夏の縁側 ~磨かれた読書感想会~

  

「陽子ちゃんこの本読んだ?」

「ううん、まだ読んでない」

「すっごくおもしろいから読んでみ。貨してあげる」

「ありがとう」

子供のころ、幼馴染の近所のNちゃんが

いつも我が家に遊びに来るたびに持ってきたものが

自分が読んでおもしろかった本だった。

 

おままごとや、なわとびなど女の子らしい遊びも彼女とはたくさんしたが

とりわけ記憶に残るのが彼女と静かに並んで本を広げた一時だ。

 

少し曇った涼しい夏の午後。縁側の向こうには田んぼが広がり、

青い苗の上を風が通り過ぎてゆく。

蝉の鳴き声をききながら、ゴムサンダルの足をぶらんと下げて

二人とも黙ったまま本に目を落とす。

 

傍らに置かれたカルピスの氷が解けるのも忘れて、

小豆のアイスキャンディなんか舐めながら、

ページをめくる一時。

今思えばあれは至福のときだった。

 

「あっ、もうこんな時間」「わっ夕立来そう」

読み終えないときは、この次までに読んでおくのが

いつのまにか暗黙の約束になっていた。

 

次の朝、ラジオ体操で会うと開口一番、

「昨日の本どうだった?」

「うん、おもしろかった」

そして私たちは、読んだ本の感想をお互いに話し合うのが

これまた通例になっていた。

 

本を読んでいる時間も幸せだったが、

読んだ本の感動をダイレクトに

「ねえねえ、聞いて」だけで

聞いてくれた人がいたあの時間は、本当に幸せだった。

 

楽しかった。このうえなく楽しかった。

自分の意見を思いっきり話せて、

それを存分に受け入れてくれる人がいて、

互い共感しあったり、共鳴しあったり、

時には、自分とは異なった彼女の意見に

耳を傾けて、感心したり、考えたり、

あんな時間、二度とないような気がする。

 

あの空間と、あの子供時代

貴重な体験を彼女と分かち合えたことを

感謝すると同時に、限りない喜びに感じる。

 

Nちゃんとは今でも「ちょっと聞いてよ」と言って話せる間柄だ。

50年も続いているのは、ひとえに彼女の人柄によるものだと

私は大変有難く、電話のたびに彼女には「ありがとう」と

礼を述べている。

彼女もまたしかり。

彼女の賢さにいつも助けてもらった。

だから50年以上も喧嘩することもなく

友達という関係が続いているのだと思う。

 

山口県で村人を5人も殺すという凄惨極まりない

事件が起きたが、どうやら容疑者の男が

孤独感を深めた後の犯行ということらしい。

 

本来なら、鍵もかけない互いが信頼しきっているはずの

緑深い山里で男は自宅に防犯カメラを取り付けた。

どうやら男は自分の心の鍵を掛け違えたようだ。

 

男が捕まった獣道の脇を澄み切った川が流れていた。

キラキラ光って悲しすぎた。美しいものを美しいと思えなくなると

人はあんな無残な行いを起すのかもしれない。

 

広島の16歳の少女しかり。

ラインという画面上の言葉だけが虚しく踊っている。

画面上の関係は、そのまま彼女たちの関係性を物語っている。

言葉は本来、もっと美しく、心から発せられるものであるものと

私は思う。

 

互いが互いを思いあう。

言葉とは、会話とは本来もっと純粋で単純なのかも。

だから難しい。だから素敵なのかも。

蝉時雨を聞きながら、

過ぎた夏をひとしきり懐かしく思いながら

そんなこと考えた夏の午後。

今日も読んでいただき、ありがとう。

 

暑さ厳しき折、くれぐれもお体をお大事に

それでは

ごきげんよう。

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