挨拶はコミュニケーションの入り口

8月もお盆を過ぎ、ここ横浜でも朝晩ずいぶん
ひんやりする日が続くようになった。

今年の夏は例年に比べ、夏が短かったような気がする。
短かったが、やけに騒々しい夏だったと感じる。

あちこちで記録的な豪雨にみまわれ、多くの方が亡くなった。
中でも心が痛んだのは
避難の最中に、濁流にのまれ
一家全員が犠牲になられた家族のお話。

田んぼの中で見つかった、
父と息子の遺体は
固く紐で結ばれていたという。

親の愛情の強さをひしひしと感じ
涙がこぼれた。
これぞ親だと思った。
天国でも離れないよう安らかに。
心よりご冥福を祈りたい。

騒々しさをさらに掻き立てたのが
蒼いうさぎならぬ「白いうさぎ事件」。

息子になんと申し開きするのだろうか?
夫婦揃って覚せい剤に手を出すとは。

両親が警察につかまり、今この男の子は
毎日どんな思いで暮しているのだろうか?
私は子供が不憫でならない。

あれは私がまだ幼稚園にも通っていなかった頃のお話。
実家には小さな池があり、
中には金魚が数匹泳いでいた。

その日妹と二人で金魚を眺めていた。
とその時だった。何を思ったか?
(あとで聞くと、「金魚さんと遊ぼうと思ったの」)

妹が突然、池の中に飛び込んだ。

浅い池だったが、当時、妹はまだ2歳にもならない。
バシャっという音とともに池の中で転んだ。
「お父ちゃん大変。裕美ちゃんが池に落ちた」

「裕美子」大声と共に父は脱兎のごとく
池に向い、妹をすくい上げた。

それはほんの数分間の出来事だったが、
生涯忘れられない映像として
私の心に焼きつくこととなった。

そして同時に私たちは父に愛されている
守られているという大きな安心感となって
心に刻まれることにもなった。

その後、父にどんなに厳しく叱られようとも
父の教えとして捉えることができたのも
この時の出来事が大きく私たち姉妹の
心を占めているからではないかと
年をとるほど思うようになった。

母も同様だった。
あれは私がまだ幼稚園に通っていた頃。
自宅の庭で遊んでいた私は転んで太ももをすりむいた。

仕事から帰ってきた母は、何を思ったのだろうか?
夕飯を食べ終えると、私を背におぶい外へ出た。

暗い山道を歩き、山のてっぺんでただ黙って
眼下に広がる夜景を眺めていた。

母の背中越しに見た横浜の夜景は美しかった。
しかしその背中がやけに寂しく感じられて
私は街明かりをじっと見つめていた。

少し大きくなってから、母にその時の事を聞いた。
「お母さん私をおぶって夜景を見たことあったよね。
あれ何だったの?」
母は申し訳なさそうに答えた。

「私がもし働かないで家に居たら、
こんな怪我させずにすんだかもしれないって
思ったらあんたに済まなくてさ。どうにも辛くて
山へ行っちゃたんだよ」

母の気持ちが痛かった。
痛かったが、なんせその頃は反抗期真っただ中。
(ごめん母ちゃん)

「居たって怪我するときは怪我するんだから
そんなこと思わなくていいよ」

でもあの時、気持ちをはぐらかせず、
正直に私に語ってくれたことが
今、私の心の中にまちがいなく
引き継がれたことをあなたに伝えたい。

心が強いということは
自分の言葉を持つということかもしれない。

逆もしかり。

自分の言葉を持つということは
心を相手に伝えたいという気持ちになり、
その気持ちが人生を生きぬいてゆく力を
育んでいくのかもしれない。

どうでもいいと思えば
気持も湧かないし
身も入らず
言葉もぞんざいになり
行動だっておのずと伴わない。

先日の甲子園ではその気持ちの強さをみせてもらった。

新型インフルエンザに選手が次々罹って
控えの選手なしの13人で戦った
島根県代表の高校球児。

結果は負けてしまったが
「こんなことで気持ちは負けたくなかった」
「皆と戦いたかった。だから絶対勝ち残りたいと思った」

他者に対して思いやりを忘れない
素直で正直な言葉は
たとえ短い言葉でも
聞く者の心に届くという
話し方の基本を
彼らに教えてもらった。

コミュニケーションとは心のともなった言葉のやり取り。
心がともなうとはすなわち情け(じょう)がある言葉。

情のある言葉で思い出すのが、あの村だ。

あの村をはじめて訪ねたのは30年近く前。
若かった母と今は亡き叔母と3人で
尾瀬の山歩きに行った際に
立ち寄らせてもらったのが最初だった。

以後結婚してから主人と3回訪れている。
まだ話し方を勉強する前だった。

でもいま改めて思うと、あの村を訪ねたのは
他人とのふれあいが今まで旅したどの地よりも
濃かったからではないかと
その濃密さが私たちを
かの地へと何度も誘ったからではないかと
思うからだ。

あの村とは福島県南会津郡桧枝岐(ひのえまた)村。

尾瀬の福島県側の玄関口にあたるその村は
周りを山また山に囲まれた
自然豊かな村だ。

村のどこが私たちを惹きつけたのか?

