「いい加減にして」
何という無責任さだろう。
人生を中途で投げ出すなんて。
私は昨日の一報から、無念さと怒りが交互にやってきて
心の納まりがどうにもつかない。
自分の人生だから何をやってもいいという考えがこんな愚かしい
行動に走らせるのか?
自分の人生は自分のものだから自分で決めるなんて
一見かっこいい言葉で自分を納得させたいのかもしれないが
後始末に追われるこっちの身にも少しはなってほしいと思う。
残されてあっけにとられる同胞たちのことなど
おかまいなしの行動は、我儘で身勝手としか言いようがない。
自分の気持ちにはけりがついたかもしれないが、
お陰でこちらの気持はぐちゃぐちゃにされた。
人さまの心をぐちゃぐちゃにしてさようならと
別れを告げてゆく人生が、美しく成仏されるわけがないことを
あなたは知らないからこんな馬鹿な終わり方をするはめになる。
再びどこかで会った時に、「あの時はお世話になりました」
「こちらこそ、お会いしたかった」嬉し涙と、笑顔で会える
そんな人生を何度も経験してきた私にとっては
別れは「いつの日か再び美しく出会うためのもの」となっている。
だからたとえ一度きりの出会いでも「ありがとう」の感謝の気持ちや、
思いやりを決して忘れたくないし、
たとえ道すがらの挨拶でも笑顔でお別れしたいと
常に思っている。
「立つ鳥跡を濁さず」という言葉が好きだ。
結婚して最初に所帯を持ったアパートを引っ越しする日
私は引越し屋さんが荷物を全部運び出し後の
がらんとした部屋で、今は亡き父と二人で
部屋中をピカピカに拭き清めた。
70を過ぎた父がズボンの裾をめくって
スポンジを手に風呂場のタイルを磨いてくれた姿を
昨日のように懐かしむ。
翌日、大家さんの所へ鍵を返しに最後の挨拶に伺ったとき
「あんなにきれいに返してくださった方は初めて」と
喜んでくださる笑顔を見た時は、疲れが吹き飛ぶほど嬉しかった。
「あんなにお掃除しなくてもよかったのに。お疲れになられたでしょう。
こちらこそありがとう」とお礼まで言われ、
その後、何度か大家さんの経営されるお店に立ち寄るたびに
何かしらのおまけをしてくださり、
毎回こちらこそ申し訳ないと恐縮したものだった。
その後、街を離れお会いする機会もなくなってしまったが、
今でもあの街を思い出すたびに、大家さんはお元気でいられるだろうか?と
温かい思いで一杯になる。
「やる仕事がなくなった」馬鹿なことお言いでないよ。
最後まで生き抜くことが、やりぬくことがあなたの仕事だったのに。
悔しい。本当に悔しい。
あなたの恵まれた才能は、単なる歌という領域を超えて
私たち戦後世代に多大なムーブメントを起こしてくれた。
それは、それは熱くて大きな時代のうねりだった。
あなたの唄った歌はあの時代(1970年代)を生きた若者なら
歌詞カードなど見なくても空で歌える。
そこに集まった若者なら全員が間違いなく歌いきることができる。
それほどまでにあなたの歌はあの時代の若者に受け入れられていた。
ある者は、放課後の教室で一人ギターを爪弾き
ある者は、大学のキャンパスの芝生の上で仲間と輪になり歌い
小学生だった私は遠足の定番ソングだった。
ある時は、打ち砕かれた胸の内を慰められ
又ある時はたぎるような青春を謳歌し、
いつもあなたの歌は若者の代弁者のように
寄り添って流れていた。
あなたの歌を口ずさんだ記憶は、そのまま私たちが生きた青春と直結する。
友達との他愛ないおしゃべりや、放課後のざわめきや、
教室の匂いまで運んできてくれる。
男性なら長くのばした髪の毛に怒られた思い出や、
女性なら好きだった人の擦り切れたジーンズや
シャツの柄まで思い出させてくれる。
40年近くたった今でも色あせず
あの時代を鮮烈に思い出せるのも
あなたの歌があったからだと言っても過言ではない。
それほどあなたの歌は私たちの胸の奥底までしみついている。
生きた証となっている。
そんなアルバムにさえ残っていない、
青春時代の清らかで、きらめくような思いや
充ち溢れた光りさえ
あなたは自殺という行為で
私たちから奪ってしまった。
まさに「後ろ足で砂をかけて」
逝ってしまわれた。
それはちょうど砂場に作った山を
悪がきにけとばされて崩れる様子を
じっと涙で見つめるしかない
幼子のような感じと言ったらいいのか?
ただぽかんと立ちすくむしかない。
これから先、あなたの歌をどんな気持ちで聞いたらいいのだろうか。
天寿を全うされたなら、
「ありがとう。私もそのうちいくからね。また会おうね」と
泣き笑い交えて見送れる。
病気で亡くなったのなら
「がんばったね」と声もかけてあげられる。
それが自ら命を絶つなんて
「いい加減におし。許せない」と地団駄を踏むしかないのか?
