物の整理は心の整理

皆さんこんにちは、ごきげんいかがですか?

 

父が亡くなって早いものでもう3年が過ぎた。

父の部屋を片付けなければと思いながらも

生来怠け者の私のこと、何とはなしに、

手付かずのまま、

あっという間に3回忌になってしまった。

さすがにこれはいけないと思い、

父の部屋の片付けに重い腰をあげた。

始める時、心の中で父に謝った。

「お父さん、ごめんね。とうとう片付けることにしたわ。

お父さんのお気に入りだった背広も処分するけど許してね。」

 

父は掃除が好きな人だった。

いや趣味と言っていいほどだった。

自ら箒を持って部屋を掃き清める姿は

父のトレードマーク?だった。

整理整頓も我が家では、誰よりもうるさい人だった。

読んだ新聞紙も4隅をきちんと揃えて、

定位置に収めないと気が済まない人だった。

父に似ずだらしない私は

いつも父に叱られてばかりだった。

そんな父だから、綺麗に片付けることなら

きっと許してくれるだろうと

勝手に思いながら部屋の掃除を始めた。

 

父の部屋はきれいに整頓されていた。

洋服ダンスはもとより、引出しの小物入れから

押し入れの中までどこをあけても父の几帳面さが窺われた。

シャツはきちんと折りたたまれ、たんすの引出しは

一目見ればどこに何が入っているのか

すぐわかるようになっていた。

 

そんな父だからもし生きていたら?

というかあの世から話ができたら

「なんだ、お前。今ごろ整理するのか。

あいかわらずお前はやることが遅いなあ。

片付けっていうもんはもっと早くにやるもんだ。

第一お前、誰も着られない服、

後生大事にとっておいてどうするつもりなんだ。

死んで墓に持っていけるわけじゃあるまいし、

さっさときれいさっぱり捨てちまいな」と

きっとそう言うだろうな。いや間違いなく言うだろうと

一人苦笑しながら片付けた。

 

「このシャツはお母さんが誕生日に

プレゼントしたもの。喜んで着てたっけ」

「この背広はオーダーであつらえたもの。

気に入ってよく着てたっけなあ」

何を見ても全部、父の思い出に繋がってゆく。

それも全部、父の笑顔になってゆく。

不思議だと思う。

 

大正生まれの厳しい人だった。

躾にうるさく、子供時代は恐れ多く

学生時代は時にうっとうしい存在でもあった。

笑顔からは程遠い印象であったはずなのに。

 

亡くなってみると、ニコニコした温和な顔で

言葉は柔和な響きとなって鮮やかに

よみがえってくる。

 

私は片づけをしながら、父の口癖を思い出していた。

 

「天網恢恢、祖にしてもらさず」

「恥を知りなさい」

「精神一統、何事かならざらん」

「李下に冠を正さず」

「人事を尽くして天命を待つ」等々。

小さい頃の私は意味などさっぱり解からなかった。

正直言って「またー、始まったよぉ」と

心の中でつぶやくのが常だった。

 

ただ、それが何か「とても大切な事だ」ということだけは理解できた。

 

父の言葉と行動は見事なまでにピタリと一致していた。

仕事は9時から始まるのにもかかわらず、

「早起きは3文の徳」と言っては

5時の一番電車で出勤し

6時にはもう仕事場には着いていた。

いつか聞いたことがあった。

「そんな早く行って、なにすんの」。「部下の机拭き」。

「えーっ、誰か知ってんの?」「誰も知らないよ」「なんでそんなことすんの?」

「馬鹿だね。お前は。そんなこと誰かに知られたら恥ずかしくてやってられないよ。」

又、家の中でもそれは変わらずだった。

「不浄(トイレの事)きれいなるところは運栄え」と言っては

家のトイレ掃除も、鼻歌を歌いながら楽しそうにやっていた。

(私や妹が大きくなるとそのお鉢が回ってきて、

父は監督と称し、掃除後必ずチェック?が入り

私は必ずありがたい?やり直しを命じられた)

「何事も感謝して事に当たれ。仕事しかり、掃除もしかり」

 

物を使った後の後始末も見事な率先だった。

父の使った後の洗面所には水滴一つ無く、

父の脱いだ靴は測ったようにピシリと脱ぎ揃えられ

私はと言うと水はビシャビシャ、靴はバラバラで

いつもこれまた「やり直しー」と怒鳴られ

イヤ命じられてスゴスゴと直すのみだった。

「後始末は次なる人の為の心くばり」

 

 

言葉と行動の一致は人に信頼を与える。

だから「この人に付いてゆこう」と、人は思うのだと思う。

 

言葉と行動の一致は自らを、より頑強にさせる。

だから「持続性を持って」耐えてゆけるのだと思う。

 

「誇り高き、実践は自らを高め、

腰低き、率先は人をも安心させる。」

 

体の中に一本の揺ぎ無い木が生えているような人だった。

 

あの時理解できなかった言葉の数々は

父の体を貫いていた信念という幹だったのだと

今ならはっきりと解かる。

(なんだ、今頃解かったのかと怒られそうだけれど)

 

私や妹に一番伝えたいもの、

「一番遺さなくてはいけないものは何たるか」を

教えてくれていった。

 

生前「俺は金なんか遺していかないよ」と言っていた。

最後に聞いた言葉は

「お前達はこの世でたった二人っきりの兄弟だ。

いつまでも仲良く、元気で長生きするんだ」だった。

読経が流れる中、父と交わした?言葉は「陽子、かあちゃんを頼む」だった。

私はお棺に向かって「まかせとき」と答えていた。

 

遺言?通りお金は残していかなかったが、

父が遺していってくれた言葉は

珠玉の輝きになって私の心の中に

ストンとおちてゆく。

何の違和感もなく。

むしろ人生の迷いや、時に悩みにさえ

的確に答えてくれる。

人生の指針にもなり、力を与えてくれる。

 

スッキリした部屋に暖かな日差しがさしてゆく。

心の中もスッキリとした。

 

キラキラした光が心の中まで降り注いでゆく。

 

「お父さん、もうすぐ春よ。暖かくなったら墓参りに行くね。

それまで元気?でいてね」

「おとうさんほど、お母さんの事、大事には出来てないけど、

がんばるからさ、お母さんの事。

これからもよろしく頼むわとね。」と

最後は父とあいかわらず

トンチンカンな会話を交わしながら?掃除を終えたのでした。

それでは 皆さんごきげんよう

 

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