とにかく村を歩いていると
村中の人が声をかけてくるのである。
朝は登校中の子供たちからも
「おはようございます」と声をかけられ
夕べに歩けば「おばんです」(こんばんは)
もう先手の挨拶されまくり。

細長い小さな村で人口も少ないせいもあるが
観光で成り立っている村ということもあるのだろうが
とにかく素朴な優しさがあふれている。

これはわたしの勝手な思い込みで、
推測の域を出ていないのであるが
何度か訪ねて気がついたのだが
とにもかくにも亡くなった人への
思いやりがあふれた村なのである。

少なくてもせいぜい親の墓参りぐらいしかしない
私なんか笑われそうだ。

山が迫っているので、お墓やお地蔵さんが
家や道端に寄り添って立っている
という地理的条件もあるのだろうが、
それだけではないと思う。

全国津々浦々回ったわけでもないし、
他にこのような地域が全国には
まだまだたくさんあるのかもしれない。

しかし私が旅した秘境といわれる地域や
山間部の似たような村でさえ、これだけ村民ぐるみで
よそから来た者に徹底的と言えるほど
「先手に挨拶された」村は他に記憶がないので
ぜひともご紹介したいと思い、ここに記すことにした。

お盆の晩、家々を出るとまず村のシンボル?ともいえる
お地蔵さんに向い、手を合わせる。

お盆だけではない。
ここはいつ行っても花が絶えないので
いかに村人から大切にされているのかがわかる。

その昔、飢饉があったりすると作物が全く手に入らず
たちまち飢えに苦しみ人々は餓死した。
そこで今では考えられないが、「ひとべらし」と言って
幼いわが子を親が自らの手で葬るという
悲しい過去がかつてこの日本にもあった。

このお地蔵さんは六地蔵といってそんな
悲しい過去をすべて背負っている
お地蔵さんだ。

人々は常に見守ってくれているお地蔵さんを
今でも大切に思い感謝の気持ちをこめて手を合わせる。

その後、村の戦没者が祀られている
お堂にお参りをし、線香をたむけ
人々は深い祈りをささげるのである。

泊まった民宿も夕食を早々に済ませると
一家総出で、家を出る。
(私たちも同行させていただいた)

聞けば、戦没者の慰霊堂へのお参りも
自分の親族とは直接関係がなくても
同じ村に住んでいれば
それは親族と同じだからお参りするのだという
答えだった。

村全体が一つの家族いう考えは
都会で暮らす私にとって新鮮だった。

子供が親や年寄りと共に
小さな手を合せる姿は
まことに清らかで敬虔な姿である。

日がとっぷりと暮れた山間の村は
深く静かな人々の祈りの炎が揺らめき、
やがてやぐらの組まれた
小、中学校の校庭に三々五々集う。

かがり火がたかれ、
夜風がスーッと冷たくなる頃
賑やかだけれどどこか物悲しいお囃子が流れてくる。

やがて踊りの輪が2重、3重となり村人たちは
老いも若きも混ざり合って
ただひたすら、同じ踊りを何時間も踊り続ける。
(もちろん私も踊らせていただいた)

太鼓や鉦だけではなく
お囃子を皆が口々にするので
賑やかさが増してくる。

誰に見せるでもなく、
観光化された踊りとは全く無縁な
ささやかな盆踊り。
でも、この優しさはなんなのだろうか?

そうだ。よそよそしさがないのだ。

亡くなった人々を純粋に
盆の晩にまたあの世へと
見送るという盆踊り本来の意味が
この村ではまことしなやかに脈々と受け継がれていると
感じる踊りだからだ。

踊りとは本来祈りの行為なのかもしれない。

あの村の人々は日々深い祈りが
日常のありとあらゆる場面で
その体と心にぴったりと合致して
暮らしているのではないだろうか。

もしかすると挨拶も祈りに
通じているのかもしれない。

だから見知らぬ旅人に対しても
なんのてらいもなく
先手の挨拶ができるのではないだろうか?

