「今日は終戦の日だな」
元気だったころの父は、毎年決まってこの言葉をつぶやいて仕事に出かけた。
東京でオリンピックが開かれるほんの少し前の時代。
横浜の地下道には戦争で傷ついた、傷痍軍人がそこかしこにあふれていた。
木の松葉づえをついた人には片足がなかった。
上着の袖だけがダランと伸びた人の目は虚ろだった。
顔面包帯でおおわれていた人の、
わずかに見える眼光の鋭さに私は怯えた。
幼い私はそれが何であるのかわからず、
ただただ恐怖で父の足元にしがみついた。
父は優しく背中に手を回して「戦争で傷を負った人だよ」と
それだけ呟き、私たちはいつも足早にその場から離れた。
横浜だけではなかった。
家族で浅草に遊びに行った際も、
同じ光景を目の当たりにし、早くこの場から立ち去りたいと思った。
たったそれだけの経験だが、
私に戦争というものを教えるのは十分過ぎるものだった。
あの光景から50年以上経ち、今や横浜にも浅草にも往時を感じさせるものは何もない。
平和の象徴である祭典であるオリンピックが、
今、リオで開催されている。
毎日のように、熱戦が続き
連日の応援に加えて、暑さも相まってで、少々疲れてきている。
おまけに年取って、涙もろくなってきているから
号泣しまくりで試合が終わるたびにぐったりとなっている。
思わず「欲しいわね。オリンピックの盆休み」なんて言葉も出る始末。
でも選手の皆さんのお疲れに比べたら
先の大戦で亡くなった方の無念さに比べたら
何の、何の、おばさんも負けてなんかいられない。
「頑張れ。日本。さあ行くわよ」
またテレビの前で号泣、いや応援だあ。