実家の裏に住む、H子さんは中学生のとき
リュウマチになった。
以後50年近い年月を病気と共に生きている。
ご両親も既に他界され、彼女は今一人暮らしだ。
ほぼ毎日,ヘルパーさんが訪ねてくる。
でも、彼女はとても明るい。
ご近所の人が入れ替わり立ち代り
彼女の家を訪れては一時おしゃべりを楽しんでゆく。
にぎやかな笑い声がいつも風に乗って聞こえてくる。
そんな時,私はなぜか嬉しい気持ちになる。
私も頂きものなどがあると
「おすそ分けー」と言って時々訪ねる。
「H子さーん」「陽子ちゃん?勝手に上がってぇ」と
奥の台所から声がかかる。
「お邪魔しまーす」それこそ勝手に上がりこみ
ヘルパーさんが入れてくれるお茶を
すすりながら、お互いの近況報告。
「りんごもらったから、少しおすそ分けね」
「ありがとう。いつも悪いわね」
「いいの。それより調子はどう?」
「もう、庭に出られなくなってね。
今はベットと台所を車いすで往復するだけなの。
ところでお母さんはどう?」
「うちは、ほとんど寝たきり。
でもなんとかトイレに行ってくれるからありがたいの」
「さすが陽子ちゃんのお母さんだね。
トイレに行けるなんてたいしたもんじゃない。
私なんか自分の足でトイレに行くのが夢だもの。
でもトイレに行けなくても私は幸せだなって思うのよ。
お蔭さんでこうして話しができるんだもの」
「話しが出来るって最高だよね。うちなんか話しができないもの。
あんなにおしゃべりが大好きだったのにさ」
「こうして、お茶が飲めて、食事だってヘルパーさんが作ってくれるんだもの。
ありがたいなっていつも思うのよ」
「あたしも、肺病やってるからわかるなぁ。
いかに生きてるだけで、ありがたいかって入院したときしみじみ思ったもんね」
「そうでしょう。でもお母さんだって幸せだよ。
こうして毎日、陽子ちゃんに面倒みてもらってさ」
「親孝行のものまねよぉ」
「それでいいのよ」
「まあね。がんばらなくちゃね」
「そうよ。お互い元気でがんばろうね」
「じゃあね」「またね」
ほんのお茶一杯飲むほどの短い時間だが
毎回私はH子さんから大切なことを教えてもらって帰ってくる。
私に大切なことを教えてくれる人は
実家のご近所にまだまだたくさんいる。
近所のKさんもその一人。
Kさんは今年85歳。
母の50年来の友人でもある。
こちらもまた連日、ヘルパーさんが訪れる。
子供さんはもう永い事、異国暮らし。
寝たきりになった御主人を20年以上自宅で看病していた。
暖かい日はご主人の車椅子を押す
Kさんの姿をよく見かけたものだった。
「仲いいね」私がからかうと
「口は達者でね。しょっちゅう喧嘩してるよ」
「ああ。うるさくってしょうがねぇ」
「こっちの台詞だよ」
なんて顔出しに行くたびに
ベットサイドでやりとりしていたっけなぁ。
「していたっけなぁ」そう今はもう過去形になってしまった。
何故なら昨夏、ご主人が亡くなってしまったから。
でもKさんの前では、ご主人は生きていることになっている。
それもご近所ぐるみで。
亡くなってすぐにご近所連絡網?ならぬ
歩く連絡網?ご近所おばさんが歩いて回ってくれたので
お陰で?素早い口裏あわせと相成った。
なぜに口裏あわせ?
そうなのです。
Kさんはご主人が亡くなったことを理解できないから。
「こんにちは。元気ィ?今日は良いお天気ね」
「元気だよ。お母さん、だいじょうぶ?」
「うん。ありがとう。元気だよ。今、昼寝してる」
「ああ、よかった。うちもお父さん千葉の病院でがんばってるよ」
「ほんと。よかった。いつ行ったの?」
「えーと?いつだったかなぁ?でも又会いにいくんだ」
「おじさんによろしく言ってね」
「オーケー」
Kさんもいつも明るい。
明るいだけに心が悲しくなる。
悲しくなるけど、口裏あわせをしている
ご近所の温かなまなざしと心くばりが
私の心をポっと温めてくれる。
私の父が亡くなったとき、「悔しい」と言って号泣してくれたKさん。
「俺の方が先だと思ってたのに」ベットに横たわりながら
ハラハラ涙をこぼしてくれたKさんのご主人。
H子さんは豪華なお花を贈ってくれた。
「おじさんは会うたびにいつも
がんばれって励ましてくれたの。
「うちの母ちゃんが作ったおかずだ。食べな」って言って
いつも持ってきてくれたんだよ。
陽子ちゃんのお父さんとお母さんには、ほんと世話になったの」
父が亡くなって6年。
今でも涙ぐみながら私の父を懐かしがってくれる。
Hさん、Kさん、そして口裏あわせの上手い?ご近所の皆々様。
なんて私の心をこんなに潤してくれるんだろうか?
それでいてなんて爽やかで、サラっとしているんだろうか?
みんなみんな隠すことなく、さらけだして
みんなみんな自分のことのように受け止めて
みんなみんな良いも悪いも丸ごと全部受け入れて
だからこんなに心の深い所で
疼いて、痛くて、悲しくて
でもこんなに温かくて、優しくて、嬉しくて
さらけだして、受け止めて、
全て受け入れる。
これは話し方も同じではないだろうか?