「こんな山奥の村によくおいでくださり
ありがとうございます。
たいしたもてなしはできませんが、
どうぞゆっくりしていってください」

そんな気持ちがあるからこそ
誰もが自然にあの行動に移せるのだ。

最後に訪ねたのはもう10年ぐらい前だろうか?
今でもあの村は変わっていないだろうか?

いや変わっていてほしくない。
都会人の我ままと言われるかも知れないが
切なる願いだ。

村人のあたたかい笑顔は
亡くなった祖母にどこか似ていた。

コスモスが揺れ、
トンボが群れなして飛んでいた。

あの朝、ヘルメットをかぶって自転車にまたがり
一列になって挨拶してくれた
子供たちは大人になっても
挨拶を元気にしているだろうか?

ランドセル背負ってぴょこんとお辞儀をしてくれた
子どもたちはもう成人になって
村からでてしまっただろうか?
見知らぬ土地でも挨拶を
忘れずにしてくれているだろうか?

あの時の気持ちを
忘れないでほしいと心から願う。

祈りと感謝の念から挨拶があり
コミュニケーションが情のつながりで
あるならば、私たちの暮らしははなんて繋がりの無い
分刻みで埋め尽くされた生活なんだろう
と深く反省させられる。

秋の虫が昨晩あたりからここ横浜でも鳴き出した。
もう桧枝岐村はさわやかな初秋の風が吹き抜けているだろう。

またいつの日か訪ねてみたいと思うが
親の介護で日々の外出もままならぬ身であるがゆえ
旅をするのは夢のまた夢。

でもすべて覚悟の上でのことなので
なんら苦痛にはなっていない。

それよりも若い方が、近頃旅をしないという
話をよく聞くのだが、そちらのほうが気にかかる。

本当ですか?
本当ならもったいない話だ。
ぜひとも私の代わりに?旅をしていただきたい。

旅は心を自由にしてくれる。
解放してくれる。
時には癒すばかりか救ってさえくれる。

コミュニケーションが苦手なあなた。
よかったら桧枝岐村を訪ねてほしい。
今でも先手の挨拶がされている村かどうか
私の代わりに検証してきてほしい。

もし先手で挨拶されたら
臆せずあなたも大きな声で
挨拶してほしい。

なぜならコミュニケーションの入り口は
挨拶からだから。

できれば先手の挨拶はあなたから仕掛けてほしい。
きっとあの村なら自然に挨拶したくなる。
なぜなら懐深い村だから。

そして山懐に抱かれて心休めてきてほしい。

清らかな水の流れを聞きながら
河原の露天風呂で山にかかる月なんか
時間を忘れてのんびり眺めてきてほしい。

本物の闇の深さに対峙し、
朝の冷気に、生きている実感をかみしめてきてほしい。

インフルエンザがいよいよ本格的に
なってきたとのニュース。

日々健康で暮らせる幸せを
これからも噛みしめてゆきたいものである。

どうぞ皆様方くれぐれも
お体を大切になさってくださいませね。

今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。
それでは 
ごきげんよう。

8月もお盆を過ぎ、ここ横浜でも朝晩ずいぶん
ひんやりする日が続くようになった。

今年の夏は例年に比べ、夏が短かったような気がする。
短かったが、やけに騒々しい夏だったと感じる。

あちこちで記録的な豪雨にみまわれ、多くの方が亡くなった。
中でも心が痛んだのは
避難の最中に、濁流にのまれ
一家全員が犠牲になられた家族のお話。

田んぼの中で見つかった、
父と息子の遺体は
固く紐で結ばれていたという。

親の愛情の強さをひしひしと感じ
涙がこぼれた。
これぞ親だと思った。
天国でも離れないよう安らかに。
心よりご冥福を祈りたい。

騒々しさをさらに掻き立てたのが
蒼いうさぎならぬ「白いうさぎ事件」。

息子になんと申し開きするのだろうか?
夫婦揃って覚せい剤に手を出すとは。

両親が警察につかまり、今この男の子は
毎日どんな思いで暮しているのだろうか?
私は子供が不憫でならない。

あれは私がまだ幼稚園にも通っていなかった頃のお話。
実家には小さな池があり、
中には金魚が数匹泳いでいた。

その日妹と二人で金魚を眺めていた。
とその時だった。何を思ったか?
(あとで聞くと、「金魚さんと遊ぼうと思ったの」)

