この酷暑の中で今日8月11日を
ボランティアで過ごす若者達がいるという。
場所は主人が泥かきに行った宮城県石巻。
縁もゆかりもないあの街に
居ても立ってもいられなくて出かけていったのは
震災直後のことだった。
あれから2年5ヶ月。
申し訳ないが、日々の忙しさにかまけて
ニュースを見るときぐらいしか被災地を思うことがなくなった。
直後は、震災以外考えられず母の介護や主人の食事の支度など
やったはずなのに記憶が10日ほどスコーンと抜け落ちていて
「私あの時夕飯ちゃんと作った?」と後に主人に確かめる始末。
主人は「作ってくれたよ」と言うので間違いなく作ったんだろうけど
自分的には???なのです。
トイレで涙し、風呂で涙し、台所に立っても涙し
「目がウサギだよ」と言うほど、とにもかくにも涙にくれていた。
何も出来ない自分が歯がゆくて、時に腹立たしくて
ああそれなのに、この体たらく。ごめんなさい
泣くだけなら誰にでもできるよね。
太陽が沸騰しそう?なこの日に
「亡骸の一片でも探し当て、一日でも早くご遺族の元に返してあげたい」
じりじり焼くような日差しの中
中腰になって、打ち寄せる波間で、細かい砂の中から
生きた痕跡をわずかでも見つけ出してあげたい
成仏させてあげたいという気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
忘れかけていた涙がまた私の中で溢れ出す。
頭が下がる思いと同時に
清清しい若者の言葉に、心が洗われるような気がする。
救われるような気がする。
仏の世に行き、お盆で帰ってくる彼らに代わって
「ありがとう」と礼を述べたい。
「今もボランティアをしてくれる若者達よ。ありがとう。
君たちの事はずっと忘れないよ。必ずや君らに幸が訪れることを
おばさんは心から願っているよ。祈っているよ」
人の為に汗水流すことが、自分の才を活かし
さらに伸ばし、広がることを若い彼らは知る由もない。
欲なきところに花が咲くことを彼らは知らない
それでいい。それがいい。
いつか開花したときに彼らは気付く。
己を捨てた行為こそ美しかったと
あれこそ華だったと。
素敵なお話を届けてくれて
ありがとう。
今日も読んでくださって
ありがとう。