八月一五日とオリンピック

「今日は終戦の日だな」

元気だったころの父は、毎年決まってこの言葉をつぶやいて仕事に出かけた。

東京でオリンピックが開かれるほんの少し前の時代。

横浜の地下道には戦争で傷ついた、傷痍軍人がそこかしこにあふれていた。

木の松葉づえをついた人には片足がなかった。

上着の袖だけがダランと伸びた人の目は虚ろだった。

顔面包帯でおおわれていた人の、

わずかに見える眼光の鋭さに私は怯えた。

幼い私はそれが何であるのかわからず、

ただただ恐怖で父の足元にしがみついた。

父は優しく背中に手を回して「戦争で傷を負った人だよ」と

それだけ呟き、私たちはいつも足早にその場から離れた。

横浜だけではなかった。

家族で浅草に遊びに行った際も、

同じ光景を目の当たりにし、早くこの場から立ち去りたいと思った。

たったそれだけの経験だが、

私に戦争というものを教えるのは十分過ぎるものだった。

あの光景から50年以上経ち、今や横浜にも浅草にも往時を感じさせるものは何もない。

平和の象徴である祭典であるオリンピックが、

今、リオで開催されている。

毎日のように、熱戦が続き

連日の応援に加えて、暑さも相まってで、少々疲れてきている。

おまけに年取って、涙もろくなってきているから

号泣しまくりで試合が終わるたびにぐったりとなっている。

思わず「欲しいわね。オリンピックの盆休み」なんて言葉も出る始末。

でも選手の皆さんのお疲れに比べたら

先の大戦で亡くなった方の無念さに比べたら

何の、何の、おばさんも負けてなんかいられない。

「頑張れ。日本。さあ行くわよ」

またテレビの前で号泣、いや応援だあ。

ありがとう親方

 

亡くなった母や父も大の相撲好きだったが、とりわけ祖母も相撲が大好きな人だった。

大鵬のファンだったが、千代の富士がデビュー?し、

「大鵬もいい男だったが、この男も負けねえぐらいいい男だ」とほめちぎっていた。

母も、隣で共に観戦する父のことなどおかまいなしで連日キャーだの、ワーだの

大騒ぎしていたのを昨日の事様に思い出す。

「この男は絶対横綱になるゾ」と、常々予言?していた祖母も残念ながら

その晴れやかな決定戦を見ることなく、直前でこの世を去った。

優勝したその日、祖母の位牌の前で

「おばあちゃん千代の富士優勝したわよ」と号泣した母の姿は

一緒に祝いたかった無念さと、応援し続けた力士の横綱決定という

喜びが会い混ざっての涙だったと今更ながら思う。

私も涙をぬぐいながら、共に歓喜を分かち合い、

日本中が沸き上がったあの日から、

もう40年近い歳月が経とうとしている。

昨日九重親方の訃報に接し、忘れていたあの日の記憶がまざまざと蘇り、

再びの涙をこぼした。歓喜の涙でないことが残念だ。

今も画面がぼやける状態のまま、この文章を打っている。

改めて千代の富士と言う名力士が残した足跡の偉大さを思う。

隣でやきもきしていたであろう父も亡くなり、

寝たきりになっても相撲観戦だけは、

じっと見続けていた母も他界してから、三度目の夏を迎える。

「母上たち、あの世でも皆で相撲観戦をしているよ」

時折、主人が話すことがある。

その度に、「うん、相変わらずキャー、キャー言ってさ」と答える私。

「父上も『母ちゃん、静かに』って言ってるかな?」と主人が言えば

「言ってる。言ってる」と二人で大笑いをする。

そんなささやかな楽しみまでも、皆に残して下さった

心技体プラス母いわく「顔もいい」

『本物』の素敵な相撲取りだった。

立派にそのお役目を最後まで果たされました。

あなたはやっぱり「千代に日本一の富士」だったわ。

沢山の感動をありがとうございました。

どうぞ安らかにお眠りください。

本当にご苦労様でした。