それが私ときたら、いつも人に「どうぞ」と言って椅子を譲ってしまい
ゲームにならず先生が「陽子ちゃん、これは遊びだから譲らなくていいのよ」と
言われても、内気なところへもってきて更に
「人と争うのが嫌」という気持ちもあってどうしても積極的になれないのね。
(その割には主人とよくやりあうけど)

内気エピソードに関してこんなのは序に口。
私のこれはという逸品の逸話を紹介いたしますわね。

それを知ったのは中学生になったある日の事。
「今の陽子に園長先生が会ったらびっくりするでしょうねぇ」
「いや、びっくりなんてもんじゃないぞ。腰ぬかすんじゃないか?」
「何それ?」私は両親にたずねた。

「あんた今だから話すけど、幼稚園もう一年やるとこだったんだよ」
「えーっ」
聞けば事の顛末はこう言う事だった。
それは卒園間近のある日のこと。

父と母が二人して幼稚園に呼ばれた。
お寺の住職も勤める園長先生は厳しさと深い愛情と持ち合わせ
誰からも人目置かれる存在だった。
両親も信頼と尊敬を持って園長先生に接しているのは子供心にも解った。
そんな園長先生の言葉だったので両親にとって
殊のほか重く心に響いたそうだ。

「陽子ちゃんはおりこうさんで、とても素直で
お友達とも仲良くできて申し分ないんですが、
(園長先生そんなに誉めていただきありがとうございます)
いかんせんおとなしすぎて皆と学校生活が
上手くいかないんじゃないかと心配しています。

そこで御相談なのですが、もう一年幼稚園に通ってはどうでしょうか?
そのほうが、陽子ちゃんにとっていいのではないかと思うのですが」

父と母はこの提案に多いに迷ったそうだ。

父曰く、
「おりこうさんというのは疑問だったけど(んッ?)
おとなしすぎるのにはほんと参ったよ。
プールの日にお父さんが行ったら、みんなが真中で大騒ぎしているのに
おまえだけひとり隅の方でニコニコして、
水をピチャピチャやっていて、でも楽しそうでさ、
なんだかそれ見た時、俺は切なくて、切なくて
帰ってから母ちゃんに言ったんだよ。
陽子あんなにおとなしくて可哀想だって。なっ、母ちゃん」

「そう。お父さんあんたの事心配で。心配で。
学校通えるのかねぇって、毎日のように二人でこっそり話してたんだよ」

「聞いたときは先生のいう通りにした方があんたのためだとも思ったのよ。
ちょうどお父さんと心配していたところだったから」
「正直、心が揺れたよな」「ほんと迷ったわヨ」

「でもあんたがプレゼントされたランドセル背負って
「お母さん見て」って嬉しそうに見せてくれた姿が浮かんできてさ、
お母さんどうしてもあんたを学校に行かせてやりたいと思ったんだよ」

「あの時、母ちゃん泣いてなぁ」 「だってなんだか陽子が不憫でさ」

でも私の父と母はあえて自分の娘に厳しい場所に立たせることにしたという。

「先生、陽子の事をそこまで心配していただきありがとうございます。
でもそれでは陽子を甘やかすことになります。

勉強できるかどうかはわかりませんが
素直で友達が多いのは親としても救いです。
幼稚園も嫌がらず喜んで毎日通ってくれました。

先生のお心遣いは親として大変嬉しいですが、
ここはどうぞ私ども親のわがままだと思って、黙ってこのまま
あの子を小学校へやらせてください。

わたしらはあの子の親です。
あの子の一生に関わる重大な事の責任を先生に取っていただくわけにはいきません。

せっかくのお心づかいに水を差す様で大変申し訳ありませんが
どうぞお許しください」そう言って父は深々と頭を下げたそうだ。

母も「陽子はプレゼントされたランドセル枕もとにおいて
「ナオミちゃんやエッちゃん達と一緒に学校いけるんだよね」って
今から指折りかぞえて楽しみにしています。
どうか学校へ行く事を許してやってください」
懇願するような気持ちだったという。

