「あーっ、姉ちゃん」
妹の叫び声で私達家族は一斉に身を乗り出した。
時は1972年4月5日。
私が中学一年生になった日だった。
1972年当時、日本の子供の数は多かった。
私の学年も40人学級の21クラス。
(どう?この子供の多さ)
新入生だけで800人以上が講堂に入りきれないということで
入学式を2部制とし午後からの入学式となった。
その入学式にテレビ局が取材に来ているなど知らされていなかった。
それも天下の?NHK。
カメラが回っている事を皆が知ったのは校長先生の挨拶の中でだった。
「本日、日本一のマンモス校の入学式ということでNHKが取材にみえています」
「わーッ」悲鳴にも似た大きなどよめきが講堂中に響き渡った。
家へ帰ると大騒ぎ。
夕食は早々に済ませ、6時半に家族全員テレビの前に座り込んで
今か今かと7時を待ち望んだ。
「姉ちゃん映ってるかなぁ」妹がワクワクすれば
婆ちゃんは「トイレ済ませておかなくっちゃ」とせわしない。
父など田舎にまで電話をかけた。
「そう、今日の7時。陽子が出るかもしれないから」
「出ないよ。あんな大勢いるんだから」と私が言えば
「あーっ。知らせてくれたら着物もっと高いの奮発したのに」は我が母。
そしていよいよ7時。
「本日4月5日は全国で入学式が行われ」
いきなりトップニュースと思ったその時
それは校庭の片隅から一人の少女が走ってくる映像から始まった。
広い校庭を走るたった一人の少女。
カメラはずっとその走り続ける少女を追いかける。
と、少女の顔がアップになった。
「あーっ、姉ちゃん」
「うそ-」「どれどれ」
そして友達に飛びつく私がはっきりとうつしだされた。
映像だけだったのでそれは美しかった。(さすがNHK?)
特に遠めの時なんぞ顔がぼやけて?るから結構可愛く見えちゃうわけ。
(私にもちっとは可愛い頃があったの)
12歳の清らかな乙女?が入学式の喜びを全身に表し
4月の風のように桜が満開の校庭をひた走る。
その先には仲良しの友達の姿。
友達に跳びつき、二人で入学を喜び合う。
午後の陽光はまぶしく、中学生の未来を祝福している。
映画のような?ワンシーン。
今思えばディレクターが泣いて喜ぶような映像だった。
(実像はまったく違っていてほんとはその友達が遅刻してきたのよ。
式が始まる直前に校門に彼女の姿が見えたから慌てて呼びに走っていって
イヤーほんと慌てたなんてもんじゃないわよ。
早くしないと式始まっちゃうよと大騒ぎしていたのよ)
それにしてももう恥ずかしいったらありゃしない。
今なら「もっと映して結構ですわ。その代わり顔のシワは編集して。
ついでに顔は黒木瞳と取り替えてもいいですよ」
平気のへってな顔してNHKに注文?するんだけれどねぇ。
なんせ当時はまだ12歳。
「幼稚園もう一年通ったらどうですか?」と言われたぐらい
園長先生お墨付きの?内気でおとなしかった私。
それが全国放送で流れちゃうなんて。
翌日。もうそれは私の想像を絶するような展開が
目くるめく?やってきたのである。
「おはよう。貴方昨日テレビに映ったよね」
「名前なんていうの」
上級生とおぼしき人が次から次へ声を掛けてくる。
私は恥ずかしくてうつむいてしまった。
教室へ入れば
「おはよう。陽子ちゃんスッゴーィ」
「見たわよ。すっごくよかったぁ」
「いいなあ。お前。どアップで」
これらは小学校からの同級生。
「ねえ。名前なんていうの。友達になって」
「キャー。一緒のクラスなんだ。よろしくね」
こっちは別の小学校から来た人たち。
キャ-だのワァーだの
一夜のしてスターになったような感じ。
ちっとも嬉しくなんかありゃしない。
そんな私の気持ちなんかお構いなし。
まるで蜂の巣を突付いたような大騒ぎ。
廊下を歩けば先生方から名前は聞かれるし、
校長先生からはじきじきに「君は活発でいいね」なんて
勘違いもはなはだしい?お褒めの言葉までいただくし、
学校中がワイワイへんてこりんな盛り上がりのまま
一日が流れてゆくのを私は
毛穴の奥?まで感じ取ってしまった。
盛り上がりの予感?が的中?したのは
翌日のクラス委員3人を決めた時だった。
別の小学校からの男女二人が立候補してくれた。
「さてもう一人だが、誰か立候補いないか?いないなら推薦でもいいぞ」
「陽子ちゃんがいいと思います」誰かが叫んだ鶴の一声で?
「賛成」「陽子ちゃんやんな」「お前、向いてるよ」
教室は騒然?となった。
私は卒倒しそうだった。
小学校の時確かに立候補して役員をやったけど
美化委員とか
ウサギの飼育委員とか
ほんと控えめな役員ばかり。
それがあんな年がら年中、人前に出てしゃべりまくり?
