えぐれるようなスピーチを「話のツボは心の裏にあり?」

「人前で話すとあがってしまい、話が上手く出来ず困っています」
「コミュニケーションが上手く取れず、人間関係で悩んでいます」
話し方教室に通う人の理由は人さまざまであるが
分類すると大方この二通り。

ではどうしたらよいか?先生が尋ねられると
様々な答えが返ってきます。
場数を踏む。とにかく前に出てスピーチしてみる。
自分の心を前向きに持ってゆく。
もちろん、それも全て当っている。

でも残念な事に、皆さん大事なことが
スッポリ抜け落ちていませんか?
それも基本中の基本が。

ズバリ「しっかりスピーチ作ってみようよ」

教室では毎回3分スピーチを課題として出し
一週間考えてくるようになっている。

あるときは思い出をひねりだす、生みの苦しみを?味わっていただき
又ある時は実際に実践していただいた結果発表など
実に多種多彩な宿題?に果敢に挑戦していただく
バラエティ豊かな?(ちょっと意地悪?な)内容となっている。

一週間かけて考え、「主題をきちんとつけた」原稿を作り上げ、
ご自分で時間を計り、授業前にきっちり練習をして,
「これで良し」と臨まれた方は正直申し上げて
皆無ではないかと思うのだが、いかがなものだろうか?

厳しいことを申しあげるが、やはり「基本」を「忠実に守る」
これに尽きるのではないだろうか?

私も当初はたかが3分スピーチと高をくくっていた。
なんせ普段は介護老人を抱えた主婦稼業。

スピーチを作る時間なんてどこにあるのよ?
そんな時間あるなら他にしなきゃいけないことが
山ほどあるの。

正直先生に噛み付きたい様な気持ちだった。
(実際、授業を受けた方なら
「ウンウンそうだ」とうなずかれるはず)

今でこそ実家で介護できる身になったが
授業に生徒として参加した頃は
東京の家から横浜の実家に通いながら
授業と介護と家事とそれこそ目が回りそうな忙しさだった。

食事の支度、洗濯,掃除、後片付けはもとより
お風呂には入れなくちゃならない、
トイレに付き添い,パンツの上げ下げを手伝い
時には粗相したお尻の後始末も待ち構えて?いる。

体が二つどころか三つ欲しいと真剣に?思いながらの
その時期に、この三分スピーチを作るのは
ほんと至難の業だったわよ。

先ずは出題された課題から主題が作れない、どころか
何を話していいか解らない。
頭の中から思い出を引っ張り出す作業から。

ところが40過ぎあたりからボケが始まったか?
それとも忌まわしい?過去を封じ込めてしまったのか?
なんせ生きてきた年数が長すぎて出ないったらありゃしない。

そこで私は考えた。
題して「アルバム大作戦」
昔のアルバムを引っ張り出して
ついでに?錆びた?頭から思い出を引っ張りして
様々な出来事を否が応でも
見つめ直そうというところから始まった。

子供時代のエピソード。青春時代の苦い思い出。
独身時代の職場での苦労話。友人達との葛藤。

「些細な出来事もあなたしか体験していない出来事なら
それは立派なエピソードになる」
先生のその言葉に励まされ?
スピーチを作った。

それは心の中の小さな思い出のかけらを
ピンセットで摘み上げるような作業から始まった。

突き刺さったかけらもあれば、とがったままの破片もあった。
いつのまにか丸くなったガラスもあれば
光り輝く石になった物もあった。
曇りガラスもあれば
透き通ってさまざまな色をつけてくれたものもあった。

「臭いものには蓋」ではないが
時にはとうの昔に涙の底に葬ったような思い出さえ
再び手繰り寄せ、その苦さを噛み締めながらも
懐かしんだり、慈しんだりしながら
それこそ「思い出の温め直し」という作業を行った。

振り返り、気持ちを整理し,見つめ直すと
そこに当時はまったくと言っていいほど
気付かなかった事に気が付いたのは
私にとって大きな発見だった。

思い出が苦ければ苦いほど
そこに甘さが加わってほろ苦さになり
いや、ほろ苦さではなく
涙の味も加わってしょっぱいはずなのに
いや,青春時代なら
さらに酸っぱさも混ざっているはずなのに
なぜだか程よい味加減。