妹が突然、池の中に飛び込んだ。

浅い池だったが、当時、妹はまだ2歳にもならない。
バシャっという音とともに池の中で転んだ。
「お父ちゃん大変。裕美ちゃんが池に落ちた」

「裕美子」大声と共に父は脱兎のごとく
池に向い、妹をすくい上げた。

それはほんの数分間の出来事だったが、
生涯忘れられない映像として
私の心に焼きつくこととなった。

そして同時に私たちは父に愛されている
守られているという大きな安心感となって
心に刻まれることにもなった。

その後、父にどんなに厳しく叱られようとも
父の教えとして捉えることができたのも
この時の出来事が大きく私たち姉妹の
心を占めているからではないかと
年をとるほど思うようになった。

母も同様だった。
あれは私がまだ幼稚園に通っていた頃。
自宅の庭で遊んでいた私は転んで太ももをすりむいた。

仕事から帰ってきた母は、何を思ったのだろうか?
夕飯を食べ終えると、私を背におぶい外へ出た。

暗い山道を歩き、山のてっぺんでただ黙って
眼下に広がる夜景を眺めていた。

母の背中越しに見た横浜の夜景は美しかった。
しかしその背中がやけに寂しく感じられて
私は街明かりをじっと見つめていた。

少し大きくなってから、母にその時の事を聞いた。
「お母さん私をおぶって夜景を見たことあったよね。
あれ何だったの?」
母は申し訳なさそうに答えた。

「私がもし働かないで家に居たら、
こんな怪我させずにすんだかもしれないって
思ったらあんたに済まなくてさ。どうにも辛くて
山へ行っちゃたんだよ」

母の気持ちが痛かった。
痛かったが、なんせその頃は反抗期真っただ中。
(ごめん母ちゃん)

「居たって怪我するときは怪我するんだから
そんなこと思わなくていいよ」

でもあの時、気持ちをはぐらかせず、
正直に私に語ってくれたことが
今、私の心の中にまちがいなく
引き継がれたことをあなたに伝えたい。

心が強いということは
自分の言葉を持つということかもしれない。

逆もしかり。

自分の言葉を持つということは
心を相手に伝えたいという気持ちになり、
その気持ちが人生を生きぬいてゆく力を
育んでいくのかもしれない。

どうでもいいと思えば
気持も湧かないし
身も入らず
言葉もぞんざいになり
行動だっておのずと伴わない。

先日の甲子園ではその気持ちの強さをみせてもらった。

新型インフルエンザに選手が次々罹って
控えの選手なしの13人で戦った
島根県代表の高校球児。

結果は負けてしまったが
「こんなことで気持ちは負けたくなかった」
「皆と戦いたかった。だから絶対勝ち残りたいと思った」

他者に対して思いやりを忘れない
素直で正直な言葉は
たとえ短い言葉でも
聞く者の心に届くという
話し方の基本を
彼らに教えてもらった。

コミュニケーションとは心のともなった言葉のやり取り。
心がともなうとはすなわち情け(じょう)がある言葉。

情のある言葉で思い出すのが、あの村だ。

あの村をはじめて訪ねたのは30年近く前。
若かった母と今は亡き叔母と3人で
尾瀬の山歩きに行った際に
立ち寄らせてもらったのが最初だった。

以後結婚してから主人と3回訪れている。
まだ話し方を勉強する前だった。

でもいま改めて思うと、あの村を訪ねたのは
他人とのふれあいが今まで旅したどの地よりも
濃かったからではないかと
その濃密さが私たちを
かの地へと何度も誘ったからではないかと
思うからだ。

あの村とは福島県南会津郡桧枝岐(ひのえまた)村。

尾瀬の福島県側の玄関口にあたるその村は
周りを山また山に囲まれた
自然豊かな村だ。

村のどこが私たちを惹きつけたのか?

とにかく村を歩いていると
村中の人が声をかけてくるのである。
朝は登校中の子供たちからも
「おはようございます」と声をかけられ
夕べに歩けば「おばんです」(こんばんは)
もう先手の挨拶されまくり。

細長い小さな村で人口も少ないせいもあるが
観光で成り立っている村ということもあるのだろうが
とにかく素朴な優しさがあふれている。

これはわたしの勝手な思い込みで、
推測の域を出ていないのであるが
何度か訪ねて気がついたのだが
とにもかくにも亡くなった人への
思いやりがあふれた村なのである。

少なくてもせいぜい親の墓参りぐらいしかしない
私なんか笑われそうだ。

山が迫っているので、お墓やお地蔵さんが
家や道端に寄り添って立っている
という地理的条件もあるのだろうが、
それだけではないと思う。

全国津々浦々回ったわけでもないし、
他にこのような地域が全国には
まだまだたくさんあるのかもしれない。

しかし私が旅した秘境といわれる地域や
山間部の似たような村でさえ、これだけ村民ぐるみで
よそから来た者に徹底的と言えるほど
「先手に挨拶された」村は他に記憶がないので
ぜひともご紹介したいと思い、ここに記すことにした。