園長先生は静かに「解りました」とだけ答えたそうだ。

父と母は園長先生に深い感謝の念と
その人柄に更なる尊敬の念を感じながら
帰路についたとの事だった。

そして母は父に念を押されたそうだ。
「いいか。今日の話は絶対に陽子の耳には入れるな。
あんなに学校ヘ行くのを楽しみにしているんだ。
学校ヘ行けない話なんかしたらあいつが可哀想だ。
だから口が裂けても言うんじゃないぞ。いいな。」

そんな約束が父と母の間で交わされていたなんて
まったく知る由もなかった。ましてや
私ってそんなに親や幼稚園の先生が心配するほどおとなしかったなんて
自分でも、ちと信じられないとも思った。

確かに隅っこが大好きで、なかでも小さい頃は
机の下にもぐって本を読むのがお気に入りだった。(ちょっと変わり者ね?)
そんな私を見て父は「さすがねずみ年だ」なんて妙な?感心をしていた。

でも自分ではちっともおとなしいとは思ってなかった。
毎日が楽しかったし、仲良しの友達に恵まれていたしね。

もっとも子供だからね、
人と比べるなんてそんな高度な技術?持ち合わせていないし
自分の世界にどっぷり浸って
親の愛情の包まれて悩みなんて知らずに過ごしてるんだもんね。
ああ今思えばなんて幸せな時だったんだろうか。

それにもましてありがたきは親心。
よくぞ黙っていてくれました。

(父も「母ちゃん、口がムズムズしてたんじゃないか?」なんて
言っていたぐらいだから)
ほんと、あのおしゃべりな母ちゃんが十年以上黙っていられたのは
子供を思う深い親心に他ならない?ではあるまいか。

確かに幼すぎて話の全容は理解できないだろうし
恐らく学校ヘ行っちゃ駄目という
そこだけが心の中で大きく膨らんで
泣きべそかくのが関の山。

挙句の果ては大好きな園長先生が「嫌い」なんてなっちゃって
心に傷を作っちゃっただろうなと今なら十分想像がつく。

ただでさえ心配の掛けどうしだったのに
そんな事まで心配かけさせちゃたんだ。
ごめんね、父ちゃん。
ごめんね、母ちゃん。

でも娘の事、誰よりも愛していてくれたからこそ
そして信じていてくれたこそ
あえて崖から突き落として、
二人でこっそり遠くから見守ってくれていたんだね。

「昔っから可愛い子には旅をさせろって言うけれど、
あの時思い切ってみんなと一緒に学校ヘ行かせてよかったよ」

「ほんと、ランドセルに背負われてるような小さいあんただったけど、
みんなと元気良く学校ヘ行く、うしろ姿見たときは嬉しくて涙がこぼれたわよ」

しみじみ話をする二人の話を聞いて、
あの時は何も言えなかったけれど
今ならこう言えるよ。

ありがとう、父ちゃん。
ありがとう、母ちゃん。

どうです。皆様。
この私にもこんな過去が?隠されていた?なんて
皆様方「恐れ入りました」どころか「ハハー参りました」
じゃあございませんか?

「陽子さんよりずっと俺の方がましだよ」
「さすがの私もこんな事言われた事ないわ」と
胸をなでおろしてくださっていただければ
私の過去もまんざら無駄ではなかったというもの。
あー内気で良かったわ。

皆様、人生捨てたもんじゃありませんわ。
「人生変わろうと思えばいくらだって自分の手で変えられる」って
先生だっていつもおっしゃられているじゃぁございませんか。

内気がなんだ。
内気だって私のように人生49年
「人生蹴散らして?」生きられるんでございますわよ。
話し方とて同じ事。
心が折れたら負けよ。

あのイチローだってついさっき言ってたわよ。
「心が折れそうだった」って。
でもどうよ。さすがイチローだよね。
みごと克服してあのヒットに結びつけたじゃない。

私なんぞはとても皆様方のお手本はなりませんが、
あのイチローの言う事なら納得されますでしょ。

どうぞ、皆様も自信を持って「それがどうした」の気持ちで生きましょう。
私なんぞこれからも人生「蹴散らして」
(ついでにだんな様も?蹴散らして?)
残りの人生、夫婦仲良く生きてゆく所存でございますわ。

じゃあ、陽子さん一体どこで人生変わったの?
と言うかどこで掃除機よりうるさくなったのか?
ここまで聞いたら知りたいでしょう?

