こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。
雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。
高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。
それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。
それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)
いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。
今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。
午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。
ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。
パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。
菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。
まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。
いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。
それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。
今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?
黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。
富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。
時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。
やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。
「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。
その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。
年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」
するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った
「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」
父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」
二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。
私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。
「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」
駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。
母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」
駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」
母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。
あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。
緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。
河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。
自分達で掘って入る温泉は格別だった。
私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。
私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。
その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。
その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。
どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく
「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」
そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」
光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?
相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、
いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。
それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。
みんな悩んでいるのよね。
自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。
「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。
ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。
自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。
決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。
先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。
彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。
「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)
だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)
最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。
それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。
「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。
どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。
えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」
私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、
二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。
あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。
それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。
梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて
それでは ごきげんよう。
こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。
雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。
高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。
それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。
それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)
いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。
今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。
午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。
ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。
パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。
菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。
まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。
いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。
それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。
今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?
黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。
富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。
時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。
やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。
「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。
その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。
年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」
するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った
「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」
父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」
二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。
私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。
「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」
駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。
母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」
駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」
母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。
あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。
緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。
河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。
自分達で掘って入る温泉は格別だった。
私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。
私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。
その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。
その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。
どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく
「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」
そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」
光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?
相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、
いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。
それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。
みんな悩んでいるのよね。
自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。
「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。
ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。
自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。
決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。
先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。
彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。
「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)
だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)
最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。
それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。
「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。
どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。
えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」
私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、
二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。
あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。
それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。
梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて
それでは ごきげんよう。
こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。
雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。
高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。
それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。
それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)
いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。
今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。
午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。
ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。
パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。
菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。
まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。
いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。
それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。
今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?
黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。
富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。
時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。
やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。
「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。
その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。
年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」
するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った
「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」
父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」
二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。
私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。
「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」
駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。
母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」
駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」
母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。
あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。
緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。
河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。
自分達で掘って入る温泉は格別だった。
私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。
私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。
その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。
その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。
どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく
「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」
そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」
光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?
相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、
いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。
それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。
みんな悩んでいるのよね。
自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。
「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。
ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。
自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。
決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。
先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。
彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。
「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)
だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)
最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。
それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。
「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。
どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。
えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」
私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、
二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。
あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。
それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。
梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて
それでは ごきげんよう。
こんにちは
皆様お変わりございませんか?
先日、関東地方も梅雨に入りいよいよ
雨の美しい季節になって参りました。
雨が美しい季節だなんて若い頃はちっとも思わなかった。
高校、大学と電車で通ったが、あの頃は(今から30年以上前)
京急も東横線も冷房車なんて、ほとんどなかった。
それこそ満員電車の中は、ジメジメなんてもんじゃなくて
もう蒸し風呂状態。
うっとうしいなんてもんじゃなかった。
それでも手動で開けた窓から、時折入ってくる少し湿った風でさえ
心地よくホッとしたのを昨日のことのように思いだす。
(ほんと、よくあの蒸し風呂電車?で文句1つ言わず通ったわよ。
自分でも感心するわ。まったく)
いつの頃だろうか?その雨の季節も楽しめるようになってきた。
今は庭の滴る緑の葉のきらめきを眺めながら、
この文章を打っては、心癒されているのを感じている。
母が植えた薄紫の紫陽花が、6月の風にかすかに揺れている。
午後12時半。静かな時間がゆっくり過ぎてゆく。
車は一台も通らない。母は昼寝の最中。
小さな寝息に私の心まで安らいでくる。
ラジオから「昼の音楽」のメロディが流れてくる。
雨があがるのか?鳥がしきりにさえずっている。
パン焼き機のかすかな音が台所から聞こえてくる。
そのうち香ばしい香りが、この部屋まで漂ってくるはずだ。
菖蒲の紫の色が映えるのもこの時期だ。
今ごろ各地の菖蒲園は、色とりどりの菖蒲の花が
水面にその可憐な姿を映し、
訪れる旅人の心を慰めているだろう。
まばゆい新緑を待ちきれず、独身時代は
まとまった休みが取れると
「それっ」とばかり、リュック1つ背負って旅に出かけた。
いや,あの頃は新緑を待ちきれないと言うより
仕事で心と頭がパンパンになると
緑に癒されたくて、と言うような
生易しいものではなく
もっと息苦しいほどに
大自然を欲し、野生に恋焦がれていた。
それも全身全霊で感じたかった。
それほど疲れていた。
それほど自然に飢えていた。
今思えば、あの旅もそんな旅のひとつだったのか?