お盆の晩、家々を出るとまず村のシンボル?ともいえる
お地蔵さんに向い、手を合わせる。

お盆だけではない。
ここはいつ行っても花が絶えないので
いかに村人から大切にされているのかがわかる。

その昔、飢饉があったりすると作物が全く手に入らず
たちまち飢えに苦しみ人々は餓死した。
そこで今では考えられないが、「ひとべらし」と言って
幼いわが子を親が自らの手で葬るという
悲しい過去がかつてこの日本にもあった。

このお地蔵さんは六地蔵といってそんな
悲しい過去をすべて背負っている
お地蔵さんだ。

人々は常に見守ってくれているお地蔵さんを
今でも大切に思い感謝の気持ちをこめて手を合わせる。

その後、村の戦没者が祀られている
お堂にお参りをし、線香をたむけ
人々は深い祈りをささげるのである。

泊まった民宿も夕食を早々に済ませると
一家総出で、家を出る。
(私たちも同行させていただいた)

聞けば、戦没者の慰霊堂へのお参りも
自分の親族とは直接関係がなくても
同じ村に住んでいれば
それは親族と同じだからお参りするのだという
答えだった。

村全体が一つの家族いう考えは
都会で暮らす私にとって新鮮だった。

子供が親や年寄りと共に
小さな手を合せる姿は
まことに清らかで敬虔な姿である。

日がとっぷりと暮れた山間の村は
深く静かな人々の祈りの炎が揺らめき、
やがてやぐらの組まれた
小、中学校の校庭に三々五々集う。

かがり火がたかれ、
夜風がスーッと冷たくなる頃
賑やかだけれどどこか物悲しいお囃子が流れてくる。

やがて踊りの輪が2重、3重となり村人たちは
老いも若きも混ざり合って
ただひたすら、同じ踊りを何時間も踊り続ける。
(もちろん私も踊らせていただいた)

太鼓や鉦だけではなく
お囃子を皆が口々にするので
賑やかさが増してくる。

誰に見せるでもなく、
観光化された踊りとは全く無縁な
ささやかな盆踊り。
でも、この優しさはなんなのだろうか?

そうだ。よそよそしさがないのだ。

亡くなった人々を純粋に
盆の晩にまたあの世へと
見送るという盆踊り本来の意味が
この村ではまことしなやかに脈々と受け継がれていると
感じる踊りだからだ。

踊りとは本来祈りの行為なのかもしれない。

あの村の人々は日々深い祈りが
日常のありとあらゆる場面で
その体と心にぴったりと合致して
暮らしているのではないだろうか。

もしかすると挨拶も祈りに
通じているのかもしれない。

だから見知らぬ旅人に対しても
なんのてらいもなく
先手の挨拶ができるのではないだろうか?

「こんな山奥の村によくおいでくださり
ありがとうございます。
たいしたもてなしはできませんが、
どうぞゆっくりしていってください」

そんな気持ちがあるからこそ
誰もが自然にあの行動に移せるのだ。

最後に訪ねたのはもう10年ぐらい前だろうか?
今でもあの村は変わっていないだろうか?

いや変わっていてほしくない。
都会人の我ままと言われるかも知れないが
切なる願いだ。

村人のあたたかい笑顔は
亡くなった祖母にどこか似ていた。

コスモスが揺れ、
トンボが群れなして飛んでいた。

あの朝、ヘルメットをかぶって自転車にまたがり
一列になって挨拶してくれた
子供たちは大人になっても
挨拶を元気にしているだろうか?

ランドセル背負ってぴょこんとお辞儀をしてくれた
子どもたちはもう成人になって
村からでてしまっただろうか?
見知らぬ土地でも挨拶を
忘れずにしてくれているだろうか?

