「俺が変わる」

 

お盆の12日、実に11年ぶりに父の田舎である山梨へ主人と二人で墓参りに行ってきた。

平成15年に父が亡くなって、まもなく母の様態がおかしくなり、

そのうち母の介護生活が本格的に?始まり、

母を一人置いて遠出が出来なくなった私にとって

いつのまにか、山梨は遠い町になってしまっていたのだった。

 

その母が亡くなって、ようやく墓参りが出来た。

肩の荷がまた一つ降りたような気がする。

久しぶりに会った義理の叔母や、いとこと話が出来るひとときは

本当に心が和むひと時だった。

「陽子ちゃん、ほんとご苦労様だったね」

「陽子、よく頑張ったな」叔母やいとこの言葉は温かく

一言、一言が心に沁みてくる。

 

話しが母の介護の話しに及んだ時だった。

主人が「本当に陽子ちゃんはよくやったと思います。

傍で僕は、見ているだけでしたが、頭が下がる思いでした。

僕の事は二の次三の次どころか、四の次,五の次でしたが

僕はそれでいいと思いました」

そんな言葉をいきなり発した。

 

すかさず私は照れくささも手伝って、

「『あなたの順番は最下位』って叫んだこともあったわよね」って

切り返した。

「最下位?そりゃ敏さん参るよな」「陽子ちゃん、可笑しい」

叔母やいとこは大爆笑。

「敏さん、よく我慢したなあ」「ほんと偉いわ」

叔母やいとこは主人を褒めることしきり。

 

「いやー『最下位』って言われても、

目の前で陽子ちゃんが、お母さんのお尻拭いたりして

大奮闘している姿を見たら、納得するしかないんですよ」

「うーん、でもなかなかそうは思えんよ」(ここは山梨弁で)

「出来んこったよ」(ここも山梨言葉で)

「まあ、自分を偉そうに言うのもなんですが、

お母さんに「変われ」って言っても、もうどうしようもないし

陽子ちゃんは一生懸命介護しているし、それを「変えろ」って言っても

出来ないだろうし、それで俺、考えたんですよ。

俺が変わればいいんだって、

俺がすべて受け入れて「俺が変わる」って思ったんです」

その言葉に一同シーン。

「ほんと主人には感謝しているの」

「ほんにね」「ありがてえな」

叔母もいとこも目に涙を浮かべていた。

 

私がもしも主人の立場ならそこまで自分の心を変えることが出来ただろうか?

「私だってこんな頑張っているんだからあなたも少しは考えてよ」

そんな風に主人を責める私になってしまったかもしれない。

責めることを私に一切させなかった主人に、今更ながら感謝だ。

 

正直母を介護することは身体的にきつかった。

きつくて、きつくて何度、病院で点滴を受けただろう。

頭だっておかしくなりそうな時もあった。薬は手放せなかった。

「歯がすり減ってるよ。お母さんの病状進んでいるんだね。

あんまり無理しちゃだめだよ。自分の体も大事にしたほうがいいよ」

歯医者さんは私の口の中を見て、私の苦悩を思いやってくれた

 

そんな私の様子を心から理解してくれたのが主人と妹だった。

余計な気遣いを二人とも私には一切させなかった。

それもこれも主人や、妹が心から私を信頼し、すべてを受け入れてくれたから他ならない。

介護に何の悔いもなく、楽しかった思い出しか残っていないのは

身体的にきつくても、精神的なきつさを味あわずに済んだのは

私が一生懸命頑張ったのではなく、支えてくれた全ての人が居てくれた御蔭だと

今更ながらに思う。

私が我儘にならなくて済むように

皆が温かく見守ってくれ、助言してくれ、励ましてくれた。

13日には昔の友人がお供え物を送ってきてくれた。

15日には友人が遠く福島から訪ねてきてくれた。

改めて感謝、感謝のお盆だった。皆にありがとう。

心から礼を述べたい2014年、夏の盆だった。

 

 

 

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