黒部峡谷のトロッコ電車に乗ったのは今から25年ぐらい前。
定年になった母との二人旅だった。
富山県立山の宇奈月温泉から、乗り込んだトロッコ電車は
それこそ緑一色の険しい渓谷を
ひたすら山峡へ,山峡へと弾む心までも運んでくれる。
時に厳しい山肌を目の前にさらし、
時に雄々しい川の流れを眼下に臨みながら。
やがて電車はむせかえるような緑と
突き抜けるような空の青さだけがまばゆい
終点1つ手前の駅で止まり
私達を迎えて入れてくれた。
「わーっ」「すてき」
私と母は改札口の前で
額縁の中に納まったかのような
遠く広がるダイナミックな立山連峰にただただ感動し、
足を前に進めるのを忘れるほどだった。
その時だった。
私達の真後ろにいた親子連れが何やら
駅員に話しかけている声に気が付いた。
年の功30代とおぼしき父親がこう切り出した。
「この先,何かあるんですか?」
若い駅員さんはこう答えた。
「何もありませんよ。ここはただ川と緑だけですよ」
するとその父親ががっかりした様子で
傍らに立っていた
就学まじかと思われる男の子と
小学校3、4年生ぐらいだろうか?
それこそ元気が有り余っていそうな
もう一人の男の子にこう言った
「なんだ。何にもないんだってさ」
すると二人の手を引いていた母親が
「なんだ。何にもないの?それじゃつまんないじゃない」
父親がさらに続けた。
「ほんとだ。それじゃ帰ろう」
「帰ろう。帰ろう」「こんなとこ来たってしょうがなかったな」
「ほんと。なんにも無いんだって」
二人はさっさと子供の手を引いて
改札口も出ないうちに踵を返して
又、帰りのトロッコ電車に乗り込んでしまった。
私はなぜか淋しくなった。
でもその後ろ姿を、淋しく見送ったのは
私だけではなかった。
「何にもないのがいいんだけどな」
先ほどの若い駅員さんがぼそりとつぶやいた。
その時、間髪いれず叫んだのは他ならぬ我が母だった。
「その通り」
駅員さんは「我が意を得たり」とばかり
満面の笑みを浮かべ、
「お客さん、ありがとうございます」と元気な声で頭を下げた。
母はこう続けた。
「この山と緑でもう十分。
こんな素敵な所。他にないわよ。
これ以上何にもいらないわよねぇ」
駅員さんは、母の両手を取り
今にも抱きつかんばかりでこう言った。
「ほんと、ありがとうございます。
ここは僕の故郷なんです。
お客さん、何にも無いけど是非楽しんで行って下さい」
母は「こちらこそありがとう。楽しんでくるわね」と
笑顔で返して、私たちは駅員さんと別れ
ようやく改札口を後にした。
あれは鐘釣(かねつり)という駅だった。
何も無い所だなんてとんでもなかった。
緑濃き山々に囲まれ、流れる川は
川底が透けて見えるほど美しかった。
河原はただの河原なんかじゃなかった。
なんとその河原は、天然の温泉が沸いて出る
「宝の河原」だった。
自分達で掘って入る温泉は格別だった。
私たちは足湯だったが、山懐に抱かれて
晴れた空の下で、真昼間から浸かる
その気持ちのよさといったら、今思い出しても
ああ、たまんなーい。
又、はいりたーいよー。
私はこの上も無い幸せな光に包まれてる自分を感じていた。
その時だった。
わずか数日前に読んだ新聞の記事の一文を思い出した。
その記事は要約するとこんな文章だった。
「あなたが旅をした時、どんなに不便で
どんなに山奥に行こうとも
そこで暮らす人にとっては、故郷であり、
ご先祖様が築き上げてきた大切な土地である。
どうぞ、皆さんそんな土地を訪れた時は
「ああこんな不便なところによく住んでいられるわね。
私はとても住めない。冗談じゃないわ」ではなく
「ああこんな山深い土地でも、人の営みがあるんだ。
なんて人間は力強くて、たくましいんだろう」
そういう目を持って観てきてください。
それこそが観光。すなわち光を観る旅なのです」
光を観る。心の眼で物事を観る。
それは話し方にも共通ではないだろうか?