あの時の気持ちを
忘れないでほしいと心から願う。

祈りと感謝の念から挨拶があり
コミュニケーションが情のつながりで
あるならば、私たちの暮らしははなんて繋がりの無い
分刻みで埋め尽くされた生活なんだろう
と深く反省させられる。

秋の虫が昨晩あたりからここ横浜でも鳴き出した。
もう桧枝岐村はさわやかな初秋の風が吹き抜けているだろう。

またいつの日か訪ねてみたいと思うが
親の介護で日々の外出もままならぬ身であるがゆえ
旅をするのは夢のまた夢。

でもすべて覚悟の上でのことなので
なんら苦痛にはなっていない。

それよりも若い方が、近頃旅をしないという
話をよく聞くのだが、そちらのほうが気にかかる。

本当ですか?
本当ならもったいない話だ。
ぜひとも私の代わりに?旅をしていただきたい。

旅は心を自由にしてくれる。
解放してくれる。
時には癒すばかりか救ってさえくれる。

コミュニケーションが苦手なあなた。
よかったら桧枝岐村を訪ねてほしい。
今でも先手の挨拶がされている村かどうか
私の代わりに検証してきてほしい。

もし先手で挨拶されたら
臆せずあなたも大きな声で
挨拶してほしい。

なぜならコミュニケーションの入り口は
挨拶からだから。

できれば先手の挨拶はあなたから仕掛けてほしい。
きっとあの村なら自然に挨拶したくなる。
なぜなら懐深い村だから。

そして山懐に抱かれて心休めてきてほしい。

清らかな水の流れを聞きながら
河原の露天風呂で山にかかる月なんか
時間を忘れてのんびり眺めてきてほしい。

本物の闇の深さに対峙し、
朝の冷気に、生きている実感をかみしめてきてほしい。

インフルエンザがいよいよ本格的に
なってきたとのニュース。

日々健康で暮らせる幸せを
これからも噛みしめてゆきたいものである。

どうぞ皆様方くれぐれも
お体を大切になさってくださいませね。

今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。
それでは 
ごきげんよう。

8月もお盆を過ぎ、ここ横浜でも朝晩ずいぶん
ひんやりする日が続くようになった。

今年の夏は例年に比べ、夏が短かったような気がする。
短かったが、やけに騒々しい夏だったと感じる。

あちこちで記録的な豪雨にみまわれ、多くの方が亡くなった。
中でも心が痛んだのは
避難の最中に、濁流にのまれ
一家全員が犠牲になられた家族のお話。

田んぼの中で見つかった、
父と息子の遺体は
固く紐で結ばれていたという。

親の愛情の強さをひしひしと感じ
涙がこぼれた。
これぞ親だと思った。
天国でも離れないよう安らかに。
心よりご冥福を祈りたい。

騒々しさをさらに掻き立てたのが
蒼いうさぎならぬ「白いうさぎ事件」。

息子になんと申し開きするのだろうか?
夫婦揃って覚せい剤に手を出すとは。

両親が警察につかまり、今この男の子は
毎日どんな思いで暮しているのだろうか?
私は子供が不憫でならない。

あれは私がまだ幼稚園にも通っていなかった頃のお話。
実家には小さな池があり、
中には金魚が数匹泳いでいた。

その日妹と二人で金魚を眺めていた。
とその時だった。何を思ったか?
(あとで聞くと、「金魚さんと遊ぼうと思ったの」)

妹が突然、池の中に飛び込んだ。

浅い池だったが、当時、妹はまだ2歳にもならない。
バシャっという音とともに池の中で転んだ。
「お父ちゃん大変。裕美ちゃんが池に落ちた」

「裕美子」大声と共に父は脱兎のごとく
池に向い、妹をすくい上げた。

それはほんの数分間の出来事だったが、
生涯忘れられない映像として
私の心に焼きつくこととなった。

そして同時に私たちは父に愛されている
守られているという大きな安心感となって
心に刻まれることにもなった。

その後、父にどんなに厳しく叱られようとも
父の教えとして捉えることができたのも
この時の出来事が大きく私たち姉妹の
心を占めているからではないかと
年をとるほど思うようになった。

母も同様だった。
あれは私がまだ幼稚園に通っていた頃。
自宅の庭で遊んでいた私は転んで太ももをすりむいた。

仕事から帰ってきた母は、何を思ったのだろうか?
夕飯を食べ終えると、私を背におぶい外へ出た。

暗い山道を歩き、山のてっぺんでただ黙って
眼下に広がる夜景を眺めていた。

母の背中越しに見た横浜の夜景は美しかった。
しかしその背中がやけに寂しく感じられて
私は街明かりをじっと見つめていた。

少し大きくなってから、母にその時の事を聞いた。
「お母さん私をおぶって夜景を見たことあったよね。
あれ何だったの?」
母は申し訳なさそうに答えた。

「私がもし働かないで家に居たら、
こんな怪我させずにすんだかもしれないって
思ったらあんたに済まなくてさ。どうにも辛くて
山へ行っちゃたんだよ」

母の気持ちが痛かった。
痛かったが、なんせその頃は反抗期真っただ中。
(ごめん母ちゃん)