うーん。これがなんと中学のある珍事件?からなんだけれど。
本日をパート1と名打って
この珍事件?のお話は
次回へのつづきとさせていただきますので
皆様明日のWBC同様お楽しみにね。

しかしWBC毎回ハラハラドキドキで
この年寄り?にはまったくもって体に毒だわよ。
「WBCとオリンピックとサッカーワールドカップがいっぺんにあったら死んじゃう」と
この間、大騒ぎして主人に言ったら、
「大丈夫、そうならないようになっているから」と
あっさり言われてしまった。
(これだから「掃除機の方が静か」って言われるのよね)

でも今日の侍ジャパンよかったわ。
イチローの9回表の三塁打は
まさに「待ってました」だったわよ。
昨日の韓国戦なんか意気消沈しちゃったもんね。

それにしても連日WBCのお陰で忙しいったらありゃしない。
まして今日はお彼岸のお坊さんのお経あげなもんだから
朝から掃除して、ブログ打って、精進料理の準備しながら
WBCのラジオ聞いて、でほんと目がまわりそう。

でも勝ち進んでいるから
もう掃除は進むわ?ブログは調子よく打てるわ?
料理はバッチリ上手くできるわ?ってなもんでWBC様様ね。
明日もこの調子で侍ジャパンがんばってくれー。

3月なのに5月の陽気で
21日にはここ横浜でも桜が咲くとの事ですが
まだまだ寒の戻りもあると存じます。

どうぞ皆様お体にお気をつけて
それではごきげんよう。


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袖擦りあうも縁~人生も話し方も迷いは駄目よ~

主人との出会いはお見合いだった。

お見合いと言っても、親戚の伯母ちゃんが持ってきた
写真を見て会ってみようか?という昔ながらのスタイルではなく
(これだったら写真?で断っていた)
結婚相談所のしかもコンピュ-ターを介して適切な人を
紹介してくれるという、今なら一般的になったのかもしれないが
当時(今から17年ほど前)としてはかなり斬新?なお見合いに
私はかくも果敢?に申し込んだのである。

短大を卒業後、栄養士として10年以上病院で働いた私は
友人達が次々結婚し、正直このまま独身で一生涯を送るのか
結婚するのか迷い始めていた。
資格も持っているし、このまま気楽に生きるのも悪くないかもと
思う反面、女としての幸せも味わってみたいという
年ごろの女性としての極々当然とも言える
素朴な思いも持ち合わせていた。

仕事は良き仲間にも恵まれ、それなりに充実こそしてはいたが、
デートする相手もなく、週一回の休みもどこに出かけるわけでもなく
疲れて昼頃までゴロゴロ寝て、
その後はゴソゴソ起きては好きな本を読んだりして過ごしていた。
お金が貯まれば、好きなアーティストのコンサートに行き
まとまった休みが取れれば行きたいところへ
誰に気兼ねするでもなく旅に出かけた。

きままな独身生活ではあったけれど、
心のどこかに一抹の寂しさを抱えていたのも事実だった。
それは日曜日だった。
その日もいつものように近くの本屋へ出かけていった。
あたたかな雨の降る日曜の午後だった。

それは不意打ちだった。
グレーに煙る6月の町を歩いていたら
「これからどうやって生きてゆこうか」という
いう不安感に襲われた。
同時に「このままではいけない。何か変えなくちゃ」という
体の奥底から湧き上がるような熱い思いにもかられた。

「自分を変えよう」熱い思いを抱えたまま私は本屋に急いだ。
どんな本を選んだか覚えていないが
会計を済ませるとブックカバーと共に
一枚のはがきが輪ゴムでくくられていた事を
昨日のように思い出す。

普段なら捨ててしまうであろう
その一枚のはがきになぜかその日は心が惹かれ?た。
それは結婚相談所のはがきだった。

「これだ」「結婚しよう」
自分を変えようという壮大な思いの割には
小さいことだったが、
私にとっては宇宙の外側へ飛び出して行くぐらいの
気持ちの切り替えだった。
(まあ単純と言えば、単純なんだけどね)

そう決めたら早かった。
「善は急げ。思い立ったら吉日」
私は家に帰るとすぐさまそのはがきに必要事項を記載し
翌日すぐさまポストへ投函し、
翌週の日曜日には相談所のドアを押していた。

