3年目の3月11日 ~800文字のつぶやき~

原発が爆発した瞬間、私は声を失った。

繰り返す映像は、現実を通り越していた。

「これ、嘘でしょ」

大津波の映像だけでも、「悪い夢をみているのだ」

そう自分に言い聞かせていた。

2011年3月11日。

生まれて初めて遭遇した大地震。

ひっきりなしに襲ってくる余震の中で、

私は必死で祈った。

福島のいとこたち。どうか無事でいてくれ。

南相馬の友人よ。頼む。生きていてくれ。

私の頭は、パニック状態。

それだけでも十分「キャパ越え」しているのに。

それが、なんてコッタイ。

原発が爆発したぁ?

「福島が、汚された」怒りで体が震えた。

横浜で生まれ育った私にとって福島は

それまでは、祖母が眠る町、

母の生まれ育った故郷でしかなかった。

それが、あの爆発で

「私の中」で、全く違う町になった。

「福島の血が流れている」

はっきり感じ取った瞬間だった。

「なんでこうなったの?」

もって行き場のない怒り、深い悲しみ

やり場のない絶望感は、ようやく連絡のついた

いとこたちや、友人とともに

「電話で抱き合い」

号泣することでしか、慰められなかった。

いとこは、

「おばさんには知らせたかい?」

「ううん、理解できないもの」

「知らせんな。心配するから」

 

友人には「理解できなくてよかった。気が狂うと思う」と

話した。

彼女はこう答えてくれた。

「良かったと思う。私だって気が狂いそうだもの」

自分たちの生活ですら大変なのに、

皆、母を気遣ってくれた。

あの頃、母は要介護4。

車いす生活で、話を理解することができなくなっていた。

不謹慎な言い方だが、

私は母が原発事故を理解できないことを

心から「よかった」と思った。

その母が先日2月8日亡くなった。

87歳だった。

5年5か月も看られて幸せだった。

何の悔いもない。楽しかった。

今頃母はあの世で、

「あんたそうだったの」

でもやっぱり、こう言ってくれるはず。

「嘘を突き通してくれてありがとう」って。

3年目の3月11日。

再び私は祈る。

「母ちゃん、福島を見守っていて」