あなたの歌の文句じゃないが、「悲しくてやりきれない」
こうして胸の内をどこかにぶつけないと心の整理がつかない。
ここまで書いて、夕食の準備に取り掛かった。
母が食べやすいように野菜をみじん切りにし、
たっぷり青野菜が入ったオムレツを焼く。
大根、キノコ、里芋を油揚げと共に煮含めた煮物は母の大好物だ。
コトコトと落としぶたを揺らしていい匂いに出来上がった。
茄子焼も母の大好物。紫の皮目に亀甲に包丁を入れたっぷりの油で焼き
生姜醤油をかけて焼き立てをいただけば、うーん御飯が何杯でもいけちゃいそう。
かぶの糠漬けもおいしく漬かった。
ここのところぬか床も良好だ。
主人も毎回「うまい」と褒めてくれる
台所で、野菜を切っていて、ハタと思った。
どんなに心が胸苦しくても、主婦は時間がくれば
否応なしに台所に立たなければならない。
そして、家族のために悲しみや、痛みを胸の内に秘めて
ひたすら温かく、おいしい料理を給する。
野菜を切ったり、鍋をゆすったり、オムレツの焼き加減に
心を配っている間に、また炊き立てのご飯のいい匂いに
私は心が落ち着き、やわらいでくるのを感じた。
さっきまでの胸のささくれや、行き場のないもやもやが
治まってくるのを感じている。
昔、何かの書物に書いてあった一文を思い出す。
女は台所で涙を拭き、台所で心立ち直す。
まな板に思いをぶつけ、包丁で思いを切り刻む。
湯気に涙を隠し、鍋の底に涙を沈める。
こんな感じの一文だった。
祖母や母も、主人の母も
そして多くの女性たちもこうして昔から
家族のために台所でふんばってきたのだ。
そんなことが主婦になって解った。
あの頃は若くて酸いも甘いも噛み分けられなかった。
今は蕗の苦みや、さんまのはらわたの味が好きなのと同じで
年を重ねたら人の心の苦みや、
少しはおかしみがないと人間つまらないわよねと
思えるまでになってきた。
ただ悲しいかな、年をとり過ぎたのか?
腹の内まで透けて見えてしまう時もあり
どんなかっこいい言葉を並べて、正当化しようとも
「御託並べるんじゃないよ」と
顔で笑って、怒りを胸にひた隠し、心でせせら笑いしているずるい自分を
責めたくなるような気分になる時もある。
それを人は「大人というんだよ」と慰めてくれるけれど、
怒りをもろ顔に出して、ギャーギャー泣き叫んで、
心がストレートだった幼い頃が少し懐かしくもある。
加藤さん、あなたに対して悔しいのは最後までかっこつけすぎだから。
あなたはその生き方までかっこよかった。
先の奥さんの安井かずみさんとの暮らしぶりはおしゃれで
10代だった私にとっては憧れの夫婦だった。
かっこいいのはいいけれど、かっこつけすぎは逆にかっこ悪いよ。
人生も仕事も話し方もみな同じ。
途中で投げ出したら、
どんなにかっこいい理由づけしたところで
正当化したところで所詮は皆に
「投げ出したんじゃない」と後ろ指さされるだけ。
陰で言われるならまだしも
いずれどこかであなたに跳ね返ってきて
結局後で苦しい思いをするのはあなた。
今頃あなたは後悔されているはず。
だってあなたの輝かしい作品の数々を
皆が涙で聴かなきゃならないんだもの。
自分の青春を思い出して涙する美しい涙じゃなくて
あなたのはかりしれない無念さや悔恨を
共有しなければならない涙になってしまったのがどうにも悲しい。
大好きな軽井沢がまた別の地になってしまったのがなんとも寂しい。
人はこうして多くの悲しみや寂しさを抱いて生きてゆくしかないんだね。
どうぞ皆さん、人生を、仕事を、
ついでに?話し方教室も全うしてください。
自分探しの旅もいいけれど、いつまでも探すばかりじゃなくて
踏んばる場所を見つけたら、踏みとどまって
秋の枯草じゃないけれど
踏みしめてみるのもいいもんだよ。
酸いも苦いも涙と共に噛みしめてみるのもいいもんだよ。
あなたがいつの日か無念さや悔恨で
「あの時、こうしていれば」と思い出さずに済むように
心から祈念して今日の話を終えたいと存じます。
本日もおばさんの愚痴?に
長々お付き合いいただきありがとうございました。
最後まで読んでいただき心よりお礼申し上げます。
朝晩すっかり秋が深くなってきました。
どうぞお体を大切になさってくださいませ。
それではごきげんよう。