もし味で表すならば「ほろ甘さ?」になっていた。

こんな発見?もあった。
自分中心のエピソードのはずなのに
そこには必ずと、言っていいほど「他の誰か」が介入していた。

親だったり、兄弟だったり、友達だったり,学校の先生だったり
時にはまったくの見ず知らずの他人だったりもした。

思い出を彩って、膨らませてくれ、寄り添ってくれていたのは
他ならぬ「自分以外の人」だったというのは
新たなる発見でもあった。

スピーチをしながらそれらの人々に
自然に感謝の念が湧いてきたのは
自分でも意外なほど驚きだった。

「今ならありがとうと照れることなくお礼が言えるのになぁ」
と正直、心から思った。
(ただ残念なのはほとんどの人が故人だったり
二度とお目にかかることのない人だったりするのが悔しい)

こんな「心模様」を感じながら
手始めは話す内容の要点だけを考えて短くメモを用意。
ところがほんと甘かった。

同じようなフレーズを繰り返す、それも二度,三度。
話があっちこっちに飛んでいる。

話をしながら自分の頭の中では
なかなか修正することが出来ない。

ようやくつけたはずの主題から内容が外れてしまったり、
あれもこれも話したいで、内容がバラバラだったり、薄れたり。

だめだ。こんなことじゃいつまでたってもだめだ。
「やっぱり原稿だ」
ところが原稿を作る時間を捻出するのに一苦労。

ハタと考えた。
そうだ自宅の家事は手を抜こう。
(なんでこうなるの?いいの。
これしかないって思ったほうが勝ち?なんだから)

取り込んだ洗濯が山積み(見て見ぬふり)
ようやく洗ったシャツに
「アイロンかけて」と頼まれてからありゃ三日たっている。
(これもしっかり?無視)
ゴミは主人が率先して?捨ててくれたのでなんとか溜めずにセーフ。
「埃で死なない」と強気な?いい訳?をして
こちらも数日掃除機をかけずじまい。

ただし食事は手抜きなし。
なんせ私は食いしん坊がこうじて栄養士になったぐらいの
筋金入り。
「上手いもん食わずして死ねるか」
他の家事一切手抜きしても
これだけは手抜きできない悲しい性?

手抜き出来ないけど野菜をたくさん食べたい。
でもこの忙しい時に、大根や人参、ジャガイモなんか
皮をむいている時間だって正直惜しい。

しかし、野菜が不足すると体がイライラして、
旦那様に当り散らしちゃうし
挙句の果て素晴らしき?スピーチなんか
夢の又夢で終わってしまうのは
目に見えている。

それじゃあどうするか。そうだ。鍋料理だ。
鍋料理なら、火にかけている間は
スピーチを考えられるじゃん。

てな訳で、カレー、シチューは言うに及ばず、
おでん,鍋物と手を変え品を変え、(そこはさすが?元栄養士)
「だてに13年やってきてないもんね」と
この時とばかり、我が腕を振るい
まんまと旦那様をだまくらかし?
温かい料理をささっと用意いたしましたわよん。

お玉とペンを交互に持ちながら
料理も?スピーチも?がんばったわよん。

自慢は、いやがんばりはこれだけじゃ終わらない。
ある時はトイレの中で、またある時は真夜中の湯船の中で。

もっと凄かったのは家と実家を往復する京浜急行の
電車の中。それも立ったまま。

ドアにもたれて紙を広げ、
ペンを走らせたのは二度や三度ではなかった。
座席に座っても居眠りどころではなかった。
チャンスとばかり、思いつくまま書き殴った。

よほど必死だったのか?
形相まで変わっていたのかも。
ある時なんぞ、隣に腰掛けられた
ご婦人から声をかけられた事もあった。

「奥さん、お勉強熱心な方ですね。
先ほどから感心して見ておりました」

(うんっまあっ、お勉強なんて。
そんな偉いもんじゃないのよね。
学生時代、これだけ必死で勉強してたら
もうちっとは?マシな人間になってたかも?)