「居たって怪我するときは怪我するんだから
そんなこと思わなくていいよ」

でもあの時、気持ちをはぐらかせず、
正直に私に語ってくれたことが
今、私の心の中にまちがいなく
引き継がれたことをあなたに伝えたい。

心が強いということは
自分の言葉を持つということかもしれない。

逆もしかり。

自分の言葉を持つということは
心を相手に伝えたいという気持ちになり、
その気持ちが人生を生きぬいてゆく力を
育んでいくのかもしれない。

どうでもいいと思えば
気持も湧かないし
身も入らず
言葉もぞんざいになり
行動だっておのずと伴わない。

先日の甲子園ではその気持ちの強さをみせてもらった。

新型インフルエンザに選手が次々罹って
控えの選手なしの13人で戦った
島根県代表の高校球児。

結果は負けてしまったが
「こんなことで気持ちは負けたくなかった」
「皆と戦いたかった。だから絶対勝ち残りたいと思った」

他者に対して思いやりを忘れない
素直で正直な言葉は
たとえ短い言葉でも
聞く者の心に届くという
話し方の基本を
彼らに教えてもらった。

コミュニケーションとは心のともなった言葉のやり取り。
心がともなうとはすなわち情け(じょう)がある言葉。

情のある言葉で思い出すのが、あの村だ。

あの村をはじめて訪ねたのは30年近く前。
若かった母と今は亡き叔母と3人で
尾瀬の山歩きに行った際に
立ち寄らせてもらったのが最初だった。

以後結婚してから主人と3回訪れている。
まだ話し方を勉強する前だった。

でもいま改めて思うと、あの村を訪ねたのは
他人とのふれあいが今まで旅したどの地よりも
濃かったからではないかと
その濃密さが私たちを
かの地へと何度も誘ったからではないかと
思うからだ。

あの村とは福島県南会津郡桧枝岐(ひのえまた)村。

尾瀬の福島県側の玄関口にあたるその村は
周りを山また山に囲まれた
自然豊かな村だ。

村のどこが私たちを惹きつけたのか?

とにかく村を歩いていると
村中の人が声をかけてくるのである。
朝は登校中の子供たちからも
「おはようございます」と声をかけられ
夕べに歩けば「おばんです」(こんばんは)
もう先手の挨拶されまくり。

細長い小さな村で人口も少ないせいもあるが
観光で成り立っている村ということもあるのだろうが
とにかく素朴な優しさがあふれている。

これはわたしの勝手な思い込みで、
推測の域を出ていないのであるが
何度か訪ねて気がついたのだが
とにもかくにも亡くなった人への
思いやりがあふれた村なのである。

少なくてもせいぜい親の墓参りぐらいしかしない
私なんか笑われそうだ。

山が迫っているので、お墓やお地蔵さんが
家や道端に寄り添って立っている
という地理的条件もあるのだろうが、
それだけではないと思う。

全国津々浦々回ったわけでもないし、
他にこのような地域が全国には
まだまだたくさんあるのかもしれない。

しかし私が旅した秘境といわれる地域や
山間部の似たような村でさえ、これだけ村民ぐるみで
よそから来た者に徹底的と言えるほど
「先手に挨拶された」村は他に記憶がないので
ぜひともご紹介したいと思い、ここに記すことにした。

お盆の晩、家々を出るとまず村のシンボル?ともいえる
お地蔵さんに向い、手を合わせる。

お盆だけではない。
ここはいつ行っても花が絶えないので
いかに村人から大切にされているのかがわかる。

その昔、飢饉があったりすると作物が全く手に入らず
たちまち飢えに苦しみ人々は餓死した。
そこで今では考えられないが、「ひとべらし」と言って
幼いわが子を親が自らの手で葬るという
悲しい過去がかつてこの日本にもあった。

このお地蔵さんは六地蔵といってそんな
悲しい過去をすべて背負っている
お地蔵さんだ。

人々は常に見守ってくれているお地蔵さんを
今でも大切に思い感謝の気持ちをこめて手を合わせる。

その後、村の戦没者が祀られている
お堂にお参りをし、線香をたむけ
人々は深い祈りをささげるのである。

泊まった民宿も夕食を早々に済ませると
一家総出で、家を出る。
(私たちも同行させていただいた)