相手の事を一度「こう」と決め付けると
それ以上相手をもう受け入れられなくなってしまったり、
「あの人ってこういう人なのよ」と人から聞いてしまうと
先入観にとらわれすぎて、相手のよさが見えなくなってしまったり、
いや、そればかりか自分の方から緊張しすぎで
せっかく持っているあなたのそのステキな笑顔が
こわばってしまって、相手の心に届かない。
それどころか相手に不快な気持ちを抱かせてしまい
せっかくの会話が弾まなかった。なんていうのは
この話し方教室では、しょっちゅう聞く話。
みんな悩んでいるのよね。
自分をよく見せようとし過ぎると
こわばっちゃうよ。
自分じゃなくて、相手をよく見てあげよう。
こころのスイッチちょっと切り替えてごらん。
ほら、きっと楽になるよ。
「素の私を見てよ」自然のままに振舞ってごらん。
ほら、声立てて笑ってる自分に気がつくよ。
ハロー話し方教室の授業は,笑い声が絶えないよ。
それはみんなが、心を開示したから。
自分の心を開いて,相手を受け入れた人は
今日も大声で笑っているはず。
決してテクニックだけではない「楽しいスピーチ」を
心から、「自分から楽しんで」今日もしているはず。
先日、国際ピアノコンクールで優勝した全盲の辻井さん。
テクニックではなく、聴いてくれている人に楽しんでもらいたい。
そう彼は思ってあの大舞台に臨んだそうだ。
彼こそ本物の光をたとえ目が見えずとも
その心でしっかり観た人だと私は思う。
もうすぐ6月13日。
私達夫婦の17回目の結婚記念日がやってくる。
「どこかで食事でもしようか」主人はいつも
早々と気を利かせて言ってくれる。
(ありがとう)
私は「気持ちで十分だよ」と毎年答えている。
(ホントだよ)
だっていざその日が近づくと忘れてしまうんだもの。
(まあしょうがないよね。男の人は仕事で頭がいっぱいだもの。
それ以上、「気を回せ」って言う方が所詮無理ってもんよね)
最初から約束なんかなまじしたら
私ががっかりしなくちゃなんないでしょ。
あげくの果てはカッカしてきて、ろくなことないもんね。
それなら最初から約束なんかせず、
すっからかん忘れて仕事から帰ってきたら
私の手料理がズラリとまではいかなくても
テーブルに湯気をたてて並んでいた方が喜ぶかな?って
(ついでにだんな様の好きなお酒でも用意して)
そんな結婚記念日のほうが私達夫婦には似合っているのかも。
「ブログでご主人の悪口言わない事」と
お達し?(心訓?)を受けているので
肝に銘じているつもり。
どうですか?この気の遣いよう?
これこそ心の目で旦那様を観ている証拠?でしょう。
えっ?やっぱりダメ妻?
うーん歳だけは二十歳の辻井君の
二倍以上で勝って?はいるが
彼には、とてもじゃないがかなわない。
「器の大きい演奏家になりたい」
私は十歳で「器の大きいプリンが食べたい」と言って
妹に笑われ、
二十歳の時には「器の大きい茶碗蒸しを作ろう」と
授業中に言って、教授からはにらまれ
教室中の笑いをかった。
あーあ。あれから三十年が立っても一向に進歩なし。
これじゃあ、いつまでたっても
器がデカイ人間どころか、態度がデカイやつと
主人にまた叱られそう。
それでは皆様、本日も長々お付き合いいただき
ありがとうございました。
梅雨寒で、冷える夜もございますので
どうぞお体にはお気をつけて
それでは ごきげんよう。