皆を統率する学級委員なんて
とてもじゃないがごめんこうむりたい。
第一、学級委員っていうのは昔から勉強が出来る人がやるって
相場が決まってるもんなの。
「どうだ。やってみないか」
私はか細い声で
「すみません。とても学級委員なんて出来ません。
美化委員ならやってもいいです」
「もったいないなぁ。こんなに皆から推薦されてるんだぞ。
どうだ、だめでもともと。半年間だけなんだから。勇気を出してやってみないか」
青春ドラマの台詞ばりで私に迫ってくる。
立候補したあの二人。人は悪くなさそうだけど、
あっちは小学校の時から仲良しの同級生だって言うじゃない。
そんな二人と私が上手くやっていけるわけないじゃない。
どうしよう。
「すみません。もう一日考えさせてください」
明日には答えを出しますと言ったものの答えは決まっていた。
「私には出来ない」
作戦だった。それもとびきりのずるさ。
単なる時間稼ぎでしかなかった。
抱きついた友達はおしめがついているときからの幼馴染だった。
クラスも一緒になり、私は嬉しくてならなかったが
入学した途端、とんだ災難?に見舞われ
帰る道すがら彼女に愚痴をこぼした。
「まったくなにあのNHK。あんなのが映すからいけないんだよ。
学級委員なんてあたしの器じゃないよ。冗談じゃないよ。まったく」
「私だったら、やっちゃうけど」
「だってもったいないじゃん。こんなチャンスめったに無いヨ」
おしめの友?の言葉に私は深く考え込んでしまった。
家に帰ってからも気が滅入る始末。
困りきって母親に相談した。
「あんたそんなの簡単だよ。悩む暇があるならやっちゃいな。
あたしだったらこんな千載一遇のチャンスはないって
こっちから飛びつくよ。NHK様様だヨ」
「おはよう」私は重い気持ちを抱いたまま教室のドアをあけた。
「おはよう。待ってたんだ」「良かった。早く来てくれて」
教室へ入るなり学級委員に立候補した二人が私のところへ跳んできた。
「ねえ、やっぱり一緒にやろうよ」「僕達、協力するからさ」
「ありがとう。でも正直、私まったく自信が無いの。
それに昨日も言ったけど学級委員なんてやったことないし」
「僕ら二人とも小学校で学年委員もやって慣れてるんだ。
だから心配しなくて大丈夫だヨ」
「そう。私達がついてるから」
「それにテレビ見たときから私ずっとあなたの事が気になってたの。
一緒のクラスだと知ってすっごく嬉しいのよ。
友達になりたいの。だから一緒にやろう」
「だいじょうぶ。君の事、僕らが守るから」
「そう。私達が守ってあげる。約束する」
もう逃げるのはよそうと思った。
この二人となら一緒にやりたいと心から思った。
私の意思は彼らによって固まった。
そして私は学級委員を務めた。
彼らは約束以上の「力強いもの」を私に与えてくれた。
半年間の学級委員には留まらず
その後、中学、高校、短大を卒業するまで
常に何かしらの役員をさせてもらった。
文化祭実行委員、修学旅行委員、体育祭実行委員等々
およそお祭りと名が付くものに
勉強なんてそっちのけで
企画や、運営に携わらせてもらった。
仲間同仕ぶつかり、何度涙を流したか。
互いに真剣にぶつかり、多いに意見を交わすうちに
相手の心をおもんぱかり、理解する心や
自分を客観視する冷静さも学ばせてもらった。
人を尊重する大切さや、素晴らしさを
十代という若さで学ばせてもらった事は
「青春の宝」になっている。
主人には「お祭りおばさん」と揶揄?され、先生や親からは
「そのがんばりを勉強に向けたら凄いのに」と言われたぐらい
私は学生生活を謳歌させてもらった。
宝は多くの「仲間」と言うお金では買えない
「輝き」までも私にもたらしてくれた。
学歴の神さま?はとうとう最後まで
私の頭上には降臨してくださらなかったが
そんな神さまは私にとって必要なかった。
当時やりあった多くの仲間とは
今でも旧交を温め合っている旧知の仲であり
これ以上の宝があるだろうか?
すべてのきっかけは
あの時学級委員へと誘ってくれた
あの二人であり、あの言葉であり、
そして1972年4月5日のテレビからだった。
「あの日、あの時、あの場所で君に会えなかったら」という歌があるが
まさに「あの日、あの時、あの場所で、
NHKが映さなかったら、私は今でも内気なまま」だった。
「災い転じて福となす」って先生がよくおっしゃられているけど
テレビに映って天から災難が?降ってきた?と思ったけど
我が人生、頭上にはチャンスの神さまが降臨され
皆のお陰で、その前髪を掴み損ねずに済んだ。
昨日のWBC。延長10回。イチローのセンター前ヒットじゃないけど、
きっと誰の頭上にも神さまが平等に降りてくださるのよ。
「自分と他人を比較しているうちは悲しいかな前髪はなびかない。
昨日の自分より今日の自分に安堵しているうちも前髪は揺れるだけ。
今日の押し寄せる胸苦しい現実に、地に足つけて踏ん張って
明日に希望の夢を抱きながら、努力を怠らず
人の幸を願い、受け入れた者だけに勝利の女神は微笑む」
昨日のWBC2連覇で私が思った感想を上記に記して
私が掃除機よりうるさくなった訳?
パート2を終了させていただきます。
「おしゃべりならお前は東大?級」と
亡き父はほんと、上手い事言ってくれたけど
こんなベラベラ、しゃべるだけなら
(もちろん?英語じゃない)
ハーバードも夢じゃないかも?
今日もおしゃべりにお付き合いいただき
ありがとうございました。
それではごきげんよう。