聞けば、戦没者の慰霊堂へのお参りも
自分の親族とは直接関係がなくても
同じ村に住んでいれば
それは親族と同じだからお参りするのだという
答えだった。

村全体が一つの家族いう考えは
都会で暮らす私にとって新鮮だった。

子供が親や年寄りと共に
小さな手を合せる姿は
まことに清らかで敬虔な姿である。

日がとっぷりと暮れた山間の村は
深く静かな人々の祈りの炎が揺らめき、
やがてやぐらの組まれた
小、中学校の校庭に三々五々集う。

かがり火がたかれ、
夜風がスーッと冷たくなる頃
賑やかだけれどどこか物悲しいお囃子が流れてくる。

やがて踊りの輪が2重、3重となり村人たちは
老いも若きも混ざり合って
ただひたすら、同じ踊りを何時間も踊り続ける。
(もちろん私も踊らせていただいた)

太鼓や鉦だけではなく
お囃子を皆が口々にするので
賑やかさが増してくる。

誰に見せるでもなく、
観光化された踊りとは全く無縁な
ささやかな盆踊り。
でも、この優しさはなんなのだろうか?

そうだ。よそよそしさがないのだ。

亡くなった人々を純粋に
盆の晩にまたあの世へと
見送るという盆踊り本来の意味が
この村ではまことしなやかに脈々と受け継がれていると
感じる踊りだからだ。

踊りとは本来祈りの行為なのかもしれない。

あの村の人々は日々深い祈りが
日常のありとあらゆる場面で
その体と心にぴったりと合致して
暮らしているのではないだろうか。

もしかすると挨拶も祈りに
通じているのかもしれない。

だから見知らぬ旅人に対しても
なんのてらいもなく
先手の挨拶ができるのではないだろうか?

「こんな山奥の村によくおいでくださり
ありがとうございます。
たいしたもてなしはできませんが、
どうぞゆっくりしていってください」

そんな気持ちがあるからこそ
誰もが自然にあの行動に移せるのだ。

最後に訪ねたのはもう10年ぐらい前だろうか?
今でもあの村は変わっていないだろうか?

いや変わっていてほしくない。
都会人の我ままと言われるかも知れないが
切なる願いだ。

村人のあたたかい笑顔は
亡くなった祖母にどこか似ていた。

コスモスが揺れ、
トンボが群れなして飛んでいた。

あの朝、ヘルメットをかぶって自転車にまたがり
一列になって挨拶してくれた
子供たちは大人になっても
挨拶を元気にしているだろうか?

ランドセル背負ってぴょこんとお辞儀をしてくれた
子どもたちはもう成人になって
村からでてしまっただろうか?
見知らぬ土地でも挨拶を
忘れずにしてくれているだろうか?

あの時の気持ちを
忘れないでほしいと心から願う。

祈りと感謝の念から挨拶があり
コミュニケーションが情のつながりで
あるならば、私たちの暮らしははなんて繋がりの無い
分刻みで埋め尽くされた生活なんだろう
と深く反省させられる。

秋の虫が昨晩あたりからここ横浜でも鳴き出した。
もう桧枝岐村はさわやかな初秋の風が吹き抜けているだろう。

またいつの日か訪ねてみたいと思うが
親の介護で日々の外出もままならぬ身であるがゆえ
旅をするのは夢のまた夢。

でもすべて覚悟の上でのことなので
なんら苦痛にはなっていない。

それよりも若い方が、近頃旅をしないという
話をよく聞くのだが、そちらのほうが気にかかる。

本当ですか?
本当ならもったいない話だ。
ぜひとも私の代わりに?旅をしていただきたい。

旅は心を自由にしてくれる。
解放してくれる。
時には癒すばかりか救ってさえくれる。

コミュニケーションが苦手なあなた。
よかったら桧枝岐村を訪ねてほしい。
今でも先手の挨拶がされている村かどうか
私の代わりに検証してきてほしい。

もし先手で挨拶されたら
臆せずあなたも大きな声で
挨拶してほしい。

なぜならコミュニケーションの入り口は
挨拶からだから。

できれば先手の挨拶はあなたから仕掛けてほしい。
きっとあの村なら自然に挨拶したくなる。
なぜなら懐深い村だから。

そして山懐に抱かれて心休めてきてほしい。

清らかな水の流れを聞きながら
河原の露天風呂で山にかかる月なんか
時間を忘れてのんびり眺めてきてほしい。

本物の闇の深さに対峙し、
朝の冷気に、生きている実感をかみしめてきてほしい。

インフルエンザがいよいよ本格的に
なってきたとのニュース。

日々健康で暮らせる幸せを
これからも噛みしめてゆきたいものである。

どうぞ皆様方くれぐれも
お体を大切になさってくださいませね。

今日もおつきあいいただき
ありがとうございました。
それでは 
ごきげんよう。


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