ふーっ
自慢したくてしょうがなかったけど
すっきりした。

えーっ自慢したかっただけなの?
そりゃそうよ。
なんせ三分スピーチの原稿
10ヶ月間で70枚ぐらい作ったんだもの。

それも先生に何回も「やり直し」の
ありがたき?お言葉を頂戴し、
一番作り直したスピーチ
(いわゆるハロー話し方教室で言うリベンジスピーチ)
で4回って言うのが輝かしい?記録として
燦然と残っておりますデス。ハイ

「陽子さん,話したい事1つに絞って」

「陽子さん、映画の一場面が浮かんでくるように作り直して」

「陽子さん、ストーリーは説明でなく、
もっとその時の会話を多用して、臨場感を出して」

「陽子さん、あなたの話はカッコつけすぎ。
もっとドロドロした感情があったでしょ。
きれいな話だけじゃ、誰の心にも訴えないよ」

「陽子さん、あなたの気持ちがちっとも語られていないよ。
そんな話、誰が聞いても面白くないよ。
他人を感動させたいなら、あなたの心をもっと正直に
包み隠さず語らないと」

いやはや、なんて注文の多い料理店(宮沢賢治の作品名)ならぬ
注文の多い話し方教室。

「これでいいか」なんて中途半端だと、出鼻をくじかれ、
「これで完璧」だと浮かれていると見事、鼻をへし折られた。

大勢の人々の前で赤っ恥をかき?ながらも
それでも私はめげなかった。

「いつか先生を唸らせるスピーチを作ってやる」
こうなったらもうほとんど女の意地か
はたまたおばちゃんの開き直りか
作って作って作りまくった。というか作り倒した。

作り倒したはずだったが逆に最後まで先生には
「唸らせるスピーチより僕の心をえぐるような話を持ってきて」
であっさりと言うかばっさり
「切り倒されまくられました」デス。ハイ。

切り倒されましたので
結果、話し方の上達は今もってまったく解りませんが
自分で「やった」という気持ちは間違いなくあります。

この「やった」という気持ちが話の上手下手はともかく
今の私の自信に繋がっているということだけは
はっきり言えるのです。

だからこうして図々しく?皆さんに私の体験を語ることが出来るのです。
うーん、これこそ先生のおっしゃる「体験談は強し」
恐るべし体験談。

どうですか?この陽子さんのスピーチ作成にまつわる体験談。
苦しんで?作った様子が目に浮かぶでしょ?

でもやっぱり先生に言われそう。
「ダメ。陽子さん、あなたの話はあっちこっち飛び過ぎ。
第一、自慢しすぎ。これじゃあ誰も感動なんかするどころか
あきれかえられちゃうのがオチだよ」

あーあ。でもまっいいか。
この開き直りと図々しさを手に入れたんだから。
これこそ正に「体験は強し」だわ。

この次はあなたがこの話し方教室で
この恐るべきじゃなかった素晴らしき体験を
体感してあなただけの(先生の心をえぐる?)
体験談を語って下さいませね。

「陽子さん、エピソードはえぐられるのに、
美辞麗句ばかりで、せっかくの涙が半分しか出ないよ」

「陽子さん、ありふれた日常の一こまだけど
あなたの心の裏も語られていて心にググッと迫るね」

これは実際、私が先生からいただいた
めずらしき?お褒めのお言葉?です。

とどめに「心をえぐるような話を持ってきて」
作るのではなく、持ってくる。

どうやらこの辺に話のツボと言うか本質、
真髄が隠されているのでは?と心密かに
一人悦に浸っている私でありますが
先生いかがでございましょうか?

暑くなったり、戻り梅雨になったりと
体調を崩しやすい時です。
どうぞ皆様お体には十分お気をつけて

それでは又
ごきげんよう。今日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

心の目で相手を見よう~光を観る話し方~

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。

こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。

雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。

高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。

それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。

それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)

いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。

今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。

午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。

ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。

パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。

菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。

まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。

いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。

それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。

今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?

黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。

富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。

時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。

やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。

「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。

その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。

年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」

するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った

「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」

父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」

二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。

私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。

「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」

駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。

母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」

駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」

母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。

あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。

緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。

河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。

自分達で掘って入る温泉は格別だった。

私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。

私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。

その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。

その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。

どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく

「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」

そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」

光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?

相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、

いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。

それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。

みんな悩んでいるのよね。

自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。

「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。

ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。

自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。

決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。

先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。

彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
  
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。

「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)

だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)

最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。

それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。

「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。

どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。

えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」

私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、

二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。

あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。

それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。

梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて

それでは ごきげんよう。