嬉し涙はパンの味?~話し方教室で多いにべそかき恥かきを~

この頃テレビや、ラジオを聞いていて
やたら気になる事がある。

それは自分で自分の事を「こう言う人間です」と
あまりにも決め付け過ぎていないか?と。

それも人に指摘されるならいざ知らず、
「もうこの性格は絶対直らない」という
「頑な感」がどうしても私にはぬぐえないのである。

あまりにも固すぎて、
私のような年とった者には
人に近寄って欲しくないから
ガードを張っているとしか思えないのだが。
げすの勘ぐりならぬおばさんの勘ぐりなのかしらん?

まだ年端もいかぬ、若者ならいざ知らず、
とうに四十は過ぎたであろうと思われる
大の大人までもが「私ってこう言う人間じゃないですか」
聞いていて、「誰もそんな事知らないよ」と思わずチャチを入れたくなる。

それも思いっきり自虐的に自分を紹介する。
わざわざ自分で自分をマイナス消極思考に
引っ張っていっているとしか私には思えない。

そんなに自分を痛めつけて、お苦しくございませんか?
それとも自分をいたぶるのがお好きなんでございましょうか?と
思わず言いたくも無い嫌味の1つも言ってみたくなる。

先日もラジオ番組で取り上げられたファックスでも
私は一人で横槍を入れっぱなし。

春なので皆さん明るい話題ばかりで、あたりまえですよね。(そんなことないよ)
でも私は暗い人間なので(電球じゃあるまいし)
こんな話題しか出来ずにすいません(あやまってもらってもねぇ)
そのせいか息子も暗く、(そりゃそうだ)
学校でもいじめられ不登校で、私はこんな性格なので(どんな性格?)
息子に何も言えず(親が言えないでどうする)
恥ずかしくて人に相談もできず(こんな大事な事、恥ずかしがってどうする)
真っ暗なトンネルの中を彷徨っております。(あぁ息子がかわいそう)
息子には何とかして欲しいのですが(親のあんたが何とかせい)
私どもに春は来るのでしょうか?(これじゃこないよ)

桜が満開なのに、これじゃこっちまで暗くなっちゃうよ。まったく。
読んだアナウンサーも困った声で
「いつかこんな日があったよねと笑い合える日を祈っております」と言うのが精一杯。

無理も無いよね。春は来るのでしょうか?と言われても
この世に生きている限り、神さまじゃないんだから
年がら年中、明るい話題ばかりに恵まれるわけではないし、
一生涯、笑って笑顔ですごせたらそりゃどれだけ幸せか。
でもそうは行かないのがこの世ってなもんよ。

苦しみもあれば、悲しみもあり
そこを皆グっと堪えて、
笑顔の下に涙をひそめて生きているのよ。

流した涙を抱いて温めていとおしんで、
時折引っ張り出して懐かしんで
反省したりもして、そんな事の繰り返しでも
人は前に進もうとする。

ひそめた涙は、翳るときもあるけれど
思いがけず自分を励ますバネになるときもある。
やがては人に勇気を与える力に変わる日も来る。

「いつも明るいあの人も苦しんでいる。
傷が癒えるまで今はそっとしてあげよう。
でもなにか相談してくれたらそのときは
なにもできないけれど話しだけは本気で聞いてあげよう」

流した涙が苦しいければ苦しいほど
他人の涙の苦しさがわかるのは
他ならない涙を流したあなた。

自分ばかり関心が向いているうちは
悲しいかな他人の涙が見えない。
ひそめたあの人の影に気付かない。

だから皆がやたら明るく見えて
うらやましくて、ねたましく思えて
だから自分ばかり暗い人間に思えてくる。
自分ばかりが不幸に思えてくる。

本当はいっぱい恥をかいたあなたが
悩みで苦しんだ貴方が、
切ない涙を流した貴方が
すぐ側にいて救ってあげられる
その人を救ってあげられない。

いつまでも自分を「救って、救って」とアップアップしている。
チョイト水面から顔上げてあたりを見回してごらんよ。
もっと深いところで沈んでいる人がきっといるはず。

そっと手を伸ばしてあげれば、二人で笑いあえるのに
さっと救い上げてあげれば、生きている喜びを二人でかみしめられるのに
君と出会ってよかったと感謝され、二人で嬉し涙も流せるのに
いつの日にかあれもいい思い出と、お互い笑って過ごせる日がくるのに