自分の心を、相手の言葉を
さらけだして、受け止めて
全て受け入れる。
そうでないと本当の信頼関係など生まれてこないのではないだろうか?
自分という人間を向上させたいと真に願うなら、
まずは話しを聞く姿勢,態度から改めてみよう。
ふんぞり返って人の話しを聞いていないだろうか?
足や腕組をして人の話しを聞いていないだろうか?
自分自身でチェックしてみよう。
癖なら今からだって十分直す事ができる。
人に注意されて恥をかく前に自分自身で考え、改める力を持とう。
心の姿勢も曲がってはいないだろうか?
自分の意見ばかり全面に押し出しすぎていないだろうか?
ええかっこしすぎてないだろうか?
相手の意見をはなっから否定して聞いてはいないだろうか?
「いや,違う」「そんなの解ってる」「そんな事言ったって」
話しを聞きながら、心の中で、
自分自身とこっそりとそんな「会話」をしていないだろうか?
いや、自分自身でさえ否定してはいないだろうか?
「どうせ、俺なんか」「「どうせ私は」
どこかでお臍を曲げてしまってはいないだろうか?
教室での先生の話ししかり。
仲間のスピーチしかり。
懇親会しかり。
職場や家庭、ご近所、友人、親、兄弟。すべてしかり。
すべてさらけだして、受け止めて、受け入れる。
本来ならそこから
自分の意見を作りあげる,練り上げる作業を
あせって、先回りして、空回りして
自分を「ドツボ」にはめ込んで、
挙句に人生まで追い込んでしまってはいないだろうか?
あーん難しいよー。逃げたいし、
ズルしたいし、さぼりたいよーん。
でもそれは人間を辞めろってことだもんねぇ。
生きる事を辞めろって事と同義語でしょ?
だから話し方は生き方なのかも。
先生がいつも口酸っぱくして言ってるもんね。
(と言うか口から火が噴いてるような感じ)
「話し方は生き方ダーッ」(ヒョエーッ)
この難しくて、でも素敵な難題に取り組んでこそ
話し方教室に首を突っ込んでしまった私に課せられた宿命?
(なんだかおおげさになってきたぞ)
そして教室に通ってしまった皆さんにかけられた魔法?なのかも?
中には、この話し方の魔力?に魅せられというか
スッポリはまってしまい、あがり症で
「人前から逃げたい」と言っていた方が
「スッポットライトをあびたい」と嬉しい言葉に
変わった例をまざまざ目の当たりにすると
「ほんとどうなってんの?同一人物かい?」
と思ったのも正直嘘じゃないし、
ほんとそういう人、居るんだから世の中わからないし、
これだから「世の中おもしろい」って思う。
これだから「人間っておもしろい」ってがんばれちゃうのかも。
取り組んだのが運のつき?
通ってしまったのが運のつき?と
お互いあきらめて?
どうせなら魔法とあきらめて?
かけられましょう。かけましょう。
それがハロー話し方教室のいいところ?
でもさ、ここまで書いてハタと思ったけど
結婚生活も同じだね。
何が同じかって言うと
相手の言い分というか、
気持ちを受け入れてあげないと
大喧嘩になっちゃうもんね。
今年の6月13日で(ああーっ、覚えてた。
旦那様、貴方は?覚えていらっしゃる?)
17年目になるけど、しみじみ思うワッ。
そりゃぁ,言い分も山ほどあるけど
そこはぐっと堪えて,始めは一応うんうん聞いていると言うか
聞いている振りと言うか、してあげて?
(正確には「聞いてあげている」?)
そこから反撃?にかかっても「遅くないか」と
この頃は思うようになってきた。
(もっともこの頃は年取って,反撃するパワーも無くなった
と言うのが正解かも?)
それは決して人間ができてきたわけじゃなくて
「言い返すにゃ、打ち負かすにゃ、
相手の出方も、トコトン聞いてやんなきゃ
こっちが負けるぞ。こりゃマズい」
と言う思いやり?が備わってきたってだけなんだけど。
でも同時に、永い事?ドンパチ?やった結果?相手の意見?の中に
「ああそうだな。怒るのももっともだな」って
しおらしく?気が付いたのも事実。
(あとしゃくだけれど敵もさるもの。
「ぬぬっ。御主なかなか良い事言うではないか」と
カッカしながらも、妙に納得させられちゃうトコもあったりするわけョ)
ああ、そう思うと旦那様は
私に大事な事、教えて下さった訳よね。
こりゃ大事にしないといけないわよね。
この間パンを焼いたら「美味い、美味い」って
「小倉トースト」やら、「はちみつバター」ベッタリ塗って
厚切り2枚もかぶりついてたもんね。
カリカリ香ばしく焼けた耳までかぶりついてたもんね。
喜んでくれてありがとう。嬉しかったぁ。
あたしゃ、旦那様の気持ちまで
丸ごと受け入れると言うよりも
かぶりつくとするかぁ。
でもそりゃやっぱり難しい?ので、
「またいつか仲良く?ドンパチやりましょう」
と17年目の結婚記念日を前に
はっきり宣言しておきますデス。はい。
お覚悟あそばせ。よろしくネ。
「でもまたパンは焼いてあげるね」って事で
今日のお話は終わりにいたします。
どうぞ皆様、話し方の魔法にかかっても
新型インフルエンザなどにはくれぐれも
かからぬよう,手洗いうがいを怠らぬ様
お互い十分気をつけましょうね。
それではお体を大切に。
ごきげんよう。