親にも誰にも相談しなかった。
大切な一生だ。自分の相手ぐらいは自分で決める。
ちょっとオーバー気味だったかな?
でもそれぐらいの覚悟がないと私の場合は結婚なんかできなかったもんね。

私だって32歳。多少酸いも甘いもかみ分けた。
男を見る眼ぐらい養って?きたはず?
まぁここらへんはチョイト怪しかったが、
「この結婚の責任は最後まで自分で持つ」と
腹をくくってからは気持ちが楽になった。

消費税込み33万円は貯金から一括で払った。
分割もあったが、あえて自分を崖ッぷちに立たせ、
後戻りできない状況も「人生時には必要」と
ここらへんに関しては長い?
人生経験で積んできたので思いっきりジャンプ出来た。
(と言うか、いつも親や先生にお尻をひっぱたかれないと動かない
という情けない性格が災いどころか幸い?しているだけ)

結婚に関しては、清水の舞台から飛び降りるような気持ちだったが、
お金の支払いに関しては、
「皆、それだけ真剣な気持ちの人が集まっているんだ」
と考えていたのでまったく迷いもなく
「お金とはこんなときこそ払うべき。
一生に一度のギャンブルだぁ。絶対にいい男みつけてやるぅ。」
と逆に私の高い志?に見合った金額だと思えばちっとも高いとも思わなかった。
(結婚してから主人もまったく同じ事を言っていたので、
価値観が似ている人だなと思った)

むしろ「ギャンブラー陽子?」を奮い立たせるには十分な金額であり
今にして思えばギャンブル嫌い?で仕事好き?の
ゴミ捨てを自分から進んでしてくれる(これは誉めてつかわすゾ)
良いだんな様とめぐり合えたので?むしろ安いくらい?と
一応だんな様の手前言っておこう。

という訳で主人と縁があリ、
相談所に飛び込むのも早かったが、式を挙げるのも早かった。
あの雨の日から一年後の6月には結婚式を挙げていたんだから
まったくもって人生何が起こるかわからない。

(もっともこれは主人の圧倒的なパワー、
(御存知の方ならお解りになりますよね)
すなわち即断即決力に負うところが多いのであるが、、、。

結婚してからも、愚図でのろまな私は
この敏捷性の豊かさ?には助けられこそすれ
さした喧嘩の種にもはならない?ので、
お互い割れ鍋に閉じ蓋のごとくというところか?)

という訳なのですが、
これで話が終わりにならないのが陽子さんの面白いところ。
というかこれからが真骨頂。
皆様。いよいよここからが本番よ。

いいですか。皆さん私と主人はコンピューターが選んだ相手というのは
先ほどお話いたしましたね。
ところがどっこい、コンピューターも時には
「粋な計らい」をするものなのですね。
なんと主人と私はそれ以外?のご縁があったのです。

初めて会った時の事。
すでにお互いの写真や履歴は相談所を通して
交換し合っていたので、話はそこそに弾みました。
主人が予約していてくれた新宿の夜景が美しい高層レストランで
食事をしている時でした。(主人後日談。「あれは見栄をはって奮発した」そうです)

思い出したように主人がこんな事を言い出したのです。

「石井先生をご存知ですか?」
「知っているも何も、未だに足向けて寝れない私にとっては生涯の恩師です」
(石井先生とのエピソードはいつの日かまたお話いたしますわね)

「実は先生の一番下の弟さんが僕の大学時代の親友なんです」
「えーっ」私は絶句した。
「先生は10人兄弟のご長男でいらして」
「そうです。その10番目の弟さんが僕と大学の同期だったんです」
「石井先生をご存知だなんて、世の中広いようで狭いって言うけどほんとですね」
「いやーほんと悪い事できませんね」

主人の言葉に私は「ほんとにそうだな」と、ただうなずくしかなかった。
奇遇だと心底思った。

主人との結婚の決め手はもちろん?見た目なんか?ではなく
人柄の良さ?が一番だったが、
この偶然が私たちを結びつける何パーセントかに役立ったことは間違いなかった。

主人との結婚が決まって、先生に報告した時の先生の驚きったら
私たちの驚きどころではなかった。

「えー、あの福士君なの?」「コンピューターが選んだんだよね?」
「こんな偶然あるのか?」

先生の話で私が驚いたのは、
主人は私が行った事のない先生のお宅にお邪魔して
弟さんと共に食事を何度もご馳走になったり、
伊豆にある先生の別荘までご一緒して、
クルージングまで楽しんでいたとの事。

そして先生は主人を誉める事、誉める事。

「福士君のお陰で、弟は大学を卒業したようなもんなんだ。
福士君がいなかったら、弟は大学なんか出られなかったよ」とか
「ほんとにいい人を見つけたね。
福士君ならまちがいないよ。僕が保証するよ」とまで
おっしゃってくださった時は、正直ほっとした。

「ああやっぱり、私の目に狂いはなかった」
とその時は?確信?したのでした。(なぜか過去形)

そしてやっぱり電話を切るまで、先生はこの偶然にこだわりつづけました。
「コンピューターに神さまが宿ったとしか思えないよ。
神さまも粋な計らいをするもんだね」と。

残念ながら結婚式当日、熊本で行われるの先生の講演会と重なり
出席していただけなかったが、
主人の友人代表として、先生にそっくりな弟さんが
洋楽をピアノ演奏してくださり、プロか?と思うほどの歌声を披露してくださった。
英語の発音も流暢で
(主人の方こそ、この人のお陰で大学卒業きたんじゃないか?と思ったほど)

余談だが私の妹のだんなさんとも大学の先輩と後輩にあたるので仲が良く
「ヒロちゃんと早慶でなくてよかったよ」
「お兄さん僕もそう思いますよ」なんて冗談を
旅先で楽しそうに話しているのを聞くとちょっと嬉しくなるのです。

「袖擦りあうも他生の縁と、いにしえからの伝えどおり
この世で出会う人とは全て、見えぬ糸でつながっている」

朝の連ドラで、私の大好きな竹内まりあさんが歌っているが
主人とは、コンピューターの線?がどこかでつながってたんじゃないかと
思わせるほどの偶然だった。

何の神さまだか解らないけれど

仕掛けられた「偶然」ならだまされてもいいかも
仕掛けられた「いたずら」なら笑って許すしかないもの
仕掛けられた「計らい」なら感謝するしかないじゃない

結婚して16年。
喧嘩しながらも、今日までこられたのも天が互いの忍耐と努力を
試していると思えば「試されましょう」とだまって受け入れるしかないもの。

という事は今日3月5日は私の誕生日という事もすっからかん忘れていても
私の事、真顔で人目もはばからず「大当たり」と言ってくれる
あなたを「許してつかわす」と言うしかないか。
(ひえーっ。陽子さん図々しい)

そういう私もこの頃は貴方の誕生日忘れちゃうし、お互い様よね。

それより親の介護で今は離れて暮らしているけれど
「今日はWBCだね」「うん。もう楽しみ。絶対見ようね」なんてお互い
ささやかなことでも楽しみを見つけ、盛り上がれる関係に
喜びを感じている。

貴方もきっと同じだと勝手に思っている私だけれど
いつものように「いいんだよ」と笑って許してくれるはず。

今さっき日本は村田のホームランで2点追加。
ただいま5回表。3対0で日本リード。
今ごろ「いいぞ。日本。行け。行け」と一人テレビに向かって応援しているんだろうな。

私はここ横浜でブログ打ちながら「よっしゃぁ。やったーぁ」
49歳に成り立てほやほやのおばさんは歳も忘れて大騒ぎ。
まったく忙しいったらありゃしない。
(これじゃあ49(しじゅうく)にして「しじゅう苦しむ?」になりそう)

さあ、早いとこブログ仕上げて、
だんな様の事はすっからかん忘れて?応援に専念しなくちゃ。
(えーそれじゃあ今度は神さまがせっかく結んだ糸を解いちゃうかもって。
うーん、それはもうしばらくは?ご勘弁を)

ああーそれにしてもイチロー、あなたのヒットが早く見たい。
見せてくれー。
何が今日の貴方を迷わせているの?

悩みはいいのよ。道の先に進もうとするなら。
迷いは駄目よ。幾重もの道に迷い込むから。

人生も、話し方も一緒よ。
「縁を生かせ。善は急げ」という言葉を記して今日の戯言を終わらせていただきます。
今日も読んでいただきありがとうございました。

youko