こんなラッキーチャンスを見す見す逃している。
泣くな、悩むななんてそんな野暮な事は言わないよ。
むしろ話し方教室では、
切ない胸に内や、隠しておきたい恥を
思い切りここで話せと提唱している。

何故なら切ない胸の内を話しながら
思い出して胸が詰まり、途切れ途切れの話しでも
思い切って話してみれば、落とした涙の粒が乾かぬうちでも
心が晴れやかになる様を
隠しておきたい秘め事?を人前で堂々と露呈?する事で
多くの人が前向きになって、
笑顔が輝くのを目の当たりにしてきたから。

先日も春爛漫の上野文化会館で行われた合同授業でも
チョイト心の向きを変えたら素晴らしい笑顔になれた人を
たくさんみせてもらった。

笑顔で「お世話になりました」と頭を下げて教室を出たあの人は
始めてあった三ヶ月前とは別人。今じゃ見る影?まるでなし。
こっちが妬けるぐらい見事すてきな女性に変身してしまった。

「先手の挨拶」を恐れず強行?してみたら自分が変わったと言う発表が
次々行われ、あの人は無理だろうなぁと思っていた予想を?
彼らは大きく裏切ってくれて?私はもう嬉しくたまらなかった。

「人に怒られることは幸せだ」と50年たってようやく悟った?
私を尻目に?わずか33歳の若さで悟って?しまったスピーチに
私は恐れ入ってしまうと同時に拍手喝采。

今までだったら断ってしまった仕事を思わずこれは「ツイテル」と
飛びつく自分がいて、「話し方教室に通って生き方が変わった」なんて
またまた私を喜ばしてくれるスピーチが
玉手箱から飛び出すごとく、次々聞かされまたしても私は嬉しい悲鳴。

「先生今日は2分スピーチ考えてこなかったのでパスさせてください」と
言ってきた彼女には容赦ない?一言。
「今日の授業の感想でいいから話して御覧なさい」
堂々とスピーチした彼女は帰り際
満面の笑みで「先生、話してよかったぁ」

キラ星のごとく光ったスピーチの数々。
中でも私を本気で泣かせてくれたのは
親に感謝の言葉を述べた二人の若者。

私の半分の年にも満たない彼らが
「親に感謝」なんてもう聞くだけで
私は自分の不甲斐なさと、
自分は彼らの年に親に感謝の「かの字」もなかったという
恥ずかしさにまみれながら
「若造にやられた」という嫉妬にも似た
悔しさもない交ぜで
それでも彼らの心の純真さにひたすら感動。

溢れる涙が止まらない。
「あぁ、今この話しおやじさんに聞かせたいヨ」
「聞いたらどんなに喜ぶだろう」
ハンカチでただただ目頭を拭うしかなかった。

まったくあんたらはおばさんを泣かせて、
ほんとにカッコよすぎるよ。

さっきテレビに出た歌手の人がこう言っていたよ。
「ごめんなさいとありがとうの
この二つの言葉が言えればこの世は渡っていける。
でもこの二つの言葉が言えないと、悔いが残る人生になってしまう」って。

自分をこの世におくりだしてくれた親に
この二つの言葉を言える
彼らはなんと素晴らしいのだろう。
孝行息子を持った彼らの親がうらやましい。

それにしてもこの頃私はやたら涙がでてしょうがない。
それもうれし泣きっていうやつ。
「年とると嬉しくて泣くんだよ」って
母ちゃんや婆ちゃんが言ってたが
まったく私も二人に似てきてやんなっちゃう。
それよりこっちも年とってきて
まったくもってやんなっちゃう。

先日だって主人とお昼、食べていたら
話し方教室卒業生のPさんの話しになって
「今までツイテないと思ったこともハローで学んだら
ツイテると思えるようになった。
生き方が変わったって言ってたヨ」って
主人が言った途端、涙がダダダーッ。

まったくPさん。あんたまで私を泣かせて。
涙と共にパンをガバガバ?かじったのは初めて。
甘じょっぱいパンの味を私に教えてくれたPさんにありがとうの
感謝の言葉を最後に今日のお話しは終えようと思う。

本日も長々お付き合いいただきありがとうございました。
どうぞ皆様、結核などかからぬよう、お体をお大事になさってくださいませ。

それでは